古市憲寿著「僕たちの前途」は後味爽やかなノンフィクションだった

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「起業」「起業家」をテーマにして古市憲寿氏が表したノンフィクションである。一般的に我が国の「起業論」には常時的に、筆著者自身の事業PR的な要素が充満しており、そんな厭らしさ故に、胡散臭い印象を抱くのが定例である。同書「僕たちの前途」には、そんな厭らしいところは無いが、その反面で強いメッセージ性を感じることが無いという、当り障りの無い内容に終始している。もっと云えば、どうでも良いといった類いの「起業論」「経営論」に終始している印象が強くある。

ただしそんな中でも同書の「第一章 僕たちのゼント」には、現状における古市氏を取り巻く経済的な状況を指し示していて興味を誘うのである。20代後半の社会学者が実際的に依拠している経済状況について、著者の古市氏は饒舌に語っている。まるで起業家論をまとっているが実質的には著者自らのこの社会に対する対処法、処世術的なものを多く見て取ってしまっていた。其れらは決して後味が悪いわけではなくて、却って古市氏的著者世代の天晴的なアウトソーシング的なメッセージとして受け取ることができたのである。同書帯における「人生に正解はない。」というフレーズはとても軽々しいのだが、それこそが彼ら世代の日常的な現状把握的キーワードなのである。

「イカ飯」で旅情を味わう

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昨日は丑の日という特別な日でありおいらも特別な思い入れ、思い込みが強くなっていてしまい些か反省的なる日々なのである。夕食のメニューを考えていたところ、イベント売り場でみかけた「イカ飯」なる旅風情に惹かれて購入した。イカの風味がご飯に染み込んでいてしつこくない。これは当たりだと、一寸した喜びを感じていた。

丑の日のうなぎを晩酌にて味わう

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本日は丑の日。すなわち我が国にて鰻を食べるという習慣のある特別な日ではある。昼時にて地元の鰻店を食べログにて検索して、最初に向かった店舗は既に店仕舞いをしており、次に辿り着いた店頭の「並重が2900円という」メニューを目にして暖簾を潜る意欲が失せてしまっていた。昼時には鰻を口にする事無く、何時もの定食屋で昼食を終えていた。そして結局的には何時ものスーパーにて鰻蒲焼きを購入して、今宵の晩酌のつまみとしているわけなのである。

経験的に「うなぎ」が夏の体力消耗に効果ありということを知っているおいらは、無意識裡にうなぎを求めていたのだろう。本日は土用の丑の日だというからではあるのかもしれないが、強烈なうなぎに対する渇望が襲いかかってきたのだったという訳なのだ。鰻の脂身は程良く癖があり、其の脂身がたまらない味覚となっている。ダイエットのことなど本日くらいは忘れて食したくなる。我が国の文化とも繋がっている逸品メニューであることは間違いないのだ。

土用の丑の日にはうなぎを食べるという習慣は、文政時代に平賀源内さんが提唱したという説が一般的だが、ただ体力の落ちる夏場に栄養補強するという意味合いばかりではなさそうなのである。かえって、夏場にはうなぎが売れない業者達の苦肉の策として、土用の丑の日が提唱されたという珍説もあるくらいであり、二百年もの時代をさかのぼって時代考証を行おうとしても無理な話であり、ここはそっと、うなぎと平賀源内さんとの個人的な相性の良さを思い浮かべてみるくらいが宜しいのだろう。

「アジのなめろう」は酒の肴的な逸品メニュー

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アジの刺身はそのままでも美味だが、少々の手を加えて「なめろう」として調理されたものは、ときどき刺身以上のものと感じる。あえてときどきと書いたのは、味付けのバランスが悪くてとても美味しい等と評価できないものがあったからである。そもそも「なめろう」という料理は、アジをはじめとする青魚の身を徹底的に細かく叩いてから、其の身を味噌、葱、生姜、等々の薬味を加えて出されるメニューのことである。粘り気が出るまで叩かれたアジの身が程よく控えめな味付けが加わって、逸品の酒の肴的メニューになるのである。

ところで日本で食される青魚の代表でもあるのが鯵(あじ)である。「あじ」という名の由来は一説によれば「味が良い」からだとされている。たしかに魚の特有なこくが程よくのっている、美味な魚の典型ではある。鯵の干物にしても、また鯵の丸干しにしても、魚の脂が程よく染みていて、美味しさが一段と増すのだ。身近すぎることからあまり気付かなかったが、この鯵の恵みをこれまでどれだけ享受してきたことだろうか。この青臭い風味というのか、あるいは骨臭い食感というのか…、このような魚の個性を認めずに、肉類と比較してコメントするなどとはもってのほかではある。

夏には「トマト焼きビーフン」が思いがけない美味しさだ

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焼きビーフンにトマトを炒めてまるごと入れてみたら、これが思いがけない美味しさだったので紹介しておきます。そもそも焼きビーフンとは、米の粉を原料にした麺料理である。あり合わせの野菜類とともに麺を炒めてつくられるのだが、夏だからという訳で、夏野菜のトマトをカットしてまるごと加えてみたら、これが意外中の意外とでも呼ぶべき感動的な美味だったのである。

これまで家での自家製ラーメンを食することの多かったおいらではあるが、このところ米粉(ビーフン)関連食材を利用していろいろ食することが増えているのだ。味もサッパリとしてグッドである。麺の食感は中華麺よりもちもちとしたところが特徴で、カロリーも低いダイエット食材である。よく使う野菜類(葱、椎茸、モヤシ、小松菜、ホウレン草、等々)を合わせるだけでもメニューの幅は広がっていく。ちなみにインスタントラーメン、即席ラーメンの類いは、あの独特なジャンクフードの香りが気になっていてほとんど食べたことは無い。自宅で食しているラーメンは「生ラーメン」を使ったものだけである。同じインスタント麺、即席麺でありながらも、「米粉(ビーフン)」麺の方はとてもフェイバレットな味わいなのだ。これから日本人の食生活にも「米粉(ビーフン)」が活躍する場が増えていくであろう。おいらも関心を深めつつ、新しい「米粉(ビーフン)」を活用したメニューについても関心を持って見守っていきたいと思うのである。

猛暑の喉を潤すにはシャリキンホッピーにかぎる

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こんな猛暑の折に、「シャリキンホッピー」にありつくことができたのだった。ぐいっと冷たいホッピーを味わうには、「シャリキン」という手があったのである。シャキシャキのカキ氷の中身はといえば全くの焼酎であり、焼酎のカキ氷をホッピーで割るというのが正確な表現である。

稀なるシャリキンホッピーに口をつけると、まず初めには苦味走ったホッピーのほろ苦さが咽をくすぐる。そしてその後に襲ってくるのが、キンミヤ焼酎のキーンと来る刺激なのだ。カキ氷の姿と化したキンミヤ焼酎はグラスの表にぷかぷかと浮かんでいて、口をつけたおいらの唇、舌面、咽越しに、ピリリと刺激を与えていく。ぷかぷか浮かんでいるキンミヤ焼酎カキ氷のアルコール度は結構高いのである。心地よい刺激である。これこそホッピー文化が育んだ呑兵衛にとっての理想郷に近いものがある。

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荻窪で途中下車して立ち寄った焼き鳥店は鳥や豚のモツ部位の串焼きがうりのようだが、「鶏煮込み」というメニューもバカにならない。ジューシーな鶏もも肉が柔らかく、さらには普段は敬遠しがちの鶏皮のコラーゲンが溶けるように煮込まれていて、味わい深い一品だ。卵は箸を入れるととろっとした半熟の黄身が顔をのぞかせて、煮込みと溶け合ってさらにマイルドな味わいに酔い痴れたのだ。

猛暑の日の朝に食した「冷や汁韃靼そば」は格別なり

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昨晩に作って置いていたなめこと豆腐の味噌汁があったのであり、そんな冷製の味噌汁に、胡瓜、冥加、葱、等々の薬味を加えて、蕎麦の付け汁にした。茹でたのは岩手県軽米町にて製造された「韃靼蕎麦」であった。

この蕎麦はただの蕎麦ではなく、知る人ぞ知る「韃靼蕎麦」なのだ。ロシアの韃靼人という小部族が好んで食べていたことからこの名が付いたとされるが、普通の蕎麦に比べて「ルチン」という成分が百倍以上含まれている。ルチンは血管の弾力性を高め、血液の循環を良くする働きがあり、血管障害の病防止に役立つとされる健康成分である。蕎麦好きに健康者が多いという根拠の一つともなっているものとされる。これが通常の百倍というのだから、食べないわけにはいかないのである。

岩手県軽米町は、日本には数少ない韃靼蕎麦の産地である。以前から通信販売で取り寄せては時々食べていたものだが、今年の韃靼そばの取り置きも今日が最後となってしまった。また秋には新作の韃靼そばの実が実るだろうから其れを待つのみなり。

猛暑の日には「刀削坦々麺」が美味しい

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中華麺の中でおいらがもっとも好きなのが「刀削麺」。小麦粉を練って塊にしたものに、特別な包丁を使って麺にする。程よく分厚くて然も手作り感が残っている。太麺、平麺、あるいはうどん麺よりも咬み応えあり、小麦の味わいをストレートに感じられる。手作り麺であるからこそ料理職人の腕が活きるということだ。

此の麺に合うのは濃い目のスープであり、今日のような猛暑の日にこそは辛味のスープ、とくに四川風坦々麺スープがお似合いだ。唐辛子の辛味と胡麻の風味とが弱っていた胃袋を刺激して何時の間にか食欲まで高めているのだ。ふうふうと汗を掻きつつ刀削麺を口に頬張れば、喉の中から食道を伝わって胃袋にまで染み込むようだ。夏こそ食べたいメニューの一つではある。

八王子「らーめん れんげ」の超濃厚「鶏白湯らーめん」に舌堤なのだ

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八王子のラーメン店「らーめん れんげ」は、八王子のラーメン店で異色の存在である。少なくとも「八王子ラーメン」の範疇には属さない。八王子ラーメン風のメニューもあるが、そもそもそんな小細工こそは百害あって一理なしのごとくなのである。

同店の一押しラーメン「鶏白湯らーめん」の特徴は、鶏肉からとった超濃厚なスープにある。鶏肉スープとラーメンの相性はと云えば、昔から相性良しとのお墨付きがあれども、こんなに超濃厚スープにおける相性に関しては、けだし想定外であったと思われる。こんなにも超濃厚のラーメンスープはこれまでほとんど皆無であったと云って良い。

濃厚な鶏肉スープをアレンジして、「醤油ラーメン」なるメニューもあったが、これはまるで主役ならざる助役の趣きなり。超濃厚の鶏肉スープを味わいたかったらば、迷わずに「鶏白湯らーめん」を注文して食すべきなのである。

■らーめん れんげ
東京都八王子市子安町3-7-13
042-621-1235
毎週木曜日定休

夏季は「イカ納豆」で腸内予防なのだ

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本年の夏季に入ってから胃腸の調子がすこぶる悪い日々が続く。先日は4日くらいに便通が無かったことにより、いちじく浣腸を使って便を外出させたのだが、排出するのに数十分くらいの手間を要してしまったくらいである。おいらが思うには、今年も高温多湿な夏の時季に入って、腸内環境が極めて悪化しているという事実である。先日は便通トラブルであたふたした次第だが、これから先、腸内環境を健康的に維持するための予防的対策は取っておくべきだろうと思われる。

さて本日、「イカ納豆」を注文して食したのは、そんな夏季の腸内環境改善の目的があったことは間違いない。納豆の納豆菌が腸内環境に及ぼすプラスの影響はとても大きなものではあり、日々の納豆摂取が減少していることを思うにつれて、納豆、納豆と、納豆菌を追いかけてはいたのである。居酒屋にて「納豆」というメニューはなかなか目にしないが、「イカ納豆」は準定番的にポピュラーである。日常の納豆不足を晩酌メニューの納豆によって補っているということではある。云わば納豆無くして腸内環境の健康は維持できないと云ってよいのである。

「メロかまの煮付け」の食感に舌堤

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「メロかまの煮付け」を食した。「メロ」という魚は一般的には馴染みが薄いが数ある白身魚の中でも大型種で、成魚になるとその体長は1メートルを越えるという。日本に輸入される此の魚は、主にチリ、アルゼンチンなど南米で漁獲される。「マジェランアイナメ」というのが正式名称とされている。少し前には「銀ムツ」という名称で流通していたが、ムツ科の魚とは分類が異なっており、同「銀ムツ」という名前での流通が禁止されたという経緯もある。いわく付きの魚と云っても良い。

大型魚ならではの頭部の食材、カマの料理であり、コラーゲン豊富なプリプリしたその食感が見事の一言だ。煮付けの味付けはオーソドックスな和食ならではだが、外来魚としてのメロの食感が、何故か新しい。酒の肴にももってこいなのである。

上州菓子の新しい定番になりそうな「繭玉まんじゅう」

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上州前橋のお菓子といえばかつて「片腹饅頭」が定番であったが、其れが無くなって久しく寂しい思いを感じているのはおいらだけではないのである。だが新規に「繭玉まんじゅう」という、郷土の饅頭に接することができたのであり、其の姿かたちや餡の甘あましさなどが新しき郷土の定番菓子となり得べき要素を有していることを知り、ある種の感動を覚えたのである。

此の度「富岡製糸場」が世界遺産に認定されたように、そもそも上州は絹産業が盛んな地域であり、絹の基となる繭とは、其れこそもっとも親しみやすいアイテムではあった。そんな繭の姿を模ったお饅頭は、過去の片腹饅頭に引けをとらないくらいに、郷土の味を感じさせるものではあった。

「シイタケの肉詰め」を食した

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シイタケの肉詰めの串焼き料理を食したのだ。肉詰めメニューの中でシイタケはピーマンやレンコンの串焼きほどポピュラーでは無く、なかなか旨い串焼きにはなかなかお目にかからない。何よりもまずシイタケの身がふっくらと肉厚で無ければならないことに加えて、焼き方も重要だ。炭火の遠火でじっくりと焼かないとシイタケ本来の味が損なわれてしまう。今回出逢った「シイタケの肉詰め」はこれらの条件がクリアーされた美味なものだった。

夏バテ解消には「大蒜(にんにく)の素揚げ」が効果あり

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昼の熱暑で早くも夏バテの気分なり。そんな時に頼りになるのが大蒜なのだ。そもそも一般的には餃子の具や炒めものの香り付けとして用いられるが、もっと大蒜の効用を得るための料理としては、大蒜の素揚げがお勧めだ。丸ごとに大蒜を食することができて、なおかつ大蒜特有の独特で濃厚な旨味を味わうことが可能である。

野菜を簡単に味わう調理法といえば、生野菜のサラダ類を除くならば、素揚げがもっとも代表的だ。煮たり焼いたりするよりも単純明快に素材そのものにアプローチしている。すなわち余計な味付け調味料等々が介在しないという其の分、シンプルな野菜の具材にアプローチすることができるのである。

疲労回復を齎す元気の元として注目される代物でもある。だがもっともっと積極的にニンニクを食していこうと自覚したのは、肝臓病予防の効果があるとされていることが大きい。アルコール等によって肝臓に負担をかけ続けているおいらにとっては、肝臓病をあらかじめ予防していくことは必須である。そんなことを近頃は自覚しつつのニンニク摂取なのである。

「秋刀魚の開き」はもっともっと味わうべき料理だ

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魚の開きと云えばアジの開きが定番なのだが、アジばかりでは飽きてしまう。そんなところで近頃は「秋刀魚(さんま)の開き」が流通していいることに気付いた。サンマが大衆魚として大量に流通しており、保存食としての開きとして加工されているのだということを想起される。果たしてその味は如何なるものなのか? という興味が、実際の料理を目の前にして沸々と湧いていた。

出てきた料理を目にして、一見して「開き料理」っぽくはない。頭の姿形はくちばしが異様に尖っており、身の味覚にまで思いを寄せるに少々の時間が掛かってしまっていた。魚の開きは通常、骨を境にして二枚にして開くものである。すなわち顔と頭部の部位はカットされ、残された身の部分を日に当てて干されるだ。然しながら秋刀魚の開きは此れとは様相を異にしている。顔と頭部はデンとして居座っていて、食べようとしている人を凝視するかのようだ。軽々しくは口に出来ないという雰囲気が漂っている。それでもいざ決行として箸を付けて、顔頭部を脇に寄せて秋刀魚の身を摘んで口に押し込んだところ、得も云えぬ魚の味覚が口腔内を充満していた。あくが強くて尚、魚の旨味を感じ取ることが出来たのだった。もっともっと味わうべき料理なのだということを合点していたのである。

トマトの酸味と旨味が際立つ「トマトグラタン」

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夏野菜の代表は、トマトかナスか? どちらも夏には欠かせない清涼感あふれる優劣付け難い食材なのだが、ことにトマトの赤味といえば、抗酸化作用を持つ健康成分のリコピンの赤味そのものである。赤く熟したトマトを食べれば、夏季の疲れなど吹っ飛ばせるくらいに期待感いっぱいの食材なのだ。

トマト料理は多々あるが、最近注目しているメニューが「トマトグラタン」である。其の料理は、トマトを細かくカットし、少量のトマトエキスを掛けてトロけるチーズを乗せてオーブンで焼いていくという、とてもシンプルな調理法であり、トマトの酸味、旨味、等々ともにたっぷりと味わうことが出来るのだ。上に載せたとろけるチーズはあまり生のトマトにしっとりするとは云い難くて水っぽい。以前はそんなことが気に掛かっていたおいらだが、近頃は其れもあわせてこの「トマトグラタン」ならではの一品メニューなのだと思い直していたのである。オーブンによって優しい熱を加えることにより生味のトマトの酸味が際立っていて、トマトという其の旨味を主張している。なんどでも食べたくなる夏の逸品メニューである。

第四章を加えて再出版された「かもめのジョナサン 完成版」

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最初においらが「かもめのジョナサン」を読んだのは高校生の頃だった。発行当初は殆ど売れなかったという同書だが、著者リチャード バックの本国の米国でじわじわと話題を集めて、一躍世界的なベストセラー本となってしまったといういわく付きの一冊である。原作本も平易な英語で書かれていて親しみやすくて手にとったりしていたが、五木寛之氏による訳書を購入していた。

主人公のかもめのジョナサンは、ただ単に餌を取って食べることのみに時間を費やす他のかもめたちから離れて、飛行することを追求する。飛ぶことはついには食べることから離れて生きることの意味を示唆し、単に飛ぶことという物理的な意味を超えて精神的な理想論や形而上学的な世界観やらを指し示すことになる。誰もが胸の奥底に持っていたであろう当時の精神世界への希求が大きなベクトルとなって、同書を稀有なるベストセラー書として押し上げていたということは想像に難くなかった。

そして今回第四章が加えられたのが「かもめのジョナサン 完成版」の発刊である。とても抽象的でありながらストレートな記述だった過去版ジョナサンとは少々趣きを異にしており、完成版の第四章はとても理屈っぽい。例えば第三章の形而上学的なメッセージにも似ていなくて、無性に理屈ぽさが目についてしょうがない。21世紀に入ってかつての20世紀的な物語が不可能になってしまった時代における、これこそは新しいポストモダンの小説の試みと云えるかもしれない。

ヒーローの物語として語られた「かもめのジョナサン」は、全世紀のごとくに語り継げられることを著者自らの手によって拒否され、ヒーローではない語り部の物語として再生されようとしている。新しい時代の理屈や世界観によってヒーローが再生される保証や根拠は何も無いはずなのに、新しい物語を綴ったリチャード バックには、個人的な関心が高まってならない。

吉祥寺「いせや」の「カシラ」は苦手なり

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吉祥寺の焼き鳥の名店「いせや」を訪問。此処の名物焼き鳥は店頭で炭火で焼かれるのであり、その店頭のダイナミックな光景がり一層の食欲、酒欲をそそるのである。大きくカットされた豚のモツの身を串焼きにするというシンプルなメニューが同点の魅力ではある。時々途中下車してまで立ち寄ってしまう。それくらいの名店ではある。

だが同店にて何時も失敗したなと感じるのが「カシラ」の注文。豚のこめかみ部位が提供されるのだが、このいせやのカシラは脂身そのものをカットして出てくる。この脂身は脂肪の塊そのものであり決して美味いとは云えず、おいらはとても苦手なのである。他の焼き鳥、焼きトンの店で食べるカシラのつもりで注文してしまうと碌なことがない。今度こそ間違いのないようにしようという思いを強くしつつ、帰路についたのではあった。

遅ればせながら懐かしい故郷の「七夕祭り」に出遭ったのだ

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世に云う「七夕祭り」は7月7日の筈であり、とうに今年の七夕は終わってしまった筈だと思っていた。だが上州前橋へ故郷帰りしていた本日は、思いがけなく故郷の「七夕祭り」に遭遇したという訳だ。街中に近づくと浴衣姿の男女が目に付く。10代、20代の若い男女カップルに混じって40代以上のカップルや家族連れのほとんどどれもが浴衣姿。こんな光景を目にするやおいらは、此れは前橋市が市益をかけて主催する祭りに違いないと合点していた。案じていたとおりに、市街の中心地では、季節外れの「七夕祭り」が開催されていたという訳なのであった。

市街地に位置する「中央通り」「弁天通り」には夥しい数の屋台が出店していた。こんな光景は祭りの日にしか出遭うことができないのである。地元で育ったおいらにとってみてはとても懐かしい光景である。此のイベントには地元の商店街や学校からの応募作品が展示されていた。前橋一中美術部が出品した鶴の立体作品は見事な出来栄えではあり、特に目に付き思わず注目をして佇んでいた。

介護施設に入居している母に、久しぶりに地元の七夕祭りを見に行こうかと誘ってみたのだが、七夕祭りはもう飽きた、という一言で却下されていた。確かに此の季節の七夕祭りはまんねりであり、新鮮さに欠けている。もう一工夫があれば町興しができるのだろうがもう一歩が足りないという印象だ。

マイク・モラスキー氏による「日本の居酒屋文化」を読む

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青い目をもつアメリカ人のマイク・モラスキー氏が、我が国の居酒屋を巡る文化をテーマに記した文章を纏めた一冊。副題に「赤提灯の魅力を探る」とあるように、パリのカフェ、イギリスのパブ、ドイツのビアガーデンとも異なる、居酒屋独自の魅力を探ることをテーマとしている。

40年もの居酒屋経験を誇る著者だけあって、その内容は外国人による興味半分の随想の域を超えている。何よりも酒が好き、居酒屋が好き、が高じて赤提灯行脚に没頭。訪ねた店は北海道から沖縄の路地裏までの、全国津々浦々にわたっている。アル中ならぬ居酒屋中毒症状に罹患していることを伺わせるに充分ではある。

初めの3章までは「居酒屋学」などと称してカテゴリー分類等、少々固い内容であるが、後半に入るとぐっとくだけて、全国の様々な都市の横丁に潜り込んだ時のエピソードなども記されていて面白く読み進めることができた。