カール・ゴッチ直伝のストロングスタイルを貫き、プロレスの黄金期を支えたタイガーマスクの想い出

伊達直人という名前で児童養護施設へプレゼントするといったニュースが、メディアを賑わせている。「伊達直人」という名は、かつてのアニメ界のヒーロー「タイガーマスク」の別の名(本名)であり、自ら児童養護施設出身者でもある。自分が育った施設にプロレスラーとして稼いだ収入を寄付し続けていたというアニメのストーリーもあり、タイガーマスクに自己の心情を投影した篤志家による寄付行為であったと見做されている。

ところでおいらはかつて、タイガーマスクの取材を行なっていたことがある。あれはおいらが出版の仕事を始めて間もない頃。松田聖子などのジャリタレの尻を追い掛けるのに辟易していた時のことだった。「タイガーマスク大全集」という少年百科文庫の仕事が舞い込んできたのである。出版の世界でおいらがその時初めて、まともな仕事にありついたということを記憶している。事務所の先輩たちとの取材・編集・執筆・制作の仕事に明け暮れていたことを強く想い出すのだ。

上に挙げたのは、おいらがタイガーマスクの必殺技「タイガースープレックス・ホールド」を描いたページである。タイガーの闘いを目にするにつけ、彼が汲み出す技の数々に非常な感嘆の思いを抱いていたのである。プロレスの技は芸術品でもあるという思いを強くして描いたという記憶が強くのしかかってくるのである。アニメではなくて実在初代のタイガーマスクは、残念ながら伊達直人ではなく佐山聡という名前であった。そして佐山聡さんは凄い人で人格者でもあったのだ。

商業プロレスの世界に身を置きながら、初代タイガーマスクはカール・ゴッチ直伝のストロングスタイルを貫いて闘っていた。宿敵ダイナマイト・キッドに対しては、デビュー試合の闘いで「タイガースープレックス・ホールド」で完膚なきまでに勝利を勝ち取った。実力、人気共に群を抜いていたが、決して楽な闘いではなかった。ダイナマイトキッドとも因縁の闘いが続いていた。一時は「パイルドライバー」という荒業にて首の骨にも損傷が見られることもあった。当時の試合においらもリング脇で取材していたのだが、「No! No Pile driver!」と、必死に叫んでいたタイガーの姿は目蓋の底に潜んでいるのだ。