宮部みゆきさん原作のTBSドラマ「ペテロの葬列」の最終回にがっかり


[終]「ペテロの葬列」 最終回 投稿者 neuTigerMask

昨晩はといえば、TBSドラマ「ペテロの葬列」の最終回が放映されていた。眠い目をこすりつつ最終回を視聴していたが、実に残念な結末にがっかりだったのである。

宮部みゆきさんによる原作小説が刊行されたのが昨年2013年12月のこと。まさに旬の作家の最新作が原作ということであり、おいらも少なからずの期待を抱きつつ、シリーズドラマを視聴していた。しかも同ドラマは、主人公こと杉村三郎が素人探偵としてミステリーを解決するシリーズの第2弾でもある。ドラマシリーズの前作「名もなき毒」では、ドラマ主人公に些少ならぬの感情移入していたこともあり、期待はかなり高かったのである。ところがシリーズを視聴していてどうもピンと来ない。ずっとずうっとそんな思いを抱きつつの最終回なのであった。

先ずは視終わって感じたのは、ストーリーの雑さである。物語の初段階では、昭和の時代の大きな詐欺事件絡みの展開があり、其れのミステリーを追及するものだったが、何時の間にやら詐欺事件のテーマは曖昧な「悪」として取り扱われ、「悪は伝染する」等と云った焦点を持たないテーマとなり拡散して、まるで収拾のつかないものとなっていた。漠然として曖昧な「悪意」に対するリアリティや感情移入は影を潜めていき、代わりに蔓延っていたのが、主人公・杉村三郎に対する腑甲斐の無さへの思いである。

杉村の腑甲斐の無さは、例えば本社から広報室に異動してきた井手正夫という人間に対する対応のいい加減さに現れている。よくあるエリートの落ちぶれた中間管理職としての井手の邪悪な振る舞いに対する不甲斐無さにはがっかり至極である。どうして主人公は井手の邪悪に対して真っ当に立ち向かうことをしなかったのか? この様な屑的人間には全霊をもって潰す覚悟と行為が必要であるのにドラマの主人公は何もしていない。くだらない下衆市民の邪悪に対して、流されるように受身に対応していた主人公に対する思い入れや感情移入は消え去っていた。

さらに残念だったのは、愛を誓って結婚したはずの妻に対する対応の拙さ、意気地の無さ、である。妻の1度の不倫に対して、まるで駄々を捏ねる青年のようにしか対応していなかったと、其のように受け取らざるを得なかった。どうして主人公はパートナーの裏切りに、其れを乗り越える解決の道を探ることがなかったのか? 疑問を通り越えてがっかり至極の後味ばかりが残されていた。もっと闘う主人公の生き様を期待していたおいらにとっては、同ドラマに対しての後味の悪さは、期待値が大きかったからこそのギャップではあるが、人間の邪悪な振る舞いに対する抵抗力を失った現代日本人の残念さを示しているのかもしれないのである。