奥鬼怒で鹿刺しを食べて感じ取ったマタギ讃歌なのだ

奥鬼怒を旅して今は東京に舞い戻っている。都会的市民生活にまた埋没しているのだが、奥鬼怒の「食」については極めて大切な知見を得ることとなつたのであり、しつこいようだがここに記しておきたいと思うのだ。栃木県の北部地域には、マタギと呼ばれる狩猟の民達、すなわち土着の人々達が存在している。彼らの食事の多くは、鹿や猪等々の野生動物の肉に依っているところが大きいようである。

マタギとは、古来からの方法を用いて集団で狩猟を行う狩猟者集団たちのことを指すとされている。北海道や東北地方の伝統的な狩猟民族のことを指して云うことが多いが、それのみならず関東圏内でもまたぎは今なお存在しており、栃木の奥鬼怒でもまたぎの生業を続けている人々は多いのである。このようにして関東にも居るマタギたちによって、里山の維持、管理がなされていることを思い知ったのである。森林に居住する熊をはじめイノシシ、カモシカ、シカ、等々の野生動物たちとの共生共存を維持していくことは並大抵のことではない。地域の人々による古来からの伝統的な狩猟方法等を含めた生業によつて、人間と世界との関係が保たれてきたということなのである。人間が大手を振るって自然界を支配しようとするのではなくして、野生動物やその他諸々の存在との調和を図ろうとして築いてきた人々の営みの印を感じ取ったのである。

宿で食した「鹿の刺身」は、冷凍していたものが解凍されて出されていたことは明らかだった。冷々しくて食感は良かったが、少々ガサガサとしたシャーベットを食する時の感じが思い出されてもいたのだった。これくらいに冷やせば食中毒等も防止できるのであろう。文明の利器の存在理由(レゾンデートル)もまたそのときには実感として感じ取ることにもなったのである。マタギ頑張れ! マタギ万歳! なのである。