月島や浅草の「もんじゃ焼き」が、どうもいけ好かない理由

関東人のおいらだが、もんじゃ焼きよりお好み焼きが好きなのだ。

10月10日は「お好み焼きの日」

鉄板の上で「じゅーじゅー」と焼いて食べるから、10月10日は「お好み焼きの日」なんだとか。ということで本日は、広島市と東京タワーが企画して「広島お好み焼きまつり」なるイベントが開催されている。業界団体があれば何かと「◎◎の日」を作りたがるが、これもまたそんな業界事情がもたらしたもの。我田引水、牽強付会も極まれりといったところだろう。

■広島お好み焼きまつり
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4547019.html

おいらは関東人であるが、関東風もんじゃ焼きよりお好み焼きが好みである。子供のころは駄賃を持って、地元の薄暗いもんじゃ焼き屋でもんじゃをほおばった経験があるが、あれはちといけ好かなかった。その当時、何が原因かっていうのははっきりしなかったが、今にして思えばそれが子供の幼稚な食べ物であり、すなわち邪道な食生活のひとつとして捉えていたからかもしれない。小さなへらを使ってねっとりした小麦粉のかすを食べるというスタイルも好かなかった。

地元群馬のもんじゃ焼きは、具といえるものをほとんど用いず、土手を作ることもしなかった。東京の子供たちに比べれば、当時からかなり貧乏性が身に付いていたのだ。つまり、本来はうどんやお好み焼きとして提供されるべきものが、子供相手だと手抜きの「もんじゃ焼きに」なってしまう。もんじゃとは腹を空かせた子供が駄賃を使って糊口をしのぐ程度の食べ物ではなかったということが、皮膚感覚(あるいは胃袋感覚)として強く記憶されているのだ。

月島のもんじゃは虚飾のブランド

いやそれ以上にいけ好かなく感じるのは、東京の月島や浅草で提供されているもんじゃである。それらは云ってみれば飾り物である。単にショーウインドーの中でのみ存在理由を持つ虚飾のブランド。ガラスで閉ざされた空間(つまりが窒息しそうになるくらいの月島空間等)においてのみ自己主張するだけの代物だ。

実際にじゅーじゅーとして焼かれたものを口に含めるならば、「お好み焼き」の方がはるかに食事の満足感を与えてくれる。焼き方にも歴史の重みが有り、文化的優位性においても「お好み焼き」に分が良いことは明白である。

一説によれば「もんじゃ焼き」は群馬が発祥だという。浅草や月島を敵に回してそう主張するからには根拠があるのだが、その根拠のひとつが、もんじゃこそ「貧乏食」の代表だという。つまり、高級具材をごてごて入れて焼くもんじゃなど、本来あるべきもんじゃではないというのだという主張である。群馬出身者としてこの主張には身に染みるものがあり、おいらもまた「もんじゃ焼きは群馬が発祥である」説を主張したい。故郷の群馬に帰郷して口にするもんじゃならば悪くは無いのである。

■いせさきもんじゃまつり
http://www.isesaki-yeg.jp/monja/