ほろ苦を超えて苦み走った、人参の葉のお浸しに舌鼓なのだ

吉祥寺の八百屋にて、葉付きの人参を購入したのだ。根っこのところの人参の背丈を超えて伸びていた人参の姿形に魅了されたからではある。

元々人参には葉が付いているのだが、スーパーやほとんどの八百屋にて出ているものは葉をそぎ落とされた代物ばかり。根っこのところの人参が、ほぼ我が国にては常識的な「人参」の姿形なのではあろう。そんな常識を打ち破る姿形を、この葉付きの人参に見出していた。

先ずは人参の葉を茹でて、お浸しにしてみた。葉の部分にも硬い茎があり、その茎の部分はとても硬くてとても食用には適さないと見えていたので、油で炒めてラーメンの具にしたのだ。

残った人参の葉のお浸しを口にすると、ほろ苦以上にインパクトのある苦みが口腔を襲っていた。今では全国的ポピュラーな食材ことゴーヤを凌駕して、更に心地よい刺激でもあった。苦み走った野菜の筆頭的な存在ではある。

ほろ苦を超えて苦み走った、人参の葉のお浸しに舌鼓なのだった。