秋田のオリジナル駅弁「うめどー まず け!」を味わった

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秋田への旅行中は、地元名物の稲庭うどんばかり食べていた。つるつるとしてのど越しの良い稲庭うどんはさっぱりしていて何杯でもいけそうなくらいであったが、炭水化物ばかりの食ではさすがに飽きが来る。帰りの列車に乗る前に購入した駅弁の「うめどー まず け!」は、そのネーミングの面白さも相まって愉しませてくれた。

そのネーミングの意味はと云えば、標準語では「美味いけど不味い」という連想さえ掻き起こすが、愛知の方言で云うところでは「おいしいので、とにかく食べてみて!」という意味だという。まったく逆の意味をもじったような云わば逆転の発想的なネーミングの駅弁ではある。

そしてその味わいもまたご飯が冷めて食べることが基本としての駅弁の基本的要素を逆手にとって、満足できるものだった。秋田フキの炊き込みご飯や、いぶりがっこのピカタなどの、10品あまりを詰めた素朴なものだ。ご飯はあきたこまちそのものの美味さを味わえる。

この駅弁は、秋田デスティネーションキャンペーンのオリジナル駅弁コンテストで金賞を受賞したということでも注目されている。

秋田の乳頭温泉郷で紅葉三昧

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秋田県「乳頭温泉郷」への旅に出た。長かった夏も終わったはずだというのに、東京都内では一向に秋の気配を感じない。ならば紅葉を追いかけての旅も一興と思い、発作的に新幹線のチケットを手に入れていた。予想は的中して期待以上の紅葉の絶景的風景を堪能することができた。

田沢湖駅から田沢湖湖畔までは黄色に滲んだ樹々が目についたが、田沢湖から山道を進むに連れて赤々とした樹々の群れに迎えられることとなっていた。地元の人の話では今年の紅葉は例年より遅く、色づき始めたのは1周間ほど前からだったといい、今が真っ盛りのピークだということである。

目指したのは乳頭温泉郷の中で最も奥深い場所に位置する「黒湯温泉」。もう少しして11月中旬を過ぎるころになるとこの宿は、雪に閉ざされ休館してしまうのであり、投宿は今ならではのチャンスだった。バスを降りるなり冷たい風に吹かれたが、露天の湯に浸かれば身も心も温まることができた。涼しい風は肌に気持ちよく、秋の季節ならではの温もりである。

銚子の食堂で食べた「イワシ刺し」のボリュームには喫驚なのだった

 

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佐倉市の「DIC川村記念美術館」を訪ねた後、おいらは千葉県の銚子へと向かっていた。銚子駅を降りて銚子港に向かう途中に在る食堂では「イワシ刺し定食」を食したのだが、出てきたそのイワシ刺しのボリューム的インパクトには圧倒されてしまったのであり、ここに記しておきます。

何しろ銚子と云えば、イワシの水揚げ量が断トツの1番なのであり、それかあらぬか豊富な水揚げ高を誇るようにして、新鮮でピチピチのイワシ刺しがこれでもかというくらいに盛られていたのだ。

上の写真に示したのがこれで一人前である。こんなに大量なイワシの刺身があっという間においらの胃袋におさめられてしまっていたことは、何よりもおいら自身が信じ難い思いと感慨に満たされていたと云うべきであろうか。

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その後足を伸ばして、銚子電鉄線に搭乗して終着駅の「外川」へと向かった。外川駅の駅舎は、1923年(大正12年)に開業され、その姿がそのままに引き継がれているのであり、歴史的時間は90年あまりの長きを有している。戦争でも空爆されることなく生き残った歴史的建造物としての評価も高いのだ。

戸川漁港に向かう路地には、心地よくフレッシュな潮風が迎えていたのであり、おいらはその潮風を全身で受け止めつつ、潮騒の街の散策に勤しんでいた。

新花巻の宮沢賢治のテーマパーク的エリアを訪問


昨晩は宮沢賢治さんが愛してやまなかった花巻市郊外の「大沢温泉」に宿泊した。名物の露天風呂ではこの時期矢鱈に発生するアブに襲われ、とてものんびり温泉浴とはいかなかったのであり、しかも起床したときからずっとおいらの顔面は、昨日に刺された影響でおいらの左目の上瞼は腫れ上がってしまっていたので、見開くことの出来ない半開きの不自由な視覚にて一日を過ごさねばならなくなっていた。

あまり気乗りせぬまま、新花巻駅から「宮沢賢治童話村」へと向かった。この地域には他に様々な賢治関連施設が立ち並んでいて、宮沢賢治のテーマパーク的エリアと呼べる一帯である。もう十数年前に「宮沢賢治記念館」を訪れて以来の、久しぶりの訪問となっていた。「宮沢賢治童話村」には「賢治の学校」という施設があるが、子供向けにあしらえた賢治テーマパーク的存在であり、なにかと押し付けがましくあり、おいらは好きではない。賢治ファンとしてはこのような施設が賢治ワールドの普及に役立たないどころか、安直な切り口による賢治さんの思想のガレージセールなのではないかと気が気でないのだ。相当昔に訪れたとき「宮沢賢治記念館」にて遭遇し、強烈なインパクトを受けた賢治さんの「日輪と山」という水彩画に再会するのを楽しみにしていたが、なんと展示されていたのは巨大なパネルの複製画であり、とてもがっかりしたのであった。こんな事象こそをガレージセールと呼ぶのではないだろうか?

復旧復興のシンボルになるだろうの「JR八戸線」に乗車

八戸からJR八戸線に乗って久慈へと向かった。JR八戸線といえば、東日本大震災で埋没し、全面ストップとなっていた路線である。昨年のこのころに旅したときには八戸から鮫駅までの限定的開通であった。其の時の鮫駅周辺はといえば未だ津波の甚大な被害を色濃く残していた。特に八戸港周辺の住居等の建物は其のほとんどが津波の餌食となり、地域の根幹を無くしてしまっていた。津波の猛威に潰されたのは、例えば、ガソリンスタンド店舗であり、漁業関係者のコミュニケーション広場であり、八戸市民との交流の広場であった。これらの修羅場的スポットを巡りつつ、おいらは言葉を失っていたといえるのだろう。

そして再度の乗車となったわけである。2時間あまりの乗車時間のほとんどは、山間谷間を突き進むばかりではあったが、其の中で瞬間的にも写り行く稀有なる光景の其れあれという光景を、おいらはキャッチしていきたいと希っていた。

そんなことからおいらは、穏やかな東海岸の風景を先ずはキャッチしていた。これまでは通常の電車による通過的事象でしかなかったことが、これだけに重大な意味と重みとを担っているのだから、おいらもしゃきっとしていたことは間違いない。これからは、特に南北リアス線をウォッチして近いいつか乗車したいと思う。

古き床しき軽米町の風景

東北新幹線が青森まで伸びて高速化が進んだ反面で、軽米町を取り巻く交通事情は不便となっている。少し前までは盛岡から高速道を使っての高速直行便こと高速バス「ウインディ号」は廃止されてしまって、軽米インターの降車場から町まで、てくてくと歩かねばならない。かつて久慈行き何度も利用した久慈行きのバス便も今は無い。陸中大野というバス停まで行って乗り換えねばならないのであり、そこで待たされる時間を思えば何だか億劫になることこのうえないのだ。

あり余る時間をとにかく歩き回った。東北も猛暑のまっ只中と見え、汗が滲み出している。まるで蒸し風呂の中にいるようだ。後からチェックしたら「16283歩」という堂々の1位のステップ数を記録したのだ。歩くということが日常生活の中での最も大切な健康法であることを再認識したのである。

軽米には古くて床しき景色が残されており、そんな風景に接すると、なんともいえない満たされた気持ちで一杯になる。宿をチェックアウトして、定期バスに乗車するまでの4時間あまりを散策して過ごすことになった訳であるが、古くて懐かしい土地の有難さに満たされていたのだ。

岩手県軽米町のアマランサス畑に見惚れていた

東北への旅に出掛けている。夕刻前には岩手県の軽米町に到着。この町は亡くなった妻の出身地であり、心の故郷である。懐かしい町なかを散策していると、いつもの事だが季節の花々が四季の顔でもって迎えてくれた。丘を登っていると目にしたのは赤々として重量感あるアマランサスの畑であった。この地は「雑穀」の故郷としても有名であり、もう少ししたら収穫のときを迎える。もうすでに刈り取りも始まっている畑もあるという。

軽米のアマランサスは「アマランサスうどん」として商品化もされており、おいらもときに触れてこの地のアマランサスを食してきた。濃赤色のその鶏のトサカにも似た姿から、「ケイトウ(鶏頭)」という名前がある。南米由来の穀物という説があり、さらには軽米町にて江戸時代から栽培されていたという記録もあり、その優れた栄養価等から「仙人穀(センニンコク)」とも呼ばれている。アマランサスは精白米に比べても、カルシウム約30倍、鉄分約50倍、繊維質約8倍を含んだ、いま注目の高栄養価穀物である。

被災地「宮古」で食べた復興の「磯ラーメン」

東日本大震災による甚大な津波被害地の宮古市を訪問した。死者、行方不明者あわせて1000名を超える犠牲者を生んだ、最も過酷な被災地の一つである。

宮古駅を降り、先ずは景勝地として名高い「浄土ヶ浜」へと徒歩で向かった。バスやタクシーを利用すれば10分少々の場所柄であるが、自分の足で歩くことを課していたのだった。そしてその予測的被災風景は、途中の魚市場周辺にて出合うこととなっていた。

宮古市内での最大被災地「田老」地区では、日本一との謂れの防潮堤を易々と津波は乗り越え、その最大潮位は37.9メートルにも及んだとされる。魚市場のある宮古漁港界隈は、巨大な港の津波の猛威に為すすべもなく侵食されてしまったことがうかがえる。

かつてTVニュースで流れた宮古を襲った津波の映像の多くは、宮古市役所庁舎から撮影されたものであり、市役所の1、2階は泥流で押し流されており、死と隣り合わせの建物であったことが推測されるのである。

港の市場にあった「シートピアなあど」という施設は未だに営業再開には至らないのだが、「なあど食堂」という仮店舗の店がオープンしていたので、立ち寄ってみることにした。

地元民に愛された食堂らしく、ラーメンや丼ものメニューが並んでいた。おいらは「磯ラーメン」を注文し、その磯の香り漂うラーメンを満喫したのであった。青海苔、芽昆布、イカ、海老、ホタテなど、磯の香りの食材をふんだんに使って独特の味わいである。中でムール貝ににた貝類がトッピングされていたのでおいらは「この貝は何という名前ですか?」と問うてみたところ、

「この辺りでは『しゅうぎ』と呼んでいます。外国では『ムール貝』と云う名前の貝です」

とのこと。地元名が冠せられていることは取りも直さずポピュラーな食材だということを示している。ムール貝が宮古の周辺で溶け込んでおり、日常的に食されていることは驚きであった。

改めて記す必要もないだろうが、この「磯ラーメン」には満足至極。天晴れの称号を贈呈したいくらいだ。

岩手「夏油温泉」の自然の音楽で癒された

夏油温泉の朝は早かった。川のせせらぎ、鳥の鳴き声、喧しいほどのかえるの合唱、等の自然の音の響きを耳にしながら目を覚ました。未だ時間は5時に至らないときだが、窓外は日の光を帯び、部屋には薄日を運んでいた。前日の豪雨とはうって変わった好天気に恵まれた。

昨日は豪雨でゆっくり入れなかった露天風呂に早朝入浴することにした。ここでもかえるの合唱は喧しく、しかも傍を流れる夏油川は更に活発なる音を立て続けている。自然が醸す物音に諧調は無く恐らくは乱調ばかりなのではあり、それゆえに人間を素にしてくれるのだろう。整った音楽が醸す音色以上に乱調的自然の音色には癒される。

ところで、かつて江戸時代の温泉番付にて「東の正大関」との称号を与えられていたのが岩手北上郊外に位置する「夏油温泉」であった。称号授与された当時は横綱という位は無かったとみえ、温泉番付にて実質的な東のナンバー1と云って良いのである。

先日はつげ義春さんによる「つげ義春の温泉」の夏油温泉の写真を目にして以来、ずっと夏油温泉が恋しくなり、今回は云わば発作的に訪れたと云う訳なのである。つげ義春といえば秘湯温泉、秘湯温泉といえば秘湯のナンバーワンの夏油温泉、夏油温泉といえばつげ義春さんなのである。この鉄板の強固なる連想的トライアングルは、夏油温泉への愛着を一層高めるのであった。

テレビも無く、ネットも繋がらず、余りあるのが時間ばかりの昨晩は、地元産の清酒「鬼剣舞」のワンカップを数杯飲んで健やかな眠りについていた。早朝の目覚めはすこぶる快適な体験であった。こんな秘湯は滅多に無い。

宮沢賢治が愛した花巻の「イギリス海岸」を散策

東北岩手を旅しており、花巻市内の「イギリス海岸」散策した。

花巻は何度訪れても新鮮な出会いや発見に遭遇する古里であり、北上川の流れを前にした通称「イギリス海岸」は、そんな花巻の原風景を象徴している。

決して大河ではない北上の川の流れは人された工化形跡が少ない分に鮮烈であり優雅である。

賢治は遠い異国の風景の憧憬を込めて「イギリス海岸」と命名したが、異国情緒の故意風景が作家の、あるいは日本人の原風景として定着してきた経緯は甚大な関心をさそってやまないのである。