花散らしの雨にはならなかった本日の桜事情についての考察

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本日もまた雨模様の日であり、桜が散るのではないか、花散らしの雨になるのではないかと、ニースサイト等では話題で盛り上がっていたようではある。おいらは上州群馬への帰省の1日ではあったのだが、鉄道列車の車窓から眺める光景に、とくに桜咲く関東平野の桜の開花事情については、とても注目していたのである。本庄駅近くの公園の桜はまさに満開の様相を呈していたのであり、そんな光景を車窓から見ることが出来たことは至極ラッキーであった。

雨模様も小雨になり、花散らしの雨にはならなかった本日の桜事情ではあった。願わくば明日くらいには、圧巻の花吹雪を見たいと思うのではある。

新玉ねぎを丸ごと焼いたこの時季ならではの「玉ねぎ丸ごと焼き」

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春先のこの時季に収穫される玉ねぎは、通常のものと比べて皮が柔らかく黄色っぽくしかも大降りであり、何時からか「新玉ねぎ」と呼ばれるようになっていた。水分が豊富で柔らかく甘みが強いのが特徴とされている。生でスライスすれば柔らかな甘味が香る玉ねぎサラダとしての逸品となる。この季節だからこそ味わえる食材である。

この新玉ねぎを丸ごと一つを丸焼きにして出された「玉ねぎ丸ごと焼き」という珍しいメニューに遭遇した。そして出されてきた料理は予想した通りの、そのままずばりの代物だった。玉ねぎを皮ごと丸焼きにして、焦げた皮を除いたものを四等分し、鰹節をまぶしていた。

少々の醤油を垂らして口にすれば、水分をたっぷり含んで甘味も増した玉ねぎの香りとともに、春の香りとでも呼ぶべき香りが口腔内に充溢したのだった。この時季ならではの「玉ねぎ丸ごと焼き」なのであった。

久々の「担々刀削麺」で汗だくだくの美味しさだった

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暑い日であった。猛暑と云うにはまだ遠いが、街を歩くだけで汗が滲み出てきた。昼時になり街を歩いていると「担々刀削麺」の看板が目に飛び込んでいて、それにつられるように担々刀削麺の辛いスープをすすっていたのである。食欲が減退する1日だったが、胃腸の疲労に抗うかのようにその麺類に引き込まれていたのであった。特に「パクチー」と云うタイ料理に用いられる香菜の独特な一涼の爽やかな刺激が胃袋に流れ込むとき、日常の活力が取り戻されたようであった。

中華の麺料理には様々なバリエーションがあり、「刀削麺」もその一つである。小麦粉をよくこねた生地に、曲がった刀を用いて麺を作っていく。「刀削麺」を提供する中華料理店ではよくその麺作りの現場をパフォーマンス的に公開している。大きな鍋に向かって、削った麺をほうる様に投げ込んでいく独特の仕様により作られていく。今回食した店でも同様のパフォーマンスに接していたのだ。

山西省が発祥だとされるこの刀削麺の味付けは、マーラー味、坦々味、そして激辛味といったように、辛味のスープで提供されている。大味の麺には辛味の強いスープの味付けが似合うということなのだろう。

■刀削麺荘 唐家 秋葉原店
東京都千代田区外神田3-8-17 渡辺ビル

高円寺の居酒屋「四文屋」の、琥珀色した梅割りの「金宮焼酎」

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高円寺の居酒屋「四文屋」ではホッビーが提供されていないので、仕方なくおいらは、酎杯やらを頼んでちびちびとやっていたのである。そして少し経って後に、「金宮焼酎」と云うメニューに気付いて其れを注文してみた。すると店員はと云えば、それとわかる「金宮焼酎」の瓶と共に、「梅割り」の入った瓶を持っておいらの前に突入する如くに出現して、一合カップに金宮焼酎を注ぎ、そして「梅割りはどのくらいにしますか?」と質問したのだった。咄嗟の質問、問いかけにはおいらは「普通で…」と答えていたが、結構どぼどぼと店員は梅割りのエキスとやらを注いでいたようではあったのだ。見れば梅のエキスが金宮焼酎に混ぜあわっていく様が琥珀色の姿にて目を奪っていた。

そしておいらは其の後は静かに、注がれた「金宮焼酎」のグラスに口を近付け味わっていた。久しぶりに口にする高濃度、高アルコール度の金宮焼酎であったが、梅のエキスはそんな刺激を緩和してくれていた。金宮焼酎の味わい方としては此れもまたありであるなと合点していたのであった。

「バカガイ」こと別名「アオヤギ(青柳)」の刺身を食した

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久しぶりに「バカガイ」別名「アオヤギ(青柳)」の刺身を食したのだが、これがツルリとした食感で愉しませてくれたのだった。たしか我が国でも平安時代の頃から食用に供されていたというものであり、江戸時代に入ればポピュラーな寿司ねたとして流通されていたとされる。名前以上に珍重されるべきねたであることは間違いない。
中身は綺麗なオレンジ色の色味で魅了させてくれる、別名「バカ貝」との異名をとるのが「青柳(あおやぎ)」である。食感もまたつるっとして独特の風味を感じさせてくれる。決して侮れないこと請負である。二枚貝の外見はと云えば、蛤にも似ており、其の昔は江戸前寿司ネタの主要アイテムであったと云うことだが、最近はそんな姿を隠してひっそりとしており、マニアックな食通の舌を唸らせているかのごとくである。其の身の視覚的印象は、べろっとだらしないように舌を出したかの如くでもあり、そんな風体から「バカ貝」との嬉しからざる命名をされたと云う説がある。或は「馬鹿に捕れる」と云った、とても捕れて嬉しいのだと云う、本来は賛嘆すべき形容がその謂れであると云った説も根強く流布しているのだ。どちらの説が正統であるか? といった試みには、残念ながら手立てを失っているのであるが、それにしても、「青柳(別名「バカ貝」)」のしっとりとした食感にはいつに無く舌鼓であったのである。

川上弘美さんの「なめらかで熱くて甘苦しくて」は、萬鉄五郎氏とのコラボ的傑作だ

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川上弘美さんの新著「なめらかで熱くて甘苦しくて」を読了した。3月25日初版発行の、5編の短編から成る連作集とでも云うべき体裁の著書であり、あまり話題になったという噂は聞かないが、おいらにとっては実に久々に魂を真底から震わされたという、感動の作品集であった。

書店にて初めて同著を目にしたとき、先ずは萬鉄五郎氏による「かなきり声の風景」という表紙の絵に魅了されていたのである。モチーフはたぶん里山から少し平地に入った場所の畑の風景であろう。深緑に黄土色に、ひと際鮮やかな紅色の、荒々しいタッチの筆にて描かれているその作品世界には、かつて無いくらいの衝撃を受けていた。

萬鉄五郎氏と云えば昭和の初期に活躍した前衛的洋画家として著名であり、かつてはおいらも相当の影響を受けた巨匠ではあるが、「かなきり声の風景」はおそらく初めて目にした作品であった。萬氏の代表作品としての他の作品以上に「かなきり声の風景」に魂を震わされていた事実は、おいら自身にとっても驚嘆に値することなのである。一見するにその作品はエスキース(習作)のようにも見えた。然しながらその作品の完成度は限りなく高くいてあり、こんな作品に遭遇するのは極めて希少な出来事と云ってよいのである。

ここからは確証なきおいらの推論に入るのだが、川上弘美さんの「なめらかで熱くて甘苦しくて」は、萬鉄五郎氏による「かなきり声の風景」に触れて触発された川上さんと萬さんとのコラボ的傑作ではないかと思うのである。

文芸誌「新潮」にて連作的に掲載されていた、短編たちの多くは、人間の「性」「sex」がテーマとなっている。だがそれらのテーマはさらに根源的なる「生」や「獣性」や「彼岸」とやらのテーマにも絡めて描かれているのであり、大胆で融通無碍なる筆の息遣いとともに、自由自在的な筆の勢いを累乗されているかのようである。

誤解を恐れずに書くならば、川上弘美さんの「なめらかで熱くて甘苦しくて」は、未完的に仕組まれたエスキース的作品たちである。自由闊達な筆(ペン或いはキーボード)のおもむくままにて描かれたビジョンが荒々しい筆致にて描かれている。あまりにも自由闊達な筆致であるが故に、描かれたビジョンに追いつくことさえ出来ずにいて、読者としてのおいらもまた、途方にくれることもしばしばではあり、読み易い作品ではけっしてなかったのである。それでも自由闊達な筆に魅了されつつ、最終章を読み終えたときの感動は他に得がたいものなのであった。

しゅういつな筆を操る名人がその自らの殻を打ち破るべき脱皮の様相でもある。此れこそはまさに、天才が生まれつつある姿を彷彿とさせていたのである。

この季節には絶対に食べたい逸品が「筍の炭火焼」

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筍(たけのこ)が芽吹く季節となった。美味しい筍はこの季節にしか味わえないのだから、筍メニューには注目である。なかでも旬の季節の筍でしか味わえないのが「筍の炭火焼」なのであるから、このメニューを逃してはならない。

本日はまた偶然的に訪れた居酒屋にてこの「筍の炭火焼」にありつくことができたのであった。

地上に芽を出してからは数日以内のものが収穫されて食用にと提供されるが、若芽のごとくの筍は、芽を出したその当日に収穫されたもののことを指しており、其れが特に珍重されるのだ。

多少厚い皮に包まれた筍をそのまま炭火に掛けて焼いていくと、外皮の部分は黒く焼き目が付いていき、中にはほくほくして蒸し上がった筍のエキスが充満していくのであり、そんな調理の妙を経て得られる「筍の炭火焼」こそは、この時季の逸品メニューに恥じない代物なのである。

ブリの煮付けを、行く冬を惜しみつつ味わった

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出世魚の代表格であるブリは、年を重ねるごとに脂身を増していくのであり、人間にとっては美味い条件を増していく。冬はブリが美味しい季節なのであり、春の訪れとともにブリへの愛着も断ち切れないのである。そんな冬のブリのうまみを凝縮させた簡単料理が、ブリの煮付けだ。ブリのカシラを素材にして、日本食のベースである醤油と砂糖と味醂といった甘辛の調味料でじっくりと煮込まれてつくられる。脂が乗ったブリの旨味を味わえる料理だった。

寿司ねたにはいまいちだが、酒の肴としてはいける「アボカド」

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アボカドを酒の肴、つまみとして、所謂つまみ食いをしたのだった。何時ごろからだったのだろうか? 寿司屋のねたケースに乗っていたのを見つけて、試しにとその「アボカド寿司」を食べてみたのだが、その当時には全然ピンと来なくて、それ以来おいらは、アボガド寿司は邪道であるとの一念を通してきたのではある。然しながら先日、わさび醤油につけて食した「アボカド」は、其れまでの思い込みを払拭させるべきほどのインパクトでおいらの味覚を刺激していたのであった。これは酒の肴に打ってつけであると確信すべきものではあった。

メキシコと中央アメリカが原産とされている。然しながら近頃では国産のアボカドも生産されているのであり、秋期に収穫された国産のアボカドが充分な熟成を経て出荷されている。おいらの狙いは実は、そうした国産のアボカドなのである。

狂い咲きした今年の上野の桜たち(夜桜編)

今年の桜は例年よりも1週間以上も早い開花であるということから、一般ニュースにもこぞって取り上げられている東京の桜たち。いち早く咲き誇っているという姿を見たくて上野の不忍池界隈へと歩を進めていたのである。

到着した時間は既に日没を過ぎており、宴会が禁止される午後8時にも近いという時間帯であった。何度か訪れたことのある上野不忍池周辺には、おびただしいくらいの観光目的な人間があふれていたのであり、その一部人間たちは青いシートやらを目印に陣取っての酒盛りに興じていた。世に云うところの「花見」の光景ではある。散策する一般観光客たちとはある種のバリアで隔てられているのだが、それにしてもこのような光景はこの時季ならではのものである。今日を過ぎては出遭うことの叶わぬ光景なのかとも感じ取っていたのである。

夜桜のビューポイントには、スポットライトが当てられて、夜なのにまるで生温かな空気が行き来しているかの錯覚にとらわれていたかのようでもある。仄かなピンク色した桜の花弁の集団的息遣いに、息をひそめて観測していたのであった。

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