サザンオールスターズ「TSUNAMI」の不思議なタイトル

ペルーが震源地の津波騒動も、ようやく収束しつつあるようです。日本では最大1.45メートル、海面が上昇したというが、その緩やかさは、「津波」というイメージにはほど遠かった。まるで「大洪水」と混同しているかのようだ。

それはさておき本日は、2000年の300万枚超の大ヒット曲「TSUNAMI」を想い出した。第42回レコード大賞の受賞曲でありサザンオールスターズの代表曲である。歌詞とメロディーが一体となったバラードであり、歌謡曲史上稀に見る大衆性と音楽性との融合が果たされた名曲だと思う。

♪見詰め合うと 素直に お喋り出来ない
 津波のような侘しさに
 I know.. 怯えてる
 めぐり逢えたときから 魔法が解けない
 鏡のような夢の中で
 思い出はいつの日も 雨

最愛の人に捧げるラブソングなのに、どうして「TSUNAMI」なんだろうと、かねてより不思議だった。たしかに津波のように押し寄せては引き、引いては押し寄せるという、そんな逃れ得ない愛のイメージである。だが「大洪水」のような自然の驚異ではなくて、甘っちょろいイベントとして捉えたのだとしたら、ちょっとずれている。

「東郷青児展 女性礼賛」にみる女性観とアカデミズム

八王子市夢美術館では「東郷青児展 女性礼賛」が開催されている。

http://www.yumebi.com/

知人から無料招待券をもらっていたので出かけたのです。東郷青児といえば、かれこれ云十年も昔の高校生の頃、たしか二科展の展覧会場で作品に接して以来の邂逅である。東京の美術大学に入学してからは、東郷青児といえばアカデミズムの象徴のような存在であり、アプリオリに刷り込まれた情報がネックとなり、とても観に行く気分などにはならなかったのだ。基本は今尚変わっていないが、人間が丸くなったのか、戦後画壇の巨人などとも称される彼の原画のタッチをこの目で確かめたいなどという好奇心が、重い一歩を踏み出させたのである。

入場者もまばらな展示会場に入る。最初のブースにはフランスで修行時代の、モンパルナスのエコールド・パリ風の作品群が目に飛び込んでくる。とりわけ興味をそそられたのが「スペインの女優」という作品だ。欧米系の女性はタイプではないが、潤いを帯びて端正な顔立ちが食指をそそるのである。東郷さんとは女性の好みは大分異なるが、共有できる趣向が発見できていささか満足であった。

次に廻ったブースからは、お馴染みの東郷スタイルの作品が壁面を埋め尽くしていた。70年代の女性誌によく見られたスタイルのイラストたちは、東郷さんの影響力がもの凄く強かったのだろうと推測するのだ。美術展のサブタイトルには「大正そして昭和を駆けたモダンボーイ」とある。今でこそイラストレーションのスタイルは百花繚乱の趣きであるが、イラストレーションが商業美術の世界に受け入れられ、浸透していった時代の背景には、東郷青児さんの甚大な影響力が存在していたのである。そのことを本日は確認することが出来たのでありました。

むかえ酒した今宵のメニューたち

昨晩は送別会があり、二次会で飲んだ日本酒やらその他のアルコールメニューが終日身体から離れずにやっかいであった。今宵は地元の居酒屋暖簾をくぐって一杯やって、すっきり。久々の迎え酒した気分にて候。

そんな今宵のメニューを2点ほど紹介します。

そのまま食べても珍味のかに味噌だが、蟹の甲羅にどっさり乗ったかに味噌をあぶって食するのです。

納豆の磯辺揚げてんぷら。

21世紀の時代は再び高田渡さんを追い求めていた。

[高田渡] ブログ村キーワード

昨日24日、NHK教育番組「知る楽」では、高田渡特集の第4回(最終回)が放映された。生涯最後というライブ映像も映し出されていて、とても貴重な映像など面白く視聴したのである。

高田渡さんをテーマにした映画「タカダワタル的」は、おいらも公開すぐに映画館に足を運んだユニークな作品であった。1年間という異例のロングラン上映だったという。渡さんを崇拝する監督の柄本明は、本物のフォークを謳う高田さんの生き様を通じていろいろなことを知らしめたかったと語っていた。古くてかつ新しい高田渡さんの生き様は、若い層にもひたひたと浸透していた。この映画が高田さんの再評価に寄与していたことは特筆される。個人的な思い入れを映画という公共のメディアに載せて知らしめるというやり口は、ほかに知ることが無いくらいである。

生涯を吟遊詩人として旅していた高田さんの最後のツアーは、北海道の白糠町であった。亡くなった最期を記すことになった、ゆかりの地なのだという。その日、悪性の風邪を患い40度の高熱をおしてのライブだったという。何百回聴いていた「生活の柄」だが、最後のライブとて記録された映像は圧巻であった。

「全部が新しいし、凄いんです。響くものは響くんです」となぎら健一がコメントしていた。人間の普遍的な日々の生活を歌にし、疾風怒濤の生涯を駆け抜けた高田さんに乾杯なのである。

苫米地英人著「テレビは見てはいけない」

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昨年9月に初版発行されたphp新書の1冊である。タイトルに興味をそそられ立ち読みしているうちに、そのまま購入してしまった。

著者・苫米地英人と云えば、オウム真理教事件とのからみで何度かTVメディアにも登場していた人物である。「オウム信者に対する脱洗脳を手掛ける脳機能学者」という触れ込みで、ヒーロー扱いだったことを記憶している。当時から関心は深かったのだが、以来彼の著作に向き合う機会などなくここまで来たのだが、つい先日、偶然にもこの新書を手にしていたという訳である。

一読した印象で云えば、「これは自己PRの書なのだな」との一言。表題に掲げている大仰なテーマとは裏腹に、本文中には「サイゾー」「キーホールTV」といった著者が関係しているメディアの固有名詞がちりばめられている。おいらがここでそのような固有名詞を記すことこそ、PRに加担することになるので甚だ心痛いのである。最小限度の記述にとどめたつもりだ。

高邁なテーマを表題に掲げながら、卑近なPR活動に落とし込むといった姑息な目的が透けて見えている。

旬なる珍味「バクライ」(ホヤとコノワタの塩辛)を食す。

人間たるもの、なかんずく呑兵衛などと云われる人種どもは、何ごとも栄養補給の為だと考えてつまみを摂るものではない。旬な食材やら珍味やらを見かけると、ついつい御しきれずに口にしなくてはならないのが、呑兵衛どもの習い性なり。

本日はとある店にてありついた「バクライ」(ホヤとコノワタの塩辛)は、そんな条件を満たす一品であった。ホヤの刺身や塩辛は、時々は口にする機会を持つが、本日の「×コノワタ」についてはこれまで口にしたことなく、初体験であったのである。

コノワタとは、ナマコの腸(ハラワタ)を指して云う。これ自体が珍味。ナマコはナマコでコリコリとして味わい深く美味であるが、そのハラワタを想うに、口になどしたためしがなかった。ホヤの独特のエグミをまた程よく中和させて、美味なのであった。

1978年藤原新也さんが「逍遥游記」で木村伊兵衛賞受賞。

おいらがまだ多感な時代、この1冊に出逢ってまさに震えていたことを想い出す。何か魂を震撼させるに足るオーラが、書籍の後ろから立ち上ってくるのを感じていた。「逍遥游記」(朝日新聞社)から立ち昇るかの巨大な視野から発せられるオーラが、おいらの心の中を射抜くようにして聳え立っていた。

前にも後にもこの体験に勝る写真との邂逅は無かったといってよい。太宰さんの小説文学とはまた異質なものであった。どうしてこんな写真が撮れるのだろう? おいらの疑問は解明されること無く現在も続いているのである。じゃんじゃんっと。

映画「人間失格」は、太宰治の名を借りた風俗映画なり

太宰治原作の映画「人間失格」を鑑賞した。けれども「あれ、こんなんだっけ?」 という印象を、映画が終わるまでずっとぬぐえなかった。名作の名を借りてリメイクされた風俗映画と云わざるを得ないのだ。原作の「人間失格」は太宰治の代表作でありしかも彼の思想性が際立った純文学作品である。この側面が映画では、すっぽりと抜け落ちていて甚だ腑に落ちない。原作に太宰治さんの名前を冠しているのだから、もっと真面目に制作してもらいたいたかった。

主役を演じた生田斗真はじめ石原さとみ、坂井真紀、寺島しのぶ、伊勢谷友介らの俳優たちはそれぞれの持ち味を出していて悪くない。問題があるとすれば、脚本と監督の資質である。酒と女と薬に溺れて堕落していくというストーリーはとてもステレオタイプである。原作には居ない中原中也なる詩人まで登場させて、ストーリーをごちゃごちゃにさせていく。戦前昭和の文壇なりを描いたつもりだろうが、風俗を通り抜けて通俗の極みである。猪瀬直樹原作の太宰治映画「ピカレスク」に出てくる中原中也に比べれば実在感は上回っているのだが、そのぶん太宰先生の存在感が薄くなっていることを、脚本家なりはどう考えているのだろう。

ネガティブなことを書いて筆を(キーボードを)置くのは気がひけるので、吾なりにこの映画の見所を書いておこう。まず、石原さとみさんが主人公を誘う笑顔が可愛い。坂井真紀さんの主人公を惑わす仕草が前時代的である。主人公に誘惑されていく室井滋さんの自堕落な様が哀愁をそそる。主人公に身も心も肩入れしていく三田佳子さんが艶かしい。つまりは太宰さんがモデルの主人公を取り巻く、女性たちの有り様が、この風俗映画の物語を潤わせているのである。女優陣の演技は見て損は無いだろう。

眞鍋かをりが事務所を提訴、の真新しさ

ブログの女王こと眞鍋かをりのブログ更新が止まってしまった。芸能活動自体がストップしているようだ。芸能ニュースによれば、事務所に対しての契約解除を求めて訴訟を起こしていたというのだから穏やかではない。

タレントと所属事務所とのいさかいは別段珍しいことではない。よくある典型的なのが、その昔は良い仲だったのが仲違いして、別れたい、縁を切りたいとタレント側(その多くが女性)が三行半をいい渡すというケースである。若い頃には芸能デビューをさせてもらった恩人社長なのだが、デビューして名前が売れた後には何かと余計なお節介を焼きたがる。うっとうしいこと甚だしいのである。

こうしたケースの場合は、親会社がタレントを引き取ることで終息するパターンが多いようだ。そもそも芸能界というところは親会社、子会社、孫会社といった、厳然たるヒエラルヒーが存在する特異な世界である。舎弟は親父の云うことに逆らうことはできない。もし逆らったならば村八分どころか、生存の糧をすべて取り上げられてしまうのである。前時代的な徒弟制度以上の階級制度である。

今回、眞鍋かをりさんがこうした芸能村社会の慣習ではなく、自ら訴訟といった手段に出たことは特筆に価するだろう。頑張れ真鍋! と、甚大なエールを送りたいと思うのである。

バンクーバー 滑って転んで 鼻血ブー


TVでは川柳をやっていたのにつられて川柳でまとめてみました。バンクーバーオリンピックは全然盛り上がりませんね。

国母のステージ外での言動が最大の関心事というのだから情けない。結局国母くんは、得意の回転を決められずに転倒、出血。鼻血ブーな姿でインタビューに答えていた様が生々しく記憶に刻まれていくのである。

今日の最大の見せ場だった男子フィギュアも高橋の4回転ジャンプが決まらずに銅メダル。それでも男子フィギュアでのメダルは初めてだというのだから、記録的には満更ではない。かといって、拍手喝采を叫べないのは、冬季オリンピックに対する飽きなのではないだろうか。