森のダンス

木製ボードにミクスドメディア F6号

数年来、里山近くに暮らしてたびたび思うことは、里山の森を構成する樹木たちの息遣いであります。森の樹木たちの息遣いが、里山の息遣いとなっている。里山を愛する人々にはその息遣いが、いつの間にか隣人のように語りかけてくるのであります。

ある日の夜に夢の中で見たビジョン。森の樹木たちがダンスを踊り、宴会を催しつつ、過ごしている姿でした。それはまさに「森のダンス」と名付けた光景であったのです。一目にして焼き付けられたそのエレガントなダンスを、描くのが、今回のテーマとなったのでありました。

羽根を持つ天女

キャンバスにミクストメディア F4号

天女シリーズの新作です。今回はアンニュイな表情にスポットを当て、現代の若者の持つリアルを描きました。

モデルの天女が持っている背中の羽根は、鳥の羽根というよりもむしろ蝶々の羽根に近いものであります。鳥類ほどには勢いのある飛行は出来ないが、それを補うに足る蝶々の飛行とは、意表を付くほどの優雅な飛行である。いつかきっと芸術的な舞いを見せてくれるだろう。羽根を持つ天女が舞った姿を、いつか何時か描いてご披露するので、お楽しみに。

「ブラックボックス」に対する私的考察

僕が描く作品群の中には、シリーズとして描いた抽象表現的な作品群があります。それが「ブラックボックス」として描いた作品たち。これ等は僕自らの過去の体験に依拠しており、決して看過し得ない思いに駆られているのです。それは怒りであり、不条理に対する憤りであり、究極の「No!!」の叫びにも近いもの。最も不条理なのは、自らがブラックボックスの渦中に居る人物たちの発言であり、行為であり、彼ら彼女らが、自らの渦中の現実を、やむを得ない事として受け止めてしまっているということ。これは所謂諦めなのか? そんなこなを受け止めつつ描き続ける。今もなお「ブラックボックス」をテーマとしての制作を行ない続けているのです。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず

方丈記の冒頭の一節「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」とは、過去から現代に通じる、清冽かつ強烈なメッセージとして、人々の魂に訴えている。その一節は情景描写にとどまらず、人生感や芸術的指向性の根幹にも関わってくるので、いっときも無視し得ない。今回もまた、清冽かつ強烈なイメージを持つ水の流れと、里の息吹をテーマに描いた作品であります。

ある旅の日の記憶

先日に出かけた旅で訪れた地域、その地の一時の捉えて描いた作品です。その場所とは、決して著名な名勝地、観光地ではなく、決して歴史的意味付けのある場所でもないのでありますが、とても印象的な一瞬をこの目に、我が目に、焼き付けておきたかった場所だったのでありました。

里を横切る道にたたずんでいたのは、野生化された犬なのか? それとも狼か? 狐か? よくわからないままにその生き物を眺めていた。人と離れて相当な時間が経っていると思われ、野生化されている。旅人との邂逅に、たぶん面食らっていたのであろう。ただただ、視線を交わして挨拶するだけの出会いであった。取り残された里の風景の現状を目の当たりにし、記憶の奥底に刻み付けていたのでありました。

そもそも人生にとって、旅とは必須のアイテムであります。人生において旅がなければ人生そのものが成り立たないと云っても良いのです。旅が先か? あるいは人生が先か? といった議論は置いておくとして、僕自身にとっての旅の重要性、なかんずく、旅がもたらす精神の高揚感については、過去からの人生の贈り物だと云って良い。まさしく人生にとっての旅の重要性を再認識させるにはこれ以上ない気分なのです。