平塚市美術館にて「画家の詩、詩人の絵」展を鑑賞

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先日は平塚市美術館を訪れ、それまでずっと気にかかっていた「画家の詩、詩人の絵」展を鑑賞した。今月の8日までの企画展覧会であり、すでに同美術館での展示は終了している。なかなか時間がとれずにいて、ぎりぎりセーフの滑り込み的スケジュールの美術鑑賞となっていた。

平塚の美術館を訪れた最大の理由は、宮沢賢治さんの「日輪と山」という名作が展示されているという情報に接したからなのだが、実際の展示物は原作の複製だということで、そんな期待は裏切られてしまっていた。少々気落ちして、会場を巡っていたが、青木繁、萬鉄五郎といった近代洋画の巨匠たちの作品に接することが出来たので、同展へ足を向けた意義は強いものを感じていた。さらに、古賀春江というこれまで未知なる作家の原画に遭遇できたことは望外の悦びでもあった。

ところで同展覧会のテーマである、美術と詩との関係については、美術館関係者たちにとってはあまりポジティブなテーマではない。ことにモダンアートのビジョンからすれば美術は詩の後塵を拝すること無かれという志向性が強くあり、詩と美術との繋がりは排除サレル傾向が一面で強くある。そんなことから同展覧会会場へ赴くことが遅れたのだが、実際に鑑賞してからの今の思いとしては、もっともっとポジティブに捉えるべきテーマであると実感している。

画家と其の彼らが記した詩との詳細については、会場では充分な時間をかけて検証することが出来なかったので、同展の公式図録としての書籍「画家の詩、詩人の絵」を購入し、じっくりと読み入っているところである。また新たな発見などがあれば此処でも開陳していきたいと考えている。

結論が惜しい山田玲司著「資本主義卒業試験」

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「資本主義卒業試験」という新書を読んだ。著者は漫画家の山田玲司氏。かつて手塚治虫に私淑し20歳にて漫画家デビューしたという逸材だ。氏の漫画以外にこれまで読んだことが無かったおいらだが、タイトルに惹かれて同書を購入していた。

資本主義から卒業するというテーマを課された生徒達が、その答えを求めて冒険する。その主人公が、漫画家の著者自身を彷彿させる男なのだ。売れっ子漫画家としての名声を得て成功を手にした人生の勝者と思えた主人公に、意外な落とし穴が訪れる。勝者と思えた主人公が実は勝つことを強いられた敗者であったという事実を目の当たりにして、煩悶とし、彷徨う。そんな姿の主人公に、思いを仮託しながら読み進めたのだった。然しながらその本の結論はお粗末だった。残念至極の一冊ではある。

又吉直樹著「火花」は芸人内のネタ止まり

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又吉直樹氏の「火花」を読んだ。現役のお笑い芸人が書いたとして話題の一作。若手芸人の「僕」こと徳永と、僕が師匠と慕う神谷才蔵とのエピソードが中心の、芸人世界の舞台裏を描いた作品である。

お笑い芸の修行と成長がさながら人生の全てとなる彼らの芸人魂は、些か大仰であり、作家の思い入れを拒絶させるが、芸人自らが描いた内輪ネタの物語として読み進めるにつけ、数々のエピソードに興ずることができたのだった。だが其れ以上の文学的関心を呼び覚ますことは無かったのだ。

師匠の神谷は芸人仲間内では天才との評価もあり、自己のけったいな心情に真直ぐで直情型の個性派として描かれている。このキャラクターづくりには作家の仕掛けがあると見て読み進めていた。物語の後半部分では、僕がそこそこ売れるようになったのに対比して神谷の奇矯な行為が目立つのだが、最後の仕掛けでは、天才の成れの果てと呼ぶには滑稽にすぎるものとなったことに落胆させられた。いわば芸人人生の追求が、文学的テーマとして素直に合致しなかったということになる。

前橋文学館にて「山村暮鳥展」開催

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おいらの出身地の前橋の「前橋文学館」では、昨日18日から「山村暮鳥展」という企画展が開催されている。サブタイトルに「室生犀星・萩原朔太郎とともにめざした詩の変革」とあり、そんなタイトルにも惹かれて、帰省したときのいつものおいらの散策コースにもなっている前橋文学館を訪れていた。

山村暮鳥とは、1884年に群馬県西群馬郡棟高村(現・群馬県高崎市)にて生を受けた詩人である。小学校での勤務の後に前橋聖マッテア教会で開催されていた英語の夜学校に通い、それがきっかけとなりキリスト教の洗礼を受けて、やがては故郷を離れて伝道師の道を歩んでいったという。その後に、室生犀星、萩原朔太郎たちとの交流を得て詩作品の発表を続けていくことになったという。それぞれの地で活躍していた3人の詩人たちは「人魚詩社」を結成し詩社の機関紙「卓上噴水」を刊行する。暮鳥自らが「ばくれつだん」と称した革新的詩集「聖三稜玻璃」が刊行されたことにより朔太郎にも影響を与えていくこととなった。同展では、文芸誌上で互いの作品に惹かれあい、離れた土地で友情が花開き、切磋琢磨しながら当時の詩壇的詩の世界を変革しようとしていた三人の詩人の活動を、出会いから別々の道に進んでいくまでの時期を中心として関連資料とともに紹介している。
■前橋文学館
群馬県前橋市千代田町三丁目12-10
TEL 027-235-8011
休館日:水曜日
開館時間:9:30~17:00(金曜日は20:00まで)

■山村暮鳥展
観覧料:企画展のみ300円、常設展とセットで350円
2014年10月18日~11月30日

「昭和出版社」が発行の「夏目漱石作品集」を入手したのだ

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八王子では例年の「古本祭り」が、昨日11日より14日までにかけて開催されているのだが、そんな会場近辺にて面白い全集本を発見し、思わず購入していた。その全集本とは「夏目漱石作品集」と題された全10巻におよぶものである。実はその出版元が「昭和出版社」という、これまで聞きなれなかったところであったことから、思いの外に興味をそそってしまったのであった。

おいらはこれまで夏目漱石全集といった書籍本の類いには多種類接していた。夏目漱石と云えば我が国の近代文学者としてのもっとも尊敬すべき文学者である。だがしかし、今回の「昭和出版社」が発行したものに接するのは初めてのことだった。そうした初対面的名称に対する喫驚とともに、ある種のそのギャップに余計な関心を膨らませていたということなのであった。

今までのところでは、おいらは不明なる「昭和出版社」に関しての追求の手前であり、何の生産的なる事実にこと至ってはいないのであり、これから解明していきたいということを念頭に置きながら、本日のブログのキーボードを置くことにするのである。

柴崎友香さんの意欲作「春の庭」を読む

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今年後半の第151回芥川賞受賞作品である「春の庭」を読んだ。作者は純文学界の実力派として評価される柴崎友香さんである。

物語の骨格は、世田谷のある古いアパート「ビューパレス サエキIII」に引っ越してきた太郎と、同じアパートの住人達、とそして接する水色の洋館にまつわる人々が登場人物である。水色の洋館にはかつての住人による写真集の舞台となっている痕跡があり、そんな写真集に描写されたシーンの数々とともに物語が流れていく。これらの描写における表現法が、作家・柴崎友香さんの持ち味であることが、読み進めるに連れて理解されていく。描写方法がかなり独特であり、柴崎流とも称すべきものなのだ。芥川賞選者の一人である高樹のぶ子氏が、「ノスタルジックな磁場」という表現で評価していたが、場所における磁場と其れを取り巻く人間存在がテーマとなっている、意欲作だと云ってよい。

読み進めるに当たっては数々の読書の壁に付き合わされていた。ある種の三人称の記述が所謂教科書的では無かったこと、突拍子もない派生的かつ偏執的なストーリーが盛り込まれていること、さらには、終盤の意外な展開等々が、読みずらい思いを強くしていたが、それを踏まえてもこの小説世界のビジョンには特異な個性を感じ取っていた。さらなる作家のこれからに期待したいのである。

宮部みゆきさん原作のTBSドラマ「ペテロの葬列」の最終回にがっかり


[終]「ペテロの葬列」 最終回 投稿者 neuTigerMask

昨晩はといえば、TBSドラマ「ペテロの葬列」の最終回が放映されていた。眠い目をこすりつつ最終回を視聴していたが、実に残念な結末にがっかりだったのである。

宮部みゆきさんによる原作小説が刊行されたのが昨年2013年12月のこと。まさに旬の作家の最新作が原作ということであり、おいらも少なからずの期待を抱きつつ、シリーズドラマを視聴していた。しかも同ドラマは、主人公こと杉村三郎が素人探偵としてミステリーを解決するシリーズの第2弾でもある。ドラマシリーズの前作「名もなき毒」では、ドラマ主人公に些少ならぬの感情移入していたこともあり、期待はかなり高かったのである。ところがシリーズを視聴していてどうもピンと来ない。ずっとずうっとそんな思いを抱きつつの最終回なのであった。

先ずは視終わって感じたのは、ストーリーの雑さである。物語の初段階では、昭和の時代の大きな詐欺事件絡みの展開があり、其れのミステリーを追及するものだったが、何時の間にやら詐欺事件のテーマは曖昧な「悪」として取り扱われ、「悪は伝染する」等と云った焦点を持たないテーマとなり拡散して、まるで収拾のつかないものとなっていた。漠然として曖昧な「悪意」に対するリアリティや感情移入は影を潜めていき、代わりに蔓延っていたのが、主人公・杉村三郎に対する腑甲斐の無さへの思いである。

杉村の腑甲斐の無さは、例えば本社から広報室に異動してきた井手正夫という人間に対する対応のいい加減さに現れている。よくあるエリートの落ちぶれた中間管理職としての井手の邪悪な振る舞いに対する不甲斐無さにはがっかり至極である。どうして主人公は井手の邪悪に対して真っ当に立ち向かうことをしなかったのか? この様な屑的人間には全霊をもって潰す覚悟と行為が必要であるのにドラマの主人公は何もしていない。くだらない下衆市民の邪悪に対して、流されるように受身に対応していた主人公に対する思い入れや感情移入は消え去っていた。

さらに残念だったのは、愛を誓って結婚したはずの妻に対する対応の拙さ、意気地の無さ、である。妻の1度の不倫に対して、まるで駄々を捏ねる青年のようにしか対応していなかったと、其のように受け取らざるを得なかった。どうして主人公はパートナーの裏切りに、其れを乗り越える解決の道を探ることがなかったのか? 疑問を通り越えてがっかり至極の後味ばかりが残されていた。もっと闘う主人公の生き様を期待していたおいらにとっては、同ドラマに対しての後味の悪さは、期待値が大きかったからこそのギャップではあるが、人間の邪悪な振る舞いに対する抵抗力を失った現代日本人の残念さを示しているのかもしれないのである。

辻村深月さんの「盲目的な恋と友情」を読む

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「鍵のない夢を見る」で直木賞を受賞した辻村さんによる連作である。舞台は東京はずれの某私立大学キャンパス。大学の管弦楽部に集う若き男と女達の中に、蘭花、留利絵、美波、という女子学生や、茂実星近という美形の男子学生がいる。両作品とも基本のプロットは同一であり、「恋」では容姿端麗美女の蘭花の視線で物語が綴られ、続く「友情」では容姿に自信のない留利絵の目を通したドラマが進行する。

盲目的な恋にのめり込む蘭花は茂実に嵌まり、次第に歪んだ恋に押し潰され、行き場のない結末に悶々とする。同書帯には「醜さゆえ、美しさゆえの劣等感をあぶり出した、鬼気迫る書き下し長編。」とあるが、作者の狙いはわかる。グイグイとストーリーに引き込んでいく辻村作品とは少々異なって、男女の恋のエピソード描写はあたかも浅薄な青春小説のような香りも匂わせてもいる。この作品が辻村作品であることを忘れさせるくらいに甘ったるい描写が続く。だが終盤のどんでん返し的オチは流石と思わせつつ、辻村さんらしい技工の巧みさを強く意識させられた。

八王子の佐藤書房で「20世紀のはじまり◯ピカソとクレーの生きた時代」を購入

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地元の古書店にて「20世紀のはじまり◯ピカソとクレーの生きた時代」を発見して思わずに購入。同美術展のカタログを目にして購入したのは何よりも、表紙絵のクレー作「リズミカルな森のラクダ」に魅入ってしまったことからだった。クレーの此の作品は懐かしい遭遇だった。数年前には同展覧会のニュースに接していきたかったが行けなかったというイベント展の図録を目にして迷うことは無かった。帰宅して改めて眺めていたのだが、初めて目にするクレーの作品があふれており、何回、何十回とページをめくっても飽きることが無い。クレー作品ファンとしてのおいらにとっては、貴重な一冊になること間違いない。

購入した地元の古書店「佐藤書房」はおいらも行きつけの店であり、豊富な古書を廉価で販売している。しかも毎日のように店舗前のワゴンセールが開催されて、毎日そのセール品の内容が変わっているのだ。だから毎日のように通っても決して飽きることなど無いのである。

■佐藤書房
東京都八王子市東町12-16
TEL: 042-645-8411

http://satoushobou.sakura.ne.jp/index.html

古市憲寿著「僕たちの前途」は後味爽やかなノンフィクションだった

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「起業」「起業家」をテーマにして古市憲寿氏が表したノンフィクションである。一般的に我が国の「起業論」には常時的に、筆著者自身の事業PR的な要素が充満しており、そんな厭らしさ故に、胡散臭い印象を抱くのが定例である。同書「僕たちの前途」には、そんな厭らしいところは無いが、その反面で強いメッセージ性を感じることが無いという、当り障りの無い内容に終始している。もっと云えば、どうでも良いといった類いの「起業論」「経営論」に終始している印象が強くある。

ただしそんな中でも同書の「第一章 僕たちのゼント」には、現状における古市氏を取り巻く経済的な状況を指し示していて興味を誘うのである。20代後半の社会学者が実際的に依拠している経済状況について、著者の古市氏は饒舌に語っている。まるで起業家論をまとっているが実質的には著者自らのこの社会に対する対処法、処世術的なものを多く見て取ってしまっていた。其れらは決して後味が悪いわけではなくて、却って古市氏的著者世代の天晴的なアウトソーシング的なメッセージとして受け取ることができたのである。同書帯における「人生に正解はない。」というフレーズはとても軽々しいのだが、それこそが彼ら世代の日常的な現状把握的キーワードなのである。