宇都宮美術館にて「パウル・クレー だれにもないしょ。」展が開催

paulklee01paulklee02先日おいらは宇都宮美術館にて開催中の「パウル・クレー だれにもないしょ。」展を訪問したのだった。地方の美術館が主催する企画展としてはとても意欲的なことが、展覧会のタイトルにも見て取れており、訪問しての実感はそれを裏切ることはなかった。おいらが訪問した日は丁度、学芸員によるギャラリートークが有り、おいらもそれに参加すことが出来たのであり、関係者たちの特別な意気込み等も感じ取っていた。(此の稿は続きます)

■宇都宮美術館
〒320-0004
栃木県宇都宮市長岡町1077
TEL:028-643-0100
月曜休館

八王子の佐藤書房で「20世紀のはじまり◯ピカソとクレーの生きた時代」を購入

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地元の古書店にて「20世紀のはじまり◯ピカソとクレーの生きた時代」を発見して思わずに購入。同美術展のカタログを目にして購入したのは何よりも、表紙絵のクレー作「リズミカルな森のラクダ」に魅入ってしまったことからだった。クレーの此の作品は懐かしい遭遇だった。数年前には同展覧会のニュースに接していきたかったが行けなかったというイベント展の図録を目にして迷うことは無かった。帰宅して改めて眺めていたのだが、初めて目にするクレーの作品があふれており、何回、何十回とページをめくっても飽きることが無い。クレー作品ファンとしてのおいらにとっては、貴重な一冊になること間違いない。

購入した地元の古書店「佐藤書房」はおいらも行きつけの店であり、豊富な古書を廉価で販売している。しかも毎日のように店舗前のワゴンセールが開催されて、毎日そのセール品の内容が変わっているのだ。だから毎日のように通っても決して飽きることなど無いのである。

■佐藤書房
東京都八王子市東町12-16
TEL: 042-645-8411

http://satoushobou.sakura.ne.jp/index.html

「パウル・クレー 地中海の旅」にみる旅と創作との関係の絶対性

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近著として発刊された「パウル・クレー 地中海の旅」を読んだ。画家パウル・クレーによる地中海への旅と彼の創造的ビジョンとが密接に絡み合っていたということを、丁寧に検証して纏めたという一冊である。旅とはそもそも画家にとっての創造の源であるということを、具体的なクレーの絵画作品を基に解いていくのであり、古今東西を問わずにクレーの作品に魅せられた人々に、多大な興味を惹起させている。同書の筆者こと新藤信氏は「日本パウル・クレー協会」を設立した、わが国におけるパウル・クレー研究の第一人者であり、其れこそがまたクレー作品のもつ国際性、否それ以上の無国籍的なビジョン、広い意味での思想性を明示させているのだ。古今東西を縦断してこのような評価を得ている作家として、パウル・クレーの存在感を浮かび上がらせる名著である。

スイスで生を受けドイツで思春期を過ごしたクレーが地中海へ旅したことは、彼の制作的背景において極めて重要な要素を有していたことを示している。海のある地中海的世界を旅行したことでクレーは色彩を自分のものにすることができた。イタリアをはじめとしてシチリア、南フランス、チュニジア、エジプトといった地中海世界の文化との邂逅が無ければクレー作品の重要な部分が残されなかったのかもしれないということを、説得力のある検証によって明示させている。生涯にわたり旅への志向を持ち続けたクレーは旅の節目節目で紀行文と呼ぶべき文章を残している。クレーによる旅の途中のエピソードの数々は「日記」として彼自身の記述で記録され残されている。クレーの日記からの抜粋ととともに時々の作品をながめるだけでもクレー世界に引き込まれてしまう。ヨーロッパ圏から遠く離れた日本のファンを魅了してしまうクレーこそは、近代絵画のヒーローの名に値すると云っても過言ではないだろう。

ゲーテによる「イタリア紀行」を愛読していたクレーはまた、ゲーテが旅した軌跡を追体験しながら創作活動に彩りを付加していたのに違いない。地中海への旅によって色彩を自分のものにしたと語っているクレーにとっては、まさに、異国の地との邂逅によって得られた化学反応が創作活動エネルギーとして貫かれていたということを理解させてくれるのである。

パウル・クレーの「子供の領分」と谷川俊太郎の「選ばれた場所」

新潟・福島を襲った豪雨の影響で昨夜から激しい雨が続いていたので、本日は外出することも避けて、アクリル画の制作に没頭していたのだ。2〜3年前から続いている制作意欲を何かのかたちにしたいと考えているのだが、昨年初夏頃のチャンスを逃して以来、具体的な道筋は見えてこない。かといって受動的態度で時を過ごすことも出来ないので、日頃の制作活動の時間は、たとえ少々なりともとるようにしている。

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夕刻を過ぎて雨も上がり、街に出て駅前の古書店を覗いていると、パウル・クレーの「子供の領分」という画集が目に付き衝動的に購入した。1997年に「ニューオータニ美術館」というところで開催されたパウル・クレー展で頒布された展覧会の図録であるようだ。

本年開催されたクレーの「おわらないアトリエ」展の出品作品とはまた違った傾向の作品が収められており、つまりは幼児画的パウル・クレー作品とその創造の背景にスポットが当てられ纏められており、至極興趣をそそられているところだ。幼き時の制作スタイルを常に踏襲しながら、名声を博した後も常に幼児の目線を制作の根本に据えていたクレー師の偉大さは図録を一瞥するだけで漂ってきており、その創造の原点の逞しい息遣いを感じ取らざるを得ないのである。

この図録には谷川俊太郎さんの「選ばれた場所」というポエムが収められている。

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選ばれた場所
谷川俊太郎
そこへゆこうとして
ことばはつまずき
ことばをおいこそうとして
たましいはあえぎ
けれどそのたましいのさきに
かすかなともしびのようなものがみえる
そこへゆこうとして
ゆめはばくはつし
ゆめをつらぬこうとして
くらやみはかがやき
けれどそのくらやみのさきに
まだおおきなあなのようなものがみえる
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夢は爆発し、暗闇は輝き、暗闇の先に大きな穴の様なものが…とうたっている、その俊太郎さんの思いは、今のこの時代における最も今日的な課題に立ち向かっている詩人の魂の言葉であろう。

谷川俊太郎「黄金の魚」の詩を松たか子が朗読

昨日あるきっかけできっか思い出した谷川俊太郎先生の「クレーの絵本」を押入れから探し出して見ているところだ。1995年10月初版発行(おいらの蔵書は99年発行の第12刷)、講談社刊、定価1456円という名著だ。

パウル・クレーの絵画作品に触発されたという俊太郎さんが、自由闊達な詩をつくって、時代を超えて両者がコラボレートを行ったという形態をとって発行されている。安易なコラボ企画本とは一線も二線も画した立派な企画本となっている。云うまでも無いが、おいらの愛読書の中でもトップクラスの一冊である。

表紙画にも採用されているのが「黄金の魚」。簡易な言葉から紡がれた詩の内容には感動の雨霰の心情を禁じ得ない。

―――――以下引用―――――――――――――――
黄金の魚
おおきなさかなはおおきなくちで
ちゅうくらいのさかなをたべ
ちゅうくらいのさかなは
ちいさなさかなをたべ
ちいさなさかなは
もっとちいさな
さかなをたべ
いのちはいのちをいけにえとして
ひかりかがやく
しあわせはふしあわせをやしないとして
はなひらく
どんなよろこびのふかいうみにも
ひとつぶのなみだが
とけていないということはない
―――――引用終了―――――――――――――――

ところで3.11の東北大震災への応援サイトにて、この谷川俊太郎さんの「黄金の魚」の詩が、松たか子さんによる朗読によって公開されているということを知ったのだ。

http://youtu.be/DAv4tFuZl_4

松さんの朗読は凛として清々しく、名詩の存在を重層的に拡散させているかのようだ。丁度、Twitterにおけるリツイートの様だと云えば良いだろうか。とても素直な松たか子さんの声質、仕種が、名詩の魂をビデオメッセージとして拡散させることに強力なエネルギーを得たかのようなのだ。

そしてパウル・クレー、谷川俊太郎、松たか子といった、ジャンルも世代も違うアーティストが本来の意味での「コラボレーション」を実現している。じっくりと松たか子さんの言葉に聞き入っていると、東北震災地の復興にも希望が持てるのではないかと思う。

パウル・クレー「おわらないアトリエ」展が開催

東京国立近代美術館で「パウル・クレー おわらないアトリエ」展が開催されている。

http://klee.exhn.jp/index.html

パウル・クレーという名前はおいらにとって、やはり巨きなものである。例えてみれば、初恋や付き合った人とはちょいと違うタイプでいて、ある種の憧れの存在でもあったが自ら積極的にはアプローチすることも無かった。然しながら憧れであることは否定しがたく、いつかきっかけがあったらお付き合いしてみたい、……、等の人と比喩してみたら良いのだろうか?

ともあれこの展覧会の特徴の一つは、作家(クレー)のアトリエを覗き込むような仕掛けがいくつか施されているということ。作家の代表的、本格的な作品群に触れることとあわせて、受け取るべきエモーションは極めて巨きいものがある。これまで発見することのなかっクレーの制作の原点を、いくつか確認することができたのだ。

その第1点は、素描を大切にして制作の基本においていること。鉛筆やコンテ等によるイメージデッサンの第1歩としての素描の工程を、非常に大事な工程として捉えているのだということだ。

クレー独自の技法とされる「油彩転写」では、下書きとして描かれた素描の筆遣いを一段と強調し絵画化させることに成功している。単なる技法の開拓に止まらずに、彼が描いたタブローの中で占める素描的表現、すなわちクレー自らの技法は、極めて稀なる芸術的な高みへと昇華されたものとして受け取ることが可能である。

そして第2点目に感じ取るのは、小品・中品の作品群で満ち足りているということ。大上段に構えるのではない等身大の作品群とでも云おうか。

現代作家は往々にしてハッタリをかまして自らを巨きく見せようとする傾向があるのだが、現代美術家の大御所としてのクレーの慎ましやかなやり口、志向性には却って尊崇の想いを強くする。ハッタリが幅を利かす世の中だからこそ、そんな現代の似非文化との違いが際立っているということでもあろう。

■パウル・クレー おわらないアトリエ
東京国立近代美術館
2011年5月31日~7月31日
東京都千代田区北の丸公園3-1
03-5777-8600