苦くて美味いゴーヤの食べ収め

「ゴーヤのおひたし」という珍しいメニューが目に付いて注文してみたところ、その苦々しさがストレートに舌を刺し、まことに珍しい食事の体験だったのだ。単純にゴーヤをスライスしたものを塩で浅漬けにしたものに、鰹節がまぶされていた。

今年の夏はゴーヤをそれ程食べていないな、それ程特別な付き合いをしてこなかったな、そんな回顧的気分に一瞬とらわれていた。おいらは夏には夏の野菜の中でも最もゴーヤに愛着を持っている。キュウリ、トマト、ナス、ピーマンと、いった夏野菜のどれよりも以上にゴーヤが好きなのだ。

涼しい秋風が吹きかう今の季節になっては、ゴーヤの何とも云えぬ猛暑ならではの味覚体験は難しくなった。猛暑でくたくたになり、汗だくた苦になった身体を、ゴーヤは俊としてくれてことがあって、それこそが食と味覚と季節の相乗作用だったと認識しているおいらにとって、ゴーヤとは特別な味覚を届ける稀有な食材だった。今日が今年の食べ収めかと思うととても切ない思いにとらわれてしまっていた。

造反無理政局の行方6 野田佳彦内閣どじょう政治の限界

この「造反無理政局の行方」のサブタイトルでブログを記すのもいよいよ最後となった。

野田佳彦氏が海江田万里を破り民主党代表に就任したことで、最悪のシナリオは回避されたようだ。ただ野田という政治家については知名度も低いどころかこれまでにほとんど政治的活動に関して注目されたことが無く、いかにもぽっと出の感が否めない。代表選挙の演説が高い評価を得ているようだが、日本国内の政治環境の中ではそうかもしれないが決して国際的に通用する様なレベルではない。彼の経歴についてはほとんどを知らないが、年期の入った雄弁役者といった以上のインパクトを与え得るスピーチでなかったことは確かである。

そんなスピーチで彼は自らを「どじょう」になぞらえ、金魚になれはしないのだから、自分はどじょうのように泥臭い政治を行なうのだと宣言してみせている。どじょうは美味いが金魚は食えない。食ってなんぼのどじょうがエライのだという、泥の中に生活の基盤をもち活動を行う人々の心情に仮託させた比喩として捉えることもできよう。新幹事長に任命された輿石東氏の座右の銘に、野田氏が乗ったという報道も一部には流れている。政治的駆け引きの言葉として受け取ることも可能である。

野田氏のこうした発言は相当な自信の現れとして受け止められている。自らを地味な存在、卑下した存在として定義してみせることで、相手との融和を導き出そうという狙いを秘めているのだろうことが推測可能だ。菅直人前代表が相手との対立軸をひたすら強調することで、「脱原発」や「脱金権政治」を少しずつ実現させてきたことと比較すると、一見大人の態度にも見なされないことは無い。「泥臭い大人の政治家」といった評価が定着するのにそう時間はかからないだろう。だがそれこそが最大の欠点であり、そう遠くない今後において思い掛けない陥穽を招来する大きな要因でもあるのだ。

党内融和や大連立等というものは何の意味も持たないことは、数々の歴史が証明していることでもある。「融和」を目指した政治等というものは前世紀の遺物であるということを、野田氏ははっきりと認識する必要があるだろう。つまりは彼が在任中の政治はこれまで以上に停滞した意味の無い(ナンセンスな)時間とともにあるということが、残念ながら内閣の発足前から見て取れるのである。

横浜「黄金町」ガード下のアートスポットに注目

「ヨコハマトリエンナーレ2011」のあとで、黄金町から日の出町駅ガード下のスポットを訪れた。伊勢崎町の市街地からも近いこの一帯はかつて売春窟として有名であり、犯罪の温床ともみなされていた場所である。2000年代に入ったそう遠くない頃に、古くからの地元住民や警察関係による浄化の運動が展開されてきた。かつての売春宿や違法店舗が消えて空き家になった場所に、アーティスト達が活動や発表の場所として利用している。街ぐるみでアートのスポットとして再生させようと、様々な試みが行われているのだ。

http://www.koganecho.net/

2008年からの「黄金町バザール」は、今年は「ヨコハマトリエンナーレ2011」と合わせてスタートし4回目を迎えた。町興しに日本国内外のアーティストが参加し、今流行の「絆」を深め合おうと云う活動が展開されている。ガード下には新しいスタジオや制作の拠点が生まれており、町の再生という目標を後押ししているとも云えるのだ。

「黄金町バザール」の事務所を兼ねる「竜宮美術旅館」では、古めかしい旅館の建物の場を利用して、松澤有子さんの作品「ひかりを仰ぐ」等の作品を展示している。木賃宿風情の一角には風呂場が設置されているが、その場がアートとして再生されており、希望者が申し込めば1日1組に限り入浴も可能だと云うことだ。場とアートとイベントとが一体化したユニークな試みとして注目される。機会があればおいらも一風呂浴びたいものだ。

その他、ガード下を歩けばアートグッズを扱うショップや、若手アーティストの制作現場に遭遇することとなる。9月からは作品発表の場として様々なイベントが企画されているようなので注目しているところである。

横浜の「ヨコハマトリエンナーレ2011」は温故知新の美術企画展なのか?

現代アートの国際展として3年毎に開催される「横浜トリエンナーレ」。09年に続き今年は第4回目となる今年の展示が8月6日から開催されている。期間は11月6日までと、3カ月間の長い日程をとって開催される、我国における美術の一大ムーブメントだ。いつかは訪れねばという思いを漸く本日は解消することが出来た。とはいっても4カ所でイベント展示されているうちの2カ所を訪れたのであり、まだあと半分の後半戦を控えているのではある。

http://118.151.165.140/archives/index.html

サブタイトルには「OUR MAGIC HOUR 世界はどこまで知ることができるか?」とある。何やら意味深な響きやらが冠されているが、経験から見ていけばこういうものにはほとんどスルーするか無視するか、あるいは邪険にするか、兎に角は真に受けないでおくのが肝心である。聞き流しておくに限る。

そもそもこんなサブタイトルだとかの代物は、キューレーターだかプロデューサーだか、ディレクターだかなんだか知らない人種たちがお遊びで付け足してみたものと相場が決まっている。アートのいろいろを理解しているとさえ云い難い。今回の企画展の総合ディレクターだと云う逢坂恵理子という人のコメントをある雑誌で目にしたが、全くもって要領を得ない。「体験」とか「想像力」とか定番の語彙を絡ませ小中学生に美術の授業を行うくらいのものでしかなかった。まるで自分でも何を解説しているのか判らないだろうポイントがずれていたものであったので、唖然としたものではある。それでも「総合ディレクター」とやらが務まっているのだから日本の美術界はそうとうに没落悪化の一途なのではないかと危惧しているくらいだ。

実際に小中学生は観覧料が無料ということで、多くの小中学生が夏休みの課題をこなすためなのか、ペンや筆記帳等を携えて美術鑑賞を行なっていたのだ。だいたいにおいて現代美術の鑑賞を小中学生に課すということ自体に、現代美術への無理解が根底に在ると思えるのである。

おいらの今回の目当ての一つは、横尾忠則氏の近作を鑑賞することだった。ネットや一部媒体にて作品のコピーには接していたが、実作品に接することが真の鑑賞の第一歩となるが故にその行程が急がれたのだった。ところが生憎、横尾氏の作品は撮影不可という扱いになっていたため撮影取材が不可能となりがっかり至極であったので、感動も半減させられたと云うしか無いのだった。黒いトーンを基調にして、闇の中から浮かび上がるようにして描かれていた街中の風景たちは、想像していた以上に大仰に黒のトーンをまき散らしておりそれなりの迫力満天の作品であった。迫力といつたついでに加えれば、100号かそれ以上の大作も数多く展示されており、此処へ来てこの時代での横尾氏の制作力には目をみはるしかなかった。作品の大きさと作家のパワーとが凄く同次元で感受できたのであり、これはこの時期にとても意義ある美術鑑賞体験だったのだと考えているのだ。

さてそれ以外の作品について。まずは今は亡き過去の「現代美術家」たちの作品への邂逅に対する感動が大きかった。マックス・エルンスト、ルネ・マグリット、マン・レイ、等々、美術の教科書にも載っている巨匠達の作品を直に目にすることの、衝撃度は大きかったと云うしかない。先述した欧州の作家以外にも、古今東西、砂澤 ビッキ、歌川(一勇斎)国芳、たちの作品への憧憬は凄いものがあった。砂澤 ビッキ、歌川(一勇斎)国芳らについては少々研究の上、改めてコメントしたいと考えている。ただし現在生存中で活躍中という真の現代作家達の作品には、特に何も受け取るべきものを得なかった。国内外を問わずそれは歴としていた。

もしかしたらこの国際美術の展示会は結果的に、「温故知新」ということの再認識をもたらすためのものだったということになるのではないだろうか…。

造反無理政局の行方5 悪夢の政局が押し寄せている

このサブタイトルでブログを記すのも最後かもしれない。あるいはもう1回くらいは機会が訪れるのかもしれないが、本日は菅直人総理が正式に辞意を表明し民主党の新しい代表を選ぶスタートの日となった訳であり、何か日にちの因縁を感じるのだ。かといって新しく選出される新代表、新総理に期待はおろか興味がある訳など毛頭無く、云わばこれがレクイエムの序章とでも云ったところだろうか…。

期待も興味も無いと記しながら、新代表が海江田万里有利と聞いては穏やかではあり得ない。小沢一郎の支持を取り付けたことで一躍トップランナーの仲間入りとみなされている。仮に海江田が新総理になったらば、脱原発に向かうはずのエネルギー政策の全てがご破算になることが目に見えている。何としてもそれだけは阻止したいという思いが強烈に湧き上がっている。小沢一郎に操られる海江田万里など悪夢でしかないことははっきりしている。

ここまで来たらもう菅総理の続投の芽は無くなったが、他にまともな候補は居ないのか? 他の誰でも脱原発の道程を進むしかないのだが、あまりにも信頼できない候補者ばかりである。

今のここに来て記すのが妥当かは判断しかねるが、菅総理がもしあの時(9/11以後の数日間)総理でなくて誰か別の人物が、例えば麻生太郎か安倍晋三などが居座っていたらと考えるとぞっとする。官邸で例えば「どんと構えて」動くことなく、ただただ東電からの報告を待っていたような馬鹿な総理が居たらとすれば、最早壊滅的な東北地方の原発汚染がもたらされていたことが明らかであろうからだ。

其の時東電の幹部が「撤退」という名の責任放棄を企図していたことは様々なメディアが報じているところだ。当時、自衛隊や消防隊が駆けつけて大変な尽力を傾けていたことは感服するばかりだが、ここに東電の人間が居ない、もっと云えば逃げてしまった状況を想像すれば、現在の復旧、復興どころか、更なる対原発の一手も打つことが出来ない状況がもたらされたことも在り得るのだ。ソドムの市への第一歩となった可能性がある。

菅直人がそんな東電の逃亡を阻止したことはもっと評価されるべきでる。麻生太郎か安倍晋三でなくて良かったと本当に考えているところなのだ。

夏後半の〆には「鯵の南蛮漬け」が有り難い

夏の終わりに夏バテ解消料理にもってこいなのが、この「鯵の南蛮漬け」である。夏になるとこれが食べたくなるものだが、今季は漸くそれが叶ったのだ。

よくあるサイドメニューの一つにもされてしまいがちだが、相当に手の込んだ料理であり、味わい深い逸品だ。簡単に作ろうとすれば手を抜いて作れるが、それでは本来の「鯵の南蛮漬け」ではなくなつてしまう。手抜き御法度であり、これが美味く調理されている店には常連として通いたくなること必至なり。

小さめの鯵を用意する。まずは鱗を取り、そして鰓を開いて内蔵を取り、小麦粉か片栗粉をまぶして低温でじっくり揚げる。このとき鯵の「頭」は捨てずにそのまま残すのが通の料理と云って良い。

酢、醤油、味醂、砂糖といった日本料理に欠かせない調味料に加えて唐辛子を調合したタレに、薄切りにした玉葱、ピーマン、人参等を加えて漬け込む。漬け込んだ状態で置き、一晩くらい冷蔵庫などで冷凍保存して味をなじませたら漸く完成。手数以上に時間が掛かるが、それだけ完成した時の悦びもひとしおだ。

「南蛮漬け」というからには南アジアが発祥のようであり、異国の料理のようだが、今や日本の暑い夏には欠かせない。日本の、特に夏場のスタミナ料理としては一番にもお勧めしたいレシピなのだ。

今日は外食メニューとして食したが、満足の出来栄えであり、嬉しく感じたのであり、家でも作りたくなったという訳であった。夏バテに効くこと請け合いなり。

御徒町「喜楽」で野趣溢れるどじょうを喰らう

どじょうと云えば近頃は、大衆居酒屋にとんと目につかなくなった。地元店でもずっと品切れだったのが、ついにメニューからも消えてしまった。

江戸の時代からずっとこのかた大衆料理の味覚の代表格だったはずのどじょうがいつの間にか希少な食材となっていたという訳だ。そんなとき、御徒町ガード下にどじょうの専門店があると聞き出かけてみたのだ。

ガード下の「喜楽」という其の店はとても狭く、カウンターと小さなテーブルが3つ、10人と少しで満員になってしまうくらいだが、永い時の印を静かに刻んでいた。名店の名に相応しいと云えるだろう。

同店でどじょう(「どぜう」と表記している)のメニューは二つある。定番の「柳川鍋」と「丸煮」。迷わず「丸煮」を注文した。まるごと沢山のどじょうを牛蒡、豆腐、葱、蒟蒻等々とともに醤油ベースの特製たれで丸ごと煮込んだというシンプルな料理だった。

箸で中を掬ってみれば小ぶりだが沢山のどじょうが見つかった。丸ごとどじょうの骨を噛んだ。洗練された料理ではないから泥くささ、土くささも匂うくらいだが、却ってそれが喉に心地よいくらいだ。野趣溢れる料理というのはこういうものを云うのだ。

今季初だが絶品の「サンマの塩焼き」に遭遇

たぶん今季初だろう「サンマの塩焼き」に遭遇した。大衆居酒屋で「600円」という値段は多少は高くもあったのだが、注文してみたところ、30cmはあろうかという大振りで活きの良いサンマが目の前に並べられていて、その時瞬間的に浮き浮き気分が襲っていた。

顔と目と鰓の部分を注意深く観察したところ、気が漲っているその様をイメージとして認識していた。旬と云うには未だ早いが、これこそがまさに「旬」の顔だろうと感じ取るのに充分なアピールを受け取らざるを得なかったと云うべきだろうか。そんな風に旬のサンマとは向かい合っていた。その目はまん丸でいて、これまた大海を泳ぎ続けてきた逞しさを感じ取らされるに充分な代物だったのである。

そしておいらは、東北大震災による漁場の復旧、復興をこい願いつつ、有り難く旬の味覚を味わっていたのだった。

思うに最初にこんな上物に出遭うの云うのは極めてラッキーだった。過年の記憶には、旬だとばかりに思い込んでいて箸を近づけたらば、目がだらんとたれて死んでいたり、肉をつまんだらかさかさとして冷凍フーズの食感にがっかりしたり、あるいは塩焼きを頼んだはずなのが揚げたサンマに出くわしてがっかりしたりと、この時期は実にさんざんたる経験をも経てきている。であるからに少々のことでは驚かないが、本日のサンマはニュースにしても耐えるくらいに美味であったのでこうして記しているのである。

旬の味覚的便乗商法とも紙一重のものであるが故に、何度となく不条理な場面にも遭遇してきた。今年は幸先好いぞとばかりに、何だかこれからの未来への意欲やら、希望さえもが湧き上がって来たと云えば大袈裟には違いないが、浮き浮きが希望を繋いだ、本日の宵の一齣ではありましたとさ。

サバ(鯖)が、脂が乗って美味い季節となった

猛暑の季節がようやく過ぎ去ろうとしているが、サバも旬の季節を迎え脂が乗って美味さが増してきた。

先日は美味いシメ鯖を食したのだが、家でも鯖の味噌煮をつくってみたら、これも中々の味わいだったのだ。

極力甘さを控えて砂糖は使わず味醂と味噌のみで調理。その代わりに玉葱、ネギ、生姜をたっぷりと加えて煮込んだ。天然の野菜の旨みが滲み出ており、鯖の青臭さも抑えてくれて満足の味わいだったのでありました。