AKB48を目の前にして「色即是空」と激書した藤原新也さんの慧眼

先日まで開催されていた藤原新也さんの「書行無常」展会場にて、同タイトルの写真集「書行無常」(集英社刊)を購入していた。

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藤原新也さんの書籍のほとんどに共通するように、先ずは彼の「写真」の力に圧倒されたのだ。これは例えば「作品」だとか「写真作品」とか「視覚作品」とかあるいは「ビジュアル」とか「ビジョン」とか「コンセプト」とか…その他諸々の表現媒体ではなくして、確かに「写真」の力によるものなのだ。

新也さんの作品に接するたびに何度もこのことを何度も確認してきた。そして今回もまた、彼の「写真」作品による力に、心底圧倒されてしまったと云う訳なのだ。

ところで今回購入した「書行無常」でも、写真とエッセイとで構成されているのは、新也さんのほとんどのパターンを踏襲している。テーマは予想以上に多岐に及んでいた。

そんな幅広いテーマの中でおいらが最初に注目したのが「AKB48劇場」であった。秋葉原のドンキホーテ内の会場からデビューした、所謂普通の女の子達のグループが、今や途轍もないくらいの人気を博してしまったという、そんな今時のギャル達の実態をテーマに取材・撮影に及んだと思われる。

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たかが少女とあなどれない。AKB48。
生きるか死ぬかの全存在をかけている。
負けてはならないと私も全存在をかけて激書した
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エッセイの初めに新也さんはそう書き記している。「軽く」そう記していると感じ取っていた。

そして新也さんがAKB48のメンバー達を目の前にして墨書、激書した文字は、なんと「色即是空」という一文だったのである。これは所謂パフォーマンス的にも、甚大に注目に値する出来事、あるいはニュースであると云ってよかった。

(この稿は続く)

刀で作る中華独特の「刀削麺」を食した

中華の麺料理には様々なバリエーションがあり、「刀削麺」もその一つである。

小麦粉をよくこねた生地に、曲がった刀を用いて麺を作っていく。「刀削麺」を提供する中華料理店ではよくその麺作りの現場をパフォーマンス的に公開している。大きな鍋に向かって、削った麺をほうる様に投げ込んでいく独特の仕様により作られていく。今回食した店でも同様のパフォーマンスに接していたのだ。

山西省が発祥だとされるこの刀削麺の味付けは、マーラー味、坦々味、そして激辛味といったように、辛味のスープで提供されている。大味の麺には辛味の強いスープの味付けが似合うということなのだろう。

ネーミングがミスマッチだがなかなか受けた「農協サラダ」

行きつけの居酒屋に「農協サラダ」というメニューがある。農家の全国組織の名を冠しているのだが、当の農協にネーミングの許可を取ったという保証は全くない。ご存知「農協」とは日本最大の農家による組織であり、夏日は毎日ゝ汗して働き、冬には雪や寒風から大地の息吹を絶やさず守ってきた人たちによる団体であるので、さぞや感動的なメニューかと初めは想像していたが、これが実はまったくもってお茶らけたメニューだったのである。

出されたそのサラダを前にして目を引くのは、メロンとパイナップルがドカンと鎮座していることだ。南国特産の果物であり、農協が扱う主力商品であるとはとても云えない。その他に、サツマイモ、トマト、アスパラ、等々がうず高くてんこ盛りにされている。なかなボリュームなのだが、頓珍漢な組み合わせと云うしかない。味付けは、普通のマヨネーズのみである。ちょっとした拍子抜けなのである。

それでも同席した知人には受けていた。おいらも些か浮き浮き気分で南国風果物野菜の盛り合わせを頬張っていた。まるでその時のおいらは、子供が喜んで箸を付けている様な気分であったことを振り返りつつ思うのである。

おでんに自家製巾着袋を入れてほっこり味わう

最近は週に3日ほど鍋料理をつついている。今日はどんな鍋かと考えていたとき、おでんに入れる自家製「巾着袋」を思いついた。スーパーで売っているおでんだねを鍋で煮込んだだけでは物足りないし味気ない。そんなときにおでんと一緒にグツグツと丁寧に煮込んでやると、これがやさしい出汁が染みて美味しくなるのだ。当たり前のおでんが一人前の料理になる。

巾着に入れるネタは様々あるが、おいらは人参、牛蒡を細切れにしたものを基本にし、ホウレン草等の葉野菜を混ぜて使う。干し椎茸や他の茸類を入れてもよいが、根菜特有の泥臭くやさしい味わいに触れたい場合は避けている。他にヒジキ等の海藻類も面白い味が出て、時々試しているのだ。

油揚げを半分にカットし、その巾着袋に具材を詰めて、干瓢で紐縛りにする。それを買ってきたおでんダネと一緒に、弱火でグツグツ。スープには生姜をすって入れ、30分程度煮込んで味がまろやかに染みたところで火から下げて、熱々を頬張ったのだ。

寒い季節に、出汁としょうがのビリッとした爽やかさが染みて、期待通りのホッコリ感。身体の中が爽快になるのを感じていたのだ。

本日三の酉の市の屋台では、イカも頑張っていたのだ

本日はと云えば、年末の風物詩として由緒ある酉の市の「三の酉」にあたり、帰宅途中の商店街では屋台などが出店して賑わっていた。

「たこ焼き」等の人気屋台に混じって「イカ焼き」の店が居たので覗いてみた。鉄板の上では、身を切り刻んで輪切り模様のイカたちが、身を横たえていたのであるが、鉄板から立ち上る熱によって彼らイカたちは皆、赤々と身を紅葉様とさせていて、これまた秋の風情なのかと云う誤解を招いてしまっていた様である。秋でなくともイカは熱き鉄板の上では身を赤々とさせていくものなり。秋の風情と云うよりは屋台の風情と云ったほうがよさそうだろうか。

赤くピンと張った身に対して、屋台の兄ちゃんは包丁を入れ、真っ白いお腹を引き裂かれ、そして衆目にあからさまにしていたのだった。「嗚呼、痛そう!可哀想!」という声をおいらが発する間もなく、イカのその身はピンと張っていてしかも白く、ある種のイカ的の象徴的光景とも感じ取っていたのであったのだ。

イカの丸焼きは今もなお屋台の人気メニューとして君臨している。いかさま、と、呼ぶのは容易いが、いかさまはまたいかさまなりの人生観があるのであろう。

冬のカニ味噌は何故に美味なのか

寒さが日増しにきつく感じる昨今なり。暖冬になるだろもうという長期予想あるようだが、それにしても冬を乗り越えるには相応の対処をする必要があるだろう。

閑話休題。ところで、寒気が増すにつれてカニが美味しさを増してくる。殊に毛蟹の味噌の美味さとくれば缶詰のキャビアを遥かに凌ぐものだと思われる。世界にカニの種類は多かれども毛蟹こそは美味一番の称号に相応しい食べ物だと云えるだろう。中国人の好物とされる上海蟹も、身や味噌の美味さから云えば断然毛蟹に軍配が上がる。上海蟹に大騒ぎする中国人の食生活は、ちとばかり鎖国的様相さえかぶってみえる。中華料理の「中華的」自大主義に翻弄されてはならない。北海道の毛蟹の、殊にカニ味噌の美味しさをもう1度噛み締めていくべきなのである。

掲載する写真については特別な毛蟹のものではない。何時かどこかで食べた「カニ味噌」というメニューを写し取っただけの代物であり、特段のカニ味噌なのではない。雑誌的には「写真と本文とは関係ありません」という注釈が必要かもしれない。

久しぶりの「石焼ビビンバ」の旨味辛みにうっとり

国家庭料理の王道を行くのが「ビビンバ」であるということはおそらく多くの関係者が認めるところであろう。おいらも韓国家庭料理としてのビビンバのメニューを愛する一人であり、時々口にするのを楽しみにして過ごしている。

ところがどっこい、なかなか東京でビビンバの味に遭遇するのが難しくなって来たところだが、先日は正当的石鍋で焼くビビンバの辛みご飯にうっとりすることが出来たので、レポートしておきたい。

簡単に述べれば、ビビンバというメニューは韓国一般の混ぜご飯のことである。モヤシ、ニラ、キムチ、人参、玉葱、そして鶏肉やコチジャン、胡麻等の調味料とともにご飯に混ぜていただくというのが定番。石焼ビビンバはそんな素材をざっくりと石鍋に盛り、それを火にかけて熱々にしたところでご飯と混ぜていただく。伝統的な家庭料理としては少々ならず贅沢な料理行程を踏むのである。ちゃんとこの行程をとうしゅうした料理であればこれがいただけないはずが無いのだ。

正当的具材のモヤシ、ニラ、キムチ、人参、玉葱、そして鶏肉、胡麻等々が盛られている鉄鍋に赤々として注目を集めるのが韓国料理の出色調味料とも称されるコチジャンだ。多ければ良いというものではない。あまりに多すぎれば食材の持ち味を殺いでしまうが、ほどほどに辛みと食感を左右するべきものがこのコチジャンだ。

控えめに乗ったコチジャンの様を目に仕留めながら、熱くなる鉄鍋の感触にときめいてもいたのである。そして熱が充分に鉄鍋に移った頃を見計らってのかき混ぜ作業である。これこそが焼きビビンバのクライマックスなのだ。丁寧にかき混ぜることで、食欲は否が応でも拡大し続けていたのであった。

八戸のイカせんべいで八戸メニューの「せんべい汁」をつくった

ふと出くわした東北応援のブースでは、青森県八戸特産の「せんべい」が売られていた。おいらは数種類の中から「イカせんべい」をチョイスし、これを八戸流の「せんべい汁」に使おうと目論んだのだ。そのまま齧っても良い味だが、「せんべい汁」の具材として用いられる用途がポピュラーであり、かつ最もこのせんべいの特徴を示している。

B級グルメの大会では毎回にて入賞を果たすのだが、然しながらこれまでグランプリに輝いたことが無い。常に2番手、3番手で前を狙ってはいるのであるが、これから1番を取れる確証が、有る訳ではない。何かが足りてない。其れがまたこのせんべい汁の特徴であるとも云えよう。

「せんべい汁」を2、3番から1番に押し上げるには、ある種の食材のインパクトや、或はコンセプトのワープ的展開が必要であると考えていた。そうした中で「イカせんべい」は、1番狙いの所謂一つのアイテムになるかと考えたのである。

イカせんべいは、恐らく八戸界隈で取れた大量のイカを原料にして小麦粉と共にせんべい焼きにされた代物である。イカのエキスが大量に含まれている。だが然しながらおいらが不満なのは、イカ墨の活用が不充分であると云うことなり。イカの身と共にイカの墨こそは、イカを味わい尽くす上での必須のアイテムである。イカ墨パスタはイタリアンながら日本のイカ料理の達し得ないものを表しているのであり、日本のイカ料理はイタリアンを駆逐するべき使命を背負っていると云うべきである。

些か横道に逸れたが、イカせんべいを使って作った「せんべい汁」の味わいは、予想通りのイカ味が、数種類の野菜にも染みていて、満足の出来栄えではあった。これから「イカ墨」を「せんべい汁」に活用することによって、更にインパクトのある「イカ墨せんべい汁」メニューが完成するのだろうと睨んでいるところなのである。

1日1便のバスに乗り、下部温泉の温泉につかったのだ

本栖湖周辺をぶらぶらと散歩しながら富士の絶景を眺めていた旅ではあった。そしてその帰り道はといえば、1日にたったの1便しかない下部温泉行きのバスに乗り込んでいた。

その道は「本栖みち」と呼ばれており、本栖湖の周辺をぐるりと周遊した後に、山梨の裏山沿いに入っていく道だ。

富士山の世界にはおさらばしつつ、見延町の街並を目指して下っていくバスの車窓から眺めた紅葉の山々は見事であった。

かなりの傾斜を下っていくバスの中で運転手さんが勧めてくれた特別なシートに陣度つて、特別な山々の紅葉を目に焼き付けていたのだった。

富士山を目の前にすると気持ちの奥底がしゃきっとするのは何故だろう?

日本一の山こと富士山。富士五湖旅行では、大月発の「富士登山鉄道」の車内からずっと富士を視界に入れつつあったのであり、富士の姿をまさに目の前にした時間と共に過ごしていたのであった。

河口湖、本栖湖には湖面に映った富士の鏡面像、所謂「逆さ富士」を捉えることの出来るスポットが有り、おいらもその場所へと足を運んでいたのだった。当日は晴天でありながらとても風が強く湖面を吹きつけていたのであり、とても逆さ富士が出現する気配は無かった。現地の人に聞いたところ、逆さ富士が拝めるのは年間に数日しか無くて、冬や春の穏やかな日に限られると云うことなり。ただ富士の麓の湖を訪れたから拝める光景ではないと云うことは明らかだった。

そんな時間の経過と共に改めて感じていたのは、富士山を目の前にした時のしゃきっとした心情だった。何故だかは判然としないのだが、兎に角しゃきっとしている、しゃきっとしてしまうと云っても良いかも知れない。

そんな富士山の存在感の巨きさを感じるのである。3776mという日本一の標高を有していながらしかも気高く、凛々しく、特別なバランスを有している。高くしてしかもバランス良く存在すると云う、いわば世界的に見ても稀有な存在としての霊峰なのだ。

其れかあらぬかおいらの気持ちも特別にしゃっきりとしていた、そういう時間と共に過ごすこととなったのだ。