秋吉久美子が「70年代を語る」イベントがシネパトスにて開催

銀座シネパトスという映画館にて、「秋吉久美子映画祭」が開催中である。本日は特別に「秋吉久美子が今はじめてあの70年代を語る」と銘打ったトークイベントが開催されるというので、当日券を買い込んでいるのであります。出席者は秋吉久美子と樋口尚文(映画評論家)である。

秋吉久美子と云えば、70年代のまさにおいらが思春期を過ごしていた頃にデビュー、コケティッシュで個性的な女優として一世を風靡していたという感もあるくらいに想い出深い女優である。70年代は当時、「白けの時代」「モラトリアムの時代」等々の冠で評価されていた時代である。60年代の云わば「激動の時代」と比較すればそうなのだろうが、時代が「白けていた」ということではけっして無い。様々なエネルギーが渦巻いていた70年代を「白けの時代」と称し命名した社会学者などは、まったく信用に値しないのである。

さて今夜はこれからトークイベントがあるため、イベントの内容等々については追ってレポートする。鄙びた映画館のイベントなのに、マスコミ数社がこのイベント取材のために横にいて待機していることを記しておく。

この稿もまた続く

秋吉久美子が「70年代を語る」イベントがシネパトスにて開催」への1件のフィードバック

  1. 【5/14のトークイベントについての追記】

    やはりというのだろうか、秋吉久美子 vs 樋口尚文のトークイベントは、とてもゆるい雰囲気で幕をあげていた。

    例えばこの日の上映作品「さらば夏の光よ」で、共演した郷ひろみについて、「郷ひろみ君とはほとんど口を利かなかったのにとても仲良く見えていた。その頃は郷君のことをあまり尊敬していなかったけど、今は彼のエネルギッシュなところに尊敬している。」云々かんぬん…。

    あるいは「映画監督になる人は、エロイ人ですね」等々と、まあ人をおちょくった口述は昔のままであった。

    ところが途中からやはりなにか一物があったのだろう、「白けの時代」と称されていた70年代についても語り始めていた。「当時“白け派”といわれていたときは、実はとても熱いものがあったんです。初々しい愛があったし、すかしてもいなかった」

    そんな秋吉久美子の言葉を受けるようにして樋口尚文が何度も重ねて口にしていたのは「酷薄な時代」という言葉だった。「現代は酷薄の時代であると」いうことを彼なりにいろいろ述べていたのであった。

    映画人がそういう言葉を語っていたことに自分自身の受け止めを重ね確認しつつ、やはり時代の異様な空気を思わざるを得なかった。そういえば、70年代から世紀末を通り越して今ここに居る現代社会というものは、これまでにない異様な様相を呈しているのだろうと感じさせる。エロクもなく白けても居なくて何も無さそうであるが、やはり世界がおかしくなっている。

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