藤原新也「渋谷」少女たちの世界観

藤原新也さんの「渋谷」を読了した。

この本に登場する人物は多くない。主に3人の少女と、写真家藤原新也さんとの交流にスポットが当てられており、それ以外の人物や事象については、たぶん意識的にであろう、あえて脇役の役をあてがえられている。3名の少女にスポットを当てた新也さんの想い入れは相当なものだったろうと推察されるのである。

おいらがルポライターとして、渋谷あるいは青山、六本木、原宿、等々の街中に行き交う少女たちを取材・執筆していたのは、かれこれ20年近くの時を隔てたときであった。当時の少女たちはと云えば、軽々しく高校中退を語って自らを主張していたり、あるいはメディアにはびこる軽薄な語彙を身にまとっては、自らをアピールしていた。そんな現象をおいらは「メディアキッズ」と称しながらの、取材体験が続いていたのだ。

「高校生の崩壊」(双葉社)という1冊にまとめたそのドキュメントは、教育の現場における「崩壊」をテーマとしていた初めての書籍である。その嚆矢となるべき1冊であった。良い意味での軽さ、織田作之助流のいわゆる軽佻浮薄さを、おいらは好意的に受け止めて、レポートを書いていたという記憶を持っている。だが確実に、「渋谷」の登場人物たちは変貌を遂げたのだろう。藤原さんでなければ決して表現・証言し得なかったであろうやり取りを目にする度に、渋谷は大変な事態に突入しているであろうことを想うのである。

広瀬川白く流れたり〔萩原朔太郎より〕

亡き妻が眠る公園墓地を訪れた後、前橋文学館へ立ち寄った。あいにく年末年始の休館中であり中に入ることはできなかったが、久しぶりに広瀬川沿いの歩道を歩いたとき、とても懐かしくほっとした気分になれたのだ。

おいらは幼少期のころをこの川沿いの借家で過ごしたことなど、夢かうつつか思い浮かべているのである。広瀬川を望む風景こそおいらの原風景なのではないかと、密かに想っているところなのである。

前橋の街中を白く流れる広瀬川。

前橋の街中を白く流れる広瀬川。

広瀬川

広瀬川白く流れたり
時さればみな幻想は消えゆかん。
われの生涯(らいふ)を釣らんとして
過去の日川辺に糸をたれしが
ああかの幸福は遠きにすぎさり
ちいさき魚は眼にもとまらず。

吾が国における現代詩の巨匠こと萩原朔太郎さんは、このように郷愁の想いとともに広瀬川を謳っている。この傑作詩により、前橋に流れる広瀬川は、仙台の広瀬川以上に詩情豊かな趣きをたたえているのだ。

前橋文学館の前では萩原朔太郎の彫像がむかえてくれる。

前橋文学館の前では萩原朔太郎の彫像がむかえてくれる。

広瀬川に向かって佇む前橋文学館は、萩原朔太郎をはじめ郷土前橋にゆかりのある文学者たちの自筆原稿、日記、手紙、等々貴重な資料が収められている。何度たずねても飽きることが無く、時々思いだしては足が向かうという場所なのだ。

資本主義の安っぽい最終楽園(藤原新也讃)

故郷に帰省している。

ごくごく個人的で恥ずかしい話であるが、今朝起きて、藤原新也の「渋谷」を置き忘れていたことに気付いた。ほろ酔い散策の失態であり珍しいことではない。帰省の電車で読み進めるつもりでいたが、当てが外れてしまった。置き忘れた場所は見当がついてはいるが、何よりも時間が惜しくなり、地元の一大ショッピングモールにある紀伊国屋書店を訪ねて同書を再購入した次第なり。

昨日読んだところを記憶で辿りつつ、いま一度再確認する。藤原新也さん原作の映画「渋谷」の予告編ムービーにて表出された、印象的なシーンが、この本の冒頭にて、同様のシーンとして記述されている。原作のメインとなるのがここかと合点。出し惜しみしない原作者の心意気だろうか。第2章「仮面の朝と復讐の夜」では、紫染みた実験的な写真の数々とともに、1章を要約したともとれる文章が踊っている。実験的な写真については新也さん自らがあるインタビューで解説していた。渋谷に生きる少女が見た色を失った風景を表現したような…。(出典データを確認できないのです)

資本主義の安っぽい最終楽園というべき街をなぜかいとうしいと思う俺

写真とは別のページにて要約されたこの言葉は、にわかには肯定しがたいものではあったが、おいらの心にズドンと一発の爆弾を落としていた。それは例えば、おいらの故郷の大先輩である萩原朔太郎先生の詩に接したときの気持ちにも似たものであった。朔太郎先生は、田舎を拒絶することにより、教科書にも載っているかの有名な詩を書いていた。「わたしはいつも都会をもとめる」と。

新宿ゴールデン街を巡る

たどり着いたのは、ゴールデン街の昔行きつけの店。

たどり着いたのは、ゴールデン街の昔行きつけの店。

昼ごろにボランチなるものを摂った後、何の気なしに新宿のガイドブックを手に取っていた。そして自然と足が新宿へと向かっていたのです。普段は通勤列車で通り過ぎる場所である。

まずは西口「ヨドバシカメラ」へ。先日購入したオリンパスペン用の予備バッテリーを買うためなり。西口散策も久しぶりで、帰郷者が群れ成す大型バスの発着拠点に出くわした。慌しく行きかいしている様を見ながら、おいらも明日は故郷に帰ろうと決めた。

思い出横丁を通り過ぎて東口へと移動する。もの凄い人ごみの中をかき分けて歌舞伎町の入り口にたどり着いた。歌舞伎町の門を潜ると日本人が大好きだという坂本竜馬さんの肖像写真が大きく貼られた、某立ち呑み屋が目に入った。まだ4時前だというのに営業していたので、久々の昼酒にありつくことになった。大サービス品のまぐろは未入荷とあって、仕方なくどこにもありそうな串揚げを注文することになる。数十分の時間をつぶして坂本さんの門を出た。ほろ酔い気分のおいらは、いつの間にか、昔に足繁く通っていたゴールデン街にたどり着いていた。まだ陽は落ちず明るかったが、馴染みだった店の門をたたいた。

「すいません。5時からなんですが‥」

というマスターの声。

「こんにちは。お久しぶり‥」

と、挨拶しつつ店に入ると、昔懐かしのマスターの顔があった。開店時前だというのに店内に入れてもらい、ハートランドのビールでちびりちびり。薄暗いランプの照明で、購入したばかりの「渋谷」(藤原新也著)を読んでいた。

「5時から女の子が入りますからね」

話を聞いていくうちに、若いキュートな女の子たちが切り盛りするお店にと成り変っていたのを知る。流石においらもびっくり仰天したものであった。そしてそう長くは無い時間をすごしてその店を出たのであった。お勘定は、以前に通っていたころに比べて格段に高くなったていた。このデフレのご時世にである。

新宿は、いつでも人を呑み尽くしている。そんなパワーを持った街だ。

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藤原新也原作映画「渋谷」が1月公開

 

藤原新也のファンであることを公言したにもかかわらず、おいらはまだ、あまり新也さんのことを知らないことに気付いた。未だ読んでない本が何冊もあるし、過去に「印度放浪」「逍遥遊記」に接したときの圧倒的な、魂を震わすような衝撃は、時と共に薄れてしまった。この稀有なアーティストと時代を共にしていることの有難さを、大切にしなければいけないと本日は真面目に考えたのでした。

そして本日買い求めたのが「渋谷」という一冊なり。同名の、というより新也さんが原作者としての映画「渋谷」が、1月9日から渋谷「ユーロスペース」という映画館にて公開されるという。新也作品の「待望の初映画化」と公式サイトには踊っている。

http://shibuya-movie.under.jp/

余談だが、YouTubeから動画の埋め込みをはじめて行なった。以前にもチャレンジしたが、簡単なことを見落としていたばかりに失敗していたのだ。おいらのブログテクも1ミリ進歩しました。

銀座の裏通り散歩

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中央区銀座の、表通りではなく裏通りを散歩するのが好きである。本日はまだ仕事で、銀座に出向くことになったのだが、週末の裏町銀座は、平日に見るその光景とは様相を異にしていて興味深いものがある。

平日の銀座界隈といえば主に、中国系、欧米系の外国人の集団が闊歩する姿が目に付き、それはそれでまた定点観測の対象として面白いのであるが、それらとは違って、日本人の老若男女の多種多彩なる風貌に接する銀座散歩は、また一段と楽しいものである。

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藤原新也「黄泉の犬」を読む〔3〕

 

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センセーショナルな新也さんの一枚。この撮影の舞台裏を「黄泉の犬」で明かしているが、ネタ晴らしになるのでそれには触れないことにする。

藤原新也の「黄泉の犬」を読了した。これまでに読んだ彼のどの書よりも能弁であり、饒舌である。ときに雄弁家の本だと感じさせる程の、滑らかで情熱的なスピーチを聴いている気分にさせてしまうくらいだ。

ときに彼の本はといえば、その韜晦な筆致によって、おいらを含めたファンによって支持されていたはずである。だが何なのだろう? この隔たりに感じる思いは?

古今東西、芸術家は誰しもが多面的な資質を持ち合わせているものである。新也さんの場合もこれにもれないケースのひとつなのだろう。そにしても、これほどオープンな、過去の彼自身の著作の裏側をもあらわにしてしまうような潔さ。

彼はこのレポートを、大手出版社の大衆雑誌「週刊プレイボーイ」に選んだのだという。大衆的な読者に対して、彼の云いたかった、メッセージしたかったことは、ほとんど漏らすことなきく表現されていると云ってよいのだろう。まだまだ藤原新也は変わり続ける。そして成長し続けているのである。天晴れ!

「甘海老磯辺揚げ」を食して思うこと

ありそうでいてなかったメニューなり。

ありそうでいてなかったメニューなり。

クリスマスイブだというのに心と体はいつになく沈んだまま、1日を過ごしてしまった。昼休み時に外を歩くと悪寒が走った。これはやばい。午後は上着を脱ぐこともなく、机で伏していたような様である。同僚の未来のIT長者は「ジャケット脱がないんですか?」と、妙な質問を投げかけたくらいである。その未来のIT長者はと云えば、1歳のベビーを囲んで一家団欒のホームパーティーを催すのだろう。「これから銀座で、クリスマスケーキを買って帰ります」とルンルンなり。

さておいらは、今宵もまた某居酒屋にて、一服ならぬ一酔を決め込んできたという訳なのでありました。注文した数品の中で、「甘海老磯辺揚げ」というメニューは、近頃になくヒットであった。甘海老を丸ごと殻付きのまま、薄い衣をまぶして揚げたものだ。甘海老の殻というのは揚げてみれば、子供の歯でも難なく噛み下せるものであり、丸ごと食べられるのである。この殻を捨てるなぞもったいないこと甚だしいのだ。そういえばかつて、寮美千子さんのご自宅に呼ばれてホームパーティーをやったとき、甘海老の刺身を食したその後で、残りの「殻」を揚げて出してもらったことなど思い出した。サクサクと香ばしいその「殻」は天然カルシウムの宝庫である。そんな料理を振る舞う寮さんのセンスに脱帽したものであった。

毎年暮れから新年にかけて、旧知の友人たちとホームパーティーを催す慣わしだが、今年は某アキン邸にて新年会が決定した。何か心浮くような料理をお見せしたいと目論んでいるところなり。今から楽しみなのである。

いつもより早い年賀状を書いた

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毎年毎年、年賀状を出すのは25日を過ぎて大晦日間際と相場が決まっていたのだが、今年はちょうど良い休日があったので、早々と年賀状作りに取り組むことができたのでした。

とはいっても一寸した問題発生。このところ数ヶ月使っていなかったプリンタを動かしたところ、印刷途中からイエローインクが切れてしまい、赤青調のへんてこりんな年賀状となってしまったのだ。最初の見本刷りでは調子良かったんだが、数十枚印刷している途中から色味が変わってしまったものなり。インク切れの警告を無視した失態であります。

へんてこりんな色味の年賀状は誰に出そうなどと思案しながら、表の住所を書き終えた。色に拘りなさそうな人や色おんちの人に、外れはがきの宛名書きである。これから町に出て交換インクを買ってこよう。

藤原新也「黄泉の犬」を読む〔2〕

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昨日「薄っぺらい」と書いていたこと、本日は藤原新也さんの本を読んでいたら、「スカスカ」という言葉がえらい勢いで表現されている。こちらの方が妥当であると思い、これからは「スカスカ」という表記に変えようかと思ったのです。

閑話休題である。

藤原新也という凄い人を、おいらは過去に一度だけ、じかに触れたことがあった。それは確か「ノアノア」という、藤原さんのドローイングをまとめた書籍が出版された頃のことである。詳細はまたまた思い出せないのだが、90年代のある時期ということにてご勘弁願いたい。

「メメント・モリ」をはじめとする藤原さんの著書には事細かに目を通していた当時のおいらであった。そして、彼が個展を開くという情報を目にして、そのたしか銀座のある画廊へと足を運んでいたのでした。銀座の画廊はといえば、おしなべて広くない。すなわち作品やら作家やら、オーディエンスやらが、狭い空間に密集してしまうものなのであるが、そこに居た藤原さんの確固たる存在感には圧倒されたのだ。大きなキャンバスをその画廊に広げて、藤原さんは筆を走らせていたのです。じっくりとキャンバスを睨む彼の目線はその途中に入り込むことさえできないくらいにとても光っていた。おいらは大好きな藤原さんに交わす言葉もなく、その場を味わいつつ後にしたのであった。そんなことをある美術出版関係者に話したところ、「ああ、インスタレーションだね」という、あっけない答えが返ってきた。「うーむ」。おいらは次の句を継ぐことさえできなかったのである。

「黄泉の犬」の第2章を読み進めていくに連れ、そんな情景が頭を過ぎって離れなくなってしまったので、ついつい書き記してみたかったという次第なりなのです。今宵は「黄泉の犬」の細部には立ち入りたくないような、いささか個人的な気分にてキーボードを走らせているのです。

ところで全く別なブログに関する話題です。ブログの巨匠ことかもめさんが、オリンパスの一眼レフデジタルを買って、盛んに魅力的な作品アップをしていますので、紹介しておきますです。藤原さんがかつて愛用していたと同じ「オリンパス」のカメラを使い、その手さぐり的な手法が瓜二つなのではないかと思ったなり。

http://blog.goo.ne.jp/kakattekonnkai_2006/

翻って想えば、おいらもまたオリンパスの「OM1」なる機種を父親から譲り受けて使っていたことがあったのです。一眼レフカメラでいながらコンパクトであり、レンズの描写力もまた一流である。そうしたことからの愛用機種であった。

藤原新也「黄泉の犬」を読む〔1〕

オウムのほかに、「旅」もまたテーマだと思われる。

オウムのほかに、「旅」もまたテーマだと思われる。

一昨日の日記に対するコメントで、mimiさんが藤原新也さんの「黄泉の犬」を推薦してくれていたので、ネットで調べてみたところ、つい先日にはその文庫本が発売されたばかりであることを知る。初本の単行本発行が2006年10月であるから、3年2ヶ月ばかりを経ての文庫本化ということになる。それ自体は少しも驚くことなどない。早速、銀座コアという銀座5丁目に聳えるビル内の書店にて購入する。そして帰宅途中の電車内にて読み進めていたと言う訳である。

一読して、ぐいぐいと引き込まれるのである。テーマがオウム真理教に関わる類いのノンフィクション(というか、おいらが好きな言葉で云えば「ルポルタージュ」なり)であることに、二重の意外性を覚えつつページをめくった。第一章「メビウスの海」を読み進めつつ確信するに、これは紛うことなき一流のルポルタージュである。

冒頭のテーマがオウム真理教に関連するのであるから、作者も読者も、また間を取り持つ編集者たちも身構えているのだろうことは容易に察しがつく。さらには、麻原しょうこうの実兄へ、身一つでの突撃取材を試みたりするのだから、話題性も衝撃度も充分である。

思うに、我が国の現役ルポライター(これは和製英語であるからにして、おいらの好きな言葉なり)の誰が、この藤原新也の、ぐいぐい引き込んでいく筆致なりで感動を与える作品を書き得たであろうか? 例えてみれば、一時期は「ニュージャーナリズム」の旗手などとも持て囃されていた吉岡忍の作品のどこが、この一冊に匹敵するくらいのインパクトを与え得るものであったかを問えば、おいらの答えは決まっているのである。所詮、吉岡忍などの書いたものなど取るに足らないものであると。

余談であるがその昔、知ったかぶりの後輩が吉岡忍を称して「ニュージヤーナリズム」を云々した挙句に、「小林さんも読んだほうが良いですよ」と、アドバイスまでしてくれた。そして読んだらもう、その薄っぺらさに呆然としたことなど、蘇って思い出すなり。

という訳にて、今宵のおいらは、第一章「メビウスの海」(p87)までを読み終えると、文庫本を外套のポケットに仕舞い、いつもの行きつけの居酒屋に駆け込んだのでありました。そして酔っ払って帰ってから、本の表紙などスキャニングして、結構大儀な作業なのでありました。

第2章「黄泉の犬」からは、明日以降また気合を入れて読み進めていく覚悟なのです。

ロールキャベツ(イタリア風)

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昨晩放映されていた某テレビ番組では、石田純一がイタリア風ミートボールを作っていたのですが、それを見て無性にイタリアンな料理など作ってみたくなったのでありました。

肉食系の石田純一に対抗して、同じような肉料理を作るのもも大人げないことなので、ここはベジタリアンも納得させるものをと、イタリア風ロールキャベツを、久々作ってみたのです。

ことことトマトソースで煮込むこと20分、まろやかに煮込まれた、トマト仕立てのロールキャベツの完成です。ほっこりと美味しかったのでした。

藤原新也の21世紀エディション「メメント・モリ」

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藤原新也というア-ティストは凄い人である。漆黒の闇を写し取ることの出来る稀有なアーティストなのである。

もはや古いニュースなのであるが、昨年の冬に、彼の代表作「メメント・モリ」の新バージョンが発行された。「21世紀エディション」と帯文に記された当書は、あまり注目されることも無く、ひっそりと書店に並んでいた名著である。

「メメント・モリ」-何度この言葉をつぶやいたことだろうか。すべて思春期に遭遇した藤原新也さんの一冊に依っている。彼岸の国から響いてくる言葉とともに、現代へワープしたかのごとくに写る風景写真のかずかずに、今更ながらに心惹き込まれている。いささかなさけな話であるが、心が癒されたいときなどこの本を開いてみずから慰めていることなど多し。特別なる一冊也。

「α(アルファ)ブロガー」に関する一考察

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先日「アルファブロガー」(翔泳社刊)というアマゾンで注文した書籍が届き、2~3日前から読んでいる。かつてはもしおいらの記憶が確かならば、「みどり企画の掲示板」にも書き込みしていた、田中宏和なる人物が、「『1Q84』村上春樹の世界」というムック本では「αブロガー」と紹介されていたので、それを目にして以来おいらは、「αブロガー」に対する興味関心が高じていたのであった。

その書籍には、「Best Eleven!」なる11名の「αブロガー」をはじめとする我が国の高名とされるブログの書き手たちが紹介されている。なかでも人気の高いブロガーのインタビューも設けられているので、ブログの状況を一望するには都合の良い一冊である。「ネタフル」「百式」「極東ブログ」「織田浩一」「R30」「磯崎哲也」…。読み進むにつれ、おいらの関心は、高名なるブロガーたちが如何にしてPVを稼ぐかに収斂されていったのであるが、そんな彼らのテーマはほとんどが「ビジネス」で占められていたのである。やはりというのか、ブログ人気はITのシステム関連事業者がそのトップを走っていたことを知らしめる結果となってしまった。とても残念な結果である。

村上春樹の「1Q84」が空前のベストセラー人気を博したのが、純文学の復権かという、一縷の希望を生じさせたのが、つい先日のことではある。ただ日本国の世の趨勢はといえば、相変わらずにビジネス書類が席巻している。ネットの世界はそれに輪をかけている。そんなことを知ってしまった今は、「αブロガー」に関する興味関心など、急激に失せてしまったのである。けだし売れるブログなど邪道なり、なのである。

年末ジャンボ宝くじ協奏曲

有楽町駅前の宝くじ売り場は、毎日朝から、年末宝くじを求める人間たちによって長蛇の列が作られる。師走の寒さもどこ吹く風とやらとばかり、防寒具に身を包んで、ニタニタ顔の行列である。初めてその光景を目にした朝は、おいらは何か新興宗教の御託宣を受け取る集団に出喰わしてしまったのかと、思わず知らずに身構えてしまったものである。こんな集団に拉致、洗脳されてしまったらばたまったものではない…。

しかしながらその集団は、新興宗教のそれではなくて、一攫千金を求めていた人間たちによる列だったのである。云わずと知れたことであるが宝くじのみかじめ料は5割を超えている。膨大なものとなる。一部の恵まれた人を別にすれば、ほとんどの国民がせっせせっせと汗水たらして、時には胃袋に穴を開けながら、理不尽な上司に相対して受け取った貴重な給与を、こんなものに上納して良いはずがないのである。

おいらはこんごとも、取材によるネタが必要となったとき以外には、絶対に宝くじは買うまいと心に決めたのでありました。

銀座三越の地蔵尊

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別名で「出世地蔵」とも呼ぶそうな。元々銀座三丁目の横町に鎮座していたものであったらしいが、いつの間にか銀座三越の屋上にて、界隈を睥睨している。地蔵尊に歴史あり。中央区民有形民族文化財に登録されているそうで大変貴重なのである。

神の焔の苛烈を知れ(太宰治の遺言〔1〕)

太宰治さんの生誕百周年というのに、本年これまでにあまり関心も示さずに過ごしてしまった。本日はそんな太宰治原作映画を鑑賞しようかなどとレンタルビデオ店に立ち寄ったのだが、そんな作品のビデオは無かった。吾ながら拙いの一言なり。世間一般においては、太宰さんの原作による映画が沢山に公開されていたり、雑誌には太宰さん特集が組まれていたり、さまざま賑わせていたことに接して、偉い、とてもえらかった太宰さんの足跡をいま一度辿ってみたいと考えたしだいてあります。題して「太宰治の遺言〔1〕」なのである。

ある日太宰さんはおいらの神になっていた。詳細は忘却の彼方にありて見出すことできないのであるが、確かに15歳を過ぎたひと頃のおいらは、太宰さんを現人神のように崇拝していた。そして毎日のように太宰治全集に齧り付いていたのでありました。

改めて想うに、太宰さんのえらさを一言で述べるならば、苛烈なる探究心である。そんな彼の探究心は己をも滅ぼすまでに徹底していたのだから益々えらいのである。昨今流行りの「自分探し」などといったお笑い種などとは比較にならない。取るに足らない「自分」を探している輩などは、とかく「自由」だとか「自我」「個性」とか云々したがるものであるが、太宰さんの自分探し的自我の探求は、「津軽」といった一作品に書き表す程度のものであった。もっとえらい太宰先生による自分探しの旅はといえば、吾が身を賭した彼の膨大な全集に眠っているのである。

そんなこんなを云々する以前に、太宰さんは、正しきデカダンスの思潮を広めていたのだし、誰にも真似できない文学的才能を発揮したのであるし、さらには戦後の出鱈目な「戦後民主主義的」世相に対する強烈な批判を呈してもいたのである。であるからにして一流文化人としての評価は枚挙に暇がないのである。たださらに以上の太宰さんのえらいところについて述べていきたいと考えたのである。という訳で今宵は「太宰治の遺言」の序章を記してお仕舞いにします。

奥野ビルに異変勃発なり

ビル内にはしっかりした石材が使用されている。

ビル内にはしっかりした石材が使用されている。

寒気が肌身にしみる季節ほど、散歩は欠かせない。今日もまたいつもの銀ブラコースを巡りながら、銀座一丁目の奥野ビルへと辿り着いたのでありました。今日はいつもとは逆に、階段を登るルートをとってみました。実はこのビルには、左右を隔てて二つの階段ルートが設けられている。それほど大きなビルとは云えないのに、この二つ階段はある種の贅沢品でもある。逆に辿ったと思い込んだビルの隅々に未だ足を運んだことのないスポットが幾つも存在していたことに、今更ながら気づいたのである。

それにしても今日のビル内は人だかりがしていた。ビル内の住人や関係者であればおいらの嗅覚はすぐにそれと判断しつつ、外来者のマナーを示すために、プライバシーの尊重には気を遣うのであるが、今日すれ違った人々の多くが、外来者のマナーを軽んじていたのである。探索には探索のマナーがあるのにそのことを知らないものが多いのだ。とあるギャラリーで雑談していると、先週の読売新聞に当ビルの記事が掲載されたということを知らされた。

「先週新聞に載ってから、ビルを見に来るお客さんが多いんですよ。画廊を見に来るんじゃなくて、ただビルを見て楽しんでいるだけみたいな…」

慌てて調べてみたらネットにも出ていた。流石はネットに強い読売新聞である。可愛らしいイラスト入りで、銀座初心者向けの紹介記事が掲載されていた。

なかだえりの さんぽるぽ
築77年 「昭和の銀座」を今に…奥野ビル(中央区)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/sanpo/20091208-OYT8T00565.htm

記事内容は丁寧にビル内を取材した痕跡を残してあり、好感度が大である。しかれども、このような記事を見てビル内を徘徊する人種の出現には、銀座愛好家としてがっかりなのである。

武蔵国高麗にて高麗鍋を食する

味噌とキムチの相性は良いのだが…。

味噌とキムチの相性は良いのだが…。

埼玉県日高市界隈は「高麗」と呼ばれる。かつて武蔵国の高麗郡として歴史に名を連ねてきた。朝鮮半島の高句麗との関係からこの名が冠せられているようだ。おいらも群馬の故郷に帰省するときなど度々ここ「高麗川」というターミナル駅を通り、ときには1時間以上の電車待ち時間を過ごすことも珍しくない。いつだったか時間待ちの間、駅舎を出てぶらぶら歩き回ったことがあったのだが、周囲には見るもの訪ねるものなど見当たらない。今をときめく鳩山由紀夫のおじいちゃんが高麗神社を参拝したら総理大臣になったという逸話の高麗神社という立派な名所はあるのだが、目的を持たないぶらり旅にとって高麗神社を目指す気になるはずもない。想えばとても面喰っていたものである。

そんな高麗の有志たちが町興しで始めたのが「高麗鍋」。この高麗発祥の鍋をPRして売り出そうというのだ。高麗に育って数十年という知人にこの話を振ったところ、「知らない。食べたことが無い」というのだから、益々興味が沸いてくる。という訳で、地元民も食したことのない町興し鍋を求めて、高麗を訪ねたのでありました。

高麗川駅に近い某居酒屋に電話予約をして出かけた。インターネット検索して調べたところ、予約が必要とあったからである。店に着くと一人分の鍋がすでにセットされており、すぐにありつくことができた。白味噌ベースの出汁にどかんと真中にキムチが乗っている。具材は人参など地元野菜と厚揚げなど、取り立てて目を引くものはない。目に見えない特長が、高麗人参を使っていることである。固形燃料に火をつけしばし待つと、静かに沸騰してきた。丁寧に鍋に箸を入れかき混ぜてみた。高麗人参を探したが見つからなかった。多分そのエキスとやらを入れているのだろう。小鉢にとって野菜を一口。味噌とキムチの相性は悪くない。良いと云って良いくらいだ。だが高麗人参を齧りたいと願っていたおいらにとっては、ちと残念であった。昔おいらの家で火鍋パーティーをやったときは、当然のこととして火鍋のスープに高麗人参を忍ばせたものである。高麗人参スープをアピールするならそれくらい当然である。高麗人参を具として齧れるくらいにふんだんに使った高麗鍋が食べたいものである。

村上春樹の短編集にみる都合の良い女性観

近頃発売された村上春樹の短編集「めくらやなぎと眠る女」には、新作に混じって1980年代に発表された作品が多く収録されている。「カンガルー日和」という作品もまた1981年に発表された作品であり、懐かしさとともに読んだ。

主人公の彼と彼女が動物園にカンガルーを見に行く、ただそれだけのお話なのである。そのむかしこの作品を読んだ状況は失念したが、何作品かを読み進めて、やはりというのか、春樹さんの世界観の一端を垣間見たような気がしたのである。何しろ春樹さん作品にはおおよそ良い関係の女性が登場してくる。きっと彼は女に不自由したことなどなかったのだろう。それはそれで天晴れなのだが、おおよそ登場する女性仝が、春樹さんの世界観をほとんど体現した存在として描かれる。つまり春樹さんの世界観が登場人物としての女性に乗り移ってしまうかのようだ。これは恋愛が成就するか否かの物語のストーリーとは関連無く表れる。他の作家になかなか見られる現象ではないのだ。軟派小説と呼びたくなる所以でもある。

写真で見る限り村上春樹さんはそれほどイケメンではなさそうだし、セックスアピールも人並み外れて強大だとも思えない。ならば彼の都合の良い女性像、女性観は、どこから発生するのだろうか? おそらくそれは、物語作家としての資質にあるのだろう。つまらない物語でも、ありきたりなストーリーでも春樹さんが書くと一段と輝いてくる。こんな作家はやはり稀有と云わざるを得ないのである。

村上春樹さんの「1Q84 BOOK3」発売。「BOOK4」も既定の路線か?

村上春樹の短編集にみる都合の良い女性観

村上春樹「1Q84」が今年度の一番だそうな

村上春樹の「めくらやなぎと眠る女」

村上春樹のノーベル賞受賞はありや否や?

青豆と天吾が眺めた二つの月

リトル・ピープルとは何か? 新しい物語

青豆と天吾が再会叶わなかった高円寺の児童公園

「1Q84」BOOK4に期待する

リトル・ピープルとは?

村上春樹「1Q84」にみる「リトルピープル」