「戦場のメリークリスマス」には、名匠、大島渚映画監督の世界観的真髄が凝縮されている

昨日はパソコンの調子がすこぶる悪かったのであり、書いている途中で何度もキーボードが引っ掛かっていたのみならずに、投稿のアップロードもままならなくなっていたので、いささかなからずの混乱を極めていたの是トンだった。本日はそんな事情もあり、昨日の大島渚監督についての半端に途切れて 書ききれなかったことなどを中心に記していきたい。

大島渚監督作品のなかでひとつを挙げよと云われたら、真っ先に「戦場のメリークリスマス」だと答えるだろう。それくらいにこの作品は、大島渚という稀有なる映像作家の深遠なる世界観が凝縮されている特別な作品なのだということである。

出演者には、ビートたけし、デビット・ボウイ、坂本龍一等々の個性派が顔をそろえている。そしてそれに負けないくらいに同作品のテーマの重さが、げんぜんと圧し掛かってくるのである。

反戦主義者として名高い坂本龍一氏をあえて軍国主義に染まった陸軍大尉ヨノイに起用し、現実的日本社会と映画的シチュエーションとの間に取り巻く緊張的関係性を深めていたのだ。こうした設定は、前衛的作品に挑戦し続けていた大島渚さんならではのものだ。彼の世界観、哲学というものを感じ取ると同時に、同映画には、映像的哲学とともにもっと広大なビジョンを観る思いで胸をときめかせていたことを、あらためて思い起こすのである。