宮沢賢治の「風野又三郎」から「風の又三郎」への不可思議

月刊誌「サライ」では宮沢賢治特集が組まれている。商業誌において今なお、宮沢賢治さんは“売れる”作家の一人であるとされているようだ。誌面では、吉本隆明、天沢退二郎といった大御所作家による解説文が掲載されており、中々力がこもっている。

少年の頃から宮沢賢治という名前は、おいらにとって特別な意味合いを持っていた。誕生日の日付が同じであったこと。祖父が田舎の教師をしていて「◎◎の賢治さん」と呼ばれていたこと。そしてそれ以上に少年時代の書棚には「宮沢賢治作品集」が並べられていて自然と賢治さんの作品世界に入り浸ってしまっていたことなどが、特別な存在であったことの理由である。

賢治さんの故郷である岩手の花巻には何度も足を運び、そして彼の記念館等で賢治さんの原稿にも目を触れていた。いろいろな資料に接するにつれてもっとも不可解な謎としていたのが、少年の頃に読んでいた「風の又三郎」が実は「風野又三郎」という表題の作品であったということである。作品の内容を推敲するたびに訂正の赤字を入れていたことが知られている賢治さんではあるが、何故このような表題まで異なった作品が存在しているのか? 中々理解しがたい疑問ではあった。

本日はその賢治さんの代表作「風野又三郎」の自筆原稿の写真を目にしたのであるが、やはり「風野又三郎」の表題原稿は極めて自然な筆致にみえる。最後まで「風野又三郎」で通そうとしていた賢治さんだったとされるのだが、ではなぜ? どこからかの横槍によって作品名までが指し換わってしまったのだろうか? 今更ながらその理由が知りたいのである。