AKB48を目の前にして「色即是空」と激書した藤原新也さんの慧眼

先日まで開催されていた藤原新也さんの「書行無常」展会場にて、同タイトルの写真集「書行無常」(集英社刊)を購入していた。

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藤原新也さんの書籍のほとんどに共通するように、先ずは彼の「写真」の力に圧倒されたのだ。これは例えば「作品」だとか「写真作品」とか「視覚作品」とかあるいは「ビジュアル」とか「ビジョン」とか「コンセプト」とか…その他諸々の表現媒体ではなくして、確かに「写真」の力によるものなのだ。

新也さんの作品に接するたびに何度もこのことを何度も確認してきた。そして今回もまた、彼の「写真」作品による力に、心底圧倒されてしまったと云う訳なのだ。

ところで今回購入した「書行無常」でも、写真とエッセイとで構成されているのは、新也さんのほとんどのパターンを踏襲している。テーマは予想以上に多岐に及んでいた。

そんな幅広いテーマの中でおいらが最初に注目したのが「AKB48劇場」であった。秋葉原のドンキホーテ内の会場からデビューした、所謂普通の女の子達のグループが、今や途轍もないくらいの人気を博してしまったという、そんな今時のギャル達の実態をテーマに取材・撮影に及んだと思われる。

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たかが少女とあなどれない。AKB48。
生きるか死ぬかの全存在をかけている。
負けてはならないと私も全存在をかけて激書した
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エッセイの初めに新也さんはそう書き記している。「軽く」そう記していると感じ取っていた。

そして新也さんがAKB48のメンバー達を目の前にして墨書、激書した文字は、なんと「色即是空」という一文だったのである。これは所謂パフォーマンス的にも、甚大に注目に値する出来事、あるいはニュースであると云ってよかった。

(この稿は続く)

刀で作る中華独特の「刀削麺」を食した

中華の麺料理には様々なバリエーションがあり、「刀削麺」もその一つである。

小麦粉をよくこねた生地に、曲がった刀を用いて麺を作っていく。「刀削麺」を提供する中華料理店ではよくその麺作りの現場をパフォーマンス的に公開している。大きな鍋に向かって、削った麺をほうる様に投げ込んでいく独特の仕様により作られていく。今回食した店でも同様のパフォーマンスに接していたのだ。

山西省が発祥だとされるこの刀削麺の味付けは、マーラー味、坦々味、そして激辛味といったように、辛味のスープで提供されている。大味の麺には辛味の強いスープの味付けが似合うということなのだろう。

ネーミングがミスマッチだがなかなか受けた「農協サラダ」

行きつけの居酒屋に「農協サラダ」というメニューがある。農家の全国組織の名を冠しているのだが、当の農協にネーミングの許可を取ったという保証は全くない。ご存知「農協」とは日本最大の農家による組織であり、夏日は毎日ゝ汗して働き、冬には雪や寒風から大地の息吹を絶やさず守ってきた人たちによる団体であるので、さぞや感動的なメニューかと初めは想像していたが、これが実はまったくもってお茶らけたメニューだったのである。

出されたそのサラダを前にして目を引くのは、メロンとパイナップルがドカンと鎮座していることだ。南国特産の果物であり、農協が扱う主力商品であるとはとても云えない。その他に、サツマイモ、トマト、アスパラ、等々がうず高くてんこ盛りにされている。なかなボリュームなのだが、頓珍漢な組み合わせと云うしかない。味付けは、普通のマヨネーズのみである。ちょっとした拍子抜けなのである。

それでも同席した知人には受けていた。おいらも些か浮き浮き気分で南国風果物野菜の盛り合わせを頬張っていた。まるでその時のおいらは、子供が喜んで箸を付けている様な気分であったことを振り返りつつ思うのである。

おでんに自家製巾着袋を入れてほっこり味わう

最近は週に3日ほど鍋料理をつついている。今日はどんな鍋かと考えていたとき、おでんに入れる自家製「巾着袋」を思いついた。スーパーで売っているおでんだねを鍋で煮込んだだけでは物足りないし味気ない。そんなときにおでんと一緒にグツグツと丁寧に煮込んでやると、これがやさしい出汁が染みて美味しくなるのだ。当たり前のおでんが一人前の料理になる。

巾着に入れるネタは様々あるが、おいらは人参、牛蒡を細切れにしたものを基本にし、ホウレン草等の葉野菜を混ぜて使う。干し椎茸や他の茸類を入れてもよいが、根菜特有の泥臭くやさしい味わいに触れたい場合は避けている。他にヒジキ等の海藻類も面白い味が出て、時々試しているのだ。

油揚げを半分にカットし、その巾着袋に具材を詰めて、干瓢で紐縛りにする。それを買ってきたおでんダネと一緒に、弱火でグツグツ。スープには生姜をすって入れ、30分程度煮込んで味がまろやかに染みたところで火から下げて、熱々を頬張ったのだ。

寒い季節に、出汁としょうがのビリッとした爽やかさが染みて、期待通りのホッコリ感。身体の中が爽快になるのを感じていたのだ。

本日三の酉の市の屋台では、イカも頑張っていたのだ

本日はと云えば、年末の風物詩として由緒ある酉の市の「三の酉」にあたり、帰宅途中の商店街では屋台などが出店して賑わっていた。

「たこ焼き」等の人気屋台に混じって「イカ焼き」の店が居たので覗いてみた。鉄板の上では、身を切り刻んで輪切り模様のイカたちが、身を横たえていたのであるが、鉄板から立ち上る熱によって彼らイカたちは皆、赤々と身を紅葉様とさせていて、これまた秋の風情なのかと云う誤解を招いてしまっていた様である。秋でなくともイカは熱き鉄板の上では身を赤々とさせていくものなり。秋の風情と云うよりは屋台の風情と云ったほうがよさそうだろうか。

赤くピンと張った身に対して、屋台の兄ちゃんは包丁を入れ、真っ白いお腹を引き裂かれ、そして衆目にあからさまにしていたのだった。「嗚呼、痛そう!可哀想!」という声をおいらが発する間もなく、イカのその身はピンと張っていてしかも白く、ある種のイカ的の象徴的光景とも感じ取っていたのであったのだ。

イカの丸焼きは今もなお屋台の人気メニューとして君臨している。いかさま、と、呼ぶのは容易いが、いかさまはまたいかさまなりの人生観があるのであろう。

冬のカニ味噌は何故に美味なのか

寒さが日増しにきつく感じる昨今なり。暖冬になるだろもうという長期予想あるようだが、それにしても冬を乗り越えるには相応の対処をする必要があるだろう。

閑話休題。ところで、寒気が増すにつれてカニが美味しさを増してくる。殊に毛蟹の味噌の美味さとくれば缶詰のキャビアを遥かに凌ぐものだと思われる。世界にカニの種類は多かれども毛蟹こそは美味一番の称号に相応しい食べ物だと云えるだろう。中国人の好物とされる上海蟹も、身や味噌の美味さから云えば断然毛蟹に軍配が上がる。上海蟹に大騒ぎする中国人の食生活は、ちとばかり鎖国的様相さえかぶってみえる。中華料理の「中華的」自大主義に翻弄されてはならない。北海道の毛蟹の、殊にカニ味噌の美味しさをもう1度噛み締めていくべきなのである。

掲載する写真については特別な毛蟹のものではない。何時かどこかで食べた「カニ味噌」というメニューを写し取っただけの代物であり、特段のカニ味噌なのではない。雑誌的には「写真と本文とは関係ありません」という注釈が必要かもしれない。

久しぶりの「石焼ビビンバ」の旨味辛みにうっとり

国家庭料理の王道を行くのが「ビビンバ」であるということはおそらく多くの関係者が認めるところであろう。おいらも韓国家庭料理としてのビビンバのメニューを愛する一人であり、時々口にするのを楽しみにして過ごしている。

ところがどっこい、なかなか東京でビビンバの味に遭遇するのが難しくなって来たところだが、先日は正当的石鍋で焼くビビンバの辛みご飯にうっとりすることが出来たので、レポートしておきたい。

簡単に述べれば、ビビンバというメニューは韓国一般の混ぜご飯のことである。モヤシ、ニラ、キムチ、人参、玉葱、そして鶏肉やコチジャン、胡麻等の調味料とともにご飯に混ぜていただくというのが定番。石焼ビビンバはそんな素材をざっくりと石鍋に盛り、それを火にかけて熱々にしたところでご飯と混ぜていただく。伝統的な家庭料理としては少々ならず贅沢な料理行程を踏むのである。ちゃんとこの行程をとうしゅうした料理であればこれがいただけないはずが無いのだ。

正当的具材のモヤシ、ニラ、キムチ、人参、玉葱、そして鶏肉、胡麻等々が盛られている鉄鍋に赤々として注目を集めるのが韓国料理の出色調味料とも称されるコチジャンだ。多ければ良いというものではない。あまりに多すぎれば食材の持ち味を殺いでしまうが、ほどほどに辛みと食感を左右するべきものがこのコチジャンだ。

控えめに乗ったコチジャンの様を目に仕留めながら、熱くなる鉄鍋の感触にときめいてもいたのである。そして熱が充分に鉄鍋に移った頃を見計らってのかき混ぜ作業である。これこそが焼きビビンバのクライマックスなのだ。丁寧にかき混ぜることで、食欲は否が応でも拡大し続けていたのであった。

八戸のイカせんべいで八戸メニューの「せんべい汁」をつくった

ふと出くわした東北応援のブースでは、青森県八戸特産の「せんべい」が売られていた。おいらは数種類の中から「イカせんべい」をチョイスし、これを八戸流の「せんべい汁」に使おうと目論んだのだ。そのまま齧っても良い味だが、「せんべい汁」の具材として用いられる用途がポピュラーであり、かつ最もこのせんべいの特徴を示している。

B級グルメの大会では毎回にて入賞を果たすのだが、然しながらこれまでグランプリに輝いたことが無い。常に2番手、3番手で前を狙ってはいるのであるが、これから1番を取れる確証が、有る訳ではない。何かが足りてない。其れがまたこのせんべい汁の特徴であるとも云えよう。

「せんべい汁」を2、3番から1番に押し上げるには、ある種の食材のインパクトや、或はコンセプトのワープ的展開が必要であると考えていた。そうした中で「イカせんべい」は、1番狙いの所謂一つのアイテムになるかと考えたのである。

イカせんべいは、恐らく八戸界隈で取れた大量のイカを原料にして小麦粉と共にせんべい焼きにされた代物である。イカのエキスが大量に含まれている。だが然しながらおいらが不満なのは、イカ墨の活用が不充分であると云うことなり。イカの身と共にイカの墨こそは、イカを味わい尽くす上での必須のアイテムである。イカ墨パスタはイタリアンながら日本のイカ料理の達し得ないものを表しているのであり、日本のイカ料理はイタリアンを駆逐するべき使命を背負っていると云うべきである。

些か横道に逸れたが、イカせんべいを使って作った「せんべい汁」の味わいは、予想通りのイカ味が、数種類の野菜にも染みていて、満足の出来栄えではあった。これから「イカ墨」を「せんべい汁」に活用することによって、更にインパクトのある「イカ墨せんべい汁」メニューが完成するのだろうと睨んでいるところなのである。

1日1便のバスに乗り、下部温泉の温泉につかったのだ

本栖湖周辺をぶらぶらと散歩しながら富士の絶景を眺めていた旅ではあった。そしてその帰り道はといえば、1日にたったの1便しかない下部温泉行きのバスに乗り込んでいた。

その道は「本栖みち」と呼ばれており、本栖湖の周辺をぐるりと周遊した後に、山梨の裏山沿いに入っていく道だ。

富士山の世界にはおさらばしつつ、見延町の街並を目指して下っていくバスの車窓から眺めた紅葉の山々は見事であった。

かなりの傾斜を下っていくバスの中で運転手さんが勧めてくれた特別なシートに陣度つて、特別な山々の紅葉を目に焼き付けていたのだった。

富士山を目の前にすると気持ちの奥底がしゃきっとするのは何故だろう?

日本一の山こと富士山。富士五湖旅行では、大月発の「富士登山鉄道」の車内からずっと富士を視界に入れつつあったのであり、富士の姿をまさに目の前にした時間と共に過ごしていたのであった。

河口湖、本栖湖には湖面に映った富士の鏡面像、所謂「逆さ富士」を捉えることの出来るスポットが有り、おいらもその場所へと足を運んでいたのだった。当日は晴天でありながらとても風が強く湖面を吹きつけていたのであり、とても逆さ富士が出現する気配は無かった。現地の人に聞いたところ、逆さ富士が拝めるのは年間に数日しか無くて、冬や春の穏やかな日に限られると云うことなり。ただ富士の麓の湖を訪れたから拝める光景ではないと云うことは明らかだった。

そんな時間の経過と共に改めて感じていたのは、富士山を目の前にした時のしゃきっとした心情だった。何故だかは判然としないのだが、兎に角しゃきっとしている、しゃきっとしてしまうと云っても良いかも知れない。

そんな富士山の存在感の巨きさを感じるのである。3776mという日本一の標高を有していながらしかも気高く、凛々しく、特別なバランスを有している。高くしてしかもバランス良く存在すると云う、いわば世界的に見ても稀有な存在としての霊峰なのだ。

其れかあらぬかおいらの気持ちも特別にしゃっきりとしていた、そういう時間と共に過ごすこととなったのだ。

本栖湖で紅葉と出会った

河口湖から本栖湖へと向かった。あまり感じることのなかった紅葉を見届けたかったからだ。秋を感じとることのないまま季節を終えるということへの抵抗感とでもいおうか。

今日もまた夏日に近い異常気象だといい、期待した秋の季節感とはほど遠かったのではあるが、紅葉に接することは出来た。

本栖湖の濃紺と赤、黄色、濃緑の樹々とのコントラストがハーモニックに視界に飛び込んでいた。四季の営みの神々しさと呼ぶに相応しいものだった。

旬のカボチャをシチューとハンバーグで味わった

今のこの時期にこそカボチャは旬である。じっくりと煮込んで味わうと得も云われぬ甘い幸福感で満ち足りてしまう。稀有な素材である。

そんなカボチャをシチューの具としてじっくりと煮込んで味わった。付け合せは椎茸、舞茸、等々の秋の茸類。そして甘い玉葱。

カボチャの甘味はホクホクとして黄色い色合いとなってシチューに彩りを与えていた。

そして第2弾として食したのは、手作りハンバーグのソースである。黄色いカボチャが溶け出して程よく甘く芳醇な味覚を与えていたのだ。こんなソースでハンバーグを味わえたこの秋の季節は特筆されるのだ。

尾崎豊の実父も彼の「遺書」に疑問を呈している

昨日当ブログにて、尾崎豊の死因が「自殺」だったという月刊文藝春秋の記事に疑問符を呈したばかりだが、其れを裏付けるように、彼の実父による「自殺ではない」というコメントが紹介されていた。

http://www.news-postseven.com/archives/20111118_71059.html

「豊は気分が落ち込んでいるときに、突発的に遺書のようなものを書くことがあった。亡くなる3年前に自殺を考えたことがあるらしいが、そのときに書いた可能性もある」

このようなコメントは、身内でなければ発し得ないものだ。実父の発した疑問であれば、それなりの重みがあるはずである。

「いまとなっては、他殺だとは思ってないけど、あれは自殺じゃない。豊じゃないからわからないけど、なんで死んだんだって…いまでも思ってます」

他殺説を実父は封印した。そしてなおかつ、尾崎豊さんの死に関する疑問符は付きまとってしまう。稀な存在感を持ったアーティストであったが故の宿命であったのかもしれないと考えている。この「宿命」という語彙にはもちろん、豊さんへの多大なリスペクトが含まれているのだが…。

月刊文藝春秋に「尾崎豊の『遺書』全文」が掲載されている

先日発行された「月刊文藝春秋」に「尾崎豊の『遺書』全文」と題されたレポートが掲載されている。副題には「没後二十年目 衝撃の全文公開」とある。筆者は加賀孝英。

出版直後からセンセーショナルな話題となっているが、内容は、尾崎豊の「死」の真相を婉曲的に「自殺」と断じた内容となっている。その根拠とされているのが、尾崎豊が死の前に書き綴ったという2通の「遺書」の存在である。

遺書とされるその2通の内容について、今回初めて「公開」されたという形でのレポートなのである。ただしその物理的な証拠となるべき「画像」等については一切公開されてはいないのが、非常に残念であり不可解でもある。

ーーーーー
先立つ不幸をお許し下さい。
先日からずっと死にたいと思っていました。
死ぬ前に誰かに何故死を選んだか話そうと思ったのですが、
そんなことが出来るくらいなら死を選んだりしません。
(略)
あなたの歌が聞こえてきます。
まだ若かった頃のあなたの声が、
あなたのぬくもりが甦ります。

さようなら 私は夢見ます。
ーーーーー

引用した文章を「遺書」と見るか否かについては見解が異なるところだ。アーティストであり生来の詩人であった尾崎豊が、気まぐれに、あるいは思い付きで記した言葉だととることも可能である。レポートの筆者はこの文書をもって繁美夫人への「遺書」だと断じるのだが、いささか無理筋の論理展開ではないのかと思う。

以前からおいらは、繁美夫人が尾崎豊の死に影響を与えた等々という「推理」には与しないし、死の当日のあれこれを聞き及んでいる人間としては、彼の死が不遇なアクシデントの積み重ねによる極めて不幸な死であると感じているものなのである。それだからこそ、ここに来ての尾崎豊の「自殺」論の主張には大いに首を傾げざるを得ない。自殺する人をおいらは決して否定しないが、尾崎さんについては、彼はまだまだ生に対する執着が強かったであろうし、おいそれと「自殺」という幕引きを演じることなどは決して無かったであろうと確信している。

いつか改めて、加賀氏のレポートの論理矛盾について記していきたいと考えているところだ。

わさびのツーンとした刺激が喉に染みる「鶏わさ」

御徒町駅ガード下の居酒屋に立ち寄って一杯。

どじょう料理が評判の店だったが、このところの野田某いかさま首相の姿なぞがだぶついていて口にする気になどどうにもならず、代わりに最初に注文したのは「鶏わさ」だった。これが絶品の一品。

鶏のささみ肉を一口大にカットしたものに軽く火を通す。わさびを指で満遍なく敷き詰めた容器にささみと醤油を加えて、また指と掌で和えるのだ。この「和える」という調理法こそがこのメニューの鍵となっているのだ。まさに職人芸と云うべきてきぱきとしてスムーズな動きに、いささかハラハラされつつあれども天晴的な感動をそこで体験した。まるで圧巻の寸劇に接しているような体験であった。

「キムチ鍋」の唐辛子のカプサイシンが、これからの時期にはたまらない

仕事帰りの居酒屋でキムチ鍋を注文した。キムチ鍋はポピュラー過ぎて話題に上ることも少なくなったが、寒さが身にしみる時期になるとこの鍋がとても食べたくなる。温かいスープにカプサイシンが染み込んだ赤い唐辛子の粒を目にしつつ、口に頬り込むときの感触といったら、まさに鍋料理の醍醐味を味わう時のそれとほぼ同様のものだと思われる。鍋と云ったら「寄せ鍋」「鱈チリ」「すき焼き」「アンコウ鍋」等々限りなくあれども、その中でも「キムチ鍋」の存在は軽んじることの出来ない代物なのてある。

キムチ鍋の具材の取り合わせは、先ずはキムチ、そして豚肉、白菜、葱、豆腐、その他となる。赤いスープを見ながら食するキムチ鍋はとても食欲を刺激する。食欲のみならず人生に対するポジティブな指向をも生み出してくれることもある。決して侮れないのだ。

キムチの本場韓国、朝鮮料理においては「チゲ鍋」というもう少しエキゾチックな料理が主流となっているが、我国における「キムチ鍋」においては特別な韓国の調味料を使用する必要は無い。新鮮な白菜キムチがどーんと鍋の中心に控えていればそれで由なのだ。韓国のチゲ鍋はコチジャン等の調味料を多用するが、それらを使わない日本風のキムチ鍋が、くどくなく鍋料理を味わえることができるので、おいらの好物である。「キムチ鍋」と「チゲ鍋」とはどちらも美味しいことには違いないが、似て非なるものであると云えるだろう。日常的に食べたくなるのは「キムチ鍋」だということなのだ。

ウズラ卵入りの大振りたこ焼き

帰宅途中の街並みには露店屋台が並んでいた。本日は二の酉の日に当たり、祭り好きの八王子も祭り一色となるのだ。

たこ焼き屋はやはりこうした屋台の代表格であり、久しぶりに注文して持ち帰ることにした。閉店間際だったのだろう、1袋(6個入り500円)を注文したらおまけでもう一袋付いてきた。あまり愛想の良くないお兄ちゃんが妙に照れて「おまけですよ」と云っていた口ぶりが妙に印象的だった。

家に着いて未だほかほかと温かいたこ焼きを口にした。箸で中を突付くと、ウズラの卵が真ん中にでんと居座っていた。そして肝心のタコといえば、妙に小さく切身にされてチョコチョコと顔を出していたが、その存在感は薄かった。口当たりは良いがタコの味もあまり口の中で広がらなかった。たこ焼きにとって主役であるべきタコと云う具材が脇役へと追いやられていた。おいらはこのときタコの悲哀を感じ取っていたのである。

一袋(6個)を平らげて箸を置いた。明日の朝食に取っておこうと思った。朝食で食べるたこ焼きの味わいは如何なるものであろうかと、少々と興味を持ったのだった。

きのこいっぱいの「土鍋きのこご飯」でほっこり満腹

秋の味覚の代表であるきのこを色々買い求めて、それを土鍋のご飯にして炊いたらばとても秋深き味覚を味わうこととなったのでありました。

舞茸、シメジ、椎茸、等々。理想としてはここに「ヒラタケ」が欲しいところであるが、ヒラタケの生産地は福島県内がほぼ独占的に占められているのであり、やはりと云うのかここでも原発事故の放射能汚染の悪影響が、不自然な食生活の原因となって立ちはだかっているのだ。

改めて東電原発事故の影響度の深さを認めざるを得ないのである。福島県内のみならず、何バ百万人もの人々の生活を蹂躙しつつある東電並びに電力関係者の罪の深さを示しておきたい。東電は頑張っている等々の欺瞞的報道も、あるいは個人的主張も垣間みるが、そんな愚かじみた声には惑わされることの無いように気をつけていきたいものである。

数種類のきのことともに、鶏のもも肉をカットして具材にした。鶏の繊細な脂身がキノコにも程よく染み入って、奥深い味わいの土鍋ご飯が出来上がったのだった。

甲府盆地の絶景を眺めつつ「ほったらかし温泉」に入浴

山梨県山梨市の「ほったらかし温泉」といえは、温泉マニアの好感度が高く、おいらもずっと行きたい温泉の一つだったが、やっとささやかな望みが叶った。

http://www.hottarakashi.com/

JR中央線の「山梨市」駅に降りて、市営バスで10数分乗って「フルーツ公園」に到着。そこから1.5km程度の山道を歩いていくと巨大な駐車場に出くわした。「ほったらかし温泉」という名を冠するくらいだからきっと辺鄙な場所のいい加減なつくりの温泉だと想像していたのが大違いだった。巨大な観光バスが駐車場にでんと構えており、マイカーの群れは百台はゆうに超えていた。観光スポットとして申し分の無いくらいに認知されており、ビジターも相当に多いのだった。

この温泉の第一のウリが、眼下に見下ろせる甲府盆地の絶景である。温泉地の大概がそうであるように此処もまた「撮影禁止」の貼り紙があったために浴場からの眺めは具体的に示すことが出来ないのだが、温泉から眺める景色はといえば、手前にはこの季節の白いすすきがたなびいていて未だ紅葉には少し早い樹々の濃緑色とのコントラストが絶妙であった。ずっと遠くの街並には笛吹川が横切っていて、盆地街の風情を一望させてくれるのだった。ほったらかしどころか相当に計算された展望であったと云えよう。

強いアルカリ性の温泉に暖まった後に、屋台で提供されていた「ほうとう」を食した。この時期の旬のカボチャの甘い味がスープに溶け込んでいて、正統派の美味いほうとうにありつけたので満足だった。


野田佳彦のTPP茶番で民主党の信頼度は地に落ちた

野田佳彦は本日、TPP交渉参加を明言してしまった。中1日を入れての茶番劇の後の決定である。

黒人(ハーフ)であるという勢いのみで当選した無能オバマへの、ここに来てのポチ度全開に、本日は悪しき第一歩を記す日として、長き我国の現代史に記されるべき日となってしまった。

これが21世紀日本の凋落の第一歩となることは、歴史家ならずとも誰もが想定できる、云わば常識の範疇に属するものだが、日本人の一般大衆はこんな常識さえ判ってはいない様である事をここに来て認識せざるを得ないという状況である。

日本国に対しての殊更に特別な思い入れは無いおいらではあるが、これまでおいらが生を受けて育ち育んで来ていたこの風土とは相容れない、敢て強調するが、絶対に相容れない米国流の金融資本による我欲の猛威が、これから何年、何十年、何百年掛けて日本を蹂躙することになるだろう。そういう将来が判っていながら野田某は米国へのポチ忠誠を優先したと云うことになってしまった。

こんな政権は出来るだけ早く現代史の俎上から立ち退いて欲しい、立ち退かしていかねばならないということを肝に、反TPP、反野田内閣の意思を発信し続けよう。