「なごり雪」と呼ぶには強烈過ぎる首都の雪景色

今朝からの寒気で目が覚めた。TVでは雪のニュースで賑わっていた。TV朝日局の番組では丁度、八王子駅前で天気レポーターが立っていて、お天気兄さんによる実況中継などが放映されており、故に朝方から家を出るのが億劫になっていた。

「天候不良による倦怠感による」等々の、さしずめ女子高生風の理由を口実にして、職場を欠勤したくもなっていたくらいであった。がしかし欠勤をしたならば、後日になってどんな噂を立てられるかも知らぬのであり、それ故に、気怠い朝の一歩を踏み出していたのだった。

身が締って中々楽しめる「飛魚(トビウオ)」の刺身

海上を羽ばたいて飛ぶことから飛魚と呼ばれる。この飛魚の疾駆する姿は未だ生で接したことはないが、それにしてもとても神々しい。魚という生命体にプラスされた特別な能力が、何か特別な天からの摂理というべきものを感じ取らせるのだ。

刺身として食したその飛魚の身は淡白だが、とても身が引き締まっており、とても味わい深いものであった。

添え物として乗っていたのは飛魚の羽根だ。広げると立派な空を飛ぶ羽根になる。想像していた以上にでかい、巨大な神々しき羽根なり。

「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」が開催(2)

■インディアンレッドの地の壁画

分け隔てられたブースを辿っ て行くと、広いスペースにただの1点の作品が展示されている場所へと行き着いていた。作品名「インディアンレッドの地の壁画」。題名から読めるとおり、壁 画としての利用を前提として依頼されて制作したという、ポロックの中での数少ないカテゴリー作品に含まれる。

塗料をキャンバス上に滴らせて描くポーリング、ドリッピングと云われる技法や、オールオーヴァー、アクションペインティング等々と称される志向性が頂点を迎えた1950年の作品であり、ポロックと云えば真っ先のこの作品が引用されることが当然となっている。評価額が200億円とも称される、現代美術の最高峰とされている作品である。

ゴッホやピカソを超えたとの評価が与えられているが、これには相当大きな疑問が付きまとっていることも確かである。ヨーロッパに遅れをとっていた米国美術界が金力にものを云わせて総出で手掛けたイベントの一つが、同作品への超高額評価であり、その役割を担う役者としてポロックに白羽の矢が立てられたと云うのが、客観的な見方ではあろう。アメリカンヒーローに祀り上げられたポロックは、センセーショナルな報道のターゲットとなり、映画作品のモデルともなったが、彼にとっての益に適ったかと問えば、決してその様なことは無かったと答えるべきであろう。

■カット・アウト

オールオーヴァーのスタイルを確立したポロックが、そのボード絵画を切り抜いて構成した実験的な作品である。今回の展覧会場でおいらが最も観たかった1点でもある。

人型にも見える切り抜いたその背後には、荒く絵の具を刷り込ませたキャンバス地が姿をのぞかせている。この手法の作品は6点あるとされているが、展示されていたのは我国の「大原美術館」が所蔵しているもので、同シリーズの中心的作品である。

解説文に依れば、このカット・アウト作品の見せ方に苦慮していたポロックは様々な実験と思索を繰り返していたが、突然の事故でついにその完成を示すことは無かったと云う。現在展示されている作品たちは、妻のリー・クラズナーの判断によって完成されたものとなっている。

「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」が開催(1)


米国現代絵画の巨匠と謳われるジャクソン・ポロックは今年、生誕100年を迎えた。それを記念して我国(米国ではなく日本)では「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」が開催されている。名古屋展に続き、東京展が東京国立近代美術館にて2/10~5/6の期間で開催中である。

■生誕100年ジャクソン・ポロック展
期間:2/10~5/6
場所:東京国立近代美術館
〒102-8322千代田区北の丸公園3-1

現代作家としてのポロックは尊敬すべきアーティストには違いないが、おいらにとっては同時代の米国で活躍したアーシル・ゴーキーや、アンフォルメル絵画の巨匠ことジャン・デュビッフェ達の方が圧等的なアイドルであって、ポロックに心酔したり特別に傾倒することは無かった。或は作品制作においての影響も小さかったと云うべきである。然しながら今回の「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」は企画回顧展として相当規模の展覧会であり、これを見逃したら一生出逢うことの出来ない作品群を思えば、出かけない訳にはいかなかったのである。

まず会場に足を踏み入れて最初のブースで感じたのは、20代のときのポロック作品の充実さである。厚塗りでぐいぐいと表現して行くそのスタイルは、ピカソの初期作品やミロの作品を彷彿とさせ、ある作品は岡本太郎の作品世界を想起させてもいた。ポロックが岡本太郎に与えた影響について、一つの示唆を齎してくれていたのであった。

(この稿は続きます)

司修さんの「本の魔法」から、本と作家と装幀家との濃密な関わりが匂ってくる

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装幀家として名高い司修さんの近著。古井由吉「杳子・妻隠」、島尾敏雄「死の棘」、中上健次「岬」、等々の戦後日本の近代文学を代表する書物の装幀を手掛けた司修さんが、装幀の現場におけるエピソードを綴っている。取り上げられている15の書物のどれも彼もが、作家との厚い交流が基として成り立っており、おざなりの仕事から産まれた本は一冊も無い。

おいらが司修さんの装幀の仕事に対して最初に目を瞠ったのは、大江健三郎氏の書籍たちだった。エッチング等の版画の技法を駆使して描かれた司作品は、大江健三郎作品の挿絵としてではなく、イメージが何倍にも膨らみ弾けて描かれており、司氏の装幀作品の重層性を余すところ無く示してもいたのだった。

だが何故だかこの「本の魔法」という一冊から、大江健三郎作品が省かれているのが、余談になるが、とても不可思議なポイントでもある。

久々にありついたアメ横「豚坊」のロールキャベツ

上野アメ横のガード下にあり、おいらもちょくちょくと顔を出す「豚坊」で、「ロールキャベツ」に久々にありついたのだった。

毎回のようにこの「ロールキャベツ」を注文するのだが、何時もいつものごとく「売り切れです」の店員の一言が返ってくる。おいらはてっきりこのメニューは客を釣る、云わば騙しのメニューであると決め込んでいたのだったが、そんな決め込みを払拭すべく、肝心要の「ロールキャベツ」にありつくことが出来たという訳なのだった。

上野のアメヤ横丁界隈はとても馴染み深い界隈であり、しばしば散策するのであり、最近ちょくちょくと腰を降ろして一献やっているのが「豚坊」なのである。その昔は「錦」という看板を降ろしていた同店舗の軒下の想い出は数限りなく存在している。

とてもグロテスクだが味は悪くない「手羽餃子」

鶏の手羽先を用いた餃子、或は餃子に見立てた手羽先料理と云うのが「手羽餃子」と云うメニューである。

もう何年も前だったが最初にこのメニューを視て接した時の驚きは筆舌に尽くせないものがあったことを思い出す。手羽先を餃子にすると云うのは快挙ではあるが途轍もなく無謀な試みと思われ、こんなグロテスクなメニューを開発した人間の気が知れなかったというのが本音であった。

だが、本日食したその「手羽餃子」は、グロテスクさを控えめに見せて出されていたので、箸を付ける前にも「美味そう」という印象を強くしていた。しかも箸を付けて喉にくぐらせれば、逸品料理の味わいにも感じさせるものであった。

この体験はまさに「手羽餃子」を見直すきっかけとなったのである。

日本人に「水餃子」が受けない訳

中国料理系居酒屋で飲んでいた際に「水餃子」を注文していた。何時もだったら「焼餃子」なのだが、今日は気紛れの風が吹いたようにて、普段とは違うメニューを食する羽目になったのだった。

出てきたその「水餃子」は、スープにも入っていないただの茹でた餃子であって、それに葱の切身がぞんざいにかけられていたのであり、おいらは一見して残念な思いにかられてしまったのだった。やはり焼餃子にすべきだったと考えたのも後の祭りであった。

凝視してしまったところ、その「水餃子」とやらは、薄っぺらい皮に包まれたワンタンを大きくしたような代物だったのだった。ワンタンも時々は食するが、取り立てて美味いものではない。ワンタンをわざわざ注文して酒を飲むのも、ある種の不条理と云わねばなるまい。

日本の餃子は焼くのが当たり前であり、こんがりと焼き目を付けて、其れを見た目でも味わいつつ食するのだ。それに引き換え「水餃子」ときたら、薄っぺらな生地から透けて見える肉のあんのみすぼらしき様相である。この違いは決定的であると云うべきと考えていたのであった。

しかるにして全く納得できないままにして、「水餃子」メニューを後にして、中国系居酒屋を立ち去ったのであった。

時々この味が恋しくなる、牛の「ネクタイ(食道)」

地元の焼肉店に立ち寄った。牛のモツが豊富なこの店は、様々な部所を味わえるので、時々訪っているお馴染みの店ではある。

例えば牛の、第1から4までの胃袋、すなわち「ミノ(第1胃)」「ハチノス(第2胃)」「千枚(第3胃)」「ギアラ(第4胃)」という4種類の胃袋などを味わうことが出来るということで、ある日にはまった。

本日食した希少部位とは、牛の食道部位である。「ネクタイ」というメニューで提供されていた。

「塩味がお勧めですよ」という店員の声にしたがって「ネクタイの塩味」を注文。脂の量は少ないと見え、炭火に乗せても炎が着火する兆しも無い。ゆっくりじっくりと焼肉の工程が味わえるのであり、じわじわと点火していく食欲ともあいまって、美味しい時間を過ごすことができたのだった。

塩味は些か強過ぎると感じたのだが、コリコリとして適度な食感が、またまた食欲をそそっていた。

稀にとは云えこんな食欲増強の時間を持つことは決してダイエットに良いわけが無いのであり、またまた反省しきりの今宵なのである。

土鍋で美味しい「鯛めし」を炊いたのだ

行き付けのスーパーで鯛の切身を目にし、早速「鯛めし」にしたのだった。鯛を見ると「鯛めし」がつくりたくなる、食べたくなる。

鯛の味を生かすには、昆布が必要であり、逆に云うならそれ以外は必要が無い。昆布と少量の醤油のみの味付けで充分だ。

研いだお米をいつもの御飯炊き用の土鍋に入れて昆布を敷く。鯛の切身は予め火にあぶっておき、焦げ目を付ける。生とは違い鯛の味を深めるひと手間となるのだから手抜きはできない。

ふっくらとした鯛の香りとともに炊き上がった土鍋から、昆布と骨付きの鯛とを取り出し、鯛の身をほぐしてから土鍋にもどした。鯛の身のみから滲み出た脂の香りが食欲をそそった。