村上春樹「1Q84」にみる「リトルピープル」

過日も記したが、現在村上春樹の「1Q84」を読み直しているところである。再読しているのではなく、ところどころ気になる箇所について、その文面を追っている。追いながら、イメージを追体験しているといったところだろうか。

3名に貸し出していたところ、そのうちの1名は家族がらみで回し読みをしていたこともあり、およそ2ヶ月程度のブランクが有ったから、丁度良い追体験になっている。焦らずじっくり、気の向くままに追体験にいそしんでいるのである。やはり一番気になっていた箇所は、「リトル・ピープル」に関するくだりである。何箇所にも及んでいて、その一つ一つにイメージと表現の確認を行っている。

先日、貸し出ししていた友人からの情報で「BOOK3」の件を知ったのだが、彼が示してくれた情報ソースが以下の毎日JPサイトのインタビュー記事であった。

http://mainichi.jp/enta/book/news/20090917mog00m040001000c.html

いろいろ注目に値するインタビュー内容のなかで、最も強調されているのが作家自らの口でリトル・ピープルを解説するくだりだ。彼は語っている。

「はっきり言えば、原理主義やリージョナリズムに対抗できるだけの物語を書かなければいけないと思います。それにはまず『リトル・ピープルとは何か』を見定めなくてはならない。それが僕のやっている作業です」

これほど明瞭な意思表示は珍しいくらいにすがすがしい。世に蔓延る「文芸評論家」なる人種によるたちの悪い妄言をまとめて吹っ飛ばすくらいの意味ある意思表示である。この「リトル・ピープルとは何か」を抜きにした議論ほど不毛な議論はないということを示している。

そしてその序章として示したいのが、数ヶ月来続いてきた、酒井法子へのパッシングに象徴される、無名性の跋扈するパッシングなのである。これについては後日まとめて示していきたいと考えているところである。

村上春樹さんの「1Q84 BOOK3」発売。「BOOK4」も既定の路線か?

村上春樹の短編集にみる都合の良い女性観

村上春樹「1Q84」が今年度の一番だそうな

村上春樹の「めくらやなぎと眠る女」

村上春樹のノーベル賞受賞はありや否や?

青豆と天吾が眺めた二つの月

リトル・ピープルとは何か? 新しい物語

青豆と天吾が再会叶わなかった高円寺の児童公園

「1Q84」BOOK4に期待する

リトル・ピープルとは?

村上春樹「1Q84」にみる「リトルピープル」

はぜ天丼ランチ

銀座の穴場ランチをもうひとつご紹介。
江戸前の定番ながらなかなか見かけないはぜの乗った天丼

江戸前の定番ながらなかなか見かけないはぜの乗った天丼

天丼である。しかも江戸前。どこにでもありそうでいながら少しだけ違うのが、はぜが乗っていること。はぜといえば江戸前天丼には欠かせない素材であったはずなのだが、近頃はそのはぜてんぷらさえ見かけることが少なくなった。そんなはぜ、少し小ぶりではあるが、どーんと丼の中心に乗っかっているのだから嬉しい。一目見てからずっとこのはぜが大好きになって、時々通うてはほっこりほくほくの天丼を愛でている。たれがまた江戸前尽くしで食欲をそそる甘辛の定番。ほっぺが落ちそうになるくらいに愛でていきたい逸品である。

「三原」
中央区銀座5丁目 鄙びた映画街「シネパトス」の並びにあるお店

村上春樹「1Q84」BOOK3

村上春樹による話題作品「1Q84」について、この話題作を貸し出ししていた友人から、「BOOK1」「BOOK2」に続く「BOOK3」が進行中との情報が入った。そもそも、「BOOK2」を読み進めていた頃に、そのような嫌な予感があった。あえて「嫌な」と書いたが、僕自身がかつて、「ねじまき鳥クリニクル」の第3巻が出版されたことに愕然として、読み進めたはいいが結局、途中放擲したという経験が、脳裏をよぎっていたからである。

「ねじまき鳥クリニクル」第3巻についての詳細は今や明瞭な詳細が失われており、当時の記憶も不鮮明であるので、後日に回すことにするが、それにしても同様の体験をまたここで踏むことになったということは、些か合点の行かないことでもある。

戻ってきた村上春樹の「1Q84」を、再読しつつ、これから「1Q84 BOOK3」の可能性やら邪道性や羅について論じていきたい。

村上春樹さんの「1Q84 BOOK3」発売。「BOOK4」も既定の路線か?

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村上春樹「1Q84」にみる「リトルピープル」

秋の炊き込みご飯

家でじっとしていることにも疲れ、また外食が多かったことの反省も作用して、久々に家料理。台所の奥に眠っていた土鍋ご飯器材を引っ張り出して、炊き込みご飯作りに没頭したのでありました。
おこげがいい味を出している

おこげがいい味を出している

しらすとみつばをかければ、料亭の味わいなり

しらすとみつばをかければ、料亭の味わいなり

秋の香りがたまらないヒラタケどっさりの炊き込みご飯

秋の香りがたまらないヒラタケどっさりの炊き込みご飯

秋の素材の主役は、ずばり「ヒラタケ」。これが炊き込みご飯の香りと食感を決定付けるのです。ヒラタケのはいらない炊き込みご飯など、銀杏のない茶碗蒸しか、あるいは浜ちゃんのいない釣り馬鹿日誌か、あるいは松茸の香りで味付けされエリンギで代用された偽松茸ご飯か、あるいは煮込み不足の大根が入ったおでんか、さらには小物の蛎で誤魔化された牡蠣鍋の如くであると云っても、過言ではありません。

ヒラタケをどっさり

ヒラタケをどっさり

土鍋で炊き込んで蓋を開けた瞬間

土鍋で炊き込んで蓋を開けた瞬間

「下痢便」再考

「下利便」について書いていたら、かつての掲示板運営時のドラママグマが、おいらの頭の中をよぎっていた。掲示板界隈のあいどることみなみ女史の書き込みを、「下利便の垂れ流しのようだ」と言い放った年寄りがいた。まるで自分こそが天上人だと云わんばかりに、あれこれ難癖をつけていた老人のたわごとと云ってしまえばそれまでだが、まるで反省のはの字もない態度には、いささか愕然某然としたものであった。

[遠い過去の想い出より]

下利便垂れ流し

びりびり来る下腹部の痛みで目が覚めた。ピーピーピー! 音が聞こえるくらいの下痢便が何度下腹部を襲っただろうか。おかげで大事な土曜日だというのに午後3時過ぎまで、家から一歩も出られなかった。

昨晩は、某女史のお別れと「2009年もあとわずか、がんばって乗り切ろう会」を兼ねた懇親の会に参加して、おいらも若手相手に酔狂のときを過ごしたは良かったのだが、ラストオーダーで注文した飲み合わせに失敗したばかりにこの有様である。自称「ワイン1本2本はざらだわ」女史と最後にデカンタワイン2本で乾杯しながら、未来の若手IT長者とは日本酒の杯交換をしたりで、この完全アウトの飲み合わせが、おいらのイチョウをぼろぼろにしていたという訳なり。嗚呼知っていながらこの有様じゃ。こういうときこそ謳って誤魔化せ!

 ♪ 嗚呼わかっちゃいるけど止められない~ ♪

それから家を出て何をしたかといえば、連休中に路上駐輪違反で持っていかれた自転車を、わざわざ駅からバスで郊外の自転車保管所まで、取り返しに行ったのでした。自分の自転車なのに、返してもらうのに3000円も払わなきゃならなかった。ほんまお役所には腹が立ったが、下級官吏に腹立てし様もないくらいおいらだってわきまえておる。ほんま怒りのもっていきようもなく、ついていない一日なのでした。ジャンジャンっと。

本格イタリアンランチ

lunch01

上の写真のローストビーフは、銀座のランチメニューで先日食したもの。これに、前菜(又はスープかサラダ)とコーヒー(他の飲み物もOK)とフォカッチャ(ピザにも似た手作りパン)がついて、850円なり。

食欲旺盛なOLにこの写真を見せたところ、食欲を抑えきれなくなり、本日は大挙してランチツアーと相成りました。銀座ランチの穴場かも。お勧めです。

「イタリアンバール」
中央区銀座5丁目 東銀座に近い木挽町通りに並んだお店

かたじけなくもこの法を

辱けなくもこの法を
一たび耳に触るる時
賛嘆随喜する人は
福を得ること限りなし

「坐禅和讃」をひも解けば、こんな託宣もあらわれてくる。日々の読経を通して上記の位相に達することができたら幸いである。

無念の念を念として 謳うも舞うも法の聲

 

higanbana 

本日、叔母の四十九日の法事がありまして、都内文京区にある臨済宗の修行寺に赴いたのでありました。そこで目にしたこの一文。

「無念の念を念として 謳うも舞うも法の聲」

読経の前に渡された聖典の中にある「坐禅和讃」の終わりに近く、その言葉は強烈に目に飛び込んできたのです。吃驚至極のことこの上なく、しばしの間、身が凍るほどの時間を過ごしたていたのであります。

「法の声」とは字面だけたどれば天からの思し召しとでも訳されるのでしょうが、ことこの一文にとってそんな俗訳はかえって煩わしく、今日この言葉はまさに酒井法子の発した言葉ととるのが必定との、そんな観念に支配されたこと、ここに告白いたしたく候。縁ありて先日は勝浦の某サーファー族のメッカに足を伸ばして目にした、あのおぞましいのりピーハウスの主である法子さんが発した言葉としかうつらなくなり、この耳と目に焼きついてしまったというわけなのですから。支離滅裂な精神混濁によるものなどとは無下に論壇しないでほしいのです。

ところで、酒井法子の無念は、どのくらいに深くて、社会的に共有されるものなのか? パッシングなどしている暇があったら、そのことを強く追求すべきである。