おたくに席巻される政治業界

昨晩は諸事情あり中々眠りにつけずに、TVの電源を点けたままベッドでうとうとしていたのだが、そんなときにかかっていたのが「朝まで生テレビ」という深夜番組だった。この番組を目にしたのは何年ぶりだろうか?「懐かしい…」そんな感想を漏らしてしまっていたくらいに久々の視聴である。

ゲストの発言の語尾やあれこれに何かと難癖を付けて自分の土俵に持ち込もうとする、司会の田原総一郎は相変わらずだった。以前に比べれば切れ味も新鮮味も失せて、何時かみたTV芸を何年かぶりにて見せ付けられたという格好である。そのままTVはつけっ放しにしつつ時を過ごしていたのである。

うつらうつらしながら耳にしていた言葉は、そのすべてが「おたく」の会話に聴こえてきた。おいらはおたくが嫌いである。しかも政治おたくなど、大っ嫌いの人種である。世間一般には政治を好き嫌いで論じるなかれという向きもあるだろう。そんなことは初めから自覚している。その上で綴っているのである。

まるで政治の世界の遣り取りが、おたく同士の議論のそのままの遣り取りである。ある「A」というテーマに対して賛成、反対、等々の意見が交わせられる。そしてその結論はといえば、お宅の殿堂とも云うべき、何かしら厳かな「イコン」ともなって崇め奉られるのだ。「与党・野党」という対立項はのきに寄せられて、おたく同士の共同事業とも呼べるある種「イコン」を祭って番組が進行していく。

中島らもさんもかつてあるエッセイ本で書いていたが、これらの言葉は「おたく語」という言語なのである。他者排除用語といってもいい。(※出展「空からぎろちん」(講談社文庫))

以前から感じていたことではあったが、昨日は益々その思いを強くし、そんな風潮に「渇!」を叫んでみたくなったのである。

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