日本サッカー、ザッケローニ監督采配の妙についての一考察

祝!日本サッカーがアジアカップ優勝。日本時間で土曜の深夜だというのに、平均視聴率が異例の33パーセント以上(日韓戦よりは劣る)だったという。それだけ注目されていたアジアカップの決勝戦に勝利した日本チームには、天晴れの一言である。

この優勝によりイタリア人監督ザッケローニの采配に評価が高まっている。就任以来8戦戦って無敗だというくらいに勝ち負けに強い。勝利を導く指揮官としての評価だ。客観的に数字を見ても、これまでの日本チーム監督の戦績を凌駕していることは明らかである。何故に彼はこれほどまでに秀でているのか?

様々なマスコミ情報にて周知のように、ザッケローニ氏はプロサッカー選手としての経験が無かったようである。青春期にプロを目指していたものの、重篤な病気に罹患したことからプロへの道を諦めたようだ。それでも諦められないザッケローニ青年が選んだのは、サッカー指揮官の道であったという。

日本の全試合を視聴した訳ではないが、ザッケローニ・ジャパンの試合は、常に戦略が仕組まれているようだ。今回の決勝戦にて、延長戦での選手交代にその一端を垣間見ることが出来る。

(知人の電話により中断したこと等により以後の原稿は後送)

「住みたい街」ナンバー1の吉祥寺、井の頭公園を散策

雑誌「東京ウォーカー」アンケートによれば、今年もまた「住みたい街」の1位に吉祥寺がランキングされたという。
http://www.asahi.com/business/pressrelease/ATP201101240016.html

確かに訪れたくなる街の上位にランクしたくなる。おいらはこれまで吉祥寺に住んだことはないが、友人、知人が何名か此処に賃貸していたことがありよく出かけた街であり、途中下車度が高い街でもある。つまりはおいらにとっても途中下車したくなる街のナンバー1と云ってよい。

手が凍えるくらいに冷え冷えとした黄昏時の井の頭公園の井の頭池周辺は、枯木と共に凍えた都市の風貌を垣間見せていた。春には桜を咲かせ、秋には紅葉で賑わう井の頭周辺ではあるが、冬には見世物がないことを露呈してしまっているかのようだ。それかあらぬか公園の風景は田舎染みていた。それが悪いというのではなく、逆であり、吉祥寺という街の持つ田舎臭さに親近感を抱いたということなのである。

さらに此処にはミュージシャンが集うライブハウス、人気漫画家の仕事場アトリエがあり、おいらも公私において幾度も訪れつつ、そんな彼らとの交流を愉しんだものである。まさに特筆に価する都市であることは間違いがないだろう。

そして忘れてはいけないのが、呑兵衛お気に入りの居酒屋が、まさにごった煮のようにしてひしめき合いない交ぜにされているという独特の街の姿だ。高田渡さんに出会ったのもこの街であった。高田先生との想い出は深くハーモニカ横丁の路地の記憶に刻まれているのだ。

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「ファスト風土化する」と指摘している日本都市の問題を研究している三浦展氏が、渡和由筑波大学教授とまとめた共著のスタイルをとっている。ただただ軽い軽薄な都市論となっている。特に米国で学んだという渡和由氏の論は、横文字が多すぎて辟易した。筆者2名の個人的理想論に基づく軽薄な吉祥寺学的コラムとして読み進めていた1冊なのです。

風呂より圧力鍋が相応しい「ふろふき大根」の味わい

旬の食材である大根のふろふき大根を食したのです。大根を軟らかくなるまで煮込むには、少し前まではゆうに1時間以上の時間を必要としたが、最近は圧力鍋を使って、20~30分程度も煮込めば充分軟らかくなる。今回いただいたふろふき大根も圧力鍋を使用して調理されている。調理時間の短縮に圧力鍋の果たした役割は甚大なるものがあるのだ。

とてもシンプルな大根料理でもある「ふろふき大根」は、充分に煮込まれた大根に、味噌だれをかけて食される。味噌に味醂、醤油、砂糖、酒、等を合わせて煮詰めるのが味噌だれ作りの基本である。

ほっこり味わいのふろふき大根を味わいながら、おいらは「ふろふき大根」という名前の由来について思いを馳せていた。一説によればその「ふろふき」とは「風呂吹き」から来ており、風呂で大根を吹かしたことから由来するという。風呂の湯で大根を煮込むのではなく風呂で大根を吹かすというのが味噌ということだが、その真相は定かではない。いずれにせよ大量の湯にて大根を煮込んだ(吹かした)ものというのが語源ではあるようではある。

もののレシピ本によれば、米のとぎ汁を加えた昆布の出汁で煮込むのだという。そうすることにより、白くて上品な味わいのふろふき大根ができるというのだが、おいらは鰹出汁と醤油味で煮込んだ大根のほうが好みである。昆布出汁には違和感がある。それらの理由については後に別稿で改めて述べていきたいと考えている。

旧型TV対応の「地デジチューナー」はなかなか使える

先日、アマゾンから「地デジチューナー」を注文した。BUFFALO製の「DTV-S110」。アマゾン通販で最も廉価だった機種だ。これを14インチの小型TVに繋いでみた。リモコンも付属されていて、設定を済ませればTVのオン・オフをはじめチャンネル、音量等の操作を1台で済ますことが出来て便利だ。

さらに上下に黒地が入っていたのが消えたり、「地デジ対応」云々の鬱陶しいメッセージが表示されなくなり、すっきりした印象だ。数年前よりずっと、TV業界の嫌がらせ的でもあるこんな鬱陶しいものに慣らされていたのを思うと複雑であり、もとのすっきりした画面で見られてほっとしている。

これでまだ数年は、ブラウン管の小型テレビを視聴することが出来ることになった。電気店に行けばどこも地デジTVの一大セール中だが、もっと「地デジチューナー」をPRしてもよいはずだ。だがそうならないのは、家電業界の裏談合的な力が働いているのではないかと推測されるのだ。

魚の味醂干しは日本の食の叡智を感じさせる逸品なり

味覚のハーモニーを奏でる大衆食品の逸品として、昨日のタレ焼き鳥に続いて挙げておきたいのが、魚の「味醂干し」である。アジ、イワシ、サバ、サンマ、等にて一般的に用いられる「開き」「干物」といったものに一アレンジが加わったものだ。一般的な干物の美味さは認めながらも時々は「味醂干し」を焼いて食べたくなる。やはりおいらの味覚に染み付いて離れることのない懐かしい逸品なのだ。

そもそも「味醂」という調味料とは酒類の一種であり、14~15%のアルコール分を含んでいる。もち米を主原料としており、日本酒よりも甘味が強く、黄色味の強い琥珀色を呈しているのが特徴である。江戸時代の頃には酒として飲用されていたこともある。近頃のスーパーでは「味醂風調味料」等というものが出回っておるが、これにはアルコール分が存在しないか低かったりしており、腐敗の危険性も高い。極めて邪道的調味料なのであるからして要注意なのだ。

味醂干しに用いられるのはこの味醂の他に、醤油と砂糖が一般的だ。これはまさに日本的な三位一体的調味料のトライアングルと云ってもよく、味醂干し料理の奥深き伝統を垣間見せるのである。

調理法は干物と同様にガスコンロに乗せて中火でじっくりと焼き込めば、魚のストレートな味わいに加えて天然味醂の甘さが旨さを引き立てるのだ。このプラスα的な甘味が味覚のポイント。しかも甘味が強いからといって決してもたれることもない。しかも塩分制限をしている患者にも優しいということでもあり、おいらも好物にしているのです。

美味い焼き鳥は「タレ味」が基本なのだ

久しぶりに焼き鳥専門店へ出かけた。多摩地区では1~2位という評価のある「小太郎」という店だ。高尿酸血症のおいらにとって焼き鳥やモツは大敵なのだが、かといって我慢ばかりしていられる訳もなく、時々足を運んでしまうのは避けられない。

それはともかく、美味い焼き鳥、モツ焼きを味わうならば「塩味」よりも「タレ味」だろう。以前に掲示板上で議論に上ったこともあるが、人気ある店の「タレ」にはそれぞれに個性的な工夫が存在するものである。甘ったるかったり水っぽかったりするタレ焼は論外であり、そんな店の焼き鳥は2度と食べたいとは思わない。換言すれば、美味いタレ焼を出している店は、それが故に常連としてしばしば足を運んでしまうことになる。それくらいに「タレ」とは重要な味の要素、店選びの肝となるものなのだ。

その点、ここ小太郎のタレは甘くなく、炭火で焼くにつれて鳥や豚のモツ肉にじっくり染み込んでいく、ナイスな仕上がりである。炭火とタレとの相性が絶妙なのだ。塩焼きで焼くモツも悪くはないが、タレ焼の持つ特別なハーモニーを感じることは出来ないのだ。

■小太郎
東京都八王子市子安町1-7-8
http://yakitori-kotaro.com/

生姜が効いた冬の「モツ鍋」でほっかほっかに温まったのでした

寒い寒い冬の真っ最中である。こんな日の夕食、晩食には鍋料理が食べたくなるのは古今東西の人間のならわしなり候。

と云うわけで、地元に近い某居酒屋にて、生姜味の「モツ鍋」を味わったのです。いろいろと味付けに注文が出来るスタイルの同店鍋にて、おいらは生姜鍋を選択。そしてモツを食材とした鍋が、テーブルに持ち運ばれたのでした。

半分程度火に掛けられてテーブルに運ばれたその鍋は、キャベツ、ニラ、モヤシに加えて生姜がたっぷりと盛り付けられていた。流石「生姜味」とメニューに記すだけのことはある。もちろんモツの食材も含まれてはいたが、それほど目に付くものではなかったのでモツ関連のレポートは省略する。

肝心のモツ鍋の味わいはといえば、普段に味わっている以上のほっかほっかの温かさでもてなしてくれたというべきであろう。生姜味のスープは身に染みていて、中華麺の追加注文をしてしまったのであり、そしていざ注文した中華麺はといえば、モツの出汁が出ていて特別なスープを基にして塩味のラーメンを提供してもらったということになるのであった。モツ鍋の〆は中華麺で決まりということである。

いろいろな鍋を食してきたが、「モツ鍋」の中華麺〆の味わいにおいては、ベスト3に入るものであったと記しておきたいのである。

山の芋ハンバーグはもっちもっちの食感が秀逸なのだ

山芋ならぬ「山の芋」を摩り下ろしてハンバーグにした。元々粘度の高い食材であり、つなぎも何も要らない。百パーセントの山の芋ハンバーグである。

大ぶりに丸くしてから伸ばしてから、少量のサラダ油をひいたフライパンに乗せて焼いていく。ジリジリと云い始めたらば強火中火から弱火に火加減を落としながらリセットする。表面、裏面共にそれぞれ5分程度焼いたらならばハンバーグ生地の調理の仕上がりである。

続いてソースの調理にかかる。今回は玉葱、蓮根、白菜を細かく刻んでじっくりと煮込んだ後に、塩、味醂、醤油に片栗粉でとろみを付けて、そこに昆布とカツオエキスを加えて和風に仕上げてみた。冬野菜をメインに用いたことがポイントであり、これぞマクロビオティック料理の真髄ではないかと考えるのである。

最初の焼面(表面)では少々強火にて焼き進めたのが故に、少々の焦げを作ってしまった。それでもこんがりとした表面の食感は程よいこんがり感が感じられてブラボーだったのである。

最後に少々焦げ気味のハンバーグ生地とマクロビ的ソースとをあえて、2~3分程度煮込めば出来上がり。外はカリカリでいながら中身はもっちもっちの食感が、これまで味わったことのないくらいに秀逸であった。山の芋に火をじっくりと通すことにより、もっちもっち的な食感が強くアピールする、そんな逸品料理なのでありました。

公開中の映画の原作「妻に捧げた1778話」(眉村卓著)を読む

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「妻に捧げた1778話」を読んだ。現在、草薙剛と竹内結子主演でロードショー公開されている「僕と妻の1778の物語」の原作本である。新潮社から新書版「新潮新書」の1冊として出版されている。著者はSF作家の眉村卓氏。

癌を発症し「余命1年」と宣告された妻のために、毎日1話ずつ物語を書き綴ったという眉村氏の、約5年間(1778日間)を綴ったレポートと云う体裁をとっている。

同書中にて、妻のために書かれた1778編の中から19編が紹介されている。一応はショートショートの体裁なのだが、そこから外れて滲み出てしまう作家の心情が自ずからしのばれている。

とても不可能と思える作家の宣言ではあったが、宣言通りに毎日毎日1編ずつ、物語は書き進められていた。妻の看病と云う日課と共に、大阪芸術大学の講師としてのスケジュールその他を抱えての創作であり、驚異的な意志力を感じざるを得なかったのである。

日々感動し笑って過ごすことが、患者の「免疫力」を高めると云うことは医学的にも証明されている。作家、眉村氏はそうしたことも踏まえて、敢えて勤行に向かったのだと思われる。

まるでお百度参りかのごとき勤行ではある。ただ、「お百度」と云う言葉自体が「百日」という期限(余命)を連想されるのではないかと云う配慮もあり、「千日回峰行」という表現を用いて紹介するメディアも現れたと云う。現実に千日を越えて1778話を綴ったというのだから、作家本人も嬉しかったことなのであろうと推察する。

映画の設定に比較すると、原作本のほうは60年代の夫婦であり、イメージは異なっている。逆にみればそれ故に、長い歴史を感じさせる夫婦間のエピソードを読み進めることになっていったのだ。

妻の看病記の隙間に挿入されているショートショートの数々は、その時々の状況によって微妙な影響を受けざるを得なかったようである。そして1日1話という制約は、とても完成度の体物語を紡ぐことを容易にはさせなかったが、それだからこその、肉声がそのまま書き綴られた表現にも遭遇する。とても荒削りな、未完成のままの結末であるが、非常な精魂を込めた作品群に出会うことにもなってしまったのである。

これから近いうちに、同原作の映画も鑑賞したいと決めたのでありました。

川越達也シェフがプロデュースした「僕の味噌らあめん~ボロネーゼバター添え」を食する

本日のTV番組では、川越スマイルがモットーのようなグルメ番組が放映されています。川越シェフと云う人はとても苦節を重ねている人のようですが、あの笑顔(スマイル)だけはおいらは個人的に、素直に受け入ることができかねているのです。

そんなこんなの今日日、苦節を重ねた川越達也シェフがプロデュースするというラーメン「僕の味噌らあめん~ボロネーゼバター添え」を、目に付いたポスターに引き寄せられて、おいらも食してみました。

別に悪口云う気持ちは全くありませんが、普通の味と食感と食べ心地を満足させるものでありました。特別に悪い印象と云うものは抱かなかったのですが、積極的にPRするような物語が見当たりませんでした。

そうこうしながらしばし食しているうちに、何だかファーストフードの食材を胃袋に押し込んでいるような気分になってしまった。食の満足といおうか、食文化とでも述べようか…。そのような文化的人間的な気持ちが失せる体験であったと感じざるを得なかったのである。至極残念ではあった。

今日の番組は、いつもの青木さんではなくて新人の人がコメントしているようですね。新人ながらに気負っているのでしょうがコメントは軽々しくて嫌になります。やはり青木さんのコメントを聞きたいと思いましたのでした。

韓流アイドル「KARA」の解散騒動は日本芸能界の鏡像なり

へそを出して尻を大きく振り回す踊りを「ヒップダンス」と云うのだそうな。それはともかくやっと日本でも知名度の広まった「KARA」メンバーが、専属契約解除を通知したニュースは、相変わらず日韓のマスコミを席巻している。

「奴隷契約」と呼ばれる、韓国特有の契約システムが原因だと云う論調が主流だが、そんな前近代的な土壌は我が国にもあったし、未だ一部には隠れて存在している。対岸の火事を眺める野次馬のごとくああこう喋る知識人の姿は、いと滑稽である。

思い出す事例は我が国にも少なからずある。例えば「ピンクレディー」である。彼女たち二人は働き詰めにされた後に解散したが、結果として二人には、ほとんど資産が残されなかったことを当事者が語っている。70年代当時に数億円もの歌謡ビジネスマネーが飛び交った挙句に二人に残されたのは、芸能ビジネスに根こそぎ毟り取られた喪失感だったであろうことは想像に難くないのである。

韓国の芸能ビジネスは日本のそれを手本としていることは明らかであり、それ故に「KARA」を巡る騒動もまた日本の芸能ビジネスとも無関係では有り得ないのだ。

酒呑みにも優しい大蒜(ニンニク)の効能

通風も鎮まった故に、またぞろ酒を嗜む日々が続いている。プリン体が少ない飲み物(ホッピー等)を注文するのは相変わらずだが、近頃気になっている肝臓病対応のために気にして摂っているのが大蒜(ニンニク)なり。

もともと炒め物、煮物、等々の香辛料として使用してきた食材ではある。疲労回復を齎す元気の元として注目される代物でもある。だがもっともっと積極的にニンニクを食していこうと自覚したのは、肝臓病予防の効果があるとされていることが大きい。アルコール等によって肝臓に負担をかけ続けているおいらにとっては、肝臓病をあらかじめ予防していくことは必須である。そんなことを近頃は自覚しつつのニンニク摂取なのである。

さて居酒屋でニンニクを注文しようとしたとき、真っ先にメニューを確認するのが「ニンニク揚げ」である。

球根部分の花茎とも呼ばれるものを丸ごと揚げたメニューである。シンプルでありながら、ニンニクの効用を享受できるので有り難い。

また、ニンニクの串焼きと云うメニューも注目度大である。

一房一房を串に指し、炭火でじっくりと焼き上げる。じわっとニンニクの実からエキスが漏れ出てくれたら食べ頃なり。食感も味わいも満足の逸品なのであります。

都会生活の不思議な断片を描いた大竹昭子さんの短編集「図鑑少年」

大竹昭子さんの「図鑑少年」を読んだ。

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書店でふとして手にした文庫本を開くと、見覚えのあるモノクロの写真ページが目に飛び込んできた。かつて90年代にて栄華を誇った「SWITCH」というグラビア系雑誌に連載されていた写真であることが、解説文を読みつつ、次第に記憶の上に詳らかになっていった。1999年には小学館から単行本が出版されたとあるが、これには見覚えがなかった。おいらの記憶的ビジョンに鮮明に染み付いていたこの本の光景は、90年代のものとして焼き付いてしまっていたのである。10数年を経ての再会とでも云おうか、あるいは10数年間のワープを経てのドラマティックな再邂逅とでも呼ぼうか…。

各章を隔てる栞のように挿入されたモノクロ写真ページは、作家の大竹昭子さんが自ら撮影したものである。都会を散歩すればすぐにでも遭遇するような光景ばかりでありながら、けれども不思議な光景として目に焼きついてくる。都会風景の上面をじっと眺めてみたりすればするほど、裏面から湧き上がって我々の視線を釘つげにしてしまう不可思議な風景が染み付いて放さないのだ。

24編からなる掌編的物語のほとんどは、日常的な都会生活上にふと生じた違和感が語られていく。短い物語と物語とを繋ぐのはまた、時を隔てた時間であったりする。あるいは時と場所とをワープされた空間であったりするのだが、そのギャップに驚かされるとともに、不思議な物語的世界にはとても時めかされてしまったのでありました。

Wさん邸で、一人ホッピーの新年会を愉しむ

少し遅い新年会があった。毎年この時期になると、場所を替えつつホームパーティー式に行なっているのだが、今年は渡辺さん宅へお邪魔したのでした。

TANUさん、アキンさんとの4人で待ち合わせした後に地元スーパーで鍋の材料、酒類等を買い込んで、駅から徒歩1~2分の邸宅へと案内された。初めて訪れる瀟洒なマンションの高階のベランダから眺めた風景は格別であり、都心のビル街や多摩丘陵、湘南方面までを眺め渡せており、しばしその景観に見惚れていたものであった。鍋料理の他に奥さん手作り料理を沢山ご馳走になった。鶏と大根の煮物はとても照りがよく、甘くしっかりと煮込まれており、ホクホクの味わいであった。まさしく家庭料理の代表格であろう。まだまだおいらの手作り料理も年季が足りないことを思い知らされたのでありました。

ご馳走を目の前にして食欲ばかりが増進した為か、写真に撮ることを忘れてしまった。この味は舌と胃袋にしっかりと記憶させておこう。

通風が収まったばかりのおいらは、他のメンバーと違えてビールを控え、一人だけホッピーをちびちびとやっていた。すっきりと美味なホッピーで旧友との会話もいつになく盛り上がっていた。余ったホッピーは土産として頂き持ち帰ってきてまたちびちびやったのでありました。

某企業のパソコンがウイルス感染でてんやわんや

おいらが仕事を請けている会社の某氏使用のパソコンが、コンピュータ・ウイルスに侵されててんやわんやであった。

話を聞くところによれば、某氏が某アダルトサイトにアクセスしていたところ、入金を促す画像がモニターに現れたきり消えないのだとか…。いっぱしの企業の管理職でもある某氏ではあるが、業務上のこととはいえ自らアダルトサイトにアクセスしていた事が明らかになるのが忍ばれずに、こっそりおいらのところに相談しに来たと云う事らしいのだ。

話を聞いて当初予想したのは、ブラウザの「ホームページ」の設定、あるいはデスクトップの背景画像が書き換えられているのではないか? ということであった。実際にそうした事例はよく見かけるのだ。だがそんな簡単なものではなかったことが判明したのだ。某氏のパソコンをチェックしたところ、想像した以上の被害が及んでいたことを目の当たりにしたのでした。

まず驚いたのが、そのウイルスの一種であろうそのファイルが、「ウイルスバスター」にて検出も駆除も出来なかったと云うこと。それだけ最近のアダルトサイトの仕掛けは巧妙化しているということになる。様々なネット情報等を総合すると、極めてトリッキーな「スパイウエア」と呼ばれるアプリケーションが、アダルトサイトから侵入されてしまったようなのである。

色々な手を尽くして、ウイルス感染が疑われるファイルを削除してみた。すると一時的に、5分程度は画像が消え去っていた。仕事を終えたつもりで某氏にその件を伝えた。そしてまた、消えたはずの画像がゾンビのように、またもやモニター上に立ち現れてしまったのであった。

こうなったらいらもお手上げである。ネット情報をまた検索してみると、昨年辺りからこのような被害が続出していると云うことのようなのだ。今度その職場に行ったときには、残念ながらウィンドウズの再インストールをするしか方法はないのだと告げて実行しようと考えているところなのでありました。

本来は「生揚げ」と呼びたい、某店自家製の「厚揚げ」なのだ

多摩地区にある某居酒屋では、「自家製厚揚げ」というメニューが人気だ。外はカリカリでいて中身はジューシーな絹漉し豆腐の温かく旨い食感が舌を刺激する。

厚揚げとはどこのスーパーにも置いてある日常的大衆メニューであり、取り立てて騒ぐこともないのは重々承知なのではある。だがしかし、この自家製厚揚げは特別なものなのだ。

おいらの出身地、群馬の田舎では、厚揚げのことを「生揚げ」と呼んでいる。生のままの絹漉し豆腐をそのまま油に潜らせる。10数分を経て揚がり上がったほくほくのものを、葱、生姜、鰹節をのせ醤油を掛けていただく。まさしくほっかほっかの豆腐の旨みに加えてカリカリとした殻の食感がたまらない旨さのハーモニーを醸し出すのである。

いつかおいらの家でもこのメニューを調理したいと願っているが、今の処はこれに敵うメニューを作り上げる自信などなくて、勉強学習に励んでいるところなのでありました。

プリンタの不具合に見る、ソフトウェア至上主義的ものづくりの陥穽

使っていたプリンタがついに云うことを聞かなくなり、新しいものを購入。本日その機械が届いたので、設定やらソフトのインストールの格闘を行なったのです。キヤノンかエプソン製を購入するつもりで量販店へ向かったが、在庫がなかったりという事情から、ヒューレットパッカード社製を購入する羽目になった。店員からいろいろ云い含められたことも選択の一因となっている。まあちゃんと動いてある程度綺麗にトラブルがなければ、メーカーはどこでも良かった。

ところが実際にテスト印刷してみると、墨版しかプリンとされない。グレー画像が印刷されるばかりだ。コピーテストもまたしかりである。何度試みても同様なので、カスタマー・ケア・センターに電話した。土曜日だが担当者は居てそれなりに丁寧に対応してくれた。

マシンの再起動から始まりインクの再チェック、設置方法の確認、機械部分のクリーニング、等々と電話先のケア担当者の云う通りにチェックを続けていったが、結局のところ問題解決には至らず、同梱されたカラーインクに問題がありそうだと云うことになった。「正しいインクを再送するのでそれで試して欲しい…」との説明を聞かされた。つまり今回同梱されていたインクは「誤って」送られてしまったものだと云うらしいのだ。この間50分近い時間を要してしまったのだ。

もう少し解説すると、設置して最初のインクは「Setupインク」という特別な種類であり、そこには特別なソフトがインプットされているらしい。それが誤って「Setupインク」以外の普通のものが紛れてしまったとの説明だ。純正品であれ模造品であれ、そんな特別なインク以外は受け付けないのだと云う。

だがしかし、何故にそんな特別なことをする必要があるのか? あえて質問もしなかったが合点がいかないのだ。全く不可解でならないのだ。一つ考えられるのは同業他社製品に対するガードだろうか? ちょっとした付加価値をソフトウェア上に加えたことで、簡単に他社に盗まれることを防いでいる? あるいは公表はされないがユーザーに対するガードが仕組まれているのかもしれない。

問題なのはそうしたソフトウェア的トリックを施すことにより、実際に使用するユーザーとマシンとの決定的な距離感が生じていることだ。利用者にしてみれば余計な「ブラックボックス」の存在により、マシンに対する愛着を持つことが出来ない。それどころか、どこか割り切れない、そして計り知れない気持ちの悪さに囚われてしまうのである。

ユーザーがうかがい知れないところで実はマシンのソフトウェアに支配されている。そうした現実は我々が知らないところに根を伸ばしつつある。ソフトが人間を支配するという関係性は、このような極めて身近な機器利用の現場で、既に現実となっていることを思い知ったのである。けだし悪しき未来を思わざるを得ない体験なのであった。

圧力鍋があればポトフ作りも簡単に

数年前に新しく圧力鍋を購入して以来、調理も大変楽をしている。特にじっくり時間をかけるべき煮物等がいとも簡単に出来てしまうのだから有り難い。昔からあった圧力鍋は10リットル以上の大きなものだが、常に手元に置いて使いこなすのは難しかった。やはり手軽な3合炊き程度のものが使いやすい。

ただただじっくり煮込むという欧州田舎料理の「ポトフ」。昔は5時間以上は時間をかけなくてはならないとされてきた。ところが最近は、圧力鍋があればものの30~40分で出来てしまう。

大根、ジャガイモ、人参、玉葱、椎茸を大ぶりにカット。それに荒挽きウインナーを加える。充分な水分を張り、味付けは少々の塩のみだ。近頃は調味料を使わない料理のほうがピンと来る。味覚が以前とは変わっているようだ。スープには豚肉の出汁と野菜から出た旨み成分が溶け出して、とても品の良い出来栄えである。

弱いが旨い魚の見本、鰯の刺身を味わったのです

通風の発作が漸く収まったので、久々とばかりに居酒屋に来訪した。そして何時ものプリン体ゼロのホッピーを注文したのです。そして、つまみの第1番は、鰯の刺身なり。

魚編に弱いと書く魚などそうはいないはずだ。ニシン科のマイワシとウルメイワシが殆どをしめている。陸に揚げるとすぐに弱ってしまう魚であることから「いわし」と呼ばれることになったとされる。他の魚類の餌になることも多くあり、そういうことからも「弱い魚」という評価が覆ってしまったということなのだろう。

久しぶりに箸をつけた鰯の刺身は至極の美味であった。EPA、DHAといった血液さらさら成分が豊富にふくまれている青魚の代表でもあるのだから当然である。そして、そんな青魚の刺身をこれからもずっと食していきたいと願うのでありました。

ユリイカ「村上春樹総特集号」インタビューで春樹さんが示したメッセージ

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先月12月25日発行の「ユリイカ」最新号では、村上春樹総特集が組まれている。文芸誌というよりも詩の専門誌として評価され歴史ある「ユリイカ」だが、特別に詩とは深い関わりを持っているとも云えない村上春樹さんを俎上に載せて、文壇人によるあれやこれやの村上春樹論が展開されている。今や全ての文芸誌に於いて村上春樹さん無しには商売も何も成り立たないと、業界の裏側で囁かれているようだが、その一端を垣間見たような気分に陥ってしまう。

目玉となっているのが巻頭インタビューだ。「『1Q84』へ至るまで、そしてこれから…」という副題が付いている。「魂のソフト・ランディングのために」といった意味深のタイトルも設けられている。
小澤英実という聞き手がメールにて質問を投げ掛け、春樹さんがそれに答えるといったスタイルがとられている。春樹さんにとってみればそれだけじっくりと時間をとって、質問者に答え得るのであり、軽い乗りのインタビューでないことは明らかだ。

春樹さんがこのインタビューで最終的に云いたかったのは、「物語」の可能性についてであったと思われる。言語への失望、あるいは物語への疑問提起を経て、やはり彼は、小説家としてのある種の社会的使命を自覚したということに至ったと思われる。その言葉はあっさりとしているが、とても重く響いている。以下にその一部を引用しよう。

(以下引用)-----------
「言語には二つの機能があります。ひとつは個々の言語としての力、もうひとつは集合体としての言語の力です。それらが補完しあって流動的な、立体的なパースペクティブを立ち上げていくこと、それが物語の意味です。スタティックになってしまったら、そこで物語は息を引き取ってしまいます。それは常によどみなく最後まで流れ続けなくてはならない。それでいて同時に、個々の言語としての力をその場その場でしっかり発揮しなくてはならない。状況と切り結びながら、正しい(と思える)方向に着実に歩を進めていかなくてはならない。これはもちろん簡単なことではありません。(後略)」
(引用終了)-----------
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