「多摩美術大学芸術祭」を訪問して記しておきたいこと

毎年この時期になると恒例の、多摩美術大学芸術祭を2年ぶりに訪問したのです。

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我が国の「画壇」等とも呼ばれ老害が蔓延る美術業界には、些かの興味関心も持たないおいらであるが、このような美大生の作品発表展示会にはついついと足を運びたくなる。

アートは創造の印であり、日々の日常的に接しているべきものである。絵画を描いたり、工芸作品を造ったりという行為は極めて日常的な営為であるのであり、誰もに開かれているべきなのだ。

所謂「自己テキストの時代」における「自己表出」は、身近な場所にこそ存在している。これから先も「デザインフェスタ(11/6,7 東京ビックサイト)」や「アートムーチョ(11/13,14 八王子北口西放射線ユーロード)」等々のアートイベントが予定されており楽しみだ。

トマト鍋の〆は、洋風牡蠣おじやで決まりなのだ

急激に冷え行く気候に驚きつつ、またも鍋が食したくなった。今夜の鍋は「トマト鍋」なり。今年初めにアキン邸のパーティーにてこのトマト鍋をご馳走になったが、たしかそれ以来の対面である。

トマト鍋のスープを買い込んで、トマトスープをはった鍋に、豚肉、白菜、椎茸、エノキ茸、そしてこれが肝心の「生トマト」を投入する。グツグツと強火で煮込めば、トマトのトマトスープ煮といった按配となった。思えば近頃のおでんには、生トマトがおでん種として用いられており、トマトをスープで煮込む料理は珍しいものでもない。トマトをトマトスープで煮込む料理は実に理に適っているとも云えるのである。

煮込まれて真っ赤になったトマトを頬張れば、トマトのつんとした酸味はやわらぎ、トマト本来の甘味が増している。トマトだけでも大した鍋のネタとして認められるのだ。

そしてトマト鍋の〆は、洋風のおじやである。もう一品の季節食材こと「牡蠣」を投入するのがポイントだ。野菜の出汁が溶け出した特製スープにご飯を入れてそのまま中火でグツグツ。濃厚の牡蠣のもつ磯の香りが加わって、さらに奥深い味わいに。これだけ美味しいおじやはそんなにお目にかかれるものではない。大げさではなくそう思った。

「盛岡じゃじゃ麺」は忘れられぬ味わいなのだ

先日の岩手旅行にて忘れられないメニューがあった。「盛岡じゃじゃ麺」である。

 

中国北部の「ジャージャー麺(炸醬麵)」という中華麺料理がその起源とされているが、盛岡のじゃじゃ麺の方で用いられている麺はといえば紛れのない「うどん麺」なのであり、和風である。うどんのユニークなバリエーション料理と捉えることが可能である。

豚ひき肉を甘辛く調理した「肉味噌」が味の決め手であり、それに加えて、きゅうり、ねぎ、おろし生姜がトッピングされている。

箸で一気に混ぜ合わせれば、汁無しのうどん料理の様相だ。まったりとして奥深い肉味噌が程よい喉越しのうどん麺に絡みつく。その味わいは他の追随を拒否するくらいに新しく、創作うどん料理として認定しても良いくらいなのである。

寒くなった秋に相応しい「きのこのグラタン」にほっこり

急激に寒気が日本を襲っている。こんなときには温かい食べ物が求められるが、中々じっくりと味わえるメニューには出くわせないものである。家庭料理でほっこりするのがお勧めなり。シンプルなメニューながら、シチューやグラタンはこの季節にもってこい。特に季節の茸類がたっぷり用いられていたら満足である。

椎茸、しめじ茸、舞茸、等々のきのこ類をあわせて、玉葱、大蒜と一緒に軽く炒める。それにホワイトソースで煮込んで、とろけるチーズと共にオーブンで焼く。グラタンの元を使えば手っ取り早く調理できるが、今回はあえてそれを使わないで調理した。日本のグラタンにはよくあるマカロニも無しである。

旬のきのこの繊細な味わいが、クリーミーなソースによく溶けて美味である。西洋料理はごてごてとして素材の味わいを削ぐと思われたが、旬のきのことクリーミーなスープとの相性はグッドなのでありました。

今季初の家鍋料理は、「火鍋風きのこ鍋」なり

本日も肌寒き気候に驚かされたのです。こういう日なれば、鍋料理が晩餐の相棒でありたい。そんなことを考えつつ、今季初めての鍋料理にチャレンジしたのでした。ここ数年のおいらのマイブーム鍋は「火鍋」である。今回はそんな火鍋の味付けを基本にした特製のレシピ。

丁度地元のスーパーで鶏のガラが出ていたのを見て即購入。それをぐつぐつ2時間あまり煮込んで鶏ガラスープをつくる。出来立てのスープを土鍋に移して中華風スープの仕込みにかかる。唐辛子、八角、クコの実、松の実、豆板醤、甜めん醤、ラー油、等々を適量加えて特製スープの出来上がりである。

具はと云えば、白菜、白葱、椎茸、舞茸、しめじ茸、等々とそしてそして牛・豚肉。具が煮込まれた頃合にて、牛豚肉をしゃぶしゃぶの要領にて湯がいて食するのだ。スープには薬膳食材が用いられているのであり、極めて健康鍋として特出されるのだ。云わば「火鍋風健康満点特製鍋」とでも申しましょうか。

〆は中華麺を入れて、きのこ味火鍋風漬麺ラーメンの出来上がりである。

寒いこれからの季節こそ「おでん」なのだ

秋を一気に飛び越えて、北海道や東北地方は冬の装いなのだという。

そんな季節にはどうしても温かい食べ物が必要だ。その代表的な温かものといえば「おでん」なのであり、今日はそんな気分も際立って、おでんを食したのでした。

入ったのは「静岡おでん」の店。巨大なおでん鍋に、串を刺したおでんネタがグツグツと煮込まれている。おでんの汁が黒いのが静岡風なのだ。それを味噌ダレ付けで食べるのが静岡流ということだが、さすがにそれはパスして、和辛しを付けて味わった。これからもっとずっと食べたくなる味だろうな。

素朴な岩手の郷土食「ひっつみ」を食したのです

先日の岩手旅行の旅先で「ひっつみ」という料理を食したのでした。

人参、大根、蒟蒻、等の野菜類の出汁が充分に効いた汁の中に、小麦粉を練って平たくした、丁度すいとんの様な具が入っている。岩手県内の「南部」と呼ばれる地域の郷土食なのだ。

南部という地域はかつて南部藩が統治していた地域を示しており、そこには八戸等、青森県の一部が含まれている。かつて同じ南部藩を領していた青森県八戸地方には「せんべい汁」という汁物が存在するが、これとよく似ている。ちなみに八戸の「せんべい汁」はB級グルメとして全国に知られており、B級グルメの大会には何度か「銀賞」を受賞している。それくらいに知られたメニューである。「せんべい汁」の元になったのがこの「ひっつみ」だという説もある。

どの地方にもありそうな、取り立てて特徴のある名物ではないが、小麦粉などの穀類を上手に調理して味わうという、極めて基本的な、人々の素朴な意気込みが伝わってくる。

ビールにも日本酒にもよく似合う。晩酌の〆にはもってこいの逸品なのだ。

石川啄木が新婚のときを過ごした家

盛岡市内の「啄木新婚の家」を散策した。

けっして豪華とは云えないが、想像していた以上に立派な造りである。二世帯用の住居と思われるが、石川家の側の間取りを見ても5部屋存在している。手入れの行き届いた庭があり、本家とは縁側で接している。縁側が消えて日本の家にもロマンが消えた。「縁側」こそ日本家のあるべき姿と云えるだろう。

明治38年6月ごろ、節子さんとの恋を実らせた啄木はこの家に住居を構えた。おそらく彼の人生ピーク時のころの思いを十分に伝える建造物と云えよう。

啄木少年の像

岩手八幡平の紅葉は今が見ごろなり

ふと紅葉が見たくなり、岩手県の八幡平に出かけたのです。

盛岡駅前から乗り込んだのは、「八幡平自然散策バス」という名のツアーバス。八幡平頂上停留所乗り場から、地元の登山ガイドさんが無料で案内をしてくれるという特典つきなのだ。それ以外にも、紅葉の名所の大橋、地元の観光広場などで休憩時間を取るので、一便で八幡平を満喫できるというすぐれもの。特に関東圏からの観光客を対象に組まれたバス便のようだ。こんな機会はまたとないと強行軍を敢行した次第なり。

東北自動車道を降りて八幡平温泉郷に入った頃にはもう、あたり一面の樹木は黄色、赤色に彩られていた。さらに走り行き温泉郷から松川温泉までの通称「八幡平樹海ライン」に入ればまさに紅葉の見ごろ。近くの紅葉、遠方に並ぶ紅葉、高みから眺め渡す紅葉、等々、バリエーションも申し分がない。

頂上停留所に着くと冷んやりとした空気が襲い掛かった。聞けば気温が約5度程度だという。樹木の葉はすでに落ち、紅葉の「こ」の字も無かった。いつもより厚着をしたつもりだったが想像以上の冷え。気合を入れて散策に臨んだのだ。

細い登山道に入れば2~3メートルの樹木が覆い、今にも熊が現れそうな光景だ。だがここは急激に冷気がもたらされるため、熊の生存には適さないのだという。鏡沼、メガネ沼を通り過ぎて山頂へ到達。山頂とは見えず案内板でやっとそれと判るくらいのなだらかな山肌なのだ。そして後半は、ガマ沼を過ぎ、八幡沼を眺めつつ、見返り峠へ、それから整備が半端な石段を下りて行程は終了したのだ。

振り返れば1時間少しの散策だったが、澄んだ空気や新鮮な景色に触れて心底からリフレッシュできたのでした。この山頂散策は7月が見ごろだという。またぜひその季節に来たくなったのでありました。

雨宮処凛著「排除の空気に唾を吐け」が示す現代日本の実態には、決して目を背けてはならないのだ

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かつて「雨宮処凛」という作家の名前を初めて知ったのは、何かの雑誌インタビュー記事だった。内容はと云えば、彼女が「プレカリアート」という言葉を日本に広めた作家ということだったと記憶する。新書「プレカリアート」(洋泉社)にはその言葉の「プレカリアート」の定義や誕生、実態等について詳述されている。その後、彼女に関心を抱きつつ何編かの小説作品に接していたが、独特の癖のある情念的な描写が気にかかっていた。

今回読んだ「排除の空気に唾を吐け」もまた、極めて情念的なタイトルがまず鼻について仕方がなかった。ところが読み進めていくにつれ、そこにレポートされている迫真性に、まさしく気圧されてしまったのだ。

この新書を通してレポートされているものは、現代日本のいびつな姿に他ならない。その切羽詰った現状を思い知らされたと云っても過言ではない。

新書全編を通して、職を奪われ、生存を奪われ、排除されていく、行き場のない人々の姿がつまびらかにされていく。中でも驚きに耐え難いのが、加藤智大(秋葉原連続殺傷事件の犯人)と造田博(池袋通り魔事件の犯人)とに関するくだりである。両者はともに労働の現場で疎外を受けていた。「疎外」という言葉はおいらが青春期の頃によく使っていた言葉ではあるのだが、現状はそれ以上に深刻である。生存を脅かせるくらいの「排除」が進行しているのだ。驚くことに両者は同じ派遣会社(日研総業)と派遣先(関東自動車工業)に身を置いていたことがあるということなのだ。

当初はおいらも情念的だと考えていた「排除」という概念が、とてもリアルな現実的事象に感じざるを得なかったのである。そして今なおこの流れは止まることがない。その大きな流れを作り出したのが、小泉純一郎と竹中平蔵による自由主義的経済政策であり、当時の内閣が負う全ての政治的政策であったことを記しておく。小泉・竹中流の「自己責任論」が招来した悪しきしわ寄せの数々の実例を、これでもかこれでもかと提示していく。そんな作家の筆力には脱帽の思いである。

さらに、この稿を閉めるにあたり、とても心を動かされた同著の中の一文を紹介引用しておきたい。

(以下引用)-----------
「心の闇」という、何か言っているようで何も言っていない一言で済まされたことが、やっと今、「社会的排除」の問題として捉えられようとしている。
(引用終了)-----------