日常化する里の相貌

画用紙に水彩

数年来、里山近くに暮らして思うことは、生活を覆う里山の存在の特別な息遣いであり、特異でありながら定番的な存在感であります。都会では経験できない里山たちとの触れ合いが、これからも続いて行くであろう。そんなことを思いながら描きました。

新年おめでとうございます。

大晦日の夜はといえば、ユーチューブで、チャンバワンバやら、スピッツ、尾崎豊やらを聴いて過ごしていました。そして本日は正月であり、正月気分を奮い立たせており、一年の計は元旦にありということでもあり、折角なので、いわゆる年始の「一年の計」とやらを立ててみました。僕の2026年の一年の計は下記の通りであります。

■旅をする

人生後半になって、まだまだ行きたくても行けない処が多々あります。国内、国外、行けなくて忸怩たる思いを解消して果たすべく、旅行に邁進していきたいと思います。

■鷹の生態を調査する

僕自身が棲んでいる里山に生息する鷹たち。大鷹、クマ鷹、等々の彼らの生態はいま一つ分からない面が多くあり、彼らの生態をこれから精力をかけて追求していきたい。自分自身が住まう土地の住人であるからこそ、敬意をもって探求したい。

■旧友との再会を果たす

これはまさに、Instagramに参加した時からの思いであり、願いであり、未だ再会できない旧友たちとの再会を願っているのです。

森のダンス

木製ボードにミクスドメディア F6号

数年来、里山近くに暮らしてたびたび思うことは、里山の森を構成する樹木たちの息遣いであります。森の樹木たちの息遣いが、里山の息遣いとなっている。里山を愛する人々にはその息遣いが、いつの間にか隣人のように語りかけてくるのであります。

ある日の夜に夢の中で見たビジョン。森の樹木たちがダンスを踊り、宴会を催しつつ、過ごしている姿でした。それはまさに「森のダンス」と名付けた光景であったのです。一目にして焼き付けられたそのエレガントなダンスを、描くのが、今回のテーマとなったのでありました。

羽根を持つ天女

キャンバスにミクストメディア F4号

天女シリーズの新作です。今回はアンニュイな表情にスポットを当て、現代の若者の持つリアルを描きました。

モデルの天女が持っている背中の羽根は、鳥の羽根というよりもむしろ蝶々の羽根に近いものであります。鳥類ほどには勢いのある飛行は出来ないが、それを補うに足る蝶々の飛行とは、意表を付くほどの優雅な飛行である。いつかきっと芸術的な舞いを見せてくれるだろう。羽根を持つ天女が舞った姿を、いつか何時か描いてご披露するので、お楽しみに。

「ブラックボックス」に対する私的考察

僕が描く作品群の中には、シリーズとして描いた抽象表現的な作品群があります。それが「ブラックボックス」として描いた作品たち。これ等は僕自らの過去の体験に依拠しており、決して看過し得ない思いに駆られているのです。それは怒りであり、不条理に対する憤りであり、究極の「No!!」の叫びにも近いもの。最も不条理なのは、自らがブラックボックスの渦中に居る人物たちの発言であり、行為であり、彼ら彼女らが、自らの渦中の現実を、やむを得ない事として受け止めてしまっているということ。これは所謂諦めなのか? そんなこなを受け止めつつ描き続ける。今もなお「ブラックボックス」をテーマとしての制作を行ない続けているのです。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず

方丈記の冒頭の一節「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」とは、過去から現代に通じる、清冽かつ強烈なメッセージとして、人々の魂に訴えている。その一節は情景描写にとどまらず、人生感や芸術的指向性の根幹にも関わってくるので、いっときも無視し得ない。今回もまた、清冽かつ強烈なイメージを持つ水の流れと、里の息吹をテーマに描いた作品であります。

ある旅の日の記憶

先日に出かけた旅で訪れた地域、その地の一時の捉えて描いた作品です。その場所とは、決して著名な名勝地、観光地ではなく、決して歴史的意味付けのある場所でもないのでありますが、とても印象的な一瞬をこの目に、我が目に、焼き付けておきたかった場所だったのでありました。

里を横切る道にたたずんでいたのは、野生化された犬なのか? それとも狼か? 狐か? よくわからないままにその生き物を眺めていた。人と離れて相当な時間が経っていると思われ、野生化されている。旅人との邂逅に、たぶん面食らっていたのであろう。ただただ、視線を交わして挨拶するだけの出会いであった。取り残された里の風景の現状を目の当たりにし、記憶の奥底に刻み付けていたのでありました。

そもそも人生にとって、旅とは必須のアイテムであります。人生において旅がなければ人生そのものが成り立たないと云っても良いのです。旅が先か? あるいは人生が先か? といった議論は置いておくとして、僕自身にとっての旅の重要性、なかんずく、旅がもたらす精神の高揚感については、過去からの人生の贈り物だと云って良い。まさしく人生にとっての旅の重要性を再認識させるにはこれ以上ない気分なのです。

宙を舞う

キャンバスにミクストメディア F10号

少年の頃にはよく、宙を舞ってあれこれを探検する夢を視ていたものでありました。だが大人になればそんな夢をとんと視なくなってしまった。宙を舞うという行為は、ある種の全能感にも繋がるのであり、少年の頃に夢見た全能感を、いつの間にか諦めてしまった、そんな象徴的な事柄なのかも知れない。

ともあれ今尚、宙を舞うことに憧れ続けていることは変わりがない。どんなに齢を重ねても、宙を舞う願いを抱きつつ、生活を、制作を続けているのです。

歌姫

キャンバスにミクストメディア F4号

往年の歌姫といえば、中森明菜がまずは浮かぶ。近頃のコンサート会場にうん十年ぶりに歌唱復帰したというニュースも目にしており、本格復帰を望んでいるのは僕一人ではなかろう。何しろ昨今のガキンチョシンガーには成し得ない叙情性やアピール性の高さは、目を耳を見張るばかりであります。

僕の個人的な趣味嗜好を述べるならば、往年のとみたゆう子さんにもガキンチョシンガーには無い、叙情性があり、歌姫の名に相応しいと思うのであります。

羽根を持つ天女

キャンバスにミクストメディア F4号

翻ってみれば、近頃は人物画を描くことが減っているなと、自覚があり、そんなこんなのジレンマも相まって、人物画風の作品に着手しています。その第一弾がこれ。

題して「羽根を持つ天女」とタイトルを付けてみました。モデルの天女が持っている背中の羽根は、鳥の羽根というよりもむしろ蝶々の羽根に近いものであります。鳥類ほどには勢いのある飛行は出来ないが、それを補うに足る蝶々の飛行とは、意表を付くほどの優雅な飛行である。いつかきっと芸術的な舞いを見せてくれるだろう。羽根を持つ天女が舞った姿を、いつか何時か描いてご披露するので、お楽しみに。

清浄の里

キャンバスにミクストメディア F30号

信州の旅を終えて数日間、近作に手を加えていた。旅の道中で目にした景色、とりわけ流れる水の清澄さが胸を捉えて、近作の中にもその要素をより一層的に、特化して表現したいと思ったからである。流れる水と、心地よい風の調べは、やはり旅という体験の中で深まっていったのだと想うのである。

旅の準備

 

ここ数日来の公私にわたる喧騒が静まって、僕も久々の旅に出たい気分なのです。数日来の仕事やプライベートのあれこれは、非常に気持ちを荒々しくさせる事ばかりで、いささか自分の気分も、腫れもの気分であり、気持ちの洗濯などをしたくなったという訳なのです。ボケ老人が会長の山梨の田舎の展覧会など関わってしまった為に、精神的安定を失してしまったことや、自身の制作スケジュールが予定通りに行かないこと、等々のネガティブなものを払拭しようと、旅に出ることにしました。

田舎暮らしの今の僕には有名観光地などの風景を求める気持ちもなく、ただ、ぶらりと気の向くままに、旅をしたいと考えています。いつか旅の途中にて、画期的かつエレガントな瞬間に遭遇出来たら、真っ先にここで報告したいと思っています。

豊穣の里

キャンバスにミクスドメディア F30号

「豊穣の里」シリーズとして描いている新作です。毎回のシリーズ作ですが、今回の作品に初めて登場する植物の息吹にスポットを当てつつ、筆を進めていたのです。都会の街中では決して出会うことのない、唯一無二のいのちの姿に、魅了されていたのです。

里を旅することは即ち、あたらしいいのちとの出会いであると、改めて感じている昨今なのです。

異世界を巡る旅について

僕が描く多くの作品の舞台となる世界は、しばしば「異世界」とも呼ばれる場所が舞台となっている。すなわち現実社会とは異なって、現実を飛び越えた、超越した舞台であるということ。そんな舞台を好んで描いているのです。

それはある種の現実逃避かも知れないし、戯れなのかも知れないが、僕自身の巨きな創作意欲の源泉ともなっている。決してネガティブな代物ではないのです。

例えば僕が描く「異世界」には、昼と夜という境界がないこともしばしばであります。非現実的な舞台が現出したり、異世界の生き物たちに出会うことも珍しくありません。そんな異世界の旅をするかのようにして、日々の創作を続けているのかも知れません。

清浄の里

キャンバスにミクスドメディア F30号

清浄の湧き水があふれる里山の、或るひと時を描いた作品です。

その一部は川となって大河を作り、海に流れる前の、とても動きの有る一瞬として捉えたものであります。

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「第89回自由美術展」に出展しています

本日より、国立新美術館にてスタートした「第89回自由美術展」に出展しています。作品名は「芽吹きの里」と題したF100号作品。今年に入ってから新しく設定したテーマ、タイトルとなっています。お近くにお越しの際はぜひご高覧ください。

■第89回自由美術展
・期間:10月1日〜10月13日(7日は休館)
・時間:10時~18時(入場は17時30分まで)※最終日は15時まで(入場は14時まで)
・場所:国立新美術館
東京都港区六本木7-22-2
TEL:03-6812-9921

描き続ける「野獣」についての考察

今回アップするのは「野獣シリーズ」として描く作品であります。改めて言っておきたいのですが、僕がよく描いているのは野獣であり、決してペットや飼い慣らされた家畜たちではないということ。よく間違えられるのが「犬」や「猫」といったペットたちだという誤解也。はなはだ迷惑この上ないのです。かつては僕も、犬や猫を飼ったり可愛がったりしたこともあるが、モチーフにしたことは無かった。取り立ててモチーフにしないのではなく、あえてモチーフ、モデルに採用することに、特段の意味や必然性を感じないということ。翻ってみれば「野獣」という存在がそれだけ稀有なモチーフに成り得るといういうことなのです。

木製パネルをベースに、

木製パネルをベースに、木板を切断加工等を施し、アクリル絵具で着色して制作した作品たちです。半立体的な作品仕上がりになるので、いつも以上に窓からの光には繊細になりました。撮影に関しても、制作時と同様に、外光には注意喚起を余儀なくされていたものです。

我が家のアトリエは、南北二方向からの日の光を取り入れていることが、一番のメリットとなっています。つまりは太陽光との対話ができているので、それが、制作する環境での好条件でもあります。これこそが、イラストレーターや写真家たちとは決定的に異なるところでしょう。半立体作品に限らず、常に太陽光との語り合いの時間が増えていくだろうと、感じたのでありました。

綺麗な薔薇の棘、人生の棘に関する考察

人間の社会には「綺麗な薔薇には棘がある」などということわざ、格言がある。美しいもの、魅惑的なもの、蠱惑的な存在、等々には、決して近付いたりしてはならないという、所謂ひとつの戒めを示しているのである。だが実際に、現実的に、綺麗な薔薇を見て、それに接していながら、みすみす引き下がってしまっている人間は、まるで人生を引退しているか? あるいは人生の魅惑的な真実に対して全く関心のない不具者であるのか? 等々の憶測を抱かれることは必須である。綺麗な薔薇に対してアプローチすることは、現代に生きる人間にとっても大切なことである。

そんなこんなの思いを胸に抱きつつ、綺麗な薔薇たちを描き続けているのである。

芽吹きの里

 

キャンバスにミクスドメディア F100号

里山の存在感が色濃く聳え立つこの場所から、たくさんのいのちが芽吹いている。物語を紡ぎだすいのたちが生まれていることを、何時も感じる。それは小さな芽吹きなのかもしれないし、或いはもっと大きな成長なのかもしれない。

年間を通し、季節が過酷の冬の時代を過ぎて、芽吹きを始めるのは、春の季節である。春に芽生えを得ていのちの息吹を表現するのはその時間は限られてはいるのだが、現在は、夏から夏の終わりにかけての一時期ではある。此の時期の里山の相貌はといえば、まことに不思議な相貌を呈しているので、僕は一層の興味関心を抱いていたのであります。