野々村竜太郎という馬鹿兵庫県議の泣き喚きパフォーマンスに関する考察

まるで馬鹿な駄々っ子の泣き真似のような会見模様。この泣き喚いていたのが野々村竜太郎という西宮選出の県会議員なのだそうである。この2~3日、ニュース番組を見れば当パフォーマンスビデオが席巻しているかのごとくである。馬鹿県議の会見パフォーマンスに過ぎないものがこれだけニュースネタとなって飛び交っていることは、当の馬鹿県議も予想だにしなかったに相違ないだろうが、これくらいに馬鹿の壁を目の当たりにするニュースネタはこれまで無かった代物のように思われる。東京都民だから関係ないことではあれ、あまりにも馬鹿げたパフォーマンスには一考の根拠もまた有りということである。通常はこの様な嘘泣きパフォーマンスに関してはある種の意図を感じとるものだが、おいらは今のところ、その意図が計り取れない。それくらいに計算されたパフォーマンスであるはずもなく、まるで馬鹿県議の一人玉砕なのかもしれないと今は分析するしかない。此のニュースネタは海を隔てたヨーロッパ各国にも配信されているという。馬鹿な県議の行状がまるで日本人の馬鹿さ加減を示すようなものではあって欲しくないのは当然だが、どんな国にもこの様な馬鹿の壁的人間は存在するのではあり、日本人の一人としては思いっきり笑い飛ばするのがまともな対応だとも考えるのである。海外にニュース配信されているからといって、此の馬鹿県議が日本人を象徴しているなどということは有り得ないのだ。お笑いタレントの面々としては大きなネタが出来たと見えて、アンガールズの物真似などが脚光を浴びているようである。馬鹿なネタは笑い飛ばすに限るということは真実の一端を示すのであり、もっと面白いお笑いパフォーマンスにも期待が高まっているのだ。ところで、馬鹿県議当人は滑稽至極ながら、当パフォーマンスにおける「言い訳」のあれこれには、多少の知恵を感じさせる。すなわち外部関係者からの入れ知恵といった類の代物の存在だ。記者団からの質問に対する当事者の答えが全く噛み合わなかったことと、外部関係者による入れ知恵の存在は関連付けて考察すべきではある。云いたいことを云うために、すなわち外部関係者からの入れ知恵による発言をするべく、当県議が馬鹿げたパフォーマンスに打って出たのだろうという推察が可能である。