酒の肴のナンバー1。イカの一夜干しに舌鼓なのだ

日本人は世界一「イカ(烏賊とも書く)」を食べる国民であると聞いて誰も驚かないが、日本の魚介類の中で「いか」が一番食べられていると云われたならば、多少意外な感じがしないであろうか? マグロやアジやカツオといった魚類は、料理店やスーパーマーケットの鮮魚棚には大量に並べられ、日本人の口から胃袋へと運ばれているのだが、イカの多くはスーパー、料理屋、魚屋で売られる以上に、コンビに等で売られている「スルメ」「サキイカ」「イカ軟骨」等の加工品、酒のつまみとなって日本人の胃袋に運ばれているものとなっている。

コンビニで目にする加工品とは少々違い、グルメに好まれる酒のつまみが「イカの一夜干し」である。八戸や房総や北海道の産地にて取れたイカを、その土地で一夜干しにされるものが大変美味なのである。生で焼いたイカの場合は少々独特なえぐみがあるのだが、それが取れてしかもしっとり柔らかなる豊穣な味わいは、まさに「イカの一夜干し」ならではのものである。タウリン、亜鉛等の必須成分を多く含み、EPA、DHAという血栓予防の栄養素を有しているから、もっと注目されて良い食材である。

高円寺のせんべろ居酒屋「四文屋」で「煮豚足」を食す

中島らも氏の「せんべろ探偵が行く」という本に接してから、安くて心地よく飲んで酔っ払える店に関心が向くようになってしまった。否、そういうより元々そういう志向性が在った上にいわゆるひとつの大義名分的命題が加わってしまったため、一層関心の炎がめらめらと燃え上がってしまったということになるだろう。

本日立ち寄った高円寺の「四文屋」は、駅を降りてガード下を阿佐ヶ谷方向に歩いていくと見つかる、小さな露店のような小店舗である。もつ焼き、焼鳥がすべて100円という手頃な値段でありながら、素材の鮮度や焼き具合共にナイスなものばかり提供するので、度々足を向けている。

殊に近頃は気に入って注文するのが「煮豚足」である。豚足を大鍋に入れてぐつぐつ煮込んで調理するというシンプルな一品なのだが、火力全開にして長時間ぐつぐつ煮込まれて出されたことを強くアピールしている。出色の出来栄えであることをシンプルに主張されて、ぷりぷりっとしたゼラチン質を口に含めば自ずと頬がゆるむのである。夕方に店が開店してから煮込まれるので、あまり早い時間には食べられない。「煮豚足はあと1時間くらい経たないと出せないんですよ」と云われて、何度悔しい思いをしたことか。

もつ焼きは常時12~13種、焼鳥も4種、その他アスパラ、ししとう、椎茸などの大振りな野菜串焼きも旨い。もつの刺身も用意されている。常連客たちは「レバーを炙りで!」などと云って、半生のもつ焼きをポン酢で食べたりなどしている。地元呑んべいに愛される人気店なのである。

代々木公園「GIVE PEACE A CHANCE」であんじゅなライブに出逢う

代々木公園の野外ステージで「GIVE PEACE A CHANCE」というイベントが今日と明日、開催されている。昼1時50分からは、あんじゅなこと多田弘一氏のユニット「PEACE WINDS」ライブが行なわれることを知り出かけたのでありました。

サイトやmixiやらで、彼の歌声は耳に目にしていた。だが生あんじゅなライブに触れたのは今日が最初だったのである。mixiにて数年前にマイミクして以来、ライブ情報とお誘いを受けていたのだったが、中々時間がとれずに過ごしてしまっていた。本日は義理も果たせて気分も頗る快調なり。

ライブはギター1本肩に下げた、あんじゅなの大きく口を開いて沸き出されるアコースティックな歌声から始まった。2曲目「HIMARAYA」ではギター奏者の独特なハモリもあってとてもユニークなユニットの世界に導いてくれた。小雨が降る少々肌寒いときではあったが、会場は天高く突き抜けていくような、自然児あんじゅなの歌声に包まれていたのである。

暇つぶしの贅なる機器「iPad」狂想曲 [2]

今日の銀座は朝っぱらから「iPad」狂想曲で賑わっていた。2日前から並んでいたというくらいに異様に長い行列が銀座通りを覆っていたのであったのだから喫驚なのである。本日販売が開始された「iPad」を求めて並んだ人々の群れである。だがおいらは昼の休み時間にこの場所に訪れ、Apple Store店内に普通に入れたのはもとより新作「iPad」にも触り続けていたのであるのだから、マスコミが流す似非情報と実譲情報との乖離を今更ながら知り得たということなのでもありました。

それでおいらが「Apple Store」にて実際のiPadを触って確認した画像がこれ。行列の前に触っていたユーザーはしきりにゲーム関係のアプリをいじっていたが、おいらはゲームは全然関心外なのでスルーして、インターネット関係をチェックしてみたのです。まずはおいらがほぼ日更新している「みどり企画のブログ」をチェック。なかなか見応えのある画面なりである。そして次に向かったのが「twitter」のページであった。そこで文字入力をしようとしたところで軽いトラブルに遭遇。文字入力をしようとするとバーチャルなキーボードが表示されるのだが、タイピングをしようとするのに上手く行かない。中々に難儀なのである。

ネットブックと比較して、反応は頗る良いのであるが、内実が伴っていないというのが印象であった。さて、おいらはこれからこの「iPad」を購入するべきか否かという問題であるが、とりあえずは購入することなくこのまま過ごしていこうということを結論として擁いた次第である。新しいメディアを取り込むためにはそれなりの理由付けが必要であるが、今回の「iPad」騒動にとっては有意義な理由付けが見つけられなかったということに依っている。

銀座に聳える岡本太郎の「若い時計台」

写真は、銀座の数寄屋橋公園に陣取って聳える岡本太郎さんの彫像である。タイトルを「若い時計台」というのが、まるでフツーであり、岡本太郎さんらしくないのが却って愛嬌である。1966年に当時のライオンズクラブからの依頼によつて制作された。大阪万博にてシンボルとなった「太陽の灯」が注目を浴びる4年も前の作品である。岡本太郎さんの創作の原点がこの作品にあると呼んでも過言ではないくらいにベーシックな太郎風スタイルがここにある。とてもシンプルな構成でありながら、人間存在のシンボルをイメージさせているのである。

80年代的エロスとカオスの雑誌「スコラ」がついに廃刊

1982年に創刊され、以来28年という長きにわたって世の男性たちのエロスとカオスのニーズに応えてきた雑誌「スコラ」が、今年の7月号を最後についに廃刊となった。「スコラ」という書名は西欧文明の「スコラ哲学」から由来しており、広く学問を指し示す言葉ではあるのだが、雑誌のコンテンツから受けるイメージとのギャップが印象的であった。「エロス」と呼べば聞こえは良いのだが、内実は「エロ」と呼ぶのが相応しいものであったからである。それでも時代の混沌を表徴するがごときのなんともいえない持ち味、存在感があった。

実はおいらもこの「スコラ」に関係していたことがあったのである。しがない雑誌編集者をしていたそうとう昔のことであるが、当時の「エロス」と「カオス」を象徴していたこの雑誌に一筆献上したいという思いから営業を行ったのち、幾つかの「ドキュメンタビュー」記事を掲載したのであった。「ドキュメンタビュー」とは「ドキュメント」と「インタビュー」との造語であることは云うまでも無い。その一つが井筒和幸映画監督への5ページにわたる「ドキュメンタビュー」の執筆である。このときのおいらは「二代目はクリスチャン」を撮影中であった井筒監督に会いに、京都の撮影所へと足を伸ばして数泊の取材を敢行していたのであった。

コンビニで久しぶりに開いてみた「スコラ」最終号は、おいらが若き情熱を注いで執筆していた頃とはまるで趣きが異なっていて、エロが全開となっていた。これでは「エロス」と「カオス」を求める男性人のニーズに応えることはできないのは当然である。いつからこんな詰まらない雑誌になってしまったのだろうか。とても残念である。

中島らもが名付けた「せんべろ居酒屋」考

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千円札1枚ででべろべろになるほど酔っぱられるというのが「せんべろ居酒屋」である。デフレの時代、激安居酒屋ばやりの昨今、こんな店も珍しくは無くなった。作家の中島らも氏が「せんべろ探偵が行く」という著書にて使ったのが始まりだとされている。

だがよくよく考えてみれば、可笑しな話である。中島らもという人は相当な酒豪であったという伝説がまかり通っているのだが、「せんべろ居酒屋」の一件を耳にすれば、些か疑問符も沸いてしまう。例えば千円札を握り締め1杯250円の焼酎を4杯飲んだところで、これだけで酔っ払ってしまうというのは「酒豪」の名前に相応しくは無いものである。

まあそれはそれとしてではあるが、おいらはいわゆる一人の「せんべろマニア」なのではないかと自問自答してしまうことが最近は多くなった。美味しい立ち呑み屋があると聞けば出かけてしまうし、都会を散策していて疲れて立ち寄るのは、こうした「せんべろ」系の居酒屋である。

安ければ良いというものでもない。居酒屋チェーンがこうした激安店舗の出店に力を入れ始めている。安さに誘われて足を踏み入れたは良いが、べろべろに酔うことも無くがっかりして店をあとにしたという経験も少なくないのである。

わらびとこごみのおひたし&若竹の天ぷら

毎度流浪の居酒屋にて本日食したのは「わらびとこごみのおひたし」「若竹の天ぷら」などなど。殊にわらび、こごみ(ぜんまい)の香り高きおひたしを口にして、若き30年位前の、わらび取りの記憶が強烈によみがえってきたのである。

おいらの母親の実家がある群馬県利根郡の田舎には、わらび、ぜんまいなどの山菜が豊富に棲息していて、おいらも小学生の少年時代には、わらびとぜんまいを取りに利根郡の田舎に出かけたことなど強烈な想い出として浮かび上がってくるのである。

マスターが週末に滞在していた新潟では、その他に若竹や他の山菜が棲息していたということなり。天ぷらにして食したその「若竹」も美味なり。

岡本太郎の「明日の神話」に会いに行く

八王子の「アートムーチョ」というイベントが雨で流れて時間を持て余していたとき、ふと岡本太郎の壁画に無性に会いたくなり、出かけたのです。渋谷駅と京王井の頭線の改札を結ぶ通路壁全体を覆うようにして設置されている。毎日30万人の人間の目に晒されるという、幅30メートル×縦5.5メートルの巨大な壁画だ。

もともとはメキシコの新しいホテルに設置される予定で制作されたが、財政難からホテル開業の見込みが無くなり、その後メキシコ国内の何処か判らぬ場所へと姿を消していた。それが母、岡本敏子さんの熱意が実って隠されていたこの作品が発見されたという。2005年には巨大壁画が分割されて日本へとわたり、修復作業も始まった。一般公開もされ、2008年秋には現在の渋谷での恒久展示が実現したのである。

糸井重里さんの「ほぼ日」サイトや他のニュースで壁画の存在は知っていたが、中々観に行く機会も無いままに徒なときを過ごしてしまっていた。やはり「腐っても岡本太郎」のことはある。と云うよりか想像以上の圧等的な衝撃を受けたと述べるべきだろう。この「明日の神話」は広島の原爆投下をイメージして描いたという説が強い。かつてフランスへ渡った岡本太郎はピカソの「ゲルニカ」に衝撃を受けたとされるが、ピカソを乗り越えるためのテーマが、この作品に凝縮されているのかも知れない。日本人である岡本太郎が「広島」に目を逸らすことはできないであろうし、そのことはまた彼個人としての芸術的野心にも裏打ちされていたと云えるだろう。岡本敏子さんも関連ホームページで、以下のようなメッセージを寄せている。

―――――
『明日の神話』は原爆の炸裂する瞬間を描いた、
岡本太郎の最大、最高の傑作である。
猛烈な破壊力を持つ凶悪なきのこ雲はむくむくと増殖し、
その下で骸骨が燃えあがっている。悲惨な残酷な瞬間。
逃げまどう無辜の生きものたち。
虫も魚も動物も、わらわらと画面の外に逃げ出そうと、
健気に力をふりしぼっている。
(以下略)
―――――

中央に聳える巨大な生き物はレリーフ状に浮き上がって描かれており、全く異界からの生物のようであるが、人間のように見えないことも無い。全ては「人間界」における事象、事案がテーマとなっているのだから、きっと人間そのものの変容したイメージを描いているのだろう。

ピータンが食べたくなった夜の話

ピータンという中国料理は、本来はアヒルの卵を用いてつくられるものだが、最近では鶏卵が原料となるものが少なくないのだとか。おいらが通っている店舗で出されるピータンの原料は何かということを確認したことはなく、ただ時々食べたくなるから通っているのに過ぎないのである。

そもそものピータンのレシピはといえば、1ヶ月あまり、塩、石灰、木灰、その他の混じった甕に卵を入れて密封される。白身は独特の茶色のゼリー状となり、この食感がたまらないのだ。元黄身の部分もまた、卵の成分を自らの作品に表徴とさせるがの如くに独特な味わいを提供している。このような不可思議な食材はあまり目にしたことが無い。

というわけで、ピータンが食べたくなったおいらはまたまた地元の中国料理店の扉を開けて、「ピータン豆腐」をオーダーしたのでありました。豆腐とたまねぎの刻みがピータンに合わさって、癖の強いピータンの味わいがマイルドに中和されていた。これはこれで良いのだが、ピータンの独特の鼻に突くくらいの癖が体験できなかったのが残念であった。

沖縄特産の「食べるラー油」でメニューも豊かに

沖縄の特産物フェアで「食べるラー油」を見つけて購入。いろいろ調理に利用したいところなのです。

とりあえずは「木綿豆腐」にのっけて食してみた。う~ん、単なるラー油ではないな。最初はまずまずのまろやかなる口当たり。肉類を使用したというだけあり濃くのある味わいが咽を包む。そして時間が少し経つなり、ラー油独特のピリッとした辛味が口吻を突くのである。まさに食べて味わえるラー油の名前に相応しい。おいらはこの「食べるラー油」を支持するのである。

これだけでは足りないなと思い、焼きそばに「食べるラー油」をかけて食してみたのです。やっぱり想像通りにGOOD!な味わいなのでありました。

「村上春樹の秘密」(柘植光彦著)の功と罪

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村上春樹という作家は素顔を晒さない作家である。例えばTV、ラジオ等の媒体でインタビュー取材を受けているのを見たことが無かったし、公の場所での講演会、討論会のたぐいにも顔を出すことがほとんど無い。それ故のことなのだろう、一昨年にイスラエルの「エルサレム賞」という賞を受賞したときの授賞式でのスピーチは、数多の日本人に対して、強烈な印象を与えたのだ。あの村上春樹が? 何故日本ではなくイスラエルで? といった反応が噴出していたことを想い出す。それは今なお強固なイメージとして人々の記憶に刻まれたものとなっている。

そんな作家・村上春樹の素顔をことさら明るみに出して、「秘密」を暴こうとするのが「村上春樹の秘密」のテーマかとも思わせる。確かに春樹さんの父親がお寺の僧侶であり進学高校の国語の教師を退職した後に住職として寺を継いだこと、家では毎日仏壇の前でお経がとなえられていたこと、春樹さん自身は太る体質なので走ることを欠かさないようにしていること、等々の隠されたエピソードの数々を暴いてみせる。当書の構成上は「アメリカ文学の影響」「愛と性行為の意味づけ」などが盛り込まれているが、常識的な分析にとどまっており、あくまで主体は春樹さんの「隠された素顔」を暴いていこうという意図が臆することなく記されていくのだ。

著者の柘植氏は、東大出身で現在は専修大学名誉教授。文芸評論家という肩書きを持つそうだがこれまで彼の評論を読んだ記憶が無い。大学教授という職業柄得た情報もあるのだろうが、これだけ村上さんの私生活を事細かに詳らかにできるのは相当なおたく的情熱を注いだことに依るのだろう。読んだ読後感は悪くは無かったが、当の村上さん本人が読んだらどう思うのだろうか? プライバシーを侵害されたと感じるのではないかと、余計な邪推もしてみたくなるのである。

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初夏の味覚「らっきょう」を数年ぶりに漬けたのです

地元のスーパーで泥付きのらっきょうが出ていたのを発見。早速、らっきょうの甘酢漬けにチャレンジしたのでありました。

らっきょうの漬物にも「塩漬け」「浅漬け」「醤油漬け」など様々あるが、やはり王道である「甘酢漬け」が一番だろう。夏の猛暑を乗り切るのはらっきょうの酢漬けがもってこい。初夏から夏真っ盛りの頃にらっきょうの甘酢漬けを口にすれば、疲れも吹っ飛んでしまうくらいに効能がてきめんである。

インドやタイなどエスニックな料理の副菜として、らっきょうは欠かせない。日本でも江戸時代には食用というより薬用として珍重されていたというくらいに効能が豊かである。以前は毎年のようにこの季節に漬けていたものであるが、ここ4~5年は漬けることもなく過ごしてしまった。らっきょうの記憶が無い年月は、漫然と時を過ごしていたのだろう、やはり良い記憶が無い年月であった。

吉兆ならぬ喫驚のメニュー。「天然山うどの天ぷら」と「もみじ笠のおろし」

毎度流浪の食卓として赴く地元の居酒屋店にて、吉兆ならぬ喫驚のメニューを口にしたので報告します。

そのひとつが上の写真に収めた「天然山うどの天ぷら」である。よくスーパーに出回っているうどとは違っていて、味わいがある。そもそもうどという食物は、味わいが無いのが取り柄とばかりにずっと刷り込まれていたのだが、本日のうど体験にて、そんな思い込みも吹っ飛んでしまったのである。大味のうどを想定して口に運ぶが、噛み締めた途端にうどの旬の味意がぐぐっと迫るのである。聴けばマスターがとって来た野生のうどを材料にしているのだという。山梨の清流を登って行った何処かは知らぬ場所である。そこの清流にて山女を釣っていたときに取れたうどだということなり。全然大味ではない。野性味溢れるうどの味わいが、おいらの味覚を魅了したのである。

ところでそれよりもっと喫驚したメニューが、「もみじ笠のおろし」である。「もみじ笠」とは、前記と同じく山女の成育する人間が出入りしない環境にて生育している山菜である。もみじ笠という食物自体、おいらはこれまで知らなかった。もともと二人前だったところをおいらが注文したために、三人前にして出してもらったという曰く付きのメニューだったのである。こちらの食感はおいらが体験した数ある山菜の中でも最も香り初々しくて、フレッシュであった。何よりもビビットな味覚を主張している。まさにベスト1を贈呈したいくらいにブラボーな味わいであったのである。

きわものだがなかなかいける、「日本橋 紅とん」の「にんにく鍋」

豚のもつ焼き専門チェーン店「日本橋 紅とん」に久しぶりに出かけた。チェーン店舗は、あまり進んで足を運ぶことはないのだが、ここで「にんにく鍋」という珍メニューに遭遇したので紹介してみよう。きわものながら自宅でも作れる簡単メニューで、味もそう悪くはないのだ。

「にんにく鍋」の基本的なレシピは、皮をむいたにんにくを鉄製の鍋に入れ、バターを乗せて焼くというもの。直径7~8cmの鉄製の専用鍋にバターが溶けて、鍋にグツグツとにんにくが踊っていることから名付けられたネーミングなのだろうか? 酒飲みにとってにんにくとは仲良く付き合っていきたいつまみのひとつであり、焼いたり、摩り下ろしたり、揚げたりするものに、もうひとつ有力なメニューが加わったということになるだろう。今度自宅でもこのレシピにチャレンジしてみたいという気持ちを強く持ったのです。

「デザインフェスタ」でアーティストの卵達に接したのです

本日は新橋から「ゆりかもめ」に乗って、有明の「東京ビッグサイト」で開催されている「デザインフェスタ」の取材へと繰り出したのでした。取材だとはいっても目的はおいら自身が若きアーティストたちに接して愉しむためのものでしかない。休日の取材は気儘に行きたいところへ行き、話したい人と話し、突っ込みたいところを突っ込むという、ただそれだけのものなので、おいらはととてもリラックスしていた。つまりは自身が愉しむための晴れの日が幕を開けたのである。

数年前に訪れた時に比べてみると熱気が薄い。もうピークを超えてしまったからなのか。それでもおいらの関心興味は、とりわけアートグッズたちに向かっていた。近頃のアーティストたちはグッズを販売しているという傾向が顕著である。控えめに書いているのだが、アーティストたちが自らの収入源としての作品販売を行なうにあたって、この「デザインフェスタ」はじめ各種イベントの販売収入はバカにならないようなのである。

会場を回って数分したところで、アジアを放浪して絵を描いていたという少女と出逢った。何かしら生と死との問題を画の中で描いていこうという志向性が見て取ることが出来た。絵画としての作品と、彼女のようなアジアを放浪するという生き様とはそのままリンクする訳ではないのだが、やはりカッコいい人生を送っている人の作品は格好よくみえたのだう。おいらはすぐさま彼女のブースに並べられていたポストカードの数枚を購入することとなったのである。

この時のポストカードは1枚200円である。大体1枚50円~300円程度で販売されているので、印刷代その他を考えればとても割に合うものではないはずである。だけども若きアーティストたちのエネルギーはずっと前から沸点に達していて、このようなイベントを求めているのだ。かつては路上や中小のギャラリーにて開催されていたパフォーマンスなのだが、いまや東京都の条令だかによりできなくしまって、結局は行き着く先が「デザインフェスタ」くらいしか無くなってしまったというのが現状に感じさせる。アートのイベントくらい思いっきりに飛び跳ねて行きたいのだが、我が国の現状はまだまたそこに追いついてはいかない様なのである。

「みどり企画」のトップをjavascript仕様のページに更新しました

数年ぶりに「みどり企画」のホームページを更新しました。今回のは更新というよりも、トップページのリニューアルに重点をおいて行なったものであります。

これまでのトップページは、主宰者のおいらとしては愛着を持っていたので、そのイメージを壊したくはなかったのだが、しかしながら時代の流れには逆らえない。さすがに今や「フレーム」を使用したサイトなどほとんど見かけなくなっていたので、実は少々焦っていた。SEO的には最悪のものだったのである。

今回は、ITの時代が求める「javascript」仕様のものにしてみました。ちょっと軽いなという思いはぬぐえないが、古いものに固執してばかりもいられない。これを機会に、コンテンツの更新も手掛けていこうという思いを新たにしたのでありました。

【みどり企画のホームページ】
http://midori-kikaku.com/

秋吉久美子が「70年代を語る」イベントがシネパトスにて開催

銀座シネパトスという映画館にて、「秋吉久美子映画祭」が開催中である。本日は特別に「秋吉久美子が今はじめてあの70年代を語る」と銘打ったトークイベントが開催されるというので、当日券を買い込んでいるのであります。出席者は秋吉久美子と樋口尚文(映画評論家)である。

秋吉久美子と云えば、70年代のまさにおいらが思春期を過ごしていた頃にデビュー、コケティッシュで個性的な女優として一世を風靡していたという感もあるくらいに想い出深い女優である。70年代は当時、「白けの時代」「モラトリアムの時代」等々の冠で評価されていた時代である。60年代の云わば「激動の時代」と比較すればそうなのだろうが、時代が「白けていた」ということではけっして無い。様々なエネルギーが渦巻いていた70年代を「白けの時代」と称し命名した社会学者などは、まったく信用に値しないのである。

さて今夜はこれからトークイベントがあるため、イベントの内容等々については追ってレポートする。鄙びた映画館のイベントなのに、マスコミ数社がこのイベント取材のために横にいて待機していることを記しておく。

この稿もまた続く

リコピンたっぷりの「トマト麺」はホッピーによく似合う

「トマト麺」と書いたところで誰も驚かないだろうが、おいらはトマト麺が大好きである。八王子の「万力酒場」で出されるトマト麺は、卵とジャガイモが隠し味となっているがあくまで主役はトマトである。どーんと丸ごとトマトを使ったソースがナイスであり、思わず知らずに笑みがこぼれてしまう。頬も落っこちてしまうくらい美味しい麺料理である。これをきわものメニューと呼ぶなかれ。リコピンたっぷりの丸ごとトマトの酸味はそのままに、まろやかなソースに仕上がっていて絶品なのです。

おいらがここを訪れるのはだいたいが夜だから、ホッピーを飲りながらの食事となる。これがとてもいけるのである。いちどお試しあれ。

万力酒場 八王子店
東京都八王子市三崎町9-9

暇つぶしの贅なる機器「iPad」狂想曲が勃発 [その1]

apple銀座店の前には、「iPad」予約のために長蛇の列が出来た。

前日10日、いつものように銀座を散策していると、一群の行列に遭遇した。こんな光景は銀座では珍しくもなんでもない。ブランドショップの激戦区でもあるこの土地は、様々な仕掛けを打って銀座観光人に行列を作らせる。未だに強烈な印象として残っているものに、新規参入宝飾店ブランドの「モーブッサン」が、0.1カラットのダイヤモンドを先着5000人に無料で配布するというイベントを敢行したことの一件である。職場のスタッフが朝の行列を目にして取材したところ、無料宝石サービスに目が眩んで並んだ群集による長蛇の列であることが発覚した。彼は仕事を放棄してその行列の末尾に並ぶという誘惑に囚われていたというのだが、やはりそんな邪心は捨て去って、職場へとたどり着いていたわけである。さすがは立派な心がけであった。

さて今回の「iPad」騒動とはこんな単純な出来事ではない。先端のITマシンを逸早く手に入れようとして、APPLE銀座店の前に長蛇の列に並んだのであるから、相当に志の高い人々であったと想像される。実はこの日は、国内で販売される「iPad」の予約注文が開始された日なのであり、決してその日に並んだからと云って真新しいニューマシンが手に入れられることでもなかったのである。だから行列者は余程の暇人であったか、あるいき余程この機種購入に拘ったかのどちらかであろう。

俄か勉強ではあるが、この数日は「iPad」に関する情報収集に余念が無いおいらである。いろいろジャーナリストやらマニヤやらのコメントを目にするところ、「iPad」とは究極の暇つぶしのためのマシンではないかという思いが強くなってきた。ライバル機器とされる「ネットブック」「ノートブック」「iPod」「iPhone」等々と比較しても、「iPad」がずば抜けているという要素が見当たらない。どれをとっても中途半端のようなのである。だが、遊びに長けた若者や中高年たちからは、暇つぶしに開いて時間つぶしするにはもってこいの機器だという評価が意外に高かった。

であるからして、後に続く[その2]の稿では、具体的にどこが暇つぶしに良いのかをレポートしていきたい。