東京電力の「計画停電」は合理的に機能しているのか?

我が家への帰り道に眺めてきた地元の風景は、節電の影響が大きいのだがそればかりではなく、ほの暗い景色に彩られていた。

ほの暗い景色というのをもう少し説明すれば、わずかな照明があるのだが周囲の人間空間を照らし得ていないことの風景とでも云おうか。電気というものと人間生活との関わりが、意外や浅薄なものではないかと感じ取っていたのである。

東京電力が「計画停電」を発表したのは昨日のことだった。「計画停電」の意味や必要性自体は理解できる。だが、この運用については極めて大きな「?(はてな・クエスチョン)」が存在していると云わざるを得ない。

最初に指摘しておきたいのは、これが東京電力はじめとする電力会社が、自らの存在理由を誇示するためのイベントではないのかという疑問、疑惑である。

福島県の第1、第2の原発においては東京電力のTVCM等にてその必要性がPRされ続けていたという経緯があり、それとともに、その必要性を改めてアピールする行為が今回の「計画停電」ではなかったのかという疑問・疑惑である。

誰かがTVでコメントしていたが、東京電力の不足分をまかなうには、全国の電力会社が協力しあえばいかにも可能であるということなのだ。それを敢えて「計画停電」のイベントに持ち込んで処理しようとしている。その根拠は極めて恣意的であると、ここに指摘しておきたいのである。