ネット回線至上主義の落とし穴

先日から我が家のインターネット環境は、その中心回線であるNTTのフレッツ光ブロードバンドからのアクセスが不能となっていたのであり、不便を強いられていた。

トラブル当初は様々な原因を探ったのではあり、その時に思い付いていたのは下記のごとくなり。

〔1〕猛暑酷暑によりPCマシンのネット関連箇所がいかれたのではないか?
〔2〕WiFiの設定が壊れて、ソフト的な不都合が生じているのではないか?
〔3〕インターネットの大本を司る「ルーター」に不具合が生じているのではないか?

暦の休日を挟んで〔1〕〔2〕〔3〕の可能性をあれこれ詮索していたのであり、昨日漸く、NTT故障関連の部署に電話連絡が可能となった折には、おそらくは〔3〕のトラブルの可能性が高いというオペレーターの認識ではあった。

「普通は当日の修理にはうかがえないんです」というオペレーターを説き伏せつつ昨日は、急遽、NTTフレッツ光の点検修理作業員の人に来てもらうこととなったのである。

ルーターとデスクトップパソコンが設置されている部屋へ上がり、ルーターを分解してネット回線をチェックするなり、2名の作業員は何やら専門用語を連発。想定を超えたトラブルのようである。

「回線はどのくらいのレベルなんですか?」

というおいらの質問に対しては、

「まったく繋がっていない状況です。ここから(我が家のこの場所から)150メートルくらいのところで、回線が切れている可能性があります」

と答え、そそくさと外へと出て行った。その間の時間は5分も経たなかった。上記した3つの予測はすべて外れていたということであり、その想定外さは常識を逸脱するくらいのものであった。

結局、「150メートル」くらい離れた場所での光回線の切断が見つかったという。その修理作業にはゆうに1時間以上の時間を必要としていた。

おいらが居住する地域は地方都市の郊外とは云え、光ネットを利用する家庭は少なくないはずだ。そこで数日間のネット回線の遮断のトラブルは、少なくともおいらの想定を超えていた。

IP電話というネット回線を利用した電話を利用しているおいらとしては、こちらのトラブルが甚大だったことを思わずにはいないのだ。古き時代の電話回線には、このようなトラブルはほとんど無かったのであろう。インターネット回線に日常生活のすべてのインフラを集約しようとする流れに、一抹の不安を感じずにはいなかったのである。