藤原新也「黄泉の犬」を読む〔3〕

 

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センセーショナルな新也さんの一枚。この撮影の舞台裏を「黄泉の犬」で明かしているが、ネタ晴らしになるのでそれには触れないことにする。

藤原新也の「黄泉の犬」を読了した。これまでに読んだ彼のどの書よりも能弁であり、饒舌である。ときに雄弁家の本だと感じさせる程の、滑らかで情熱的なスピーチを聴いている気分にさせてしまうくらいだ。

ときに彼の本はといえば、その韜晦な筆致によって、おいらを含めたファンによって支持されていたはずである。だが何なのだろう? この隔たりに感じる思いは?

古今東西、芸術家は誰しもが多面的な資質を持ち合わせているものである。新也さんの場合もこれにもれないケースのひとつなのだろう。そにしても、これほどオープンな、過去の彼自身の著作の裏側をもあらわにしてしまうような潔さ。

彼はこのレポートを、大手出版社の大衆雑誌「週刊プレイボーイ」に選んだのだという。大衆的な読者に対して、彼の云いたかった、メッセージしたかったことは、ほとんど漏らすことなきく表現されていると云ってよいのだろう。まだまだ藤原新也は変わり続ける。そして成長し続けているのである。天晴れ!

藤原新也「黄泉の犬」を読む〔3〕」への2件のフィードバック

  1. お久しぶりです。

    藤原信也さんの本は10代の終わりから読んでいた気がします。

    『黄泉の犬』については、なるほど日本の国を挙げてのまさに「パワーハラスメント」がカルトの逆襲を呼んだとも読める気がしました。

    歴史の因果を見る気がしました。

    目先のことや道理が通らなくとも人の道が外れようとも自分達の利益やら権限を守るために人々を踏みにじってきた結果。。。起こったことは?

    と思わずにはいられない本でした。

  2. あんじゅなさん、こんにちは。

    >目先のことや道理が通らなくとも人の道が外れようとも
    >自分達の利益やら権限を守るために人々を踏みにじって
    >きた結果。。。起こったことは?

    なるほどです。一見真面目そうで堅物そうな人びとたちが、寄ってたかってカルトの狂気を生んだのですね。そんな数十年は、おいらにとっては抵抗もできずに流され続けた数十年であったのかも知れない。オウムにかぎらず、それ以上にたとえば、小泉純一郎一派の傲慢に流された日本というのは、怖ろしい国だと思います。

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