阿佐ヶ谷から古き良き「ゴールド街」が消えていく

中央沿線沿いの「阿佐ヶ谷」から「ゴールド街」が無くなってしまうというニュースを目にして、慌ててその「ゴールド街」へと向かってみたら、もうそのあたり一帯はもぬけの殻状態に近い様であったので喫驚仰天の心持ちなのである。

阿佐ヶ谷「ゴールド街」と云えば、おいらが10年と少し前に中央線沿いに移り住み着いて以来、幾度となく訪れていた好みの地域である。阿佐ヶ谷駅を降りて東側の信号を渡るとすぐに、その界隈一帯のビルにぶつかっている。そんな足の良さもあってか、あれやこれやの時間帯をその界隈の散策に勤しんだりしていたものである。

ちょっとばかり変てこりんな「葉山房」という居酒屋が在った。店舗内には大きな水槽が設けられており、熱帯魚や金魚みたいな風体をした魚達が泳ぎまくっていた。そんな光景を眺めながらちびりちびりと酒をたしなんでいたものである。だがそんな居酒屋「葉山房」もいつの間にか姿を消していた。つまみを何を食べたとかそんなことはほとんど記憶の埒外に追いやられているが、阿佐ヶ谷を訪れて帰りに立ち寄る場所としては、おいらが最も親しんだスペースであった。そんなスペースが今は無い。

駅から徒歩にして1分未満の場所に位置する2階建てビルであり、耐震構造に問題在るとも思えない。だがJR東日本はここを取り壊して新しいビルに立て直すのだと云う。訪れたビルの2階の店舗街は既に封鎖されていた。風情あるこれまでの「阿佐ヶ谷ゴールド街」は、どこにでもあるようなJR駅中のビルへと様変わりしてしまうのだ。残念至極なり。

古い歴史的建造物は人々の歴史を感じさせるが、新しい駅ビルはただ貪欲な功利主義の欲にまみれふざけ切った出店企業の営利活動の排出物を受け取るばかりであり、それ以上の風情のかけらも無い。

 おいらも旨い酒など求めて一献傾けるつもりで阿佐ヶ谷に立ち寄ったのだが、望みも叶わぬまま再びの中央線ホームから乗車し帰路についていた。全くもって徒労の時間だったのである。

御徒町「喜楽」で野趣溢れるどじょうを喰らう

どじょうと云えば近頃は、大衆居酒屋にとんと目につかなくなった。地元店でもずっと品切れだったのが、ついにメニューからも消えてしまった。

江戸の時代からずっとこのかた大衆料理の味覚の代表格だったはずのどじょうがいつの間にか希少な食材となっていたという訳だ。そんなとき、御徒町ガード下にどじょうの専門店があると聞き出かけてみたのだ。

ガード下の「喜楽」という其の店はとても狭く、カウンターと小さなテーブルが3つ、10人と少しで満員になってしまうくらいだが、永い時の印を静かに刻んでいた。名店の名に相応しいと云えるだろう。

同店でどじょう(「どぜう」と表記している)のメニューは二つある。定番の「柳川鍋」と「丸煮」。迷わず「丸煮」を注文した。まるごと沢山のどじょうを牛蒡、豆腐、葱、蒟蒻等々とともに醤油ベースの特製たれで丸ごと煮込んだというシンプルな料理だった。

箸で中を掬ってみれば小ぶりだが沢山のどじょうが見つかった。丸ごとどじょうの骨を噛んだ。洗練された料理ではないから泥くささ、土くささも匂うくらいだが、却ってそれが喉に心地よいくらいだ。野趣溢れる料理というのはこういうものを云うのだ。

リニューアルした新宿思い出横丁の「つるかめ食堂」を訪れ唖然

新宿思い出横丁の「つるかめ食堂」がリニューアルしたと聞いて訪ねてみた。

ところがどっこい期待とは裏腹に、久しぶりに暖簾とやらを潜って入ってみた新制「つるかめ食堂」は、小ぎれいにすっきりしたものの、かつてのつるかめらしさがまるで無くなってしまい、いとがっかり。何と云うこの不条理な光景なのかと、しばし唖然としていたくらいであった。

まずは「コの字型」のカウンターが無い。客(ほとんどが飲みに来客する呑兵衛たちだが)が店舗の人間と向かい合い、注文やら世間話やらを談笑していた空気はそこには無くなっていた。1階の敷地面積は変わっていないはずだが、ゆったりして小ぎれいになっただけで、店舗は狭く感じられた。

客層のことを述べる前に、客足は少ない。おいらが居た時間帯に出入りしていた客は10名に満たなかった。通りすがりと思しき4~5人の客が丼や定食やらに箸を付けて飯を食らっていた光景に遭遇し、時の流れのうつろいを淋しく感じていた。つまりはその場所は、かつてあった呑兵衛たちの憩いの場所とは様変わりしていたのである。

同店の名物「そい丼」を注文した。大豆が主役の丼であり、ひき肉と共にカレー味で煮込まれた具が御飯にのっている。そして隠れた主役がハムであり、この昭和的ハムの風合いが何とも云えない郷愁をそそる。味噌汁付きで、昭和の頃の食生活のままかのごとき500円と云う安さにも、回顧の気分をそそらせる。確かにそそらせたのだったが、かつてのあの元気だった頃の「そい丼」とはどこか違っていた。「バカはうまいよ」の幟が無くなっていたし、それより以上に、当時の調理していた人たちが亡くなってしまっていた。利口な人間にはうまいのか? 不味いのか? そんな突っ込みを受け止めてくれる人達が居なくなってしまったのだから淋しさもひとしおに積み上げられていくかのようだ。

かつては「つるかめ食堂」といえば思い出横丁のへそとも称されシンボル的存在だったが、今は違っていた。他の店舗は昭和の風情を残しているのに、この店ばかりがリニューアルして、得たものは何だったのだろうかと考えた。もしかして同店主は横並び的店舗のスタイルから脱皮しようしてリニューアルを敢行したのだろうかと? だがそんな試みはもろくも崩れ去ってしまったと云うことが見て取れるのだ。

2階も無くなっていた。仮店舗としての許可しか出なかったと云うのが理由らしいことを知った。2階が食堂として機能していた頃には、おいらは何回もその場所で遅い夕食を摂っていた。会社の同僚とはそこで一緒に食事と酒を摂っては会社や社会への愚痴や批判を口にしていた。そしてそんな愚痴や批判を「つるかめ食堂」の店舗の人達や店舗の壁や柱やその他諸々の空域の全てに吸収してもらっていたという気持ちを強く持っていた。そんな特別な場所空間が、小ぎれいな食堂にリニューアルしていたのを見ては、残念に思うしかないのである。

■つるかめ食堂
東京都新宿区西新宿1-2-7

西荻窪南口は、居酒屋「戎」の縄張りだった

西荻窪駅の南口という地帯一帯は実はおいらにとっての鬼門であった。そのむかし、西荻窪駅近くの「ほびっと村」にて写真展を行なった際、打ち上げ二次会パーティーをこの辺りのどこかの店で行なったのだが、その日その時間での小便タイムで場所を離れたのが最後で、二次会会場の店には戻ることが出来ずに慌てふためいていた。そしてついにはそのまま駅に辿り着いて中央線に飛び乗り、当時の我が家のある武蔵小金井まで帰ることになっていた。二次会会場には大量の酒等の贈答品物を詰め込んだバッグを置き去りにしてきたため気になってはいたのだった。なんとその置き去りにした忘れ物を、20数年ぶりに高校の同窓会で再会したばかりの同窓生が届けてもらいいたく感激していたというほろ苦い記憶が心の片隅にこびり付いて離れることが無い。行きはよいよい、帰りは怖いの、云わば鬼門的とおりゃんせ通りとおいらの胸中では呼ばれていて、長く近づくことは御法度となっていた。

さてそのような鬼門的界隈に何故足が向かったのかは判らないが、西荻窪駅を降りて少々右に行った界隈一角は、まるで「戎」の看板が何軒もの軒先にかけられてあり、云わば此処が「戎」の縄張りであることを知らしめされたのだった。人が肩をぶつけ合いそうなくらいに狭い通行路地の左右を挟んで4〜5軒の「戎」の店舗が、それも昔ながらの屋台店舗風の出で立ちで立ち並んでいたのである。

炭火を焼く串焼き屋台風店舗の暖簾をくぐると、中のカウンター席は相変わらずにむしむしとして暑苦しかったのだが、プーンと香る焼き物の香りに魅了されてもいたのだった。

豚の串焼きを頼んでビールで(ここはホッピーが置いていないのが最大の欠点なのだ)一服の喉を潤した後、「レンコン肉詰め」「ピーマン肉詰め」を注文。レンコンは塩で、ピーマンはたれでという店主らしき親爺のおすすめの通りに注文していた。生ではカサカサのレンコンが炭火で焼かれてジューシーな味わいになり、口に運ばれていた。レンコンの穴に程よく詰まっていた豚ひき肉の出汁がよくレンコンの身に絡まっていて美味であった。ピーマンの方は云わば普通の焼き物であった。おすすめのたれが良かったのか否かは判断が尽きかねているところだ。

王子の「飛鳥山」&「平澤かまぼこ」を探訪

先日、町田康氏の「東京飄然」を読書していたら、王子の町の飛鳥山公園やその周辺のことなどがぼろくそに書かれていて気になって気になって仕方がなかった。いつしか自然と足が北区王子方面へと向かっていたのも故あることなり。王子周辺と云えば、かつておいらの生活エリアだった大塚から、都電荒川線にて繋がれていて格好の散策エリアであった界隈である。それをパンク作家の兄ちゃんだかがたかだか1回くらい、飄然として訪れて「失敗だった」と決め付けていたことにはとても釈然としないものを感じていたのだ。たかが公園の料理屋でうどんを食べて店員その他に冷たくされたとしても、或いは黙殺されて虫の居所が悪かったとしても、その旅が「失敗だった」と書き記すことの大人気なさを当のパンク氏はどのように捉えているのか? 考えるたびに益々解せない思いは強まってくる。いっその事現場に出向いて解析しようかという英断に突き当たったという訳だ、たぶん。

王子の飛鳥山は春の桜の花見時期以外はそう来園者も多くなく、児童公園には過去の栄光を無理して形にしたような「SL(D51)」やら「王子電車(荒川線の前身)」やらがまるで主役のような風体でドーンと立ち並んでいるのを見れば、ある種の子供騙し的プレイスだという感は拭えないだろう。そうかといってこの都内で最低標高の山の憩いの里的要素も漂ってくる。今年に入って都内で初めて蝉の声の合唱曲を聴いた気分になったし、或いは小高い山から都会の光景を俯瞰してみる様も、この場所ならではの特別な代物ではある。ただ単に1回の思い付きの飄然旅行の作家の目は恐らく節穴であったという結論が導き出されることになるだろう。

飛鳥山を降りて王子駅に向かう途中には「平澤かまぼこ」という立ち飲み名物おでん屋があり、地域の呑兵衛たちの憩いの場となっている。隣に立っていた初老カップルは映画関係者なのだろう、盛んにお勧め映画の講評等を口にしていて耳障りではあった。それでもそんな初老的団塊世代の胃袋の充溢や社交の場としてのプレイスが存在していることにある種の畏れの気分を抱かざるを得なかったというべきだろう。町田康はまだまだ甘ったるいし大人になりきれていないのだろうなぁ。

骨まで食べられる「氷下魚」を肴に一献なのだ

氷の下にいる魚だから「氷下魚」と呼ぶのだが、春にも夏にも食される。
多くは北海道の海から捕獲され、干物として全国に出回っている。

今日食したのは頭が落とされている7~8cmのもの。含めた頭を体長は10cm程度と想像される。氷の下で生きていた魚類の特徴なのかは知らぬが、骨は柔らかく、そのままに口にして噛み切れるほどだ。

昔よく足を運んだ豊島区大塚の北海道居酒屋では、30cmはあろうかという大降りの氷下魚の干物が振舞われていた。このくらいに大きいものでは体躯も硬い様でいて、火で炙る前には、木槌でポカンポカンと身を打ち落として、それから炭火に乗せていたものである。とても手がかかるが、それだけ口に含めたときには味わいが見事なのだった。

タラの仲間であるが、成魚としてもタラよりは小振りで、そのために骨も柔らかい。白身魚の代表格ことタラと同様の旨みに加えて、天然魚類のカルシウムも味わえるのだから、ことは我々人間にとっては有難いことこの上ないのだ。感謝しつつ箸を交わしていた次第なり候。

今日の氷下魚は小振りではあったが、氷下魚独特の風味や触感が味わえていと満足なのでありました。

鐘ヶ淵、酎ハイ街道の「和楽」にてほろ酔い

浅草と北千住を結ぶ東武伊勢崎線沿いの「鐘ヶ淵」には、鐘ヶ淵通り、別名で通称「酎ハイ街道」と呼ばれる呑兵衛御用達の通りがある。昨日はそこの「和楽」という店をぶらりと訪れて、一献傾けたのだった。

小さな私鉄駅を降りて5分程度あるくとその場所に行き当たる。右手には今や下町のシンボルとなりし「スカイツリー」がそびえている。

「和楽」はその地で最も親しまれてきた老舗の居酒屋である。カウンターに10人も並べばいっぱいになるくらいの小さな店だが、50年もの間暖簾を出し続けてきた。

店の看板には「奥様公認」とある。果たしてどういう意味なのか? この店では決して浮気はありませんよということならば、今時の「出会い系居酒屋」の正反対のスタンスをとっている古き良き居酒屋だということになるし、あるいはまた、浪費はさせないお安い店だということで、奥様の財布の味方であることをアピールしたのかもしれない。マスターにそのことを訊ねていないので、真実は定かではない。

さてここの一押しは「和楽ハイボール」だが、通常のウイスキーで割るのではなく、本格麦焼酎を炭酸で割るというスタイルだ。まずはジョッキに冷えた炭酸を客が自ら注ぎ込む。そして本格麦焼酎をお好みで足して割るというシステムで、客は自分のハイボールを作っていく。

琥珀色した本格麦焼酎はとてもまろやかで口当たりが良く、喉越し爽快である。しかも呑み応えも充分に胃袋にも染み込んで来る。「おかわり」の一言が、いとも自然に発せられていく。

つまみは「煮込み」と「まぐろのぶつ切り」を注文。刺身でなくともまぐろはぴちぴちとして新鮮であり、たらふく箸を重ねていた。

酔い心地も爽やかに杯を重ねたが、店を出て数分歩くと酔いが回っていた。ふらふらになっていつの間にか普段の適量のアルコール量をオーバーしていたことに気付くのも、いささか遅かったのでありました。

時空の交錯するワンダーランド、吉祥寺の「ハーモニカ横丁」を探訪

吉祥寺駅から北口に降りてすぐのところに「ハーモニカ横丁」という狭い横丁の路地裏街が存在している。人が行き交えば肩が触れそうなくらいに狭い路地に足を踏み入れれば、其処はまるで、時がさかのぼってしまった過去の商業空間か、或いは過去と現在とが交錯したワンダーランドのような光景に遭遇する。古き時代の商店街の面影が漂っているとともに、まったく現代的な光景がその中で息づいているのだから不思議だ。

入口近くの魚屋には、活きの良い鮮魚が薄暗い路地裏の光の中で飛び跳ねていた。鮟鱇の内臓の切り身があったり、刺身用の深海魚が並んでいたりと、普段の商店街の魚屋とは異質であり、魚の顔を眺めているだけでも興味は尽きないのだ。

路地をもう少し行くと、小さなギャラリーの入口が目に入る。手作り小物の販売を兼ねたミニギャラリーであり、狭い階段を登るたびに新たな出逢いに時めいてしまいそうだ。入口のアピールの仕方もなかなかキュートな趣を感じさせる。

そして一巡して立ち寄ったところが、「のれん小路」の中の小さな小さな居酒屋であった。その昔、おいらが高田渡さんと吉祥寺で出逢ったその日に、この小路の居酒屋にて一献交わした想い出の場所である。

今回改めて暖簾をくぐった店内は、結構今風な装いに彩られていたのであり、新しい吉祥寺の顔と云ってもよいくらいなものだった。そこで食した幾つかのつまみの中で、「紅芯大根の浅漬け」には驚かされた。紅芯大根という種類の大根があることさえその時知ったことや、独特のえぐみが強かったことやら、居酒屋メニューの常識を覆すくらいのインパクトだったのである。けっして美味しい食べ物ではなくてしかも心を動かすというのだから、相当な曲者だと思われる。

こんなメニューをさらりと提供して呑兵衛の気を引く。さすがに高田渡さんが愛した横丁だけのことはあったのである。

なぎら健壱さんの「夕べもここにいた!」は正しい呑兵衛の手引書なり

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正しい呑兵衛の為の手引書として手元に置いておきたい1冊なり。類書に太田和彦氏の著書等が挙げられようが、どうも彼の書いたものはお高く留まっていていけ好かない。「まったりとして至高の味わいが」云々といった表現は流石に見つからないが、似た様なお説教臭さがぷんぷんと漂っている。何も居酒屋へ飲みに行った先で、海原雄山の講釈など聞きたいとも思わないのだ。

その点、なぎらさんによる同書の方は、講釈臭さが全く無く、純粋に酒とつまみと場所を愛し、呑み仲間との交流を楽しむ精神が満ちている。何しろ懐具合の心配もする必要が無いくらいに安価な店をセレクトしているのだから、普段着気分の好奇心で立ち寄るのにとても便利なのだ。吉祥寺「いせや」をはじめ、行きつけの店が何軒かあるが、まだ知らない処も多い。同書片手にこれから出向いていきたいものである。

ちなみに同書の表紙写真の場所というのが、先日「ハッピー★ホッピー」のライブ鑑賞で訪れた北千住の「虎や」である。お店を借り切っての撮影だったと想像されるが、立ち飲み居酒屋の場になぎらさんは程よく馴染んでおり、微笑ましいくらいだ。

北千住立ち飲み居酒屋「虎や」の「ハッピー★ホッピー」リカさんのクリスマスソングに天晴!

昨日は久々に訪れた北千住の街の居酒屋「虎や」にて、「ハッピー★ホッピー」リカさんのライブが開催されていたので行ってきたのでした。

「ハッピー★ホッピー」を結成する前にはジャズシンガーとして活躍していたリカさんの、取って置きのナンバーを心いくまでに堪能することが出来た、近頃には無かった体験なのでありました。おいらはクリスマスソングとやらには不案内であるが、ジャズやブルースのクリスマスソングの古典的楽曲を高らかに歌い上げていたリカさんには、天晴の一言であった。お陰で一足早いクリスマス気分を味わうことが出来たのでありました。

ライブの途中から合流した「ハッピー★ホッピー」あきひさ氏も、最終ステージではライブに飛び入り参加していて、アンコール曲は「ハッピー★ホッピー」のオリジナル曲となったのでした。やはり〆の曲はこれに限るなと思った。

北千住の「虎や」という店舗は、北千住駅西口を左手に降りて行くと、居酒屋が割拠する地域へ出食わすのだが、北千住の「虎や」という店舗は、そんな地域の居酒屋割拠ルートを少し歩いて辿り着く。お勧めメニューなどをHPにて配信しており、地元の飲兵衛たちの拠点でもあるようなのだ。この日はおでんの盛り合わせなどを頬張りながらライブに参加していた。とてもグッドな体験であった。

おいらの住居からはかなり遠いのだが、たまには訪れて一献傾けたいという居酒屋なのであったのです。ちなみにフォークの評論家として名声を博しているなぎら健壱さんもこの虎やの常連客なのだという。

■虎や (とらや)
TEL 03-3870-7998
東京都足立区千住1-39-8 トキワビル 1F