井上真央主演の映画「白ゆき姫殺人事件」を鑑賞

井上真央主演の映画「白ゆき姫殺人事件」を鑑賞した。映画館へはほとんど期待無しに足を運んだ。先日読んだ湊かなえさんの原作本にはがっかりしていたからだ。ただし主演の井上真央さんに関しては、演技はとても観たいという念を強くしていたのだ。美人顔女優の井上真央嬢が「目立たない地味なOL」の役を演じるという。ネット上で視聴した予告編ムービーでの演技は彼女の存在感が際立っており、若手女優の中で特筆すべきものを持っていることは確かである。余談だが、絶世の美女として役割分担している菜々緒という女優には、美人でモデル顔といった以外の取柄を感じさせない。極めて軽薄で影が薄いのだ。キャスティングにはもうひと工夫あっても良いだろうという第一印象なのだ。

作品のテーマである、ネットやマスコミ媒体を通した誹謗中傷、不確実情報や噂の拡散、Twitterを始めとするソーシャルメディアを取巻くユーザー達の不条理性、等々については、脚本が原作の足りない処を補っている印象であり、重層的な展開に技を感じ取ることができた。同名の小説と映画の二作を並べてみれば、映画製作のために湊かなえさんの原作小説が、云わば矮小化されたプロット提供作品として利用されていた。おいらの想像だが、湊さんの小説執筆に関しての充分な時間やその他環境が満たされていなかったのではないか?

湊かなえさんの新作「白ゆき姫殺人事件」を読んだ

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かつて「告白」という作品で本屋大賞を受賞するなど、当代きっての人気作家こと湊かなえさんの新作であり、今月29日からは全国ロードショーの映画公開が待たれている。書店にて同作品を目にし手に取って以来、此の作品に対する関心はいやがおうにも高まざるを得なかったと云うべきであった。

だがいざ読み始めてみると、あまり面白味は感じ取れず、かえって違和感を増幅させて行ったのだ。物語はある美人の三木典子さんが殺害されたことをめぐって展開されて行く。「白ゆき姫」とも噂されたというこの世のものとも思えぬ美人殺害の容疑者として、主人公の「城野美姫」が浮上する。此の女性を映画で演じるのが井上真央さんである。

殺害された白ゆき姫に対して容疑者の女性は、取りたてて容貌に特長の無いという女性として描かれている。即ち絶世の美人と容貌に不自由な不美人との関係性がまるでテーマのように進行して行くのだ。まるで小説のテーマが、美人女性を取り巻くその他諸々人物たちの滑稽なる人間模様だと云うのかの如くに物語は進行して行ったのだ。

まるで此の小説は映画の原作でしか無かったのか? そうした疑問でいっぱいにされた読後感なのである。井上真央さんが演じる容姿不自由の女性は、果たして容姿秀麗の美女との対決を望んでいた訳ではなかった。容疑者から物語の犯人が語られるくだりなどは、通常のミステリーマニアたちにとってはとても納得出来かねる結末なのではあるまいか?

才能の安売りは彼女のファンたちをもがっかりさせるに違いない。作家の湊さんは、映画の原作本を書く時は小説本とは称すること無く書いて行ってほしいとせつに願う次第なのである。

湊かなえさんのベストセラー小説「告白」は、プロットが先行した暴走小説か?

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昨年(2009年)の「本屋大賞」に輝いた作品ということで、前々から気になっていた湊かなえさんの「告白」を、遅ればせながら読んでみた。第1章の「聖職者」は立ち読みで大体のところは把握していたが、第2章以降を読み進むにつれ、想像していたストーリーとはかなり異なった展開に些か戸惑いつつも、一気呵成なる読書体験の世界へと足を踏み込まされることになっていたのである。「人間の闇」などとマスコミで称される人間の心理分析等を素材にしながら、若々しくあっけらかんに調理の腕を振るっている。だからよくある推理小説、ミステリー小説の類いとは、ストーリーの展開方法やモノローグによる構成立て等々とは、かなり趣を異にしている。「小説推理新人賞」の受賞者としての肩書きはまるでピンと来ないのである。それぞれの章によってモノローグ(独白)のスタイルが異なっている。この変化するスタイルのことなど、あまり推理小説界には見慣れない手法であるのだろう。多くの評論家が指摘するように、作者の筆力にはとても敬服するのだが、それが緻密な計算ずくなものではなく、おそらくは一気呵成な登場人物へのなり切り、憑依にも似た思い入れの賜物だったとしたら、手放しで賛嘆の言葉を並べることに躊躇を覚えるのだ。推理小説の伝統やら常道やらの壁を突き破って出てきた作品には違いないのだろうが、未だに気にかかるのである。それは見方を換えれば、プロットが優先して物語性が粗末にされた作品に対する、正邪併せた思い入れなのだろうという気がする。若気の至りなどという言葉さえ浮かんでくる。未だに古い殻を突き破れないのが自分なのかもしれないのであるが、どうにもこうにもならないのである…。松たか子が主演する「告白」の映画が制作されたという。観に行くべきかどうか迷っている。原作以上に映画に感動するケースもあるから、おそらくは観に行くことになるのだろう。ベストセラー的作品の別の面を観て楽しむことができるかもしれないと期待しているところなのである。