小ぶりの「ままかり」の酢漬けこそご飯がすすむ逸品

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先日は九州地方のある地域の名産だと云う「ままかり」にありついていた。銀白色をしたキラキラの姿形が特長であり、体長は小さいながらにとても目につく。キラキラした体色が人の目と食欲を刺激していく。大きなままかりは色々な調理に供せられるが、小さなものほど酢漬けにした生のものがむいている。浅く酢に漬けられたままかりは、まさにご飯を求める、食欲満開となる。

「ままかり」という名の食用魚がいる。主に九州の薩摩地方にて郷土食として食されている。「ままかり」という名の由来は、隣の家からまま(ご飯)を借りた いくらいに食が進む美味い魚だということからきている。全長は大きなもので20cmほど、料理店や郷土居酒屋にてて提供されているのは5cm程度の小振り であることが多い。体は木の葉のように左右に平たい。背中よりも腹が下に出ている。体色は背中側は青緑色、体側から腹側までは銀白色をしている。

「ままかり」というのは小さな青魚を酢漬けにしたものである。ニシン科の魚で「サッパ」と呼ばれる魚が原料とされている。「まま(ごはん)にあやかりたい」ということから命名されたというのが一般的な説だが、定かだとは云えないようだ。確かにご飯が食べたくなったのである。ご飯を注文、オーダーすることは、通常の居酒屋ではご法度の様でもあり、今回は控えていたのであるがしかしながら機会があれば自宅ででも何処でもだが、「ままかりご飯」を味わいたい、食したい。そんな思いを強くしたのでありました。

トントンのまち上州前橋の「トントンうどん」

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豚肉で町おこしをという掛け声で始まった上州前橋の料理がトントン料理である。「トントン汁」はトントン料理を代表するメニューとして地元に浸透しつつ在る。前橋市内の名だたる料理人11人(チーム名:前橋の食を作る料理界の11人)が考案した前橋のオリジナル豚汁。その特徴とは下記の通りとされている。

1 群馬県産の豚肉と豊富な野菜を使い具だくさん。
2 きのこをバターソテーしてから入れるため、味はまろやか。
3 白と赤の合わせ味噌使用のため、コクがありちょっと洋食風。
4 〝豚のつみれ〟や〝ねじっこ〟(すいとんのようなもの)が入った昔懐かしい味。

一般的な豚汁ともけんちん汁とも違い、上州前橋の土着的な風土にマッチした味わいが伝わってくる。ちょいと甘辛な味がしつこくもあるが、却って土着的な特徴を際立たせているのである。ゴボウ、ジャガイモ、大根、コンニャク、等々の根菜類に厚揚げや小麦粉の練物等が加わって、食覚や味覚のバラエティーが広がっている。豚汁という地味目な料理が逸品的B級グルメとしての存在感をアピールしていることを実感させられる。

簡単に述べればトントン汁にうどんを加えたのが「トントンうどん」ということになる。お腹の減った昼食や夕食のメニューとしてもまた、逸品の料理として認定しておきたいものである。

■パーラーレストラン モモヤ
群馬県前橋市千代田町2-12-2

春本番を告げる「明日葉の天ぷら」を味わった

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春の訪れによって流通することが増えるこれから期待が増すのが明日葉。八丈島をはじめとする伊豆諸島が産地とされるが、近頃は温暖な本土の地域でも栽培されていると聞く。「夕べに葉を摘んでも明日には芽が出る」とされるくらいに生命力の高い食材である。

此の度はそんな明日葉の天ぷら料理にありつくことができた。普段はおひたしにしたものを口にしているが、天ぷらもなかなか美味しい。もともと明日葉という食材はクセが強くて、そのため沢山食べる代物でないという先入観を持つているが、天ぷら料理にすれば見事にクセを抑えてくれる。

「鯛のかぶと焼き」に舌堤なのだった

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鯛のアラこと頭の部分を塩焼きにして提供されるのが「鯛のかぶと焼き」である。先日は偶然にこのメニューを目にして食してみた。時間をかけてじっくりと焼き上げたそのカブト焼きは、鱗が光る鯛カブトの表面をまるで芸術作品のような手が加えられて出てきたもののようではあった。

先ず目にした発見の一つは目の裏の部分ことDHAの宝庫と呼ばれる部位が美味しそうであり、実際口にしてみれば極めて美味しかったこと。柔らかく柔軟であり、脳味噌の健康には他に無い希少な部位である。此れを食し得たことだけでも鯛のかぶと焼きを口に出来たことの意義を感じたのだ。

食用の身となる部位は想像以上に豊富である。白身魚の代表格としての鯛である。腐っても鯛ではなく、塩焼きにしても鯛、旨味は豊富に広がっているのである。鯛の刺身は贅沢なメニューではあるが、現在のところ鯛のかぶと焼きはそうでもない。これからも味わいたい魚類メニューのひとつなのだった。

米国精神科医による古典的名著「平気でうそをつく人たち」を読む(1)

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同書の翻訳単行本が我が国で初版されたのが1996年というから、今から18年も前のこと。以来実売部数50万部という売れ行きを記録し、さらに2011年には文庫本が発行され、読者を増やしている。おいらも初めて同書単行本を書店で目にし、何度か立ち読みを試みたことがあったが、実際に購入して読破したのはつい最近のことであった。身近な人間による頻繁なる虚言に翻弄されたという経験が、同書とあらためて向き合ったきっかけでもある。

著者のM・スコット・ペックは、米国の著名な精神科医として活動し、「愛と心理療法」という著書によりベストセラー作家の仲間入りをしている。同書が米国にて上梓されたのが1983年というから、既に30年以上の年月を経過したことになる。古典的な精神医学書の一冊と云って良いのかも知れない。著者自らの精神科医師としての体験が基本となっているからなのか、詳述されているエピソードの夫々の記述は、とても細かくときに煩わしくもあるくらいだ。特に1章目に展開されるエピソードについては、それが本書のテーマである「虚言」等に関連するものとは思えないままに、ある種の戸惑いとともに読書を進めて行ったという経緯がある。まるで人間心理の闇に対しての考察が不届きなのではないのか? 精神科医といった肩書きは目くらまし的な代物なのではないか? あるいは期待外れの如何様書籍なのでは? 等々と云った疑いが持ち上がっていた。「悪魔と取引した男」という章のくだりである。そんな疑いは実際には2章以降を読み進めて行くことにて氷解されたと云ってよいのである。

春の訪れとともに口にした「ゴーヤチャンプル」の苦み

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昨日は東京にも桜の開花宣言がなされ、漸く春の季節到来となった。おいらの周りではまだ桜花にはお目にかかっていないが、早晩目にすることとなるであろう。

ところで春と来れば春の苦みである。太古の頃から「春には苦みを盛れ」と云われており、たらの芽、ふきのとう、タケノコ、等々の山菜類が珍重されてきた。おいらも先日には春の山菜の天ぷらなども味わっており、春の苦みには良き免疫にあずかっている。

ところがどっこい、其れ以上の苦みとして「ゴーヤ」「ニガウリ」と云った食材に遭遇していたのである。ゴーヤは夏に旬を迎える食材だが、春にも良い味わいを提供してくれるということを発見した。ゴーヤチャンプルはゴーヤを用いた代表的なメニューであり、そんなゴーヤチャンプルに舌鼓なのだった。此の苦味は尋常ではなく身体に染みてくるのである。

あらためて述べることも無いが、ビタミンC群をはじめ健胃効果のある苦味タンパク質も豊富なのである。夏だけの食材としておくには勿体ないこと限りなのである。

串揚げ専門店の「チューリップ」に舌鼓

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今では東京でも関西風串揚げ店が多く存在する。おいらが訪れた某関西風串揚げ店においては、「チューリップ」というメニユーが提供されていたので早速注文したところ、鶏肉の骨付きのメニューなのだった。

手羽中とか手羽元という部位を骨付きのままに裏返にして揚げたもののようなのだった。 手羽中、手羽元のどちらでも骨付きの部位であるので、鶏肉の深いコクを味わうことができて満足なのだ。

過去にはこんな「チューリップ」という鶏の揚げ物はポピュラーだったということもあり、今のこの世の珍しさに対する関心で注目が高まっている。

おいら自身にも久しぶりの味わいに舌鼓をたたきつつも改めて此の姿形の妙に見とれていたというべきなのかもしれない。

銘酒的焼酎「蕎麦玉」のそば湯割り

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おいらが好き好んでいる焼酎には一般的な麦を原料とするもの以外に様々が存在する。時々旨い焼酎に出逢うことがあるが、思いがけなく「蕎麦玉」という蕎麦焼酎に出逢ったのだった。

とてもマイルドであり蕎麦の香り漂う。原料的にも富良野蕎麦が原料100パーセントというくらいに特別なものらしい。そば湯割りにすればさらに美味しい。

十数年ぶりに味わった新宿歌舞伎町「番番」の焼きとん

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上州に帰省した帰りに新宿にて途中下車。数十年ぶりとも云える居酒屋「番番」に立ち寄っていた。歌舞伎町の真っ只中の繁華街に入るとすぐに「番番」の看板に誘われるようにして、おいらは地下店舗へと連なる階段を下っていた。

かねてより新宿東口歌舞伎町で飲むときには、大衆的焼き鳥店として、或いは〆の一軒として欠かすことのなかった店舗である。東京都心に住んでいた頃とは異なり都下に居住の臍を有しているおいらにとっては、ほぼ十五年ぶりかと思われる出没的訪問ではあった。

新宿歌舞伎町の焼き鳥の名店としての印象があるが、実際には焼き鳥店というよりも焼きとんを上手に焼いて提供してくれる名店なのだ。であるからして本日も鳥よりも豚のもつ焼きを多く頼むことになってしまっていた。豚もつ焼きの味わいは新鮮でコクが有り、以前と変わらずググっと来る。新宿歌舞伎町の焼き鳥、焼きとん店の銘店の座は今でも空かすことがない。

■番番
〒160-0021
東京都新宿区歌舞伎町1−16−12‎
03-3200-9354

年に数回くらいは良いだろうと、プリン体豊富な白子ポン酢を味わった

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白子とは主に鱈(タラ)の精巣がその身の食材である。ポン酢でしめたこのポン酢和えが一般的な料理ではある。寒い季節の季節感を感じさせる。近頃では鍋料理にもこの白子が使われるというが、勿体ないことこの上なく、やはり白子はポン酢に限るのである。つるつるっとした食感に、奥深いほんのりとした甘さと旨み。たんぱく質が豊かであり、ビタミンDやビタミンB12といった成分も豊富な食材である。たんぱく質が豊かであり、疲労回復の為の成分も豊富な食材である。

最大の 難点は「プリン体」が多いということで、通風もちのおいらにとっては鬼門的食材なのだが、それでもたまには口にしないとおさまらない。年間に数回くらいは良いだろうと口にしたのだが、有り難くもあり危険 でもある、扱いが難しいことこのうえないのである。

晩酌の〆には「浅利アマランサスうどん」が最適なのだ

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晩酌の後には麺類を食することが多いのだが、中でももっとも〆の一品に相応しいのが「浅利アマランサスうどん」なのである。浅利とアマランサスうどんという取り合わせは、飲兵衛にとってはとても優しく、肝機能の健康維持にも役立っている。まさしく飲兵衛にとっての救いの神的メニューである。

そもそも浅利(あさり・アサリ)という二枚貝の代表的食材は、ビタミンB12、鉄分、葉酸、タウリン、等々の栄養素が豊富であり、肝臓の機能を活性化し血液の浄化にも役立つとされている。同じく二枚貝のシジミにも同様の栄養素が存するが、浅利のほうが食べ応え噛み応えあり、胃腸の浄化感も抜群であり、うどんの具材としてもマッチしている。此れがシジミよりアサリという根拠の一つである。

もう一つの重要食材としての「アマランサスうどん」であるが、岩手県軽米町が原産の逸品で、南米原産のヒユ科ヒユ属の穀物であり、タンパク質や繊維質、鉄分が豊富なことが知られている。ツブが小さな雑穀であり、主にうどん用の粉として重用されることが多いようだ。此のアマランサスが満開する畑の光景は絶景である。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=6464

初春の「筍煮」はまさしく季節の味わい

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春の筍がいまの頃には素材になっている。ことに呑兵衛たちが蝟集する居酒屋界隈においてはさま様なメニューとして提供され、春の味は筍に依っているといえるほどである。筍という食材は焼いたりふかしたりされているが主なものは煮て提供されている。筍煮の何たるかは、ここで説明すべきもなく日本料理の基本的なレシピの一つである。こんな基本的料理が味わえることにはいわゆるひとつの慶びであつたと云って良い。

ファンモン解散後の「宮城」の「ファンモンラーメン」は当時のまま

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ファンモンこと「‪FUNKY MONKEY BABYS‬」が解散したのは昨年2013年6月のことであった。1年弱の時間が経過してから初めて、おいらはラーメン専門店「宮城」を訪れ「ファンモンラーメン」を味わっていた。同店舗で「宮城」では本日もファンモンのファンと思しき女性のグループが陣取ってファン同士の交流を行なっていた。未だに同店はファンモンマニアの聖地の一つであった。

そもそも「ファンモンラーメン」とは、八王子ラーメンの基本を踏襲した宮城ラーメンをベースに、濃緑の海草のようなもの「岩海苔」がどぼっと載っている。大量の海藻がトッピングされてい るのであり、この海草こそが、メンバーモン吉がお気に入りの岩海苔なのだ。ファンモンによるプロデュースによって生まれたのだ。つまり、「ファンモン麺」とは 「ファンモンのファンモンによるファンモンのためのメニュー」だということになる。たしかに岩海苔は八王子ラーメンのスープに良く馴染んでいて美味しいの だから、ファンは口コミネットワークなどを経て、益々ファンモンの味に群がるのだろう。

■ラーメンのデパート 宮城
八王子市子安町 4-26-6
電話 0426-45-3858

八王子のパスタ専門店「PiaPia」のナポリタン

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地元八王子はナポリタンの専門店が数多く存在するということを、おいらはつい先日に知ったのであつた。そんな先入観もあり、地元散歩のかたわら立ち寄ったのが「PiaPia」というパスタ専門店。迷うこと無くおすすめ一押しのナポリタンを注文していた。

甚大な期待の後に出されてきたのは云わばありきたりの、ケチャップ味のナポリタンそのものではあった。それでも玉ねぎやウインナーソーセージの調理法は正に抜群のものであり、それなりの正統的ナポリタンの味を味尽くしたといつてもよい。和風パスタの代表的メニューであるナポリタンの、正当なるレシピを受け継ぐ店舗の味として馴染みになりたいという思いを強くしていたのであった。

■ピアピア (PiaPia)
東京都八王子市三崎町2-3

「アーツ前橋」にて「白川昌生 ダダ、ダダ、ダ」展に出逢ったのだ

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3/15(土)から前橋の「アーツ前橋」にて「白川昌生 ダダ、ダダ、ダ」展が開催されている。

■アーツ前橋
群馬県前橋市千代田町5-1-16
www.artsmaebashi.jp

白川昌生氏のプロフィールとは、下記の通りでぁ。。

「1948年福岡県北九州市戸畑生まれ。1970年に渡欧、ストラスブール大学文学部哲学科にて哲学を専攻。1974年パリ国立美術学校入学、1981年国立デュッセルドルフ美術大学を卒業、マイスターの称号を受ける。1983年に帰国し、1993年に地域とアートをつなぐ美術活動団体「場所・群馬」を創設。2002年北九州ビエンナーレでの「アートと経済の恋愛学」(北九州市立美術館)、2007年「フィールドキャラバン計画」(群馬県立近代美術館)など、国内外で活躍する。美術家としての活動の他に評論執筆活動も盛んに行う。主な著書に(以下、いずれも水声社)『日本のダダ1920-1970』(1988・2005)、『美術、市場、地域通貨をめぐって』(2001)、『美術・記憶・生』(2007)、『美術館・動物園・精神科施設』(2010)など。1970年代にフランス/ドイツに滞在し、当時の欧米における芸術運動に触れ、帰国後は群馬にアトリエを構え、現在まで赤城山の麓で制作活動を続けている」

とのこと。群馬県にも縁のあるアーティストの一人のようだ。ダダイズムに影響を受けたと見えて、反体制、反芸術、等々のメッセージが会場に蔓延している。殊に、芸術作品を売って生計を得ていないことが氏のアイデンティティーでも在るようなのだ。

巨きな立体作品たちは、此の会場にマッチしており、おいらもまた会場に設置された作品の数々には圧倒されていたと云ってよい。どれもこれもが此の会場にマッチしているように見え、企画展の意図は十全に受け止めることが出来た。

前橋文学館で萩原朔太郎さんのユニークなエッセイに触れた

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帰省中の上州「前橋文学館」で開催されていた企画展で、萩原朔太郎さんのとてもユニークで貴重なエッセイに触れることができた。

我が国における屈指の近代詩人として名高い朔太郎さんだが、彼のエッセイや随筆の面白さ、ユニークさに関しては、あまり知られるところが無かった。朔太郎さんの詩の世界においてはとてもユニークで先鋭的な世界観が見て取れるのだが、それらのユニークな世界観を直截的に開陳したエッセイ、随筆の数々は、朔太郎ファンにとってのみならず全国文学関係者にとっての、貴重な資料では在る。本日は偶然ながら、そんな貴重な文学的資料にも接することとなったのである。

中には萩原朔太郎全集にも掲載されることのなかった随筆が、その貴重なる生原稿が、展示されており、朔太郎マニアのおいらにとっても格別な邂逅となっていたのだ。そのひとつが「贅沢・飲酒」と題されたエッセイ生原稿なのである。いわゆる一つの飲酒という贅沢、それらに拘泥した詩人、文学者たちへの共感のメッセージとともに、朔太郎さんが生きた「新しい時代」の芸術家たちへの失望とも捉え得る記述が在る。

―――(以下、引用開始)―――
今日の詩人たちは、あまり酒を飲まなくなった。志士や革命家等も、昔のように酒豪を気取らないのである。「飲酒家」といふ概念が、何となく古風になり、今では「時代遅れ」をさへ感じさせる。現代の新しき青年等は、殆ど飲酒を知らないのである。彼等の観念からは、概ね「酒飲み」という言葉が、旧時代の「オヤヂ」と聯絡するほどである。新しき時代の青年は酒を飲まない。いな飲酒の要求がないのである。
―――(引用終了)―――

新しい詩人や芸術家達が酒を飲まないということは無かったのだろうが、上記したこの朔太郎さんの一節は、苦き芸術家の挟持を表しているのに相違ない。何時の世にも呑兵衛たる詩人は迫害されるものかも知れぬということなのかもしれない。さらに述べれば、生半な市民や青年達からの迫害に対峙する気概こそは、天才詩人のアイデンティティを示しているのかも知れないのである。

■前橋文学館
正式名称:萩原朔太郎記念水と緑と詩のまち前橋文学館
郵便番号:371-0022
所 在 地:群馬県前橋市千代田町三丁目12番10号
T E L:027-235-8011

■朔太郎のおもしろエッセイガイド
期 間:2月15日(土)~3月30日(日)
会 場:1階企画展示室
時 間:午前9時30分~午後5時(金曜日は午後8時まで)
休館日:水曜日
観覧料:[ 企画展のみ]100円

「カレーコロッケ」は揚物界のニューウェーヴの味わい

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コロッケとはそもそも洋食でありながら日本の大衆食の代表でもある。主にジャガイモを原料としているが、ひき肉、カボチャ、クリームソース等々を原料としたものもある。それにも増して意外な材料の「カレー」を原料にしたのが「カレーコロッケ」。カレー味のジャガイモコロッケではなくて、カレーが丸ごと具の原料として用いられている。

箸で衣を突つくととろりとしたカレーがしみ出して行きピリリとした馴染みの辛さがのどを突つく。此の具材はインドカレーや洋食カレーではなくとろみの備わった日本風カレーでなくてはならないのである。

馴染みの居酒屋のランチメニューとして出していたカレーの残りを使ってコロッケにしてみたのが、此の新メニュー誕生のきっかけだと聞いた。まさに揚物界のニューウエーヴの味わいなのである。

長き冬の風雪に耐えて庭のチューリップが芽吹いていた

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本年の冬は例年になく長くて厳しいものであった。都内に位置する我が家においても百年ぶりだとかの大雪が襲っていたのであり、今年の春の到来は例年とは比べるべきも無く深く深く待ち望んでいたのであった。

そんな春の到来を本日おいらは感じ取ることが出来た。それは我が家の庭でチューリップの若芽が芽吹いていたことに依っている。今年くらいの厳しい冬を越して春の芽吹きに遭遇するなどということは考えすることさえ出来なかったからなのである。

昨年までの春咲き球根類がそのまま風雪に耐えて生き残り、チューリップやアネモネなどのこれらの球根類が春の息吹に刺激されて芽生えたものと思われる。人間の手の及ばないところでも自然の芽生えが継続されていることに、とても嬉しい思いがあった。すっかり寒さが浸透して中々冬を通り過ぎることが出来ないようなこんな季節の中でも、根を広げてまっすぐ上を向いていた、そんな球根の芽を見つめると、春の来ない冬は無いということを実感した。

湊かなえさんの新作「白ゆき姫殺人事件」を読んだ

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かつて「告白」という作品で本屋大賞を受賞するなど、当代きっての人気作家こと湊かなえさんの新作であり、今月29日からは全国ロードショーの映画公開が待たれている。書店にて同作品を目にし手に取って以来、此の作品に対する関心はいやがおうにも高まざるを得なかったと云うべきであった。

だがいざ読み始めてみると、あまり面白味は感じ取れず、かえって違和感を増幅させて行ったのだ。物語はある美人の三木典子さんが殺害されたことをめぐって展開されて行く。「白ゆき姫」とも噂されたというこの世のものとも思えぬ美人殺害の容疑者として、主人公の「城野美姫」が浮上する。此の女性を映画で演じるのが井上真央さんである。

殺害された白ゆき姫に対して容疑者の女性は、取りたてて容貌に特長の無いという女性として描かれている。即ち絶世の美人と容貌に不自由な不美人との関係性がまるでテーマのように進行して行くのだ。まるで小説のテーマが、美人女性を取り巻くその他諸々人物たちの滑稽なる人間模様だと云うのかの如くに物語は進行して行ったのだ。

まるで此の小説は映画の原作でしか無かったのか? そうした疑問でいっぱいにされた読後感なのである。井上真央さんが演じる容姿不自由の女性は、果たして容姿秀麗の美女との対決を望んでいた訳ではなかった。容疑者から物語の犯人が語られるくだりなどは、通常のミステリーマニアたちにとってはとても納得出来かねる結末なのではあるまいか?

才能の安売りは彼女のファンたちをもがっかりさせるに違いない。作家の湊さんは、映画の原作本を書く時は小説本とは称すること無く書いて行ってほしいとせつに願う次第なのである。

銀座「なびす画廊」の「竹之内佑太 In-teg-ra CeRa」展

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銀座一丁目の「なびす画廊」にて、「竹之内佑太 In-teg-ra CeRa」展が開催されている。

http://www.nabis-g.com/exhibition/2014/takenouchi-y.html

そもそものきっかけは、昨年9月、銀座奥野ビル内のギャラリーにて竹之内氏の個展に遭遇。当時の個展会場にてセラミック素材を元にした立体作品が狭い会場に入りきれないほどの自己主張をしていたことを思い出し、新しい制作展の会場へと足を運んでいたのだ。

今回の会場は個展を開くには充分過ぎるくらいのスペースがあり、そんな会場にはさらにパワーアップしたセラミック製の作品群で満たされていた。前回個展の骨太さは影を潜め、其れら作品にはまろやかに施された質感が親しみを深めていた。作品と向き合うおいらを始めとする鑑賞者たちとの距離感がいやがおうにも縮まったという瞬間を体験。深く記憶に刻み込むこととなったのである。