「棟方志功記念館」を訪問〔3〕「板画」に込めた天才の技

棟方志功さんが自分の作品ジャンルについて「版画」と呼ばれるのを嫌い、自ら「板画」であると主張していたエピソードは有名な話だ。

木材としての年輪や引っかき傷、撓み、汚れ、等々の具材としての「板」の存在感を強烈にアピールしながら、棟方芸術は作り上げられてきた。

コピー作品としての「版画」という、ネガティブなイメージはそこになく、ひたすら木材を相手に自らの世界を描き続けてきた棟方芸術の痕跡を、我々は辿るばかりなのだ。

予め墨で着色した木材に顔を数センチの距離にまで近づけて、彫刻刀の一撃一撃が投下されていく。その制作の姿はまるで、石工が固い石材に対して力いっぱいに斧をぶつけていく仕種にも似ており、素材と作家との格闘というプリミティブな芸術行為そのものを、鮮やかに浮かび上がらせていくのである。

版画がコピー芸術だと揶揄されたことを跳ね飛ばすに充分な、棟方芸術の格闘の姿がそこには存在していたのである。

「棟方志功記念館」を訪問〔2〕凡庸な保守主義とは一線を画して築かれた棟方志功の世界観

棟方志功は生涯において膨大な量の作品を残している。そう広くはない「棟方志功記念館」の「躍動する生命」企画展にて展示されていたのは、同記念館が所有する膨大なコレクションの中のほんの一部だが、代表作は少なからず含まれていた。

「釈迦十大弟子」は釈迦の弟子達の姿を彼独特のデフォルメ的手法で骨太に描いたものだ。夫々の弟子達の表情から見えるのは、卑近な日常で接する人間達の顔々との特別な相違を見出すことは難しい。何故ならば弟子達の個性は人間存在の様々なる個性と類似しているからであり、これこそが棟方志功流なのだ。

「湧然する女者達々」は、ふくよかな女神達であるが、日常一般で接する女性達の息吹も漂わせている。すなわち神話の女神達のようでありつつ、日常性からたどった女の理想像なのかもしれない。触りたい、抱きしめたい、そして包み込まれたいといった、云わば男の下心にも通じる世界を棟方志功さんは描き切っているのである。

彼の作品にて描かれる「天妃」或いは古事記の神話からとった女神像は神話を題材にしながらも、それに埋没することなく棟方流を貫いている。「女者」という題材が棟方世界を貫く特別なテーマであったのだが、そのテーマの追求の手段として、神話なり仏教故事なりを借用している。

すなわち棟方さんは、よくある凡庸な保守主義者のように神話や故事に埋没して嬉々とする俗物たちとは一線を画して、彼自身の作品世界の構築に努めたのであった。これこそが彼自身の世界観をこ決定付けている。こんな姿勢こそが、天晴の賞賛に値するものなのであり、我々現代人が見習っていくべきものなのである。

黒石発祥の名物「つゆ焼きそば」は見習うべきソウルフードなのだ

青森県の青荷温泉からの帰り路、黒石市内の食堂にて「つゆ焼きそば」を食した。

黒石名物の「つゆ焼きそば」は、多くのB級グルメ情報にてその存在は知っていた。だが、こんな味だったとは! その味においてはひたすら吃驚なのだった。

注文すると間も無く調理場からは、麺を「ジュー、ジュー、ジュー」と焼く音が聞こえてきた。古惚けて小さな店内にはひたすら大きく響き渡る。数分の後「ジュージュー」の音は収まり次の工程に入ったことがうかがわれる。だがその行程が、予想以上に長かったのだった。ただ焼いた麺にスープをかけたものではないらしい。

そしてやっと運ばれてきた注文の品には、黒ずんだスープの中に、キャベツ、豚肉、天かす、ネギ、等々の食材が浮いている。箸でスープの中を掬うと、幅広い太目の麺が顔を出した。

まずはスープを一口。この瞬間が予想外の出逢いであった。ラーメンのスープの味でも無ければ、そば、うどん類のつゆの味でも無く、全く新しい。ツーンとしたソースの香りさえもがまろやかに調和している。不思議な味わいなのだ。

多分は中華そば用のスープがベースに、焼きそばのソース、天かす、ネギ、等々の味わいが混ざり合ったスープが、こんなにも調和の取れたものだったのかという発見、思いもつかない発見なのであった。

日本そばにはかつお+昆布出汁、そして中華麺には鶏ガラスープと、云わば固定観念に囚われていた日常の食文化的常識を打ち破るくらいのインパクトが在ったと云うべきだろう。岡本太郎さんではないが「何だ、これは!」と、思わず叫びたくなる。

ジャンクフードだとばかりに思っていたものが、実は素晴らしいソウルフードであったという訳なのだ。地域で食されるソウルフードはこうでなくてはならないという、まさに見本のような素晴らしい料理なのである。

ランプの宿こと青荷温泉に宿泊

昨晩は、ランプの宿こと青荷温泉に泊まった。ネットも携帯も使えない、電気が通っていないからテレビ、ラジオも使えない。その代わり、豊富な時間や自然が満ちていた。

ランプの光は予想以上に微力であり、頼りなくも感じさせるものだった。夜になったら読書をしようと用意した本はランプが暗くて読めなかった。そのぶん余計に豊富な時間を持てた気がする。

電気に頼り過ぎた生活の中では、日の有難さなどは忘れさられてしまう。光と闇の繋がりの中に我々が置かれていることさえもが忘却の彼方へと飛んで行ってしまったということを、痛感していた。

日がくれる時間の只中に居ると、まさに闇が襲ってくるときのドラマを感じ取ることになる。昼の時間から闇の襲来の時間をおいらは露天風呂に浸かりながら過ごしていた。

刻一刻と闇は近づき、まるで舞台が少しずつ変化していくのを肌で感じとることが出来るのだ。さっきよりもまた少し、また少しと、音は立てないが確かに闇は襲いかかってくる。一瞬一瞬がまるでドラマ化された舞台の中でのストーリーと化している。なまった感覚を取り戻す方法としてこれ以上のものはないと云っていいくらいだ。

青葉が芽生えている大自然の息吹と、天然の温泉、素朴だが滋味豊かな大地や川からとられた食材を調理して出された美味しい食事、そして永遠をかんじさせるくらいの豊饒な時間があれば、人生は豊饒を感じ取ることができるのだ。

余談になるが形而下的話題を一つ。夜になってフロントに抗議するおやじ出現。「ランプの宿かどうかしらないが、いったいどうなっているんだ」と、たいへんな剣幕だったのだ。おいらの推察では愛人に愛想を尽かされかかったのを何とか宿のせいにして乗り切ろうかと図ったようなり。温泉に不倫あり、を絵にしたような騒動であった。

十三湖の蜆がたっぷり入った「しじみラーメン」

今回の旅ではとくに名産品を求めることは無かったが、青森市内の食堂で食した「しじみラーメン」にはいたく感動した。

調理の工程を目の前で眺めることになっていたのだが、とてもスローに、しかし丁寧に充分な慈しみが込められてその一杯はつくられていた。

生のしじみを煮て、とっておきの自家製しじみエキスを加えてスープにし、薄めの醤油だれと合わせていく。「十三湖」で捕れた大降りのしじみがたっぷりと、滋養豊かな香りを振り撒いていたのだ。

毎日はと云わないが、ときどきはこんな地味豊かな味に接することになったらさぞ嬉しく思うだろう。スローフードの原点とも呼ぶべきラーメンに大満足なのだった。

東北青森の「棟方志功記念館」を訪問

福島、宮城、岩手を通り越して、東北の青森に来ている。

東北地方はまさに心の故郷であり、何度も足を運んでいるが、今年は大震災後という特別な状況もありなかなか例年通りの観光旅行、慰安旅行の気分にはならなかったが、かといって東北が遠く感じてしまいつつあるのをそのままやり過ごすこともままならずに、とにかく行ってみようと新幹線に飛び乗っていたのである。

初めて降車した「新青森」の駅舎はモダンでありつつ、青森の風景に馴染んでいた。少し前までこの場所の駅舎が無人駅だったということを聞きつつ、新しい玄関口が開かれたことを嬉しく感じた。「青森駅」とはまた違った展開をこれから見せてくれていくことになるのだろう。

さて最初に訪れたのは「棟方志功記念館」だった。棟方志功さんの作品には、都内や青森県内の様々な場所で接することはあったが、一堂に会して鑑賞するという体験はなかったように思う。大変尊敬しているアーティストに対しては、些か礼儀を欠いていたと、改めて思った。

現在の企画展は「躍動する生命 棟方志功の眼」と題して開催されている。今のネット環境の悪いここでその詳細を記すのは困難なので、内容その他については帰京してから改めてまとめたいと思っているところだ。

庭にはドクダミが咲き誇っている

毎年この時期になると庭の野草が突然に繁茂してくる。

白い花びら珍重のようなものを付けているのだが、じつはこれ、ドクダミという野草なのだ。いつからかは定かでないが、我家ではいつの間にやらこの時期の主役となっている。

薬草としても珍重されるものだから、刈りとって、お茶にしてみようなどと企んでいるところなのだ。

カツオの刺身は、今が最もの旬なのだ

カツオの刺身が話題に上るのは、初春の「初ガツオ」か或いは秋の頃の「戻りガツオ」の時期であるが、実は今のこの時期こそがカツオの旬なのであり、刺身の味わいも絶品なのである。

この時期のカツオの刺身を食べなければ、かつおの旨さを本当に味わったとは云い難い。旬のカツオを食してこその、かつおマニアなのだ。

マグロよりも小ぶりではあるが上品な味わいであり、人間の健康生活に必須の成分であるところのEPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)の含有量が多いと云うことが挙げられる。

しかも季節の旬を味覚で味わいつつ季節を愉しめるのだからこのうえも無い食材だと云って良いだろう。

余談ではあるが、「カツオのたたき」と云うメニューをおいらは好きではない。カツオは刺身で食するのが基本であり、最もその味わいを享受できる調理法なのである。

小ぶりだが高級魚の「のどぐろ(あかむつ)」にありついた

のどの中が黒いから「のどぐろ」等という有難からざる名前で呼ばれているが、正式名称は「あかむつ」と云い、味は絶品のお墨付きの高級魚なのだ。

炉辺焼きの居酒屋店にて炭火で焼いたのどぐろを見かけて思わず注文してしまった。

その身は引き締った白身魚で、淡白だが独特の脂身を含んでいる。小ぶりのものであったがその身の独特な味わいは満喫することができたのだった。

食べ終わった魚ののどの中の方を覗いてみたが、特に黒い部分というものを発見することはできなかった。成長すると40cmにもなるという巨大魚だから、その成長魚ののどの何処かには黒い部分や斑点などが見られるのだろう。

そんなのどぐろは、日本海の猟師町に行かなければ遭遇できない、それこそが本物の高級のどぐろなのかも知れないと思った。

東京下町の紫陽花(アジサイ)は見頃なり

梅雨のジメジメジトジトした日々には紫陽花が見頃になる。決まっていることながら、やはりこの時期になると紫陽花を探してしまう。都会の、特に下町の路地裏に咲く紫陽花を求めて散歩するのがこの時期のならいともなっている。

漢字で紫の陽の花とは書くが、紫色のものばかりとは限らない。赤いもの、ピンクのもの、白いもの、赤青混色のものなど色とりどりである。

一般的によく見かける手鞠に比せられるものは「セイヨウアジサイ」という品種だ。花弁のように見えるのは実はそうではなく「ガク」に当たる。本当の花弁はもっとずっと奥深くに隠れている。

最近良く目に付く種類が「ガクアジサイ」と呼ばれる品種だ。花弁に見えるガクが取り巻いているその中央部分には細かな花弁が密集していて、生き生きとして微小に咲き誇るその様は見るものを釘付けにしてしまう。

年間を通してこの時期ほど町の裏通りの景観に思いを寄せることはないだろう。ただ緑の植え込みだとして見過ごされるものが、色々とりどりの花やガク等を開いて人々の目を釘付けにするのだ。

こんな景色はやはり散歩しながら求めていくしかない、季節の風物詩なのだろう。

都内の居酒屋「南部屋」で食した「ひっつみ」の味わい

仕事帰りに「南部屋」という居酒屋の看板を見つけ、引き摺られるように自然と足を運んでいた。「南部」とは、岩手県北部と青森県南部の、かつての南部藩の領地を指している。明治の廃藩置県で岩手と青森に分離されてしまったが、この地域一体は一つの歴史文化圏なのだ。

足を踏み入れたその居酒屋は仕事帰りのサラリーマン達で賑わっていたが、地元の銘酒「南部美人」の酒瓶やポスターが店内にあること以外は通常の居酒屋と大した違いは見当たらない。メニューを眺めても、刺身や焼き鳥、肉じゃが、肉豆腐、等々とありきたりのものが並んでいる。些か拍子抜けである。

そんなことを思いつつ、お勧めではないレギュラーの所謂グランドメニューに目を走らせていると「ひっつみ」を見つけたので早速注文してみた。

何度かここでも書いているが、「ひっつみ」とは小麦粉などの粉類を練ってつねって具にした汁物のことを指している。全国的にホピュラーな戦時中に食された「すいとん」に似ているが、スープ汁につねって入れた具の、その姿形や触感が独特なのである。

青森県側には「せんべい汁」という郷土料理があり、それとの類似もよく指摘される。だが味わいは「ひっつみ」に分があると、常々おいらは感じているところなのである。何よりも麦やその他の雑穀に対する愛着が齎した料理が「ひっつみ」だということだ。小麦粉以外でも、ひえ、あわ、そして最近ではアマランサス、韃靼そば等を用いた「ひっつみ」料理も提供されている。

そして肝心の「南部屋」で食したひっつみについてだが、小ぶりのお椀に入って出てきたのには、再度拍子抜けだった。地元の料理だったらがっつりとボリューム感があるだろうに、こんな味見をする程度の料理にはがっかり。

居酒屋メニューだから、がっつりボリュームを出したら酒の量や他の注文が進まないだろうし、居酒屋メニューとしては当然なのかもしれなかった。

だが思い直してひっつみのちぎられた具を口にし、出汁の効いた汁を啜っていると、妙にひっつみ料理の良さに納得したのだ。やはり調理人が手でちぎったひっつみは美味いのだ。こんな素朴な郷土料理は珍しいだろう。

洋風「パプリカ」は「ひじき」と相性が良い

ひじきの煮物を作った。我家の定番料理の一つである。

普段は大豆か人参か干椎茸とあわせて煮るのだが、今回は「パプリカ」を相棒にしてみたのだ。ピーマンと同種の食材だが、ピーマンのツーンとした匂いや刺激は少なくほんのり甘いところが、ひじきと合うのではないかとにらんだからだ。そしてその予測は的中したのだ。

砂糖、醤油、出汁汁などはいつもより抑え目にしたところ、淡白な乾燥ひじきはパプリカの甘味を吸って、とても複雑な味わいになった。これまた和洋折衷の逸品メニューと云えるだろう。

牛の第二の胃袋「ハチノス」をトマトで煮込んだ「トリッパのトマト煮」

牛の第一の胃袋を「ミノ」、そして第二の胃を「ハチノス」と呼ぶのは、牛モツ愛好家にとっては常識である。串焼き屋やモツ焼き屋ではよく見かけるメニューである。だがこれをトマトでじっくり煮込んで仕込まれたという珍しい料理に遭遇したので、ここに記録しておきたい。

文字通り、日本語の「蜂の巣」に似ているということから付けられた名称だとされるが、これをイタリア読みでは「トリッパ」と云うのだ。そのままではとても食用に出来ないハチノスの部位をよく洗い下茹でをして、その後でトマト、ニンニク、ワイン、等々のイタリア風にじっくり煮込んで仕上げていく。イタリアでは結構ポピュラーなイタリア料理なのである。

そもそも牛モツの中でも「ハチノス」は独特の食感が特徴だ。そう硬くないのに、何度も噛み切ろうと試みても噛み切れない。中にはゴムが混ざっているかと疑わせるくらいにしぶとい食感なのだ。グロテスクな見た目の風貌とあわせて、特殊な食材であることを印象付けている。

第二の胃袋としてのハチノスの役割は、消化よりもむしろ発酵なのだという。だからここには消化液はほとんど無いのに加えて食物の発酵を促す成分が充満しているのだという。だから、綺麗に洗浄してボイルしなくては食用には成り得ないのだが、それでも人間がこの部位を食用に供してきた理由に、部位の巨きさが挙げられるのだ。

捨てるのにはもったいない、そんな「もったいない精神」が食用化をもたらした、云わば花形なのであると云えるのかもしれない。

夏野菜「茄子(なす)」の揚げ物がこれからの主役

旬には旬を、夏には夏の野菜である。特にこの季節、茄子の料理は味わいたい筆頭の食材となっている。

そもそも茄子は、トマトとともに夏の代表的な野菜類であり、揚げ物特に素揚げにむいている。

瑞々しい水分を含んだ茄子は脂料理ととても相性が良く、適度に水分を吸っていく。熱を通すことにより、その身にも適度のモチモチ感やこくを付け加えてくれるのだから有難いのだ。

これから冷やし麺は、中華麺、和風麺、とともに旬を迎えていくだろう。

そんな夏の旬の麺類のトッピングには、揚げ茄子がとても相性が良いのだ。

たまには「白」でない「黒ホッピー」も悪くない

かつて当ブログ上にて「ホッピー党宣言」を行ったおいらである。

普段は「白ホッピー」で喉を潤すことをほぼ日の日課としている。だが考えてみるならば、「黒」でなく「白」であらぬという理由は見当たらない。たまには「黒」を味わってみようということで、「黒ホッピー」を注文したのだ。

発売元の株式会社ホッピービバレッジによれば、白も黒も「プリン体ゼロ・低カロリー・低糖質」ということでは同様のようだ。味覚的には「白」より「黒」のほうが確かに甘い。甘いことはカロリーが高いことを連想させるが、そのような説明はない。甘くて低カロリーであるということだけだ。

同社の公式ホームページを調べていたところ、「濃色麦芽で造られるのが黒ホッピーです。」とあった。濃い色だから黒なのかと、簡単なようであるがそうやすやすと納得できる代物でもない。

それはともかくも、黒ホッピーもときには良いものだと感じた次第だ。刺激的な味覚を放つエシャレットや谷中生姜、その他辛み系のつまみには、黒ホッピーがなかなかの好相性なのである。

カロリーのことばかり気にしているおいらではない。つまみと酒の相性については、研究の余地がまだまだありそうだということを、少々感じ取っているところなのでもある。

村上春樹さんのカタルーニャ賞受賞スピーチ

スペインの「カタルーニャ賞」を受賞した村上春樹さんのスピーチ内容を記録しておきます。twitterでも呟いたのだが、こういう大切なメッセージは、何よりも日本国民に対して発せられるのが必要だと感じている。日本国民が村上春樹さんのメッセージを素直に受け取れ、次の行動に移せる、真っ当なる、誇れる国民であることを信じて、ここに掲載したいと思う次第なのだ。

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この前僕がバルセロナを訪れたのは、2年前の春のことでした。サイン会を開いたとき、たくさんの人が集まってくれて、1時間半かけてもサインしきれないほどでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性読者が僕にキスを求めたからです。僕は世界中のいろんなところでサイン会を開いてきましたが、女性読者にキスを求められたのは、このバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがよくわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい都市に、戻ってくることができて、とても幸福に思います。

ただ残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

ご存じのように、去る3月11日午後2時46分、日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転がわずかに速くなり、1日が100万分の1.8秒短くなるという規模の地震でした。

地震そのものの被害も甚大でしたが、その後に襲ってきた津波の残した爪痕はすさまじいものでした。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ遅れ、2万4千人近くがその犠牲となり、そのうちの9千人近くはまだ行方不明のままです。多くの人々はおそらく冷たい海の底に今も沈んでいるのでしょう。それを思うと、もし自分がそういう立場になっていたらと思うと、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せてしまった町や村もいくつかあります。生きる希望をむしり取られてしまった人々も数多くいらっしゃいます。

日本人であるということは、多くの自然災害と一緒に生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になります。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。それから各地で活発な火山活動があります。日本には現在108の活動中の火山があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、4つの巨大なプレートに乗っかるようなかっこうで、危なっかしく位置しています。つまりいわば地震の巣の上で生活を送っているようなものです。
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骨まで食べられる「氷下魚」を肴に一献なのだ

氷の下にいる魚だから「氷下魚」と呼ぶのだが、春にも夏にも食される。
多くは北海道の海から捕獲され、干物として全国に出回っている。

今日食したのは頭が落とされている7~8cmのもの。含めた頭を体長は10cm程度と想像される。氷の下で生きていた魚類の特徴なのかは知らぬが、骨は柔らかく、そのままに口にして噛み切れるほどだ。

昔よく足を運んだ豊島区大塚の北海道居酒屋では、30cmはあろうかという大降りの氷下魚の干物が振舞われていた。このくらいに大きいものでは体躯も硬い様でいて、火で炙る前には、木槌でポカンポカンと身を打ち落として、それから炭火に乗せていたものである。とても手がかかるが、それだけ口に含めたときには味わいが見事なのだった。

タラの仲間であるが、成魚としてもタラよりは小振りで、そのために骨も柔らかい。白身魚の代表格ことタラと同様の旨みに加えて、天然魚類のカルシウムも味わえるのだから、ことは我々人間にとっては有難いことこの上ないのだ。感謝しつつ箸を交わしていた次第なり候。

今日の氷下魚は小振りではあったが、氷下魚独特の風味や触感が味わえていと満足なのでありました。

鐘ヶ淵、酎ハイ街道の「和楽」にてほろ酔い

浅草と北千住を結ぶ東武伊勢崎線沿いの「鐘ヶ淵」には、鐘ヶ淵通り、別名で通称「酎ハイ街道」と呼ばれる呑兵衛御用達の通りがある。昨日はそこの「和楽」という店をぶらりと訪れて、一献傾けたのだった。

小さな私鉄駅を降りて5分程度あるくとその場所に行き当たる。右手には今や下町のシンボルとなりし「スカイツリー」がそびえている。

「和楽」はその地で最も親しまれてきた老舗の居酒屋である。カウンターに10人も並べばいっぱいになるくらいの小さな店だが、50年もの間暖簾を出し続けてきた。

店の看板には「奥様公認」とある。果たしてどういう意味なのか? この店では決して浮気はありませんよということならば、今時の「出会い系居酒屋」の正反対のスタンスをとっている古き良き居酒屋だということになるし、あるいはまた、浪費はさせないお安い店だということで、奥様の財布の味方であることをアピールしたのかもしれない。マスターにそのことを訊ねていないので、真実は定かではない。

さてここの一押しは「和楽ハイボール」だが、通常のウイスキーで割るのではなく、本格麦焼酎を炭酸で割るというスタイルだ。まずはジョッキに冷えた炭酸を客が自ら注ぎ込む。そして本格麦焼酎をお好みで足して割るというシステムで、客は自分のハイボールを作っていく。

琥珀色した本格麦焼酎はとてもまろやかで口当たりが良く、喉越し爽快である。しかも呑み応えも充分に胃袋にも染み込んで来る。「おかわり」の一言が、いとも自然に発せられていく。

つまみは「煮込み」と「まぐろのぶつ切り」を注文。刺身でなくともまぐろはぴちぴちとして新鮮であり、たらふく箸を重ねていた。

酔い心地も爽やかに杯を重ねたが、店を出て数分歩くと酔いが回っていた。ふらふらになっていつの間にか普段の適量のアルコール量をオーバーしていたことに気付くのも、いささか遅かったのでありました。

「造反無理」政局の行方2 自民の手の内に落ちた民主のとほほ

こんな時期にもかかわらず、政治家というのは性懲りも無く権力闘争を続けている。どうも政治家という職業人たちは、権力闘争に現をぬかすだけの生き物と見えて仕方が無い。

菅直人を引き摺り下ろせば日本の政治は混乱に拍車を掛けるだけなのに、当の政治家達は誰もがそのことに口を噤んでいるのはどうしてなのか?

更にマスコミはマスコミで、そんな国民からのコメントは取り上げつつも、やれ次期首相候補が誰彼と云った、政治ショーをお膳立てしているばかりなのだから情けないのだ。

現政権の閣僚が担ぎ上げようとしている野田佳彦が仮に首相になったら、状況は好転しないどころか悪化することだろう。小沢派が党内抗争を仕掛けて来るのは目に見えているし、それどころか代表戦で小沢の息が掛かった原口一博あたりが代表戦を制す可能さえ現実のものとなってしまった。そうなれば今度こそ党内分裂は現実となるだろう。それこそが高みの見物しながら自民党幹部が描いているシナリオである。

こんなシナリオを崩す手が無い訳ではない。例えば亀井静香を与党の総理候補として擁立することだ。これならば自民党、公明党も、大っぴらには政局の手を打ちにくくなる。だがこんな手をとり得る政治家が民主党内には皆無の様なのだから仕方ないのだ。

このところ突如強まった菅直人降ろしの陰には、「脱原発」の動きを牽制するどす黒い人脈が存在すると見ている。与野党をとわず、そうした圧力は存在しており、それこそが「ことわりの無い」菅降ろしの実態に他ならないのだ。

現時点において、菅政権の続投以外にベターな選択などありえないのである。この際菅さんは「ペテン師」と罵られようが、脱原発の方向性をしっかりと打ち立てつつ、政権の維持を画策すればよろしいのだ。

だが残念ながら市民運動出身の菅直人には、そこまでの自覚や覚悟も無さそうである。やはり日本の政治のとほほ状態は如何ともしがたいものなのだ。

貧血気味との診断で、鉄分豊富なレバーをパクついたのだ

先日受診した健康診断では、血球検査項目が振るわなかった。貧血の傾向だということなり。これまでにはそういう診断を受けたことが無かったのであり、些か驚いているところである。

ちなみにそれ以外の項目は、肝機能=A、尿酸値=B、とそこそこに推移している。尿酸値を気にし過ぎて他の栄養素の摂取が疎かになっていたのかもしれない。

そんなこともあり、今夜は鉄分の摂取の為に「レバー」の焼肉などを注文し、摂取してみた。これまではあまり注文しなかったメニューであった。

その何とも云えない匂いについては好きではない。だが然しながら生命を維持する食材の「匂い」についてあれこれと批評することは馬鹿げていることは確かである。自然界の摂理というものは、好き・嫌いといった人間どもの嗜好を遥かに突き抜けて存在しているのだから、そんな摂理には従うしかないのである。

匂いはやはり気になっていたが、辛味と大蒜の薬味を多めにあてがってみれば、結構いけるようでもあり、口にはすいすいと箸に挟まれたレバーが運ばれていた。

好きや嫌いで食べ物を判断してはいけないということを、今日は改めて学習する日になっていたのだろう。