藤原新也「渋谷」少女たちの世界観

藤原新也さんの「渋谷」を読了した。

この本に登場する人物は多くない。主に3人の少女と、写真家藤原新也さんとの交流にスポットが当てられており、それ以外の人物や事象については、たぶん意識的にであろう、あえて脇役の役をあてがえられている。3名の少女にスポットを当てた新也さんの想い入れは相当なものだったろうと推察されるのである。

おいらがルポライターとして、渋谷あるいは青山、六本木、原宿、等々の街中に行き交う少女たちを取材・執筆していたのは、かれこれ20年近くの時を隔てたときであった。当時の少女たちはと云えば、軽々しく高校中退を語って自らを主張していたり、あるいはメディアにはびこる軽薄な語彙を身にまとっては、自らをアピールしていた。そんな現象をおいらは「メディアキッズ」と称しながらの、取材体験が続いていたのだ。

「高校生の崩壊」(双葉社)という1冊にまとめたそのドキュメントは、教育の現場における「崩壊」をテーマとしていた初めての書籍である。その嚆矢となるべき1冊であった。良い意味での軽さ、織田作之助流のいわゆる軽佻浮薄さを、おいらは好意的に受け止めて、レポートを書いていたという記憶を持っている。だが確実に、「渋谷」の登場人物たちは変貌を遂げたのだろう。藤原さんでなければ決して表現・証言し得なかったであろうやり取りを目にする度に、渋谷は大変な事態に突入しているであろうことを想うのである。

広瀬川白く流れたり〔萩原朔太郎より〕

亡き妻が眠る公園墓地を訪れた後、前橋文学館へ立ち寄った。あいにく年末年始の休館中であり中に入ることはできなかったが、久しぶりに広瀬川沿いの歩道を歩いたとき、とても懐かしくほっとした気分になれたのだ。

おいらは幼少期のころをこの川沿いの借家で過ごしたことなど、夢かうつつか思い浮かべているのである。広瀬川を望む風景こそおいらの原風景なのではないかと、密かに想っているところなのである。

前橋の街中を白く流れる広瀬川。

前橋の街中を白く流れる広瀬川。

広瀬川

広瀬川白く流れたり
時さればみな幻想は消えゆかん。
われの生涯(らいふ)を釣らんとして
過去の日川辺に糸をたれしが
ああかの幸福は遠きにすぎさり
ちいさき魚は眼にもとまらず。

吾が国における現代詩の巨匠こと萩原朔太郎さんは、このように郷愁の想いとともに広瀬川を謳っている。この傑作詩により、前橋に流れる広瀬川は、仙台の広瀬川以上に詩情豊かな趣きをたたえているのだ。

前橋文学館の前では萩原朔太郎の彫像がむかえてくれる。

前橋文学館の前では萩原朔太郎の彫像がむかえてくれる。

広瀬川に向かって佇む前橋文学館は、萩原朔太郎をはじめ郷土前橋にゆかりのある文学者たちの自筆原稿、日記、手紙、等々貴重な資料が収められている。何度たずねても飽きることが無く、時々思いだしては足が向かうという場所なのだ。

資本主義の安っぽい最終楽園(藤原新也讃)

故郷に帰省している。

ごくごく個人的で恥ずかしい話であるが、今朝起きて、藤原新也の「渋谷」を置き忘れていたことに気付いた。ほろ酔い散策の失態であり珍しいことではない。帰省の電車で読み進めるつもりでいたが、当てが外れてしまった。置き忘れた場所は見当がついてはいるが、何よりも時間が惜しくなり、地元の一大ショッピングモールにある紀伊国屋書店を訪ねて同書を再購入した次第なり。

昨日読んだところを記憶で辿りつつ、いま一度再確認する。藤原新也さん原作の映画「渋谷」の予告編ムービーにて表出された、印象的なシーンが、この本の冒頭にて、同様のシーンとして記述されている。原作のメインとなるのがここかと合点。出し惜しみしない原作者の心意気だろうか。第2章「仮面の朝と復讐の夜」では、紫染みた実験的な写真の数々とともに、1章を要約したともとれる文章が踊っている。実験的な写真については新也さん自らがあるインタビューで解説していた。渋谷に生きる少女が見た色を失った風景を表現したような…。(出典データを確認できないのです)

資本主義の安っぽい最終楽園というべき街をなぜかいとうしいと思う俺

写真とは別のページにて要約されたこの言葉は、にわかには肯定しがたいものではあったが、おいらの心にズドンと一発の爆弾を落としていた。それは例えば、おいらの故郷の大先輩である萩原朔太郎先生の詩に接したときの気持ちにも似たものであった。朔太郎先生は、田舎を拒絶することにより、教科書にも載っているかの有名な詩を書いていた。「わたしはいつも都会をもとめる」と。

新宿ゴールデン街を巡る

たどり着いたのは、ゴールデン街の昔行きつけの店。

たどり着いたのは、ゴールデン街の昔行きつけの店。

昼ごろにボランチなるものを摂った後、何の気なしに新宿のガイドブックを手に取っていた。そして自然と足が新宿へと向かっていたのです。普段は通勤列車で通り過ぎる場所である。

まずは西口「ヨドバシカメラ」へ。先日購入したオリンパスペン用の予備バッテリーを買うためなり。西口散策も久しぶりで、帰郷者が群れ成す大型バスの発着拠点に出くわした。慌しく行きかいしている様を見ながら、おいらも明日は故郷に帰ろうと決めた。

思い出横丁を通り過ぎて東口へと移動する。もの凄い人ごみの中をかき分けて歌舞伎町の入り口にたどり着いた。歌舞伎町の門を潜ると日本人が大好きだという坂本竜馬さんの肖像写真が大きく貼られた、某立ち呑み屋が目に入った。まだ4時前だというのに営業していたので、久々の昼酒にありつくことになった。大サービス品のまぐろは未入荷とあって、仕方なくどこにもありそうな串揚げを注文することになる。数十分の時間をつぶして坂本さんの門を出た。ほろ酔い気分のおいらは、いつの間にか、昔に足繁く通っていたゴールデン街にたどり着いていた。まだ陽は落ちず明るかったが、馴染みだった店の門をたたいた。

「すいません。5時からなんですが‥」

というマスターの声。

「こんにちは。お久しぶり‥」

と、挨拶しつつ店に入ると、昔懐かしのマスターの顔があった。開店時前だというのに店内に入れてもらい、ハートランドのビールでちびりちびり。薄暗いランプの照明で、購入したばかりの「渋谷」(藤原新也著)を読んでいた。

「5時から女の子が入りますからね」

話を聞いていくうちに、若いキュートな女の子たちが切り盛りするお店にと成り変っていたのを知る。流石においらもびっくり仰天したものであった。そしてそう長くは無い時間をすごしてその店を出たのであった。お勘定は、以前に通っていたころに比べて格段に高くなったていた。このデフレのご時世にである。

新宿は、いつでも人を呑み尽くしている。そんなパワーを持った街だ。

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藤原新也原作映画「渋谷」が1月公開

 

藤原新也のファンであることを公言したにもかかわらず、おいらはまだ、あまり新也さんのことを知らないことに気付いた。未だ読んでない本が何冊もあるし、過去に「印度放浪」「逍遥遊記」に接したときの圧倒的な、魂を震わすような衝撃は、時と共に薄れてしまった。この稀有なアーティストと時代を共にしていることの有難さを、大切にしなければいけないと本日は真面目に考えたのでした。

そして本日買い求めたのが「渋谷」という一冊なり。同名の、というより新也さんが原作者としての映画「渋谷」が、1月9日から渋谷「ユーロスペース」という映画館にて公開されるという。新也作品の「待望の初映画化」と公式サイトには踊っている。

http://shibuya-movie.under.jp/

余談だが、YouTubeから動画の埋め込みをはじめて行なった。以前にもチャレンジしたが、簡単なことを見落としていたばかりに失敗していたのだ。おいらのブログテクも1ミリ進歩しました。

銀座の裏通り散歩

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中央区銀座の、表通りではなく裏通りを散歩するのが好きである。本日はまだ仕事で、銀座に出向くことになったのだが、週末の裏町銀座は、平日に見るその光景とは様相を異にしていて興味深いものがある。

平日の銀座界隈といえば主に、中国系、欧米系の外国人の集団が闊歩する姿が目に付き、それはそれでまた定点観測の対象として面白いのであるが、それらとは違って、日本人の老若男女の多種多彩なる風貌に接する銀座散歩は、また一段と楽しいものである。

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藤原新也「黄泉の犬」を読む〔3〕

 

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センセーショナルな新也さんの一枚。この撮影の舞台裏を「黄泉の犬」で明かしているが、ネタ晴らしになるのでそれには触れないことにする。

藤原新也の「黄泉の犬」を読了した。これまでに読んだ彼のどの書よりも能弁であり、饒舌である。ときに雄弁家の本だと感じさせる程の、滑らかで情熱的なスピーチを聴いている気分にさせてしまうくらいだ。

ときに彼の本はといえば、その韜晦な筆致によって、おいらを含めたファンによって支持されていたはずである。だが何なのだろう? この隔たりに感じる思いは?

古今東西、芸術家は誰しもが多面的な資質を持ち合わせているものである。新也さんの場合もこれにもれないケースのひとつなのだろう。そにしても、これほどオープンな、過去の彼自身の著作の裏側をもあらわにしてしまうような潔さ。

彼はこのレポートを、大手出版社の大衆雑誌「週刊プレイボーイ」に選んだのだという。大衆的な読者に対して、彼の云いたかった、メッセージしたかったことは、ほとんど漏らすことなきく表現されていると云ってよいのだろう。まだまだ藤原新也は変わり続ける。そして成長し続けているのである。天晴れ!

「甘海老磯辺揚げ」を食して思うこと

ありそうでいてなかったメニューなり。

ありそうでいてなかったメニューなり。

クリスマスイブだというのに心と体はいつになく沈んだまま、1日を過ごしてしまった。昼休み時に外を歩くと悪寒が走った。これはやばい。午後は上着を脱ぐこともなく、机で伏していたような様である。同僚の未来のIT長者は「ジャケット脱がないんですか?」と、妙な質問を投げかけたくらいである。その未来のIT長者はと云えば、1歳のベビーを囲んで一家団欒のホームパーティーを催すのだろう。「これから銀座で、クリスマスケーキを買って帰ります」とルンルンなり。

さておいらは、今宵もまた某居酒屋にて、一服ならぬ一酔を決め込んできたという訳なのでありました。注文した数品の中で、「甘海老磯辺揚げ」というメニューは、近頃になくヒットであった。甘海老を丸ごと殻付きのまま、薄い衣をまぶして揚げたものだ。甘海老の殻というのは揚げてみれば、子供の歯でも難なく噛み下せるものであり、丸ごと食べられるのである。この殻を捨てるなぞもったいないこと甚だしいのだ。そういえばかつて、寮美千子さんのご自宅に呼ばれてホームパーティーをやったとき、甘海老の刺身を食したその後で、残りの「殻」を揚げて出してもらったことなど思い出した。サクサクと香ばしいその「殻」は天然カルシウムの宝庫である。そんな料理を振る舞う寮さんのセンスに脱帽したものであった。

毎年暮れから新年にかけて、旧知の友人たちとホームパーティーを催す慣わしだが、今年は某アキン邸にて新年会が決定した。何か心浮くような料理をお見せしたいと目論んでいるところなり。今から楽しみなのである。

いつもより早い年賀状を書いた

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毎年毎年、年賀状を出すのは25日を過ぎて大晦日間際と相場が決まっていたのだが、今年はちょうど良い休日があったので、早々と年賀状作りに取り組むことができたのでした。

とはいっても一寸した問題発生。このところ数ヶ月使っていなかったプリンタを動かしたところ、印刷途中からイエローインクが切れてしまい、赤青調のへんてこりんな年賀状となってしまったのだ。最初の見本刷りでは調子良かったんだが、数十枚印刷している途中から色味が変わってしまったものなり。インク切れの警告を無視した失態であります。

へんてこりんな色味の年賀状は誰に出そうなどと思案しながら、表の住所を書き終えた。色に拘りなさそうな人や色おんちの人に、外れはがきの宛名書きである。これから町に出て交換インクを買ってこよう。

藤原新也「黄泉の犬」を読む〔2〕

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昨日「薄っぺらい」と書いていたこと、本日は藤原新也さんの本を読んでいたら、「スカスカ」という言葉がえらい勢いで表現されている。こちらの方が妥当であると思い、これからは「スカスカ」という表記に変えようかと思ったのです。

閑話休題である。

藤原新也という凄い人を、おいらは過去に一度だけ、じかに触れたことがあった。それは確か「ノアノア」という、藤原さんのドローイングをまとめた書籍が出版された頃のことである。詳細はまたまた思い出せないのだが、90年代のある時期ということにてご勘弁願いたい。

「メメント・モリ」をはじめとする藤原さんの著書には事細かに目を通していた当時のおいらであった。そして、彼が個展を開くという情報を目にして、そのたしか銀座のある画廊へと足を運んでいたのでした。銀座の画廊はといえば、おしなべて広くない。すなわち作品やら作家やら、オーディエンスやらが、狭い空間に密集してしまうものなのであるが、そこに居た藤原さんの確固たる存在感には圧倒されたのだ。大きなキャンバスをその画廊に広げて、藤原さんは筆を走らせていたのです。じっくりとキャンバスを睨む彼の目線はその途中に入り込むことさえできないくらいにとても光っていた。おいらは大好きな藤原さんに交わす言葉もなく、その場を味わいつつ後にしたのであった。そんなことをある美術出版関係者に話したところ、「ああ、インスタレーションだね」という、あっけない答えが返ってきた。「うーむ」。おいらは次の句を継ぐことさえできなかったのである。

「黄泉の犬」の第2章を読み進めていくに連れ、そんな情景が頭を過ぎって離れなくなってしまったので、ついつい書き記してみたかったという次第なりなのです。今宵は「黄泉の犬」の細部には立ち入りたくないような、いささか個人的な気分にてキーボードを走らせているのです。

ところで全く別なブログに関する話題です。ブログの巨匠ことかもめさんが、オリンパスの一眼レフデジタルを買って、盛んに魅力的な作品アップをしていますので、紹介しておきますです。藤原さんがかつて愛用していたと同じ「オリンパス」のカメラを使い、その手さぐり的な手法が瓜二つなのではないかと思ったなり。

http://blog.goo.ne.jp/kakattekonnkai_2006/

翻って想えば、おいらもまたオリンパスの「OM1」なる機種を父親から譲り受けて使っていたことがあったのです。一眼レフカメラでいながらコンパクトであり、レンズの描写力もまた一流である。そうしたことからの愛用機種であった。