小沢一郎の特異なる顔相が物語るもの

政治家小沢一郎氏に関するニュースが駆け巡っている。「政治と金」という古くからのテーマであるからして少々のことでは収まる気配は見られない。ところでニュース番組で刷り込まれる小沢一郎の顔相については、一言云っておきたいのだ。

加齢のひとつの目安ともされる目の下のくま。そのくまが極端に下方に垂れ下がって拡がっている。そんな顔相が、今の小沢一郎の表情の底流を特徴付けている。尋常ならざる苦労をこの政治家は体験しながら、今日のここまで登り詰めて来たのだろうことが、明らかなる「顔相」「人相」によって見て取ることができる。その苦労の中身は「権力闘争」「自己顕示」という類のものであるからして、賛美される筋合いのものではない。

1942年、昭和にすれば17年の5月24日生まれの68歳。戦時下に生を受けたが、一般的には戦中世代ではなく戦後の世代に属するとされる世代である。戦後世代のトップランナーともてはやす向きもあるようだが、次に来る「全共闘世代」と比較すれば、明らかに老け込んでしまっている。その間の溝というのは甚大なものであると云って良い。

誤解してほしくないのは、おいらはここで世代論を展開しようとしているのではない。目的はそれとは逆のものなのだ。

世代的にそう古くはないはずの小沢一郎氏なのだが、世代の代表的な顔相から飛び抜けて「老け顔」であることを意識せざるを得ないのである。これが本稿の趣旨であり誤解は禁物である。

一体にこの政治家は、今後のどのような「夢」の実現を図ろうとしているのか? 想像する度にぞっとする。寒々として投げやりな想いが全身を駆け巡ってしまうのは、果たしておいらだけのことなのであろうか?