石川啄木が新婚のときを過ごした家

盛岡市内の「啄木新婚の家」を散策した。

けっして豪華とは云えないが、想像していた以上に立派な造りである。二世帯用の住居と思われるが、石川家の側の間取りを見ても5部屋存在している。手入れの行き届いた庭があり、本家とは縁側で接している。縁側が消えて日本の家にもロマンが消えた。「縁側」こそ日本家のあるべき姿と云えるだろう。

明治38年6月ごろ、節子さんとの恋を実らせた啄木はこの家に住居を構えた。おそらく彼の人生ピーク時のころの思いを十分に伝える建造物と云えよう。

啄木少年の像

石川啄木が新婚のときを過ごした家” への2件のコメント

  1. なんか、思っていたよりずっと立派だ。啄木って、貧乏って思ってたのに、わたしが子どもの頃に住んでいた国税局の官舎のほうが、狭かった。6畳と4畳半の二間と台所、お風呂、庭、でした。そこに家族4人。じっと手を見るより貧しかったわたしの昭和30年代かも。でも、子ども心には広かったし(自分のサイズが小さいからね)楽しかったな。

    こんど岩手に行くときは、行ってみたいなあ。

  2. ぜひご覧になってください。石川啄木像に新しい発見が生まれると思います。啄木さんが貧乏生活を余儀なくされたのは、東京に移住してからのことでしょう。第一歌集「一握の砂」を上梓したのが24歳。亡くなったのが26歳のとき。まさに誰も真似することの出来ない夭折の生涯を送った天才だと思うのです。