前橋文学館にて「山村暮鳥展」開催

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おいらの出身地の前橋の「前橋文学館」では、昨日18日から「山村暮鳥展」という企画展が開催されている。サブタイトルに「室生犀星・萩原朔太郎とともにめざした詩の変革」とあり、そんなタイトルにも惹かれて、帰省したときのいつものおいらの散策コースにもなっている前橋文学館を訪れていた。

山村暮鳥とは、1884年に群馬県西群馬郡棟高村(現・群馬県高崎市)にて生を受けた詩人である。小学校での勤務の後に前橋聖マッテア教会で開催されていた英語の夜学校に通い、それがきっかけとなりキリスト教の洗礼を受けて、やがては故郷を離れて伝道師の道を歩んでいったという。その後に、室生犀星、萩原朔太郎たちとの交流を得て詩作品の発表を続けていくことになったという。それぞれの地で活躍していた3人の詩人たちは「人魚詩社」を結成し詩社の機関紙「卓上噴水」を刊行する。暮鳥自らが「ばくれつだん」と称した革新的詩集「聖三稜玻璃」が刊行されたことにより朔太郎にも影響を与えていくこととなった。同展では、文芸誌上で互いの作品に惹かれあい、離れた土地で友情が花開き、切磋琢磨しながら当時の詩壇的詩の世界を変革しようとしていた三人の詩人の活動を、出会いから別々の道に進んでいくまでの時期を中心として関連資料とともに紹介している。
■前橋文学館
群馬県前橋市千代田町三丁目12-10
TEL 027-235-8011
休館日:水曜日
開館時間:9:30~17:00(金曜日は20:00まで)

■山村暮鳥展
観覧料:企画展のみ300円、常設展とセットで350円
2014年10月18日~11月30日

前橋文学館で萩原朔太郎さんのユニークなエッセイに触れた

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帰省中の上州「前橋文学館」で開催されていた企画展で、萩原朔太郎さんのとてもユニークで貴重なエッセイに触れることができた。

我が国における屈指の近代詩人として名高い朔太郎さんだが、彼のエッセイや随筆の面白さ、ユニークさに関しては、あまり知られるところが無かった。朔太郎さんの詩の世界においてはとてもユニークで先鋭的な世界観が見て取れるのだが、それらのユニークな世界観を直截的に開陳したエッセイ、随筆の数々は、朔太郎ファンにとってのみならず全国文学関係者にとっての、貴重な資料では在る。本日は偶然ながら、そんな貴重な文学的資料にも接することとなったのである。

中には萩原朔太郎全集にも掲載されることのなかった随筆が、その貴重なる生原稿が、展示されており、朔太郎マニアのおいらにとっても格別な邂逅となっていたのだ。そのひとつが「贅沢・飲酒」と題されたエッセイ生原稿なのである。いわゆる一つの飲酒という贅沢、それらに拘泥した詩人、文学者たちへの共感のメッセージとともに、朔太郎さんが生きた「新しい時代」の芸術家たちへの失望とも捉え得る記述が在る。

―――(以下、引用開始)―――
今日の詩人たちは、あまり酒を飲まなくなった。志士や革命家等も、昔のように酒豪を気取らないのである。「飲酒家」といふ概念が、何となく古風になり、今では「時代遅れ」をさへ感じさせる。現代の新しき青年等は、殆ど飲酒を知らないのである。彼等の観念からは、概ね「酒飲み」という言葉が、旧時代の「オヤヂ」と聯絡するほどである。新しき時代の青年は酒を飲まない。いな飲酒の要求がないのである。
―――(引用終了)―――

新しい詩人や芸術家達が酒を飲まないということは無かったのだろうが、上記したこの朔太郎さんの一節は、苦き芸術家の挟持を表しているのに相違ない。何時の世にも呑兵衛たる詩人は迫害されるものかも知れぬということなのかもしれない。さらに述べれば、生半な市民や青年達からの迫害に対峙する気概こそは、天才詩人のアイデンティティを示しているのかも知れないのである。

■前橋文学館
正式名称:萩原朔太郎記念水と緑と詩のまち前橋文学館
郵便番号:371-0022
所 在 地:群馬県前橋市千代田町三丁目12番10号
T E L:027-235-8011

■朔太郎のおもしろエッセイガイド
期 間:2月15日(土)~3月30日(日)
会 場:1階企画展示室
時 間:午前9時30分~午後5時(金曜日は午後8時まで)
休館日:水曜日
観覧料:[ 企画展のみ]100円

萩原朔太郎の処女作品集「ソライロノハナ」に出会った

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群馬県前橋市の「前橋文学館」では「詩壇登場100年 萩原朔太郎、愛憐詩篇の時代」という企画展が開催されている。

萩原朔太郎さんが詩壇に登場して100年の記念を込めての企画展示だということなのだが、些か無理強いしいの感がぬぐえないものがある。副題では「開館20周年記念」とあるが、実はこの記念展としての企画なのではないかと疑いたくもなる。

展示会場で初めて出会った展示物の中では「ソライロノハナ」という、朔太郎さんの初期作品を集めた自筆の歌集が目に留まった。朔太郎さんが本格的に試作を始めた時期に出版された、云わば処女作品集なのであるからそれなりの注目を浴びて然りではある。

その「ソライロノハナ」という作品集には、詠み捨てた千首の中から忘れがたいものや思い出深いものを集めて編んだという。初期の萩原朔太郎作品を知り理解する上での貴重な資料ともなる一冊である。

内容は序詞「空いろの花」「自叙伝」「二月の海」「午後」「何処へ行く」「うすら日」等々の短歌が書き込まれている。

ところで「ソライロノハナ」という朔太郎さんの詩集のタイトルが引用されて「カゼイロノハナ」という美術館の企画展が同時開催されている。同じ群馬県前橋の企画展ではありあまり批判等したくないのだが、郷土の巨匠の作品集のタイトルを一文一文字変えて別の企画展に援用するのはどう考えても合点がいかない。朔太郎さんへのオマージュ、尊崇を表すには、一文字変えるようなふざけた行為は慎むべきである。

前橋文学館にて「書物にみるアートの世界」が開催中

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前橋文学館にては現在「書物にみるアートの世界」という企画展が開催されている。

萩原朔太郎など郷土の文学者にかかわる書籍・雑誌を、表紙、文字組み、製本など、ブックデザイン面から紹介しているという企画展である。朔太郎さんの書籍の多くがブックデザインにおいても観るべきものが多いということであり、そんなブックデザイン、即ち装幀における一流の展示物を観ることが出来て満足であった。

朔太郎自身が描いた猫のイラストが黄色い表紙に印刷された詩集「定本青猫」は出色の出来栄えである。

朔太郎さんの「月に吠える」の復刻版はおいらも所有しており、其の表紙の装幀の素晴らしさには以前から瞠目していた。同書以外にも様々な朔太郎さんの書籍における装幀の見事な仕事ぶりに接すると、当時のアナログ的出版物に関わる装幀家たちの見事な仕事ぶりに脱帽してしまうのである。

http://www15.wind.ne.jp/~mae-bun/
■前橋文学館
群馬県前橋市千代田町三丁目12番10号
027-235-8011

上州前橋が誇る近代詩人の大家を記念する「萩原朔太郎記念館」を散策

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上州前橋が誇る我が国の近代詩人の大家こと萩原朔太郎さんの記念館を散策した。

■萩原朔太郎記念館 群馬県前橋市敷島町262 敷島公園ばら園内

前橋市内の北に位置する市民の憩いの場こと敷島公園内の、バラ園と呼ばれる一帯の敷地の中にその「萩原朔太郎記念館」はある。あまり市民には知られていないと見えて、今回訪れたときも訪問客は少なかった。却っておいらはゆっくりと散策できたのでありラッキーこの上なきなのであった。

もともとは朔太郎さんの実家、生家は市街地の北曲輪町(現・千代田町二丁目1番17号)にあり、父は地域の名医として信望厚く、一時期は患者に整理札を出すほどであったという。しかし大正8年にその父が老齢のため開業医をやめたので、萩原家は石川町に移った。このとき北曲輪町の家は津久井夫婦が入り「津久井医院」を開業し、実質的に津久井家が萩原医院の後を受け継いだということである。

記念館はその後に、敷島公園内に移築されたものとなっている。「書斎」「離れ座敷」「土蔵」という3体の建造物がその記念館として立ちつくしている。もともとは数十の部屋を有した萩原御殿の生家と比すれば、3つの部屋ではありとても狭い敷地内に移築された記念館ではある。

おいらを含めてもともとの朔太郎ファンにとっては些か残念な気もするが、それでも代表的な萩原家の造りを今に残していており、萩原朔太郎さんの作品が創作された現場としてとらえればまた、感情移入することの出来る記念館となっている。

朔太郎さんが生家に住んでいた頃は、特に「離れ座敷」とされる部屋には、北原白秋、若山牧水、室生犀星などの詩友が訪れてこの部屋に通されたとされている。群馬県のみならず我が国における近代文学の発祥の場として貴重な記念館ではある。

前橋の広瀬川界隈は上州歴史散歩の臍的スポット

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上州こと群馬県の県都前橋の市街地を流れる広瀬川は、遊歩道に沿ってツツジや柳が続く緑花が美しく、「水と緑と詩のまち前橋」を象徴している。広瀬川沿いには前橋出身の天才詩人こと萩原朔太郎の貴重な資料が所蔵される「萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち前橋文学館」が存在するのであり、帰省するたびにしばしば足を運ぶエリアなのだ。

萩原朔太郎さん関連の碑は市内に数多あるが、広瀬川右岸の比刀根橋近くにも朔太郎さんの詩碑があり「広瀬川」の詩が刻まれている。萩原朔太郎さんの「広瀬川」という詩には以下のごとくうたわれているのだ。

――――――
広瀬川白く流れたり
時さればみな幻想は消えゆかん。
われの生涯(らいふ)を釣らんとして
過去の日川辺に糸をたれしが
ああかの幸福は遠きにすぎさり
ちいさき魚は眼(め)にもとまらず。
――――――

■「広瀬川」詩碑
群馬県前橋市千代田町 厩橋下流広瀬川畔

市街地の千代田町五丁目銀座通り端には1981年に建立された「前橋望景の碑」が在している。「萩原朔太郎 前橋望景の碑」と刻まれた隣には、朔太郎さんが趣味で撮影していたかつての前橋市街地の写真の風景が刻まれている。進取の精神で撮影にのぞんでフィルムに刻んだ風景写真は、朔太郎さんが生きた時代とともに貴重な街の歴史的資料として、様々なメディアで公開されている。

■萩原朔太郎 前橋望景の碑
群馬県前橋市千代田町五丁目銀座通り端

つまりは纏めてみれば、前橋の広瀬川界隈は上州歴史散歩の臍的スポット、ということなのである。

萩原朔太郎さんの「地面の底の病気の顔」自筆原稿を鑑賞

先日、前橋の「前橋文学館」を訪れたところ、萩原朔太郎さんの代表的作品「地面の底の病気の顔」のとても貴重な自筆原稿に接することができたのでした。

「地面の底の病気の顔」という詩は、詩集「月に吠える」の巻頭にまとめられた朔太郎さんの代表的な詩作品である。ところがこの作品の自筆原稿が長らくアメリカ人のもとにあり目にすることができなかったのだが、このほど所有者から「前橋文学館」へ返納されたというニュースを耳にして、この文学館を訪れてみたのだった。自筆原稿としておさめられているのは下記のようなものなり。

――――――――――――――――――

地面の底に顔があらわれ

さびしい病人の顔があらわれ。

地面の底のくらやみで

うらうら草の茎が萌えそめ

鼠の巣が萌えそめ

巣にこんがらかっている

かずしれぬ髪の毛がふるえ出し

冬至のころの

さびしい病気の地面から

ほそい青竹の根が生えそめ

生えそめ

それがじつにあわれぶかくみえ

けぶれるごとくに視え

じつに、じつに、あわれぶかげに視え

地面の底のくらやみに

さみしい病人の顔があらわれ。

――――――――――――――――――

この詩は、国語の教科書にも載っている有名な「竹」のベースともなっている名詩でもあり、こんな朔太郎さんの代表的な詩の自筆がアメリカ人の手に渡っていたとは至極残念なことでもあったが、今ここにきて帰国できたということを喜びたい気分である。

自筆原稿をながめれば、保存状態の悪さであろう、その用紙は黄茶色に変色しており、ペンの跡をたどる筆跡も、あまり鮮明には見て取ることができない。隣のブースに展示されていた「地面の底の病気の顔」後半部の自筆原稿の現物に比較したならばそれは明白であった。

ところでこの「地面の底の病気の顔」という詩の原型は、北原白秋が主宰していた機関紙の「地上巡礼」の第二号にて発表されており、その原型となった詩篇は多少のところで異なっている。例えば最後の3行の詩には、朔太郎さんの本名が詩篇に反映されており、それだけ個人的な思いが反映されていると感じ取れるのである。

ここではそんな「地面の底の病気の顔」の元詩の最後の3行を締めくくりとして紹介しておこう。

――――――――――――――――――

地面の底のくらやみに

白い朔太郎の顔があらはれ

さびしい病気の顔があらはれ

――――――――――――――――――

■前橋文学館
群馬県前橋市千代田町三丁目12-10
TEL 027-235-8011
休日:月曜日

http:www15.wind.ne.jp/~mae-bun/

萩原朔太郎の「猫町」はユニークな散文詩なり

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昨晩は少々深酒したせいか終日、頭が重い。目が覚めてだいぶ経ちくらくらしてさえ居た様で千倉の海岸を目指している途中、褐色の猫と遭遇した。ぼおっとした視線を送りつつ手招きしてみると、その褐色猫君はおいらの足元に擦り寄ってきたのだ。とても友好的な態度であったので、その毛並みの良い背中や頭をさすってあげたりしていたのである。そうこうすると褐色猫君はゴロンと体を回転しお腹を見せ、小さな猫の手を回して手招きすではないか。人間に対してお腹を見せて手を回すという行為は友好のしるしなのだという。かまって欲しい、可愛がって欲しいという合図である。可愛い猫にこうされると人間誰しもか弱く軟弱な生き物になってしまう。

ところで、萩原朔太郎が散文形式で著した「猫町」という作品があるが、なかなかユニークである。猫に支配された世界に彷徨い込むという白日夢のような主人公の体験を描いているのだが、このシチュエーションは村上春樹さんの作中作品「猫の町」に似ていなくもない。可愛くて親しみ深くて友好的であったはずの猫が、ある日豹変してしまう。何か知らなかった別種の怖ろしさを有した猫たち。そんな猫の姿を登場させた文学作品は少なくないが、中でも萩原朔太郎の「猫町」は出色である。

パロル舎から出版されている「猫町」を数ヶ月前に購入したのだが、同書は版画家の金井田英津子氏がイラスト、デザインを担当しており、独特の解釈で猫町の世界へと誘っている。文字組みなどの装飾が、まるで関西風のコテコテの味付けでやり過ぎの感もあるのだが、多少の誇張として許容の範囲だ。

上州に帰省して眺めた「憂鬱なる桜」(萩原朔太郎より)。

久しぶりに帰省して眺めた春の桜はしみったれていた。朔太郎先生がかつて謳ったとおりの姿であった。

憂鬱なる桜(萩原朔太郎「青猫」より)

憂鬱なる花見(憂鬱なる桜が遠くからにほひはじめた)
夢にみる空家の庭の秘密(その空家の庭に生えこむものは松の木の類)
黒い風琴(おるがんをお弾きなさい 女のひとよ)
憂鬱の川辺(川辺で鳴つてゐる)
仏の見たる幻想の世界(花やかな月夜である)
鶏(しののめきたるまへ)

それだからおいらも、古里上州にて桜見物の良い想い出がなかった訳である。いま東京へ帰り着いて、「仏の見たる幻想の世界」を夢想している。

司修が描いた、朔太郎の「郷土望景詩」幻想

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先日、群馬県前橋に帰郷した際、故郷の書店にて司修という版画家の著した「萩原朔太郎『郷土望景詩』幻想」を購入した。

萩原朔太郎が郷土を謳った詩に、インスピレーションを得た画家の司修が作画化したものとなっている。詩集に添えられた単なる挿絵集ではなく、もっと濃密な司修的世界が、そこには表出されていて、読む者たちを独特な郷愁の世界へと誘って行く。

最も虜とされ、何度もページをめくってしまうのが、朔太郎の「中学の校庭」という詩と司修の画とがコラボレートしたページである。

 中学の校庭 (萩原朔太郎)
  われの中学にありたる日は
  艶めく情熱になやみたり
  いかりて書物をなげすて
  ひとり校庭の草に寝ころび居しが
  なにものの哀愁ぞ
  はるかに青きを飛びさり
  天日直射して熱く帽子に照りぬ。

旧制中学の校舎とその横に不安定に佇む青年。シルエットとして表出された青年は、まだ幼くも見えてしまうが、左ページの建物は校舎という存在そのものを遥かに越えて佇む、青春期の迷宮的世界。永井苛風的表現を借りれば、精神的ラビランスである。そんなラビランスの世界に舞い戻って、過去の時間を歩いてみたい欲望に駆られてしまうのである。

この1冊に出遭ったことから、おいらの見る夢の世界も少々様変わりしてきたことを感じている。朝目覚めたときに記憶している情景は、郷土のこうした校舎をモチーフとしたラビランスではなかったかと、確信を強くしているのである。

私はいつも都会をもとめる 2「銀座のホッピー」(C)萩原朔太郎

たまにはおいらも、都会の味をもとめて銀座で一献傾けることもある。今宵のテーマは、銀座のホッピーとその味についてである。

銀座にも当然のことながらホッピーを出す店は多数存在している。頑固親父が仕切っている老舗店舗についても、次第にその垣根は低くなっているとみてよさそうである。焼鳥、焼きトンを出す店にその傾向は顕著とみえる。例えばメニューに「ホッピー」は載っていなくても「ホッピーください」と云えば当然のようにホッピーを出してくるお店は腐るほどある。あるいは「ホッピーはないんですか?」と問いかけると、気まずそうに「そんなことはないですよ」といいつつ、周囲を気にするようにしながらホッピーを出してくれた店もあったのである。それぞれに事情は異なれども、今やホッピーを置いておかずには居酒屋経営もまずい局面に呈しているということなのであろう。

時代は発泡酒全盛だが、しかしながら発泡酒が居酒屋経営に対して何の貢献ももたらさなかったことに比べれば、ことホッピーの果たす役割はいや増すばかりと云ってよいのである。

ところで銀座で飲むホッピーの値段はといえば、価格がまちまちである。「ホッピー=150円」というメニューに気を良くして飲んでいたら、最後に高級焼酎代を請求されたというケースもあったのだ。ご用心してください。

私はいつも都会をもとめる (c)萩原朔太郎

このところ、1年を超えて銀座をウォッチし続けているおいらである。「何故、銀座なのか?」と問われれば、「仕事柄」だと、残念ながら答えるしかなさそうなのではあるが、それでも、正邪併せて、都会としての銀座が醸し出す特有の景色や匂いに、いつの間にやら虜にされそうな、からめ取られつつある自分自身を意識せざるを得ないのだ。

そんなおいらが銀座を散歩しながら撮影したスナップショットの中から、数点をアップしておきます。

思い返せば、かつて萩原朔太郎さんが東京銀座を謳った当時の銀座と現在。根源的なところはほとんど変わらないのではないかと想うのだ。都会としての磁場を放った銀座が発する様々な匂いを掬い取ろうとして、いつもシャッターを押している。思わず知らずに、そうしていながら癒される自分が、確かに存在することを発見している、昨今なのである。

萩原朔太郎が描いた「虎」の風景

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トラ年、新年、初仕事。いささか世間は浮かれ気味の中、おいらは朔太郎さんの隠された傑作詩の「虎」を想い出すのだ。

虎 (萩原朔太郎「氷島」より)

虎なり
昇降機械(えれべえたあ)の往復する
東京市中繁華の屋根に
琥珀の斑なる毛皮をきて
曠野の如くに寂しむもの。
虎なり!
ああすべて汝の残像
虚空のむなしき全景たり。
―銀座松坂屋の屋上にて―

凍える手先をすり合わせ、なぐさめ程度の暖を取りながら、おいらは「虎」が産まれたという銀座松坂屋の屋上へと向かっていた。館内を抜け屋上をまたぐ扉を開けると、ヒューヒューと空っ風のような乾いた息吹がおいらの顔を撫でた。懐かしい息吹である。

しばしの間、空っ風もどきに打たれた後に、おいらは屋上階にめぐらされている金網の外へと眼を伸ばしてみた。普段見慣れたはずの濃い化粧した銀座都市が、また違う姿を見せていた。化粧の頭に隠されていたのは、都市を機能化させるべく様々な様相を見せている。それはまた、隠された都市の一素顔だったのかも知れない。

広瀬川白く流れたり〔萩原朔太郎より〕

亡き妻が眠る公園墓地を訪れた後、前橋文学館へ立ち寄った。あいにく年末年始の休館中であり中に入ることはできなかったが、久しぶりに広瀬川沿いの歩道を歩いたとき、とても懐かしくほっとした気分になれたのだ。

おいらは幼少期のころをこの川沿いの借家で過ごしたことなど、夢かうつつか思い浮かべているのである。広瀬川を望む風景こそおいらの原風景なのではないかと、密かに想っているところなのである。

前橋の街中を白く流れる広瀬川。

前橋の街中を白く流れる広瀬川。

広瀬川

広瀬川白く流れたり
時さればみな幻想は消えゆかん。
われの生涯(らいふ)を釣らんとして
過去の日川辺に糸をたれしが
ああかの幸福は遠きにすぎさり
ちいさき魚は眼にもとまらず。

吾が国における現代詩の巨匠こと萩原朔太郎さんは、このように郷愁の想いとともに広瀬川を謳っている。この傑作詩により、前橋に流れる広瀬川は、仙台の広瀬川以上に詩情豊かな趣きをたたえているのだ。

前橋文学館の前では萩原朔太郎の彫像がむかえてくれる。

前橋文学館の前では萩原朔太郎の彫像がむかえてくれる。

広瀬川に向かって佇む前橋文学館は、萩原朔太郎をはじめ郷土前橋にゆかりのある文学者たちの自筆原稿、日記、手紙、等々貴重な資料が収められている。何度たずねても飽きることが無く、時々思いだしては足が向かうという場所なのだ。