騎手を凌いだ天才馬こと「シンボリルドルフ」の想い出

天才馬「シンボリルドルフ」が30歳の生涯を閉じたというニュースを目にした。おいらはそもそも競馬マニアと云った人種とはほど遠く、ましてやギャンブラーでもないので、競馬ネタはこれが最初で多分最後になるだろうとは思われるが、しかしながらシンボリ皇帝馬のことは書かずにおれない欲求が全身を駆け巡っているのであるからにして、素直に今日はここにて記すことにしたのだ。

当時のおいらはといえば年端もいかない若造であり、ある長野県内奥深くの温泉旅館のアルバイト関係で知り合った知人に競馬の手ほどきを受けつつ、ほんの一時だけではあるが競馬にのめり込んでいた。そのとき買った馬券のほとんどが「シンボリルドルフ」絡みのものだったが故により一層にシンボリ劇場のあれやこれやのシーンが走馬灯のようにして飛び交っているのである。

現役競走馬として走っていた当時のルドルフのライバルには、少なくとも2頭がいた。前年の3冠馬ミスターシービーと、先攻逃馬カツラギエースである。ルドルフにとって、前門の虎(カツラギエース)と後門の狼(ミスターシービー)というライバルを敵にしつつ、ルドルフはルドルフらしき自分自身の聡明な走りを見せつけつつ、勝ち進んでいったのである。特に「ジャパンカップ」では後塵を拝することになったカツラギエースとの対決のシーンは、今なおまぶたの奥に残って止むことはないのである。先に走っていたカツラギエースを追うこと無く破れてしまったレースが「第4回ジャパンカップ」だった。

追えば絶対に追えたはずの先行馬をみすみす逃してしまった。その責任は岡部騎手にあることは明白であった。だが誰もがそのことを指摘することが無かった…。

続いて開催された有馬記念では、ルドルフはカツラギエースしか見てはいなかった。そして堂々の横綱相撲でカツラギエースを下し、陣営は溜飲を下げることとなっていた。騎手の指示よりもそれ以上にルドルフの頭脳が勝ちを制したというレースであった。