武澤久師の「アヴィニヨンの妖精」

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先日購入した武澤久師匠のカード画集の中で、最も惹かれている作品が「アヴィニヨンの妖精」である。ご存知ピカソの代表的な作品「アヴィニヨンの娘たち」にインスピレーションを受けて制作された、130号の大作である。師は書いている。

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ピカソの26歳の時の絵である。アヴィニヨンはフランスの、日本でいう娼婦の街だそうだ。当時ピカソは売れっ子の画家であったが、この絵を発表した時は非難され、マチスも攻撃的だったとか。娘といいながら非常に暴力的な表現ではあるが、線の若さが、原始芸術の素朴な人間性に感動して自己に問いかけたのではないかという気がするのである。私はアヴィニヨンの娘を妖精として、愛情を込めて描くことにしたのである。
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線はまるく柔らかく、色彩は明るくおおらかに描かれている。ピカソの作風とは大きな距離を感じさせるが、師ならではのピカソの作品解釈が込められているものであろう。

武澤久師のカード画集「愛と平和」が届いた

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先日は前橋の「アーツ前橋」にて、恩師の武澤久先生の作品に接したのであり、武澤師の作品がこのところ気になって仕方がなかった。そもそもおいらが高校生の時に触れていた武澤師の作品はといえば、石膏デッサンやクロッキーの作品ばかりであった。勿論その時の師の作品はおいらにとっても芸術的真実に関する啓示的なものを示していたのだが、接する作品たちは限られていた。そんな中で調べていたところ、師のカード画集「愛と平和」が出版されていたことを知ったので、注文していたのだった。そのカード画集が本日届いた。一見したところ、葉書サイズのカード画集にプラスして師の言葉が添えられていた。一例で示すと、画家を志す人へと題して以下の言葉が綴られている。

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画家を志す人へ

絵画は平面に精神的な空間を構想し、いかに新しい生命感を生み出すかが問題。その基本は充分なデッサンの練習にある。基本なき運転は暴走する。芸術は人生において様々な洗礼を受ける中で、絶えず自らの在り方を問いかける道だ。ピカソは、“今日の私は昨日の私ではない”として、マンネリを戒めている。私は心して歩いてきたつもりだ。

-----(引用終了)

おいら自身も師の考えに共鳴して以来、師の言葉を心して歩いてきた一人ではある。今更ながらではあるが、師の影響力の強さを感じ取っていた次第なのである。

アーツ前橋「音色を奏でる絵画たち」展で師の作品に触れた

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前橋市内の「アーツ前橋」では、「音色を奏でる絵画たち」が開催されている。前橋市が収蔵する作品を中心にしながら、色彩や形がリズミカルな作品を展示しているというテーマに沿った企画展である。その展示内容はと云えば、パウル・クレーの水彩画の小品から始まって、ソニア・ドローネ、ジョアン・ミロ、難波田史男、等々の作品が展示されていたのだが、なかでも清水刀根、南城一夫、と云った、群馬県の前橋出身者や前橋市に縁のある作家たちの作品展示が中心である。

http://artsmaebashi.jp/

OLYMPUS DIGITAL CAMERAそんな展示会場を回っていたおいらに飛び込んできたのが、武澤久さんの「永遠慕情」という作品であった。おいらが高校一年生の頃に学んでいた美術の教諭であり美術部顧問でもあり、おいらがお世話になっていた、云わば恩師と呼ぶべき師の作品であった。武澤師の「永遠慕情」という作品は、色と形のとても明確な筆致が特長的であり、現代絵画のエッセンスを示した作品としてもとても評価されるべき作品である。おいらが師に学んでからもう数十年が経つが、師の明確かつ現代絵画のエッセンスを込めた作品に触れて嬉しく思っていたのである。