田中慎也氏の「共喰い」文庫版が発行。瀬戸内寂聴さんとの対談が面白い(2)

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昨日の、文庫版「共喰い」に関する記述の続きである。田中慎也氏による芥川賞受賞作の「共喰い」は、田中氏の日本語に対する稀有なる扱いの妙というものが見て取れるのであり、これは瀬戸内寂聴先生も認める才能である。然しながらに、小説家には扱うジャンルの向き不向きということが厳然として存在し横たわるのであり、田中慎也氏は、どうも恋愛ものを苦手としているようなのであり、寂聴先生もそんな田中氏に対して、愛情のこもったはっぱをかけているのだと、おいらは感じ取っていたのである。恋愛はもっとしなさいだとかいう寂聴先生が語った語感の端々にに、そのことが見て取れるのである。

芥川賞作家、田中慎也氏の文庫版「共喰い」が発行。瀬戸内寂聴さんとの対談が面白い

芥川賞作家、田中慎也氏の受賞作こと「共喰い」の文庫版が、角川書店の集英社文庫より発行された。

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単行版の書籍で同作品を読んでいたおいらは、この文庫版を購入することはしなかった。けれども後書きにて記されていたところの、瀬戸内寂聴さんとの対談頁にはすこぶる興味をそそられており、立ち読みにて読了したのであった。

当対談の実現は、作家の田中慎也氏が瀬戸内さんとの対談を希望して実現したという流れである。

内容の大部分については、「源氏物語」に関するやり取りでしめられている。天皇になれなかった光源氏が色恋沙汰の恋愛に没頭することかできたという、田中氏による独自の分析が開陳され、それに対して瀬戸内さんが軽く受け流しつつ、芥川賞作家の恋愛観なり女性観なりについて、縦横無尽に突っ込んでいるという箇所がすこぶる面白い。

「田中慎弥の掌劇場」は駄作が多いがそこそこ楽しめる小作品集だ

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ご存じ「わたしがもらって当然」発言で、一躍ときの人となっている、芥川賞作家こと田中慎弥氏の最新作品集である。出版元は毎日新聞社。おいらは全く知らなかったのだが、田中氏が無名のころの2008年頃から、もう新聞連載など行っていたのであり、それらの小作品をまとめて編集出版されたのが同書である。

購入して半分くらいを読了しているところであるが、ほとんどの印象はと云えば、所謂「習作的小品」と云った印象だ。例えば川端康成氏の「掌の小説」に匹敵するインパクトや完成度はまるでなかった。そもそも「…掌劇場」と云った同書のタイトルは、川端康成氏の「掌の小説」の線を狙っていたものであり、二匹目か三匹目かのドジョウを狙ったものだと推察されるが、それが只の小作品集となって編集出版されてしまったことはいと残念なことではある。気鋭の芥川賞作家の力量を問う前に、出版元の編集的お粗末さについて問題とするべきであると考えている。

そんなこんなの印象はさておいて、作家の田中慎弥氏は小作品の執筆を楽しんでいることが散見され、作家が執筆を楽しむのとほぼ同様な楽しさを感じ取ることができた。

一例で「男たち(一幕)」には、舞台上に10人ほどの男が登場する。麻生、金、オバマ、小泉、三島、太宰、石原、吉田、鳩山、そしてもう一人の鳩山が登場している。もう一人の鳩山とは由紀夫の弟か祖父かではあるが、そんな些少な推理的アイテムが散りばめられているとともに、執筆当時の時勢へのアイロニーもまた表現されている。容易に想像されるように、ここで表されているのははちゃめちゃてき悲喜劇である。ドラマツルギーの一つの要素でもある悲喜劇の一種なのだ。

だがそんな浅薄なアイロニーが読者を感動させることなどは全く無くて、ただ単に面白さの一種としての刺激でしかないことに気付くのである。果たして読書の体験というのは、今や純文学といえどもこの程度の代物に成り下がってしまったということなのであろうか?

遅ればせながら、田中慎弥氏の「共喰い」を読んだ

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昨日、田中慎弥氏による芥川賞受賞作品の「共喰い」を書店で入手し、早速読み進めていた。集英社刊、定価1000円+税、p144、上製本なり。

先日には田中慎弥氏の既刊本「切れた鎖」を読んだ時とは裏腹に、遅滞なく、ほとんど何もの違和感などなく読み進めることができた。云わば小説の体を成していて極めてオーソドックスなつくり、構成がそうさせていたのであろう。翻ってみれば、「切れた鎖」を読んでいて感じた、実験的要素はほとんど影を無くしていた。ちょっとした期待外れの印象を禁じ得なかった。

様々なサイトやブログ上で、本作品のプロットについては述べられているので、ここでは最小限度のそれに留めておきたいと思うが、それにしてもこのプロットは、極めてオーソドックス過ぎるくらいに意外性を持つことがなかったのである。

おそらくは作家の故郷である下関市内であろう、糞の臭いのする海沿いの町を舞台に物語りは進んで行く。主な登場人物は高校生の遠馬と、彼の父、別れて暮らす彼の母、ガールフレレンドの千種、そして父と暮らす今の愛人たちだ。限定された人間関係の中から、とても濃密でおぞましい物語が紡ぎ出されていく。

遠馬の父は相手の女性を殴ることによってしか満足を得ることができないという、云わば性行為における変態性欲の持ち主として描かれる。父の血を継いでガールフレンドと向かい合う遠馬にもまた同様の嗜好性があり、高校生は其れ故の葛藤におののくのだ。父と対峙しつつ、父と子供という対決へとは向かわずに、物語は横道に逸れたように、主役以外の人間へとバトンタッチさせられてしまうというのも、的外れ、期待外れの念を禁じ得ない。

今回の選考を最後に芥川賞選考委員を辞退した石原慎太郎氏は「馬鹿みたいな作品だらけだ」と感想を述べていたが、「共喰い」に関しては頷けるものがある。つまりはこの作品のプロットが作り込まれた極めて「人工的」なものであるという所以から、発せられる感想でもあるからだ。変態性欲やそれが元になる事件を純文学で扱うことへの抵抗感がおいらの中に芽生えていた。特殊な性欲をあたかも当たり前に扱うことへの抵抗感とでも云おうか。

作家の身体性に基づくものではなく、小説のプロット構築の為に作り話を組み上げていく作業というものは、果たして純文学に必要なる仕業だろうかという疑問に、ひどく蔓延とさせられているおいらなのであった。

「共喰い」が売り切れで、仕方なく田中慎弥氏の「切れた鎖」を読んだのだ

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1月27日には芥川賞作家の受賞作、田中慎弥氏の「共喰い」が発行されていたのだが、おいらはそんなことも知らずその日に赴いた書店にて「切れた鎖」を買って帰った。書店には「売り切れ」の貼り紙も無く、何時発売されるのかも知らなかったので、田中慎弥ブースに陳列していた中から「切れた鎖」を選んでいたに他ならなく、出版社や書店の思惑とは無関係な場所にておいらの読書体験が進行していたと云うことのみではある。

さてそんな経緯から「切れた鎖」を読了したのだったが、これが結構、稀有な読書体験を齎してくれたのだった。表題作の「切れた鎖」は、或る名家の三代にわたる妻による確執がテーマとなっており、刺身のつまのようにて、夫なり彼氏なりの男性が登場している。それに加えて傍流のシチュエーションとしての在日人による教会との確執が描かれていく。小説のテーマは混在しており、どれがメインの其れかは人夫々の判断に委ねられている。純文学に相応しい構成であると云えるのかも知れない。ただし、物語は時系列に則って進んでいくわけではないので、時々留まっては物語の筋道の整理をする必要などが生じてくる。これもまた物語の読書体験としては稀有なものであった。

巻末の「解説」にて、安藤礼二氏は書いている。

―――(引用開始)―――

田中慎弥は、コミュニケーションの即時性と即効性が求められる現代において、きわめて特異な地位を占めつつある作家である。わかりやすい伝達性や物語性とは縁を切ってしまい、自身の無意識から発してくる原型的なイメージの群れを、その強度のまま、表現として定着させようとしている。そこで問われるのは、無意識の破壊的なイメージ、すなわち妄想の主体となる、閉じられた「私」の問題であり、そのような「私」を可能とした家族の問題――特に、いったんは時間の外に失われながら、ついに亡霊のように回帰してきては「私」を脅かす「父」の問題――である。

―――(以下略)―――