イカの丸焼きの、赤くプクっと膨れた姿がいびつな食欲をそそるのだ

イカの丸焼きといえば、祭りや縁日の屋台料理としてよく接するメニューである。

ゲソと本体の全てを炭火で焼くのであり、そのボリュームは、もったいぶってイカ刺しなどとして喰らうものとは比較しようも無いボリューム感がある。だから晴れの日に喰う料理にうってつけなのであり、子供が親にねだってイカの丸焼きを頬張る姿は微笑ましいくらいだ。

さてこんなボリューム感のあるイカの丸焼きを居酒屋で注文したところ、ボリューム感以上にその、プクっと赤く膨れた膨満感に見とれて、しばし観察したのであった。

白く透き通って繊細なはずのイカが、炭火の遠火で焼かれてしまえば、このように真っ赤に染め上がっていて野生の食欲を刺激していく。しかもピンピンに突っ張って、輪切りになって皿に乗った姿はまるで、突っ張り姉ちゃんの姿かたちともだぶってしまい、いびつな食欲をそそるのである。

イカの丸焼きを食する時はまず、イカと格闘する心構えが必須である。タウリンや亜鉛が豊富で栄養価が高いとはいえ、必ずしも口に優しく美味だという訳ではない。独特のエグミがあり、唇に独特の刺激をもたらす。子供の頃はこの刺激感がちょっと苦手だったという記憶が蘇ってくる。

ともあれ、丸焼き料理にするからには、バターや醤油や酒やその他の、へたな調味料等は必要無し。ただ焼いたものを口にするのが本来のイカ丸焼きの食し方の基本なのである。

長崎と創作者が空回りしている西海の「秋ラーメン」

八王子の市役所に用事があり、向かったのであるが、帰り道にふと面白そうなラーメン店の看板が目について、ちょうど昼飯時だったこともあり、入ってみたのでした。

そこは「西海ラーメン」という。何でも九州長崎ラーメンの味を伝えているとのこと。長崎ゆうたら一流の観光地でもあり(おいらは行ったことが無いが)、店内では色々と長崎の歴史や観光をPRするビデオが流されていた。異国情緒漂う店内にて、家族連れなどでごった返していたのだ。昨今稀に見る繁盛店と云えよう。

九州と云えば博多ラーメンの存在を無視出来ないように、作り方の多くは「博多ラーメン」の模写的様相を呈している。関東圏に生まれ育った人間にとってみれば、長崎と博多の違いなどは屁の様な微々たるものでしかないのではある。だがそこは長崎県人の心意気なのか、出汁の基本を豚骨にトビウオの出汁と合わせたり、トッピング等にもオリジナリティーを出したりと気迫が伝わってくるのであった。

季節限定の「秋ラーメン」が目についたので早速注文してみたのだった。舞茸、なめこ、なめこ茸等の茸類に焼き餅、鶏肉、大根おろしがトッピングされていた。創作者のコメントとして「田舎のいろり鍋をイメージして、なごめる和の食材を使いました」とのこと。味覚に統一感は全くと云って良いくらいに無いが、空回りしている創作者の意気込みくらいは伝わってきたのだった。

http://www.urban-inc.co.jp/saikai/shop.php#0003

味噌仕立ての「寄せ鍋」でホッコリ

地元の居酒屋もいよいよ鍋料理解禁となった。一番の売りは、味噌仕立ての「寄せ鍋」である。

昨今とくれば様々な奇天烈鍋のオンパレードであるが、何よりも温まれてホッコリできるのは味噌仕立て鍋だろう。激辛等々、特別な刺激を味わうのは冬季の鍋料理にはそぐわないと云えよう。

「寄せ鍋」料理の具の定番といえば、葱、白菜、椎茸の野菜類に加えて、鮭、鱈、帆立、牡蠣等々の魚介類、とりわけ海老、蟹等々の甲殻魚介類は必須素材。魚介の出汁が味噌スープに奥深い味わいを加えていくのであり、ホッコリと温められる、隠された主役的アイテムである。

浅草ホッピー通りにて「牛筋煮込み」を頬張りつつ一献

浅草を訪れる用事が出来たついでに、毎度のホッピー通りへと足が向かった。ここで飲むホッピーはまた由緒正しき味がしており、忘れられない呑兵衛のスポット。まるで定期的に通う聖地のようだ。

先ずはホッピーを注文して一息、そして「牛筋煮込み」を注文。何故だか知らぬがこの場に来ると必ずと云って良いほど煮込み類を注文してしまう。牛筋でなければ「モツ煮込み」というように…。

浅草の煮込みが格段に美味いという保証はない。取り立てて云うほどのことはなく平均的である。では何故浅草の、この六区地域の煮込みに執着するのか? と、自己に問うたらば、旧ロック座人脈のビートたけしがこの地域の居酒屋のたかが煮込みを、どこの家畜の肉だかわからない部所(犬か何かだと述べていたな)を使ってとんでもない料理なのだがいつも食べていた、等々と滔々として話していたのを聞いたとき、

これが庶民の酒の肴の基本だと感じていたからなのだろう。だからそんな酒飲みの原点を確かめに、この地のホッピーと煮込みを口にするのだ。

ひょんなきっかけから由緒正しき「ネギぬた」にありついた

ネギ料理の傑作の一つと云えるのが「ネギぬた」だ。葱を焼いて、茹でて、ふやふやにして、酢みそで和えるというシンプルな料理だ。

シンプルながらネギに特別な思い入れが乗じたメニューであるが故に、ネギぬたに他の食材は禁物でもある。だがそんなことはおかまいなくして邪道メニューが蔓延る今日に喝!なのである。

そもそもネギぬたとは、ネギの味わいを損ねることなく特別な料理に一変されるような見事な料理なのである。それがいつの間にやら主役の「ネギ」が脇役へと追いやられてしまっていて、近頃では「マグロぬた」「イカぬた」「タコぬた」等々の邪道メニューが外食産業界、ことには居酒屋業界をも席巻しているという、何とも由々しき事態なのである。

ネギぬたを食べようとして店に行った日には「イカぬた」ばかりを食わされるという身になってみてからでは遅いのである。今こそ「ネギぬた」の復権を叫ばねばならないと切に思うのである。

TPP参加を既定路線として押し進める、民主党野田内閣の愚

東北大震災の復興の目処もつかないこの時期において、民主党野田内閣はTPP参加を強引に押し進めようとしている。かねてからの米国からの圧力が背景にあるのwであるが、我国の農業政策や医療制度における悪しき影響には目をつむったまま、ひたすら米国の言いなりに政策の舵を切ったということであり、あまりにも愚昧な政治選択だというべきだ。

農業団体を始め日本の暮らしの骨格を担ってきた人々が「TPP反対」の声をあげている。このまま政府がTPP参加をごり押しするようなことになれば、我が国はとんでもない泥沼に足を掬われることになる。絶対にTPP参加のごり押しを許すべきではないのである。

もとより米国流の「グローバリズム」とは純米国資本の世界支配の足がかりを得るための思潮でしかないものだ。国家間の垣根を乗り越えて一つになるという意味では決して無い。それどころか、1パーセントの強欲人種が米国のみならずアジア各国を蹂躙することへのお墨付きを与えてしまうことになる。

数年前には小泉純一郎が、郵政民営化という愚策を弄して米国のポチ国家化を企図しており、未だその流れは途絶えることなく、いつ何時もゾンビのように騒ぎ出すかわからない。日本が米国の属国となって喜ぶ馬鹿どもが残念ながら沢山存在することを忘れずに、絶対反対の声を出し続けていくことが必要なのである。

低カロリー食としてのおでんを見直した

この季節、温かいものでもっとも手頃な料理と云えば「おでん」ということになる。

じっくりと時間をかけて煮込まれたおでん種は、口の中でほかほかとした温かさを伝えてくれるのであり、味覚は控えめなものが望ましい。控えめな多素材がおでんの出汁の中で渾然と溶け合うことこそが、おでん料理の真髄と云えるだろう。

ほっこりと温かさを味わうおてんにとって、おでん種は味覚が控えめであることに加え、カロリーもまた控えめであることが求められる。大根、蒟蒻、半片、等々の代表的おでん種はこの条件をクリアーしていると云って良い。

ついついカロリー高めになる晩酌の酒の友としては、おでんは最適のパートナーなのだ。ゴテゴテとしたカロリー強の食材は、おでん種には禁物なのである。

秋も深まり「モツ鍋」専門店で今季の初鍋

肌寒くなったり夏日だったりと、猫の目状態の季節が秋と云うものか。今年昨年が異常なのかと、季節談義に花が咲くるの昨今なのだ。どっちつかずは気持ち悪いものであり、肌寒くなったら鍋料理だと、地元のモツ鍋店に向かっていた。


モツ鍋が売りの専門店だけあり、ニンニクの香りが漂っている。注文して出てきたのは、鍋の中にスープと盛られた大きなキャベツの山。これに火を入れると次第にキャベツがしんなりとし、モツが顔を出すと云う仕組みがユニークだ。

顔を出したモツはピチピチとしていてコラーゲン豊かなことを示している。コラーゲンばかりに関心が向いているわけではないがどうもこの歳になると肌の艶テリを回復させたい気持ちに駆られている。公言したくないがカミングアウトするならばそういうことになってしまうだろう。

一通り鍋を突付いて具を平らげた後は、ご飯と卵を加えて、雑炊の締めご飯だ。モツから出た濃厚な出汁がご飯に染みて、これはまた濃厚な雑炊ご飯の出来栄えとなっていた訳である。胃にもたれるかと思ったが口に入れてみればするすると喉を通るくらいに食欲を刺激する満点ご飯のようであった。

■関根精肉店
〒192-0081
東京都八王子市横山町3-6 JEビル1F
TEL 042-656-1230

中国産巨大大蒜(ニンニク)の串焼きは確かに美味しかった


ふらっと立ち寄った居酒屋で、ニンニクの串焼きに遭遇。おおよその目見当では5cm近くある。マスターにどこ産かと訊ねたところ、「中国産」とのこと。ある意味で納得し、ある意味では新たな胸躍らせていた。

巨大な国土を有する国だからニンニクが巨大に育つとも考え得難い。ある種の特別な特別変異があったのかとも想像されるが、確かな証拠はどこにも見当たらない。いったいこの巨大な大蒜の正体は?

とりあえず記しておくことは、その巨大な大蒜の味わいは充分に大蒜のそのままの味わいであり、美味だったということ。例えば不味かったとすれば却って論点が整理されたのだが、決して不味い食材ではなかった。

日本の農家にでも作ってほしいと思われるくらいの代物であったのである。

タジン鍋料理の第2弾は、タジン風「じゃがバター」

タジン鍋を使った料理の第2弾は、「じゃがバター」を試みた。

まずは北海道の男爵芋をアルミに包んで、電子レンジで5〜6分の前処理を施した。そして、身が柔らかくなった男爵芋を食べごろサイズにカットして用意。鍋にはキャベツ、玉葱、を敷き詰めて、その上に男爵じゃがいもとバターを乗せて準備完了。調味料は日本酒をざっくりと素材に掛けたのみ。

タジン鍋のシルクハットのふたをかぶせて、先ずは強火で沸騰させる。そして蒸気が上がったところで弱火にし、じっくり蒸し焼きにすること10分あまり。キャベツ他の野菜はしんなりとし、主役のじゃがいもにも火が通ってほくほくの蒸し焼きじゃがが仕上がっていた。

北海道風に、イカの塩辛を乗せていただくことにした。バターの香りが染みてほくほくしたじゃがいもに、塩辛の塩味と肝の苦みがマッチしており、奥深い料理を堪能することとなった。男爵芋+バター+イカの塩辛の取り合わせは、流石に味覚の三位一体的トライアングルを奏でており、北海道の食文化の豊かさを感じ取らせるに充分なものであった。

タジン鍋を使った料理の第2弾は、「じゃがバター」を試みた。まずは北海道の男爵芋をアルミに包んで、電子レンジで5〜6分の前処理を施した。そして、身が柔らかくなった男爵芋を食べごろサイズにカットして用意。鍋にはキャベツ、玉葱、を敷き詰めて、その上に男爵じゃがいもとバターを乗せて準備完了。調味料は日本酒をざっくりと素材に掛けたのみ。タジン鍋のシルクハットのふたをかぶせて、先ずは強火で沸騰させる。そして蒸気が上がったところで弱火にし、じっくり蒸し焼きにすること10分あまり。

キャベツ他の野菜はしんなりとし、主役のじゃがいもにも火が通ってほくほくの蒸し焼きじゃがが仕上がっていた。北海道風に、イカの塩辛を乗せていただくことにした。バターの香りが染みてほくほくしたじゃがいもに、塩辛の塩味と肝の苦みがマッチしており、奥深い料理を堪能することとなった。男爵芋+バター+イカの塩辛の取り合わせは、流石に味覚の三位一体的トライアングルを奏でており、北海道の食文化の豊かさを感じ取らせるに充分なものであった。

コラーゲン豊富な豚足との格闘記

コラーゲンが豊富で肌がピチピチになるとして人気の食材が豚足、即ち豚の足である。

行き付けの居酒屋で供される「豚足」というものは、どうにも愛嬌が無い。大振りの皿にどさっと乗せられて出されて来るのだが、これがまさにそのまんまの豚足なのだ。柔らかく煮込むのでもなく、下茹でしたそのまんまの豚足だ。

こんな野性的な料理は、まずはがぶりとむしゃぶりつくに限る。天然のコラーゲンとやらを味わえるのだから其れで充分だと納得するのも一考ではあるが、其れで満足してばかりはいられない。過去には差し歯を欠いてしまったり経験のあるおいらにとっては、とてもむしゃぶりついて満足できる対象では、実は無かったのである。

最近は相性も良くなって、差し歯を欠くことも無くして食することも出来るようになってきているのだ。天然コラーゲンの味わいは、とてもナイスであり、菜食嗜好の一時の浮気対象としてはとっておきとも云えるくらいだ。

我が家初のタジン鍋料理は、ちゃんちゃん焼き風蒸し焼き

かつて地元の居酒屋で「タジン鍋」の料理を食して以来、タジン鍋に対する執拗なる関心を抱いていたおいらだが、このほどその「タジン鍋」を購入。早速的に、初のタジン鍋料理にチャレンジしたのでした。

今回の料理の基本コンセプトは、旬の鮭を使った「ちゃんちゃん鍋」風の蒸し料理。ご存知北海道の著名な郷土料理也。キャベツ、玉葱他の大地の恵みの野菜類をたっぷりと敷き詰め、北海道魚の象徴たる鮭を乗せ、そして味噌味で蒸すという、ダイナミックな料理である。今回はこれをタジン鍋を活用して作ってしまおうという試みなのだった。

とりあえずは最初の調理なので地元のスーパーにて調材を確保。大きめに敷き詰めた野菜に鮭の切身と味噌、バター、そして日本酒という、シンプルな味付け。

ガスの炎に当てられた鍋は、野性的に発火点まで突き上り沸騰したところで、スイッチ切り替えて弱火の炎に委ねたのだ。その間の時間的推移は12分あまり。少量の酒だけが水分としてあてがわれている限りの、極めて蒸し料理の基本に忠実な、ちゃんちゃん焼き風鮭蒸し料理が完成したのだ。

ちょっと味噌の量が多かったのか、それと火の掛け時間が長すぎたのか、野菜はしんなりを通り越してびちゃびちゃした触感となってしまった。鮭と野菜類との調和的料理の理想には残念ながら到達できなかった。

けれどもまた蒸し料理がこんなに手軽に手に届くということは、これからの家庭料理のレパートリーに光明を与えているような、可能性を呈示したのであった。これからますます家庭料理の愉しみがいや増したというべきであろう。

小さくても鯛の塩焼き

魚の塩焼きの中で、敢て何が最も美味か? そう問われたならば、おいらはきっと「鯛」と答えるだろう。

白身魚の王者としての知名度、貫禄は他を抜きん出ている。それに加えて見た目外見もオリジナリティ溢れて個性的であり、ファンを惹きつけること甚大である。

相撲取りの優勝祝賀会か、一生に一度の結婚式か、あるいはそれに近い諸々のイベントでしか口にすることが出来ないものかと、幼い頃には思っていたが、どうも近頃では居酒屋メニューとして食することも可能になっていることを発見していた。そしてそんな機会が訪れたのでありました。

そして身を口にすれば、白身魚の王様の評価に相応しくしみじみとした魚のエキスが染み渡ってくる。決して派手な味ではなく、ジーンと身体に染み入ってくるエキスが横溢している。

塩と炭と云うシンプルかつダイナミックな調理方法がこの逸品を支えている。美味い魚の美味い料理の極北と云えよう。

奥多摩の居酒屋で「岩魚の燻製」を喰らう

奥多摩を旅した際にぶらりと立ち寄った居酒屋で「岩魚の燻製」を喰らう機会に浴したのだった。とても珍しい初めて口にする味わいであった。

清流でしか育たない岩魚を、桜のチップでいぶして燻製にする。奥多摩で採れた食材を奥多摩現地で燻製処理しているのだという。

川魚特有の野性的な身に、濃厚な香りが加味されていて、奥多摩ならではの地元食に値する。

生や炭火焼きはもちろんそれで充分に美味しいが、燻製岩魚は特別な食文化の結晶である。

初秋の御岳山を登山或は散策したのでした

御岳山に登った、或は散策したのでした。

というのも今時の語感的常識で云えば、登山とは山に登ることであり其れは即ち山を歩くこととほぼ同様の意味を指しているものであろう。であれば「登山」と云って何ら憚れるものは無いのではあるが、然しながらおいらが幼少のころに耳にしていた「登山」と云うにはギャップがあまりにも大きすぎるのであり、ここは御岳山を散策したと云うのが妥当だと考えていたのであった。ここで云う幼少のころの違和感を増大させていたのが、所謂人気野球スターこと長嶋茂雄選手が選手当時に「山ごもりをする」と宣言しては、どこかの高原温泉地で温泉に浸かってたりしていたという事実を耳にしたときではある。結局のところは東京を離れて、綺麗な空気の高原地帯で温泉に浸かりながらトレーニングに励んでいるということに尽きるのではないか? それを後生大事に「山ごもり」等と云う語彙に当てはめてマスコミ発表するなどと云うのは勘違いにもほどがある! と、些か青臭い感性にて感じ取っていたからであった。「山ごもり」=「温泉漬け長閑トレーニング」を受け入れるのには相当の年月を必要としていたことをここでカミングアウトしておくことにする。

前書きが長くなったが「御岳山」とは、東京都内であり、青梅市郊外の一地帯であり、実際に高尾山に次いで東京都内で登山客を集めるという有力な観光山なのである。都内に居住する人間にとっては散歩感覚でぶらりと訪れることが可能となっている。それくらいに親しみ深い場所なのである。

青梅線の青梅を下車して「奥多摩」行きに乗り換えて十数分乗り、「御岳駅」にて下車。バスでロープウェイの「滝本駅」まで十数分。そしてロープウェイに乗って登ること6分あまりで、「御岳山駅」に到着した。「御岳山駅」周辺には都内を展望することができ、天候事情がよければ「東京スカイツリー」「東京都庁ビル」等が眺められると云う。本日は空気が濁っていたのかそれほどの眺望が得られなかったのがちと残念ではあった。

ロープウェイ駅から歩くこと30分弱で、「武蔵御嶽神社」に到着した。歩道は緩急取り混ぜながらの興味深いつくりでもてなしてくれていた。神社下には数多くの宿坊が在り、商店街も存在する。旅人を山岳地域全体でもてなしていると云うことをありありと感じさせている。宿坊街、商店街の狭い通路ではスクーターで行き交う土地の人々が在り、まるで高原の一都市の姿を髣髴とさせているのだ。

神社へお参りした後に、商店街の食事処で、山菜蕎麦を食した。800円也。駅の立蕎麦屋に比べると倍ぐらいの値段だが、用いられている蕎麦の味わいや少々濃目のつゆなど、ジーンと胃袋に染み入って満足であった。現代登山とは云えども数時間の散策を行なった後の、浅い疲労感を払拭するパワーをもらうことが出来たのであった。帰り道は蕎麦のパワーで軽々乗り切っていたのだった。

紅葉の季節にはまだ早すぎいていたようで、路傍の樹木は少し枯れかけていたという、鑑賞的には中途半端なものではあった。いつか紅葉の時期にまた訪れるぞと云う希望を胸にしながら、帰路についていたのでありました。

秋のほかほか栗ご飯なのだ

土鍋で「栗ご飯」をつくった。冷蔵庫に残っていた椎茸と南瓜を加えて秋の三点盛り炊込みご飯だ。

土鍋の蓋から上がる蒸気が溢れると、ほかほかとした甘い香りが部屋中に漂っていく。水蒸気が吹き上がらなくなるころからがほんのりおこげご飯が出来ていく過程なのであり、耳を鍋に近づけて、しっかりと炊き上がりを確かめていく。火を止めてそのまま15分程度蒸したら出来上がり。

出来たてを口にすれば、栗のとろけるような甘味が口蓋中に広がる。甘味が染みたご飯もまた申し分が無いくらいにほっこりとした味わい。この時ばかりは椎茸も南瓜も存在感が霞んでしまった。殊のほか際立っていた主役は栗のほかほかさだったのであった。

「iPhone4S」の新OS「iOS5」をバージョンアップ的インストール

決してデジタル人間ではなく、どちらかといえばアナログ系人種であると常々自覚しているおいらではある。ところがひょんな思い付きで今日はまた、iPhone OSのバージョンアップ「iOS5」の導入などを試みたのだった。ご存知、iPhone4Sの発売と共にOSもバージョンアップして出荷されているものだ。実時間で1時間以上は費やしていた。

「iCloudを使用すると、写真、App、連絡先、カレンダーなどをデバイスにワイヤレスでプッシュ送信することができます」というアナウンス等があり、「同意しますか」には全て「はい」。その後は「結合しますか」と聞いて来た。よく分からないままに「はい」を押してしまっていたのだった。

この先にはまた様々な設定の為のあれこれなどが必要である。そんなこんなは後日またレポートしますので、今宵はこの限りにて。

冬が近づくとは「アン肝」が美味い季節になること

秋も深まり日没後の気温の低下も身に染みてくる。こんな季節の訪れは、美味い「アンコウ(鮟鱇)」の季節なのだ。殊にアン肝が夜の食堂、居酒屋にお目見えすることとなる。すなわち冬が近づくとは、「アン肝」か美味い季節になることを意味している。早速今晩は今季初の「アン肝」を頂く機会に遭遇したのだ。

其のものの文字通りに、鮟鱇の肝を蒸したりその他の調理を施して提供される。仏料理に欠かせないフォアグラにも匹敵するくらいに濃厚な味わいが、まさに依存症的虜にさせること請け合いなのだ。

今年は福島原発事故の影響で、魚介類にも放射能の影響が懸念されているところだ。何時に出荷停止になったとしてもおかしくは無いであろう鮟鱇をはじめとする東北海鮮の恵みである。じっくりと丹念に味わってみたのである。

焼きおにぎりに、秋刀魚のなめろうはよく似合う

深刻な原発被害が続いている中、秋のサンマ(秋刀魚とも書く)が大漁だと云うニュースが流れてくる。居酒屋メニューにも「新サンマ」ものが目についてくるこの頃だ。塩焼き、刺身、タタキとある定番メニューに混ざって「なめろう」なるものを発見し、それを注文してみたのだった。

出されてきたものは、三枚に身をそがれて、サンマの頭と骨のとぐろ巻きの上にたっぷりと乗せられているなめろう。ご存知のようになめろうとは、身の部分をタタキにし、味噌や葱などをあわせてなお叩いてつくる、漁師料理である。食べ終わった皿をなめるくらいに美味しいということから「なめろう」と命名されたという説が一般的だ。

そして待つこと十数分、運ばれたサンマのなめろうとやらを口に運んでみたところ…。味噌の濃厚な味にサンマが負けていたのだった。アジのなめろうのイメージを抱いた当初の期待は、最初の一口でうちひしがれていた。サンマの身はアジとは違い、食感も味覚もともに繊細であるが故に、味噌の強靭な味付けには少々力負けしてしまった嫌いがあったのだ。味噌の量を減らしていたらこんな味にはならなかったのかも入れないが、果たして量の問題なのか? あるいはサンマの身の問題なのかは判断がつかぬまま、結論を出しかねていたのであった。

おいらはそのとき、こういう濃い目の味付けの料理こそ、ご飯と一緒に食らうべきだと考えた。そして焼きおにぎりを追加注文し、おにぎりにつけて食べることにしたのだった。そしてその結果は、至極満足のいくものだったのである。焼きおにぎりに、秋刀魚のなめろうはよく似合う。

上にのせた写真が美味そうに写っていたならば、そのことがよく伝えられるのではないかと考えている次第なのである。

身体に悪そうだがついつい注文してしまう鶏のボンジリ

 

鶏のボンジリ(実は「ぼんじり」と書く方が多い)と云えば尻尾のところ、所謂テールである。目立たないがちゃんと軟骨も備わっているという。近頃焼き鳥屋(焼きトンを売るのではなく本物の「鶏」の焼き鳥を売る店のこと)へ行くと必ずと云って良い程このメニューを見つける。最初は興味半分で注文して見ていたが、近頃ではこのボンジリの誘惑についつい注文してしまうといった次第だ。

軟骨はあるとはいえ脂身だらけであり、鶏のジューシーな脂身を食したくなったらこの「ボンジリ」を注文するのが手っ取り早いのである。どんな箇所の鶏肉以上にジューシーでマイルドな食感と味わいが満たされるのだから、一旦の味わいを知ってしまったならば、ある意味の依存症的症状を呈するのである。

人間の身体中の脂身といえば、食物連鎖の結果として食べた食材の脂の種類に多分な影響を受けている。豚肉或は牛肉の脂、鶏肉の脂、魚類の脂、…等々の中では魚類のとりわけ青魚の脂身が「EPA、DHA」という種類の血液サラサラ成分が豊富であり、脳梗塞、心筋梗塞の予防にとってはもうしぶんが無いものだ。だが鶏肉の脂身とくれば血液ドロドロを招来しかねないものなのであり、健康食材とは云い難い。

それでもこうして口にしてしまうのであるから、虜になった味は健康に勝てないということの現れなのだろうな…。