芥川賞受賞作「きことわ」(朝吹真理子著)の綺麗な日本語に感服

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今年上半期の芥川賞受賞作。とても綺麗な日本語で綴られた小説である。

このところ、日本語の扱い方もわきまえない芸能人作家による作品を立て続けに読んでしまったおいらの身にとってみれば、この作品に表現されている日本語の美しさだけでも、貴重な読書体験と呼びたいくらいに感動的なものだった。

夢をみる永遠子(とわこ)と、夢をみない貴子(きこ)の二人の主人公を巡って物語は進行していく。主な舞台は葉山の別荘である。25年あまりもの時間の中でのあれやこれやが、まるで万華鏡の中を覗いたときの光景のように、ドラマティックかつ極めてデモーニッシュに展開されていくのだ。デモーニッシュではあるが、読後感は決して悪くはない。敢えて書けば却って清々しいという思いさえ抱いたほどだ。

ご存知のように受賞者の朝吹真理子さんは、仏蘭西文学の巨匠ことフランソワーズ・サガンの翻訳家として名高い、朝吹登水子さんを大叔母にもっている。それを知ってか、やはりというのか、サガンの本にも似ていなくもない。もちろんのこと朝吹真理子さんの受賞作には仏蘭西被れなどというものはなく、純粋なくらいに日本的である。日本的過ぎるくらいでもある。

朝吹真理子さんが名門の出身であることから、「銀のスプーンをくわえて産まれた」等と揶揄する声も多いようだ。しかしながら受賞作に描かれている世界は、葉山の別荘が舞台だということを1点除くならば、極めて大衆的な世界が開示されている。例えば、老舗の蕎麦屋が閉まっていたことからやむなく即席ラーメンをすずっていたというような情景が、ここやかしこに示されている。揶揄するほどにはブルジョアではないということを、作家は示したかったのかも知れない等とふと思う。

ここにきて、朝吹登水子さんの翻訳によるフランソワーズ・サガンの小説が至極懐かしく思われてきたのだった。十代思春期の頃の青春の主張を、朝吹さん翻訳のサガンの本が主張していたという思いが強くのしかかっている。

近い将来の朝吹真理子さんは、日本のサガンと呼ばれることであろう。ただしここで指摘したいこと、余計なお節介の一言。彼女の現在において足りないのは、恋愛という極私的な体験であろうということ。それを感じ取ったのはおいらばかりではないだろう。