真夏にこそ食べたい極辛の「火鍋」なのだ

いよいよおいらにも夏バテが襲ってきたようだ。もうこれからの季節は夏バテとの闘いから逃れることが難しいのであるから、おいらはその対策をこうじているのだ。そんな夏バテ対策の一つが、辛い食物で発汗するというもの。人一倍汗っかきのおいらはかねてより、暑いときと場所では徹底的に発汗することを肝に銘じている。中途半端に冷を求めて汗をかくのを躊躇っていては、夏バテ対策にはならないのである。

それだからといった訳でもないのだが、夏には積極的に食べたいのが「火鍋」料理なり。ご存知、中国の四川省を発祥とされる、唐辛子や中国山椒、その他大量の調味料を使用してつくられる鍋である。何しろ唐辛子の辛さがのどと胃袋を刺激するために多量の発汗作用が見込まれるのだから、夏にこそ食したいメニューなのだ。中国料理のグルメが崇める満漢全席のメニューにもこの火鍋が採用されている。

上の写真に示したのは、地元の中華居酒屋店にて提供されていたものだが、よくある「火鍋」には、辛味「麻辣(マーラー)」スープと、辛くない「白湯(パイタン)」スープとの二種類のスープで味わうスタイルが一般的である。鍋も特製のものが用意されている。おいらの家にもこの特製鍋があり、ときどきは二種類の特製スープによる「火鍋」をつくったりしているのだ。

上杉隆の牙を抜かれた「週刊ポスト」記事よりUSTREAMの対談動画のほうがずっとまし

 

元内閣官房長官、野中広務氏の「官房機密費」に関する告白により、政治マスコミ、政治評論家、政治ゴロ、等々に対して様々なる金品が配給、支払われていたことが白日のものとなっている。しかしながら一方の当事者でもあるマスコミでは何もなかったかのように黙殺を続けている。全くもって異様な状況と云わざるを得ない。そんな状況に風穴を開けるのではと、大いに期待されていた上杉隆氏による特集レポートが、今週の「週刊ポスト」に掲載されている。

おいらも書店の立ち読みにてこの記事を読んだが、内容はといえばとても薄っぺらいものであると云わざるを得ない。どうしてこんな通り一遍のペラペラなレポートが、大見得を切って発表されたのか、訳が判らなくなってしまう。上杉隆といえば、少し前にはUSTREAMにて事細かに事実を喋っている。対談相手はといえば、野中氏が「機密費を返されたただ一人」として挙げている田原総一郎氏である。この生の対談を聴くほうが丁寧に編集構成された「ポスト記事」を読むより、よっぽど真実が伝わってくる。

上に示した対談は相当長い時間の重たい動画となっている。下記リンクから直接アクセスすることをお勧めする。

http://www.ustream.tv/recorded/7412783

毀誉褒貶激しかったという瀬戸内寂聴さんの「花芯」を読んだ

 [エラー: isbn:4062750082 というアイテムは見つかりませんでした]

瀬戸内寂聴さんの「花芯」という小説は1958年に三笠書房から出版されている。当時は本名の瀬戸内晴美という名を名乗っていたのだが、とは云いつつもおいらは全く知らないのだが、当時の文壇からは非常に冷たい仕打ちを受けることになっていたようなのだ。この作品を初めて読んだのである。

「美は乱調にあり」にて綿密にフィールドワークされた作品世界の中には、大胆な想像力を羽ばたかせて描写されたドラマが見てとれているのだが、「花芯」にとってはそんな「大胆な想像力を羽ばたかせて描写されたドラマ」の想像力が一段と鮮明に息衝いている。36歳というときに執筆された寂聴さんの「花芯」は、云わば「女性の女性による女性のための性」を追求していた作家の大いなる野望を、今の時代に示してくれる。けだし傑作なのである。

やきとりのワンダーランド、東松山に出没

久しぶりに埼玉県の東松山を訪れた。目的はご当地名物の「やきとり」を食すること。この小都市には約百軒もの「やきとり屋」が密集している。それを称して「やきとりのワンダーランド」などと呼ぶグルメ本もあるくらいだ。

ここで提供される「やきとり」の材料は鶏ではなくて豚である。本来であれば「焼きトン」と称すべきなのだが、この土地柄では古くからの慣習で「やきとり」と云えば豚の串焼きを指すことになっている。またほとんどの店では、軽く塩焼きにしたものに特性の「辛味ダレ」を付けて食べるのが慣わしとなっている。また特に指定しない限り「カシラ肉」とねぎを刺して焼いたものがやきとりの代名詞である。店に入って席に着くと何も云わずに「カシラ」の焼きトン、おっと間違いだ、やきとりが運ばれてくる老舗店まであるくらいだ。好き嫌いはあるがこの土地では土地の流儀にしたがい個性的なやきとりを愉しむのである。ちなみに「カシラ」とは豚のほほの肉を指すが、程よく引き締まって味わいも濃厚だ。吉祥寺の老舗店「いせや」で出される「カシラ」は脂身がギトギトしていてあまり好みではないのだが、東松山の「カシラ」は下処理が上手にされていて食べやすい。同じ食材でも調理法でこれだけ違いがあることを知ったのである。

一番の老舗は駅から5分程度歩いたところの「大松屋」。店構えもしっかりしていて味も中々なのだが、客が順番待ちしていたり、勝手に料理が運ばれたり、ストップしなければひっきりなしに追加されたりと、落ち着かない。今日はそこはパスして、新規開拓を敢行。

何回か歩いた「やきとりロード」とは別のコースを散策していると「串よし」という小奇麗な店を発見。ここの扉を開く。やきとりの看板を掲げているにもかかわらず、メニューは豊富だった。1本200円と、東松山の相場に比べて高い値段設定に違和感を覚えつつ、躊躇わずに「カシラ」を注文した。味は申し分なく、特製たれも見た目ほど辛くなく甘味が効いていてなかなかのものだ。トマトか何かフルーツをアレンジしているのだろうか。だが折角の東松山散策にしては物足りなく、串数本を食べ終わると早々とその店をあとにした。何か物足りない思いを抱えつつ、下沼公園近くの小さな一杯飲み屋の暖簾をくぐった。入ると地元の呑ん兵衛がくだを巻く飲み屋なのだが、そこに地元名物「やきとり」があるだけで癒される。外来者には少年の冒険心を刺激する類いの異空間なのである。出会いと発見のスリルが、この東松山にはあることを再発見したのでありました。

おたくに席巻される政治業界

昨晩は諸事情あり中々眠りにつけずに、TVの電源を点けたままベッドでうとうとしていたのだが、そんなときにかかっていたのが「朝まで生テレビ」という深夜番組だった。この番組を目にしたのは何年ぶりだろうか?「懐かしい…」そんな感想を漏らしてしまっていたくらいに久々の視聴である。

ゲストの発言の語尾やあれこれに何かと難癖を付けて自分の土俵に持ち込もうとする、司会の田原総一郎は相変わらずだった。以前に比べれば切れ味も新鮮味も失せて、何時かみたTV芸を何年かぶりにて見せ付けられたという格好である。そのままTVはつけっ放しにしつつ時を過ごしていたのである。

うつらうつらしながら耳にしていた言葉は、そのすべてが「おたく」の会話に聴こえてきた。おいらはおたくが嫌いである。しかも政治おたくなど、大っ嫌いの人種である。世間一般には政治を好き嫌いで論じるなかれという向きもあるだろう。そんなことは初めから自覚している。その上で綴っているのである。

まるで政治の世界の遣り取りが、おたく同士の議論のそのままの遣り取りである。ある「A」というテーマに対して賛成、反対、等々の意見が交わせられる。そしてその結論はといえば、お宅の殿堂とも云うべき、何かしら厳かな「イコン」ともなって崇め奉られるのだ。「与党・野党」という対立項はのきに寄せられて、おたく同士の共同事業とも呼べるある種「イコン」を祭って番組が進行していく。

中島らもさんもかつてあるエッセイ本で書いていたが、これらの言葉は「おたく語」という言語なのである。他者排除用語といってもいい。(※出展「空からぎろちん」(講談社文庫))

以前から感じていたことではあったが、昨日は益々その思いを強くし、そんな風潮に「渇!」を叫んでみたくなったのである。

サムライジャパンが一次リーグ突破だ

おめでとう!

昨晩は結局寝てしまったが、朝起きたらワイドショーは予選突破の話題ばかりなり。少しは昨日の「青だるま」の効果が効いたかなん?

得点3点のうち2点がフリーキックによるものだった。今回の南アフリカ会場は高地のために、玉がいわゆる野球の「ナックルボール」のような微妙な変化をするらしい。特段に素晴らしいフリーキックにも見えなかったが、キーパーの目をかく乱するかのごとくのフリーキック、セットプレーに賭けた結果だと見ることもできる。

群馬のアンテナショップで青だるまに遭遇 だが、セルリアンブルーには遠い青にがっかり

 

上州群馬のアンテナショップ「ぐんまちゃん家」で、青だるまを見かけた。青は「サムライブルー」の青だ。ワールドカップに出場中の日本チームを応援するために作られた特製品の代物だという。いかめしい顔の下には日の丸があしらわれている。それはもうべたなデザインそのものなり。価格も今年の年号にちなんで2,010円という値が付けられていたのだった。「百個用意して並べたんですけど、大人気でもう3つしか残っていないんですよ」と、店舗関係者は興奮気味の様子なり。

だるまが赤色と決めてかかるのは愚の骨頂だが、果たしてサムライブルーの青だるまの存在意義はありやか? そんなことを天邪鬼なおいらは考えてみたくなったりするのである。何故にブルーなんだ? 何故にライトで鮮やかなセルリアンブルーではなくダークな青なんだ? などとそんなこんなが脳裏を駆け巡る。ブルーを色々調べてみれば、様々な色合いのブルーがあることに気付く。サムライブルーばかりがブルーではないぞと思う今宵なのである。

改めてサムライブルーに塗り固めたる青だるまを見詰めてみれば、何か気張った佇まいばかりが印象強く眼下に飛び込んでくる。そんな印象ばかりが強く焼き込まれており、今ひとつピンと来ない。敢て買いたくなる気持ちが湧いてこないのである。青色の中でも特に好きになる色ではない。

ブルーと感じて考えて先ほどに思わず記した「セルリアンブルー」には、些か思い入れがある。おいらの出身高校のライバル校とされている高崎高校(通称「たかたか」)の校歌の歌詞には、ハイカラな「セルリアンブルー」が高らかに謳われている。おいらの地元よりもハイカラなる語感で、強烈にアピールしたのが「セルリアンブルー」なのだ。ちなみにこの校歌の作詞者は草野心平。作曲家は芥川也寸志である。聴いて損はないと思えるのでここにリンクして紹介してみます。ちと音量が大きいので注意してくだされ。

http://www.takasaki.ed.jp/suiransai/sui04/sound.html

さて今夜は、ワールドカップの対デンマーク戦を控えている。夜更かししてサムライジャパンの試合を観戦しようかと、少々考え込んでみたが、やはり止めにしとこ。もしリアルに見たい気持ちが本気で何処かに宿っていたならば、その時間帯にふと目覚めたりして応援の時間を過ごすことになるのかも知れないが、いずれにせよ明日になれば知るべし結果なのではあるから、一喜一憂するまでもなかろうに。成り行きに任せるのが一番なり。

6色の味わいと色彩も豊かな「6色餃子盛」

近頃、いつもの行き付けの酒場がリニューアルされていた。模様替えしてリニューアルされた中華風居酒屋「ちょもらんま酒場」に行くと、いろいろ変わったメニューを味わうことができる。時々こうした酒場のリニューアルは、呑兵衛への刺激を与えてくれるので歓迎である。

特においらが特段に気に入って注文しているのが「6色餃子盛」というメニュー。大振りの、しかも6色に着飾った餃子の盛り合わせが出てくるのだ。様々な具財を活かしてしかも皮にまで6色の生地を取り入れているのだから、キワモノだと決め付けてはいけない。味もまた納得である。こればかりはブログでいくら述べたところで説得力はないだろうから、気になる方は足を運んで口にしてもらいたい。

http://www.kiwa-group.co.jp/restaurant/a100484.html

以下に6色餃子の詳細を記す。
[赤] トマトチーズ餃子
[黄] かぼちゃカレー餃子
[緑] エビ青菜餃子
[茶] 羊肉餃子
[黒] イカゲソ餃子
[白] 豚肉水餃子

なかでも最も驚きと感動だったのが、[黒]のイカゲソであった。黒々としたイカ墨の恐るべきパワーをまたまた感じ取ったのである。

瀬戸内寂聴「美は乱調にあり」で、辻潤が示した軟弱男の性

瀬戸内寂聴さんが1966年に発表した「美は乱調にあり」を読んだ。先日もこのブログに記 したが、寂聴さんの米寿を祝って昨月に復刊されたばかりの小説。大正の時代において女性の人権を主張する雑誌として知られる「青鞜」の同人、編集者として活躍した伊藤野枝という 女性が居たが、女性解放の闘士とも目される彼女に焦点を当てて描かれた、いわゆる評伝文学作品で ある。

作家の寂聴さんは野枝やその周囲の登場人物の足跡を事細かに巡り、膨大な関連資料に当 たり、大正期という当時の時代の空気、息遣いまでも鮮明に記述してみせている。微に入 り細をうがちつつ探求していく作家の好奇心には、とても目を瞠るものがある。また同時 にここには大胆な想像力を羽ばたかせて描写されたドラマが、そこかしこに挿入されてい る。特に、主人公の野枝や平塚らいてうという婦人運動家の恋愛、情事に関する描写には、そんな寂聴さんの強大な想像力の羽根がいかんなく発揮されている。どこまでが史実に基づいたノンフィクションでどこからがフィクションなのか、その見境もわからないまま、寂聴さんの小説世界に入り浸ってしまうのである。

野枝をめぐって恋愛関係に落ちた男は少なくないのだが、やはり辻潤(2度目の結婚相手)と大杉栄(3度目の結婚相手)の二人との関係は、ドラマチックな野枝の生涯に強烈な影響力を与えたものであった。翻訳家として仕事をし野枝の理解者でありつつも、煮え切らない軟弱な態度で野枝に希望と絶望とを与えた辻潤に対して、大杉栄のほうはいかにも堂々としており、野枝は辻を捨てて大杉栄に走ってしまう。夫がいた野枝もあきらかな不倫だが、しかも大杉には糟糠の妻に加えてキャリア女性の愛人がいた。当時は珍しいであろう四角関係の当事者でありながら、野枝は野生あふれる生命力で大杉への愛に突き進んでいくのだ。

自分勝手な恋愛論をひけらかす大杉と3人の女性たちの、そんな四角関係の終焉をドラマ仕立てで描きつつ、暗澹とした時代の中での大らかな性の描写もまたためらいがない。だが一番緻密でリアリティを感じさせるのは、辻潤との駆け落ちのような恋であったと思われるのだ。

マクロビオティックの定番「レンコン(蓮根)ハンバーグ」を調理する

久々に「レンコン(蓮根)ハンバーグ」をつくったのです。肉類を使わないで調理するハンバーグであり、玄米菜食を基本とするマクロビオティック・メニューの中でも、定番中の定番とされているものである。

まずは蓮根をおろし、それを手で丁寧にこねてハンバーグの生地をつくる。蓮根だけでは水っぽくて生地としてまとまらないので、山芋、豆腐などをつなぎとして加えていく。小麦粉や片栗粉などを使用しても良いが、使いすぎると折角の蓮根の食感が損なわれてしまうのでほどほどに抑えておくべきだ。蓮根をすっておろしてフライパンで熱を加えて焼いた風味は、しゃきしゃき、もちもちっとして口内にまとわり絡み付くような独特の風味、味わいである。この風味と食感を味わうことが蓮根ハンバーグづくりの最大の愉しみなのであり、夾雑物は少なければ少ないほど蓮根ハンバーグの真髄が味わえるのだから、レシピもシンプルに行きたいのだ。

以下に「蓮根ハンバーグ」の簡単なレシピを記しておきます。

[ハンバーグ生地]
・蓮根 生地の全体の半分以上
・山芋 4分の1程度
・豆腐 4分の1以下
・小麦粉 好きならば少々
・片栗粉 好きならば少々
・塩 少々

[ソース]
・エノキ茸 適量
・トマト 適量
・片栗粉 適量

[調味料]
・醤油 適量
・みりん 適量
・砂糖 適量

[付け合わせ]
・エリンギ 適量
・青梗菜 適量

[ハンバーグ生地]を手でよくこねる。フライパンにサラダ油を引き、ハンバーグの生地を中火で約10分程度焼く。[ソース]の材料をフライパンで火にかけ、[調味料]を加えて材料がしんなりするまで煮込む。[付け合わせ]をフライパンで焼き、塩と胡椒で味付けする。以上を皿に盛り付けて完成。

上野アメ横でみつけた、せんべろの名店「豚坊」

中島らもさん亡き後、せんべろ探偵の後継者を自任しているおいらであります。

さて上野アメ横と云えばもとよりせんべろのメッカとされているが、この街を散策してふと入った、もつ焼き酒場「豚坊」は、まさにこの名称に恥じない名店であるとの印象を強くしたのです。

この場所にはかつては「錦」という、マグロなどの海鮮つまみが安く味わえた店舗があったところだが、いつの間にやら模様替えされていたのだ。マグロの中落ちが大変うまかったことを記憶している。そんな過去の記憶を頼りに訪れたのだが、店舗の模様が替わっていたので、初めは何となく落胆していたのだ。

だが店内に足を踏み入れると、そんな気分も一新された。まずレトロなつくりに強烈に引き込まれる。去年ここではTBSドラマ「官僚たちの夏」のロケが行なわれたという。佐藤浩市、吹石一恵といった俳優の色紙が店内に飾られている。ウリの「焼きトン」が2本210円とリーズナブル。ダイコンの巨大な煮込みがこれもまた210円。もちろんせんべろ居酒屋の定番のホッピーもメニューに並べられていたのである。上野アメ横ならではの名店と云って良いだろう。

太宰治さんの62回目「桜桃忌」に、三鷹「禅林寺」へ向かう

本日は太宰治さんの101回目の誕生日であり、62回目の命日でもある。玉川上水に山崎富栄とともに入水自殺したのが6月13日だったが、遺体が発見された日がこの6月19日となっており、この日が公式的な命日とされている。今日は数年ぶりに、太宰治さんの菩提寺、三鷹の禅林寺に足を運んだのです。

毎年のように行なわれる「桜桃忌」のセレモニーには今回時間が合わずに参加できなかった。けれども彼の墓の周りには、常時10名程度のファンに囲まれ見舞われており、今更ながら太宰さんの人気の高さをこの目に植えつけたのである。交わされる会話を聞いていれば、太宰さんの古里、青森出身で東京の大学を卒業したという女性陣たちの姿が視界に飛び込んできた。20代と見える元文学少女たちである。たぶん全員が独身なのだと思われ、交わされる言葉も、男としての太宰治の評価に集中していたようだ。死してなお生身の女性に惚れられ親しまれるという文学者は、おそらく太宰治さんがその1等賞なのだろう。他には彼のような熱狂的ファンを想像するこささえ難しいくらいなのである。

ここ禅林寺は、太宰治さんに加え森鴎外(森林太郎)の墓がちょうど向かいに陣取られており、文学を巡るツアーの一角として重要な場所となっている。今日もまた口笛を携えたおばさんたち十数名のツアーにも遭遇し、些か面食らったものである。

「こちらがお父様。そしてこちらがお母様のお墓です。…」

と案内していたツアーの牽引おばさんは、ついでのように

「そしてこちらが、太宰治さんのお墓です。…」

などと、取り繕うような説明をしていて、おいらを含めて太宰治ファンからの抗議の視線を浴びせられることになったのである。

太宰治さんのらっきょうの皮むきから学ぶ、自我の儚さとその痛み

 

先月の19日に漬けた自家製らっきょうを、少しばかり瓶から取り出して食してみたのです。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=1491

う~ん。濃目の甘酢たれに負けることなくらっきょうらっきょうしているのに、ほっとしたような感動を味わう。噛み締めれば、しっかりとした野性味が味覚を刺激する。そんな刺激がこの6月という季節を思い起こすことになりとても清々しく感じ入った。毎年この時期にらっきょうを漬けていたのは、過去の想い出であった。そんな甘味な想い出を取り戻すかのように今年は無理してらっきょう漬けに挑んでいたというのが、今日までの経緯である。

そしていつもこのらっきょうの漬け込む時期には、太宰治さんがらっきょうについて記した小説の一節を思い起こさずにはいないのであった。

「Kは、僕を憎んでいる。僕の八方美人を憎んでいる。ああ、わかった。Kは、僕の強さを信じている。僕の才を買いかぶっている。そうして、僕の努力を、ひとしれぬ馬鹿な努力を、ごぞんじないのだ。らっきょうの皮を、むいてむいて、しんまでむいて、何もない。きっとある、何かある、それを信じて、また、べつの、らっきょうの皮を、むいて、むいて、何もない、この猿のかなしみ、わかる? ゆきあたりばったりの万人を、ことごとく愛しているということは、誰をも、愛していないということだ。」(太宰治「秋風記」より抜粋)

洒落た文章の背後に流れているのが、芸術家としての太宰さん自身の矜持であり、そしてそれはまた彼の自我が皮むかれ、中身を晒され、かつその上で、自身の空疎な姿を衆目に公開してしまうと云ったことへの忸怩たる思いの表出である。何重にも重ねられつつ、それこそまさに道化としての姿かたちを描写しているかのごとくでもあった。

昨日は梅酒を漬けた。この梅酒力にドッキリ!

梅の季節が到来した。そこでおいらが考えることと云えば、やはり梅酒製造のことなり。昨年も一昨年も作らなかったが、今年こそはと一念発起して、復帰して、昨日は梅酒作りに取り組んだというわけなのでありました。

青々として瑞々しい梅を水に漬け込んで小一時間置く。そうしてあくを取った後に小枝やへたを丁寧に取り除くのだ。そして水分もしっかりと取り除いておくのがポイント。

今日はそうして漬けた梅酒瓶の中身と、あまってしまった生梅とを見比べてみたところ、そのあまりの「梅酒力」の凄さにドッキリとさせられたという訳なのである。比較してみれば明らかに色合いの違いが鮮明である。青々としていた生梅が、アルコールに漬けたというだけでこれほどまでに色合いをも異にしてしまうのか? それだけ「梅酒力」には果てしないものが潜んでいるのだろうということを体感したのでありました。

米寿の瀬戸内寂聴さんの念願叶った、金原ひとみとの対談

5月に発売された雑誌「寂聴」にて、瀬戸内寂聴さんは憧れの金原ひとみさんとの対談を実現している。以前の当ブログの日記にも記したが、寂聴さんはかねてよりの金原ひとみのファンであり良き理解者でもあり、「ハイドラ」という近作のあとがきに熱狂的な賛辞を贈っているのだ。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=1048

記事を読めば、やはりこの二人は初めての顔合わせのようである。お互いに惹かれ合い刺激され合い実現した対談であるだけに、両者とも力の篭った言葉のぶつけ合いである。金原嬢のほうがとても緊張した面持ちを、スナップショットで披露しているのが微笑ましい。やはり米寿の底力と云って良い。

寂聴さんの米寿を記念して、代表作品「美は乱調にあり」が復刊されている。装丁と題字を手掛けたのが、藤原新也さんである。一見して目を瞠った。「凄い!」の言葉を胸中に発してしまった。江戸の浮世絵が現代にワープして甦ったような、熟乱を極める世界が提示されていた。そして新也さんが自ら書したという題字もまた素晴らしい。新也さんの書にはこのとき初めて接したが、美の乱舞を形にしたような趣きなり。

雑誌「寂聴」の最新号では新也さんの「書」にスポットを当てているので、その衝撃的な体験はいや増していたのである。現在この「美は乱調にあり」を読み進めているところなり。

「いかすみ丸ごと」缶詰 360円なり

またまたいかちゃんネタである(笑)。

地元で開催された東北岩手の特産品フェアにて「いかの丸ごと」という名の缶詰が出ていたので思わず買い込んでしまった。小ぶりだが丸ごとのいかを3杯、イカ墨の煮汁でじっくり煮込んである。これがなんと、1缶360円という安さなのだから益々驚き入るのである。

缶詰には昨今のような手で簡単に開けられるような細工がしておらず、缶切りを持ち出して丁寧に缶の上蓋を切り刻んでいかねばならぬ。これがまた楽しい。そしてふたを開けた缶詰の中身をどさっと鍋に入れて火にかける。ぐつぐつと沸騰し始めた煮汁から香り立つのはまさに、イカ墨の奥深い香りである。イカ墨一杯のパスタを味わう感動にも似ている。嗚呼なんという至福の瞬間か、とは大袈裟だが、安くてイカ墨気分が味わえるのだから非常にお買い得なのである。

http://www.junzosen.com/category/152.html

梅雨の季節。移り気の紫陽花は東京でもピンピンしゃくしゃく

 

関東地方も梅雨に突入したという。梅雨の訪れとともに、色鮮やかな紫陽花が目に付く季節でもある。紫陽花の花言葉とは「移り気」「高慢」「辛抱強い愛情」等と云うことだが、場の状況や時間の推移とともに花の色を移り変えていくということからも「移り気」というのが最も的を得ているように思われる。何しろ「七変化」と云えば女性の心と紫陽花の花弁と考えていたほうがよさそうである。紫陽花とはこの季節でしかまぐわうことのできない花なのであり、特別な興味関心を持って追求していきたいと思うなり。

本日は銀座散歩をするおりに、ふと「ガクアジサイ」の咲き誇った姿に遭遇したのである。これはよく古里の寺に行くと沢山棲息している。派手さはないが地味なりにとても色鮮やかに己を主張している品種なのだ。よくみる紫陽花はといえば「セイヨウアジサイ」という品種で、これは丸く赤、青、紫といった紫陽花色を満遍なく主張しておるのでそれはそれでとても紫陽花っぽいのだが、何となく白々しい思いを禁じえないものとなっているのである。

雨露の季節とともに、紫陽花は開花するのである。それまでは暑さでしおれているように見えていた紫陽花の花弁は、雨滴の染み入る花弁となることによって、ピンピンと生き生きした様がとても興趣をそそるのである。

秋元康プロデューサーによる「AKB48」戦略の実態

「AKB48」と書いて「エーケービーフォーティエイト」と読ませる。2005年に誕生した秋葉原を本拠地として活動するアイドルグループの名称である。このプロデューサーがご存知、作詞家の秋元康氏だ。先日6月9日には「AKB48」の「総選挙」なるものが行なわれたと、スポーツ紙はじめワイドショーTVを賑わせている。ずっと2位に甘んじていた大島優子が昨年の1位前田敦子を逆転し優勝したという。選挙ブームにあやかってか「総選挙」などと名付けてイベント告知するやり口は、秋元康ならではである。

6月9日に開催された開票イベント会場では、2000名ものAKB48マニアが終結し、さながら政党の決起集会であったとされるほどの異様な盛り上がりなのである。投票結果の順位発表後の挨拶では、メンバーのほとんどが涙を流していた。これもまた秋元康によるプロデュースのたまものであった。

http://www.akb48.co.jp/

秋元康氏と云えば、かつて「おニャン子クラブ」をヒットさせたプロデューサーとして知られているが、当時の秋元は作詞家として関係していたTV番組「夕やけニャンニャン」の1スタッフであり、その大部を秋元に依っていたのは明らかであったが、しかしながらプロデューサーとして全てを仕切っていたのではなかった。当時のゴールデンコンビと呼ばれた一方の作曲家は後藤次利氏であり、おニャン子クラブの最人気アイドル、河合その子と結婚している。ちなみに秋元氏が結婚した相手もまた元おニャン子クラブの高井麻巳子であった。芸能作詞家として特段の才気を発揮していた秋元康ではあるが、芸能界で仕事を続けていく上での苦悩もにじませている。ブームが去ったあとの作詞家としては、やはり不安があったようでもあった。

そんなこんなの経過を経ての「AKB48」ブームである。つんくプロデュースによる「モーニング娘。」のブームを横目にしながら、新しい戦略として採用したのが「総選挙」戦略である。アイドル同士を競わせ、あるものには栄光を与え、あるものには屈辱の姿を晒していく。「総選挙」という名前を借りた芸能話題づくりの戦略なのである。

新しくナンバー1の称号を勝ち取った大島優子には見覚えがあった。藤原新也さんの初監督による映画「渋谷」に出演していたのだ。渋谷に巣くうギャルの一人として存在感のある演技が印象的であった。可愛いというよりもしたたかな「今」という時代のアイドル像を示しているようだった。

決して貧困と呼べないつげ義春の「貧困旅行記」

「この本、すっごく面白いですよ…」

とマスター云われて読んでいたのが左の書籍。図らずもつげ義春さんの本のレビューを続けることになってしまった。行きつけの居酒屋のマスターはつげ義春のファンであり、店内の書棚には何冊かつげさんの本が陳列されている。先日はその中から「貧困旅行記」(晶文社刊)なる一冊をお借りして読み終わったところである。

確かに面白い。「蒸発旅日記」という第1章の書き出しでは、九州に旅行したときのことを記しているのだが、一面識も無かった九州の女性と結婚して九州に住み着くつもりであるということが書かれていて、緩くだが驚かされる。嘘か冗談かと思いつつも、つげさんの旅日記の記述には気負うところなど無く淡々と進められていくために、いつの間にか「それもあるかな…」というつげ世界の住人にされてしまうのである。緩い衝撃の後には、ストリップ小屋でのあれこれやら見込み結婚相手の女性との関係やらが綴られていき、結局は日常生活にあっけなく戻ってきてしまう。ただその戻り方は、旅というものを通り過ぎた後だけに、それまでの日常とは異質な世界となって立ちはだかってしまうのだ。

第2章からは、漫画家として名をなし所帯を持った生活者としての旅行記が綴られていくが、前作の「つげ義春とぼく」に示されていた若き頃の旅とは異なり、房総、奥多摩、甲州、箱根、伊豆など、近場の旅行記が中心となっている。妻子という同伴者が居れば無頼の旅を続けるのは不可能ということなのだろう。ただ、いつかは鄙びた鉱泉(温泉ではなく)を買って老後を鉱泉の親父として過ごしたいという願望を胸に、近場の鉱泉宿を訪ね歩く姿はジーンとさせるものがある。彼は今では叶わぬ夢として老後を送っているのかと思うとやるせなくなってくる。

「貧困旅行記」とは云いながらも、鎌倉の骨董屋で6万7000円もする千手観音像を買ったり、1万円以上の名旅館に宿泊したりと、おいらから見ればとても「貧困旅行」には見えねえやと呟きたくなるのは、果たしておいらのひがみなのか。

宮沢賢治の「風野又三郎」から「風の又三郎」への不可思議

月刊誌「サライ」では宮沢賢治特集が組まれている。商業誌において今なお、宮沢賢治さんは“売れる”作家の一人であるとされているようだ。誌面では、吉本隆明、天沢退二郎といった大御所作家による解説文が掲載されており、中々力がこもっている。

少年の頃から宮沢賢治という名前は、おいらにとって特別な意味合いを持っていた。誕生日の日付が同じであったこと。祖父が田舎の教師をしていて「◎◎の賢治さん」と呼ばれていたこと。そしてそれ以上に少年時代の書棚には「宮沢賢治作品集」が並べられていて自然と賢治さんの作品世界に入り浸ってしまっていたことなどが、特別な存在であったことの理由である。

賢治さんの故郷である岩手の花巻には何度も足を運び、そして彼の記念館等で賢治さんの原稿にも目を触れていた。いろいろな資料に接するにつれてもっとも不可解な謎としていたのが、少年の頃に読んでいた「風の又三郎」が実は「風野又三郎」という表題の作品であったということである。作品の内容を推敲するたびに訂正の赤字を入れていたことが知られている賢治さんではあるが、何故このような表題まで異なった作品が存在しているのか? 中々理解しがたい疑問ではあった。

本日はその賢治さんの代表作「風野又三郎」の自筆原稿の写真を目にしたのであるが、やはり「風野又三郎」の表題原稿は極めて自然な筆致にみえる。最後まで「風野又三郎」で通そうとしていた賢治さんだったとされるのだが、ではなぜ? どこからかの横槍によって作品名までが指し換わってしまったのだろうか? 今更ながらその理由が知りたいのである。