古市憲寿著「僕たちの前途」は後味爽やかなノンフィクションだった

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「起業」「起業家」をテーマにして古市憲寿氏が表したノンフィクションである。一般的に我が国の「起業論」には常時的に、筆著者自身の事業PR的な要素が充満しており、そんな厭らしさ故に、胡散臭い印象を抱くのが定例である。同書「僕たちの前途」には、そんな厭らしいところは無いが、その反面で強いメッセージ性を感じることが無いという、当り障りの無い内容に終始している。もっと云えば、どうでも良いといった類いの「起業論」「経営論」に終始している印象が強くある。

ただしそんな中でも同書の「第一章 僕たちのゼント」には、現状における古市氏を取り巻く経済的な状況を指し示していて興味を誘うのである。20代後半の社会学者が実際的に依拠している経済状況について、著者の古市氏は饒舌に語っている。まるで起業家論をまとっているが実質的には著者自らのこの社会に対する対処法、処世術的なものを多く見て取ってしまっていた。其れらは決して後味が悪いわけではなくて、却って古市氏的著者世代の天晴的なアウトソーシング的なメッセージとして受け取ることができたのである。同書帯における「人生に正解はない。」というフレーズはとても軽々しいのだが、それこそが彼ら世代の日常的な現状把握的キーワードなのである。

「絶望の国の幸福な若者たち(古市憲寿著)」を読みつつ年越し蕎麦をすする

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2012年を回顧しつつ年越し蕎麦をすすりながら、古市憲寿さんの「絶望の国の幸福な若者たち」を先ほど読み終わったところだ。生蕎麦を茹でて、具には葱と油揚げとそして、数の子入りの松前漬けをトッピング。いつもは松前漬けに数の子は不要と考えていたおいらだが、本日は特別な正月前の年越し気分も襲ってきていたのであり、数の子入りも年越し蕎麦には相性も良くグッドな感触なのだった。

本の帯には「26歳の社会学者による、大型論考の誕生!」と謳っている。若手の論客による「若者論」として、マスコミ媒体にて紹介されていたのが昨年のことだ。だがおいらはけっして、そんな耳目を集める若者論を読みたかった訳ではない。かえって話題づくりの書物に対しての嫌厭の情にとらわれていたのだ。それが先日は一転して同書を手に取り、読みたいと思う気持ちにおされて購入していた。話題の書としての評価以上なる関心を抱いたからに他ならない。

大手新聞紙上にての書評はいろいろ読んでいたので、内容に関するある程度の予測は有ったのであり、同書の趣旨の確認とともに、意外性の発見を得ながら読み進めていたのだった。一つの評価としての、若者論の終焉が同書によってもたらされるとか、ポスト・ロスジェネ世代による若者論、等々の評価以上に、いまどきの若者の国家観、戦争観に関する新鮮な分析的論考には心驚かされていたものである。

同書に関する詳細についてはこれからの節に続きます。