満開の桜の木の下に立つと、誰でもバカに見える。(i)

タイトルに示したのは村上春樹と糸井重里との共著「夢で会いましょう」の中の、糸井さん担当の章に記された一節である。

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そろそろ東京も桜の見頃かと銀座の桜の咲く公園を散策したが、まだまだであった。幸いなことに満開な桜がなかったため、バカ騒ぎする人々の姿も見当たらなかったのである。春かと思えばみぞれ降る空模様に、桜のつぼみもどうしたらよいのか迷っているに違いない。現在はまだ2分咲きといったところだろうか。周囲を気にし周りに合わせる。周りを気にしてなかなか早咲き桜が後に続かないのは日本の桜だからこその光景である。

満開の桜の木の下に立つと、誰でもバカに見える。(i)」への2件のフィードバック

  1. 私は団塊の世代とジュニアが嫌いである。春樹と言うと私の兄と同じ名前である。

    団塊の世代は無学な昭和ヒトケタを裏返しただけで無学で
    文化もなにもない原始人
    世代である。

    ビートルズなんかよりピンクレディーのほうが数段完成度が高い。

    牧野茂コーチが退団して
    定岡がデビューした昭和50年が
    時代のきれめである。
    牧野茂は王助監督のとき
    ちょっと復活した。

    村上春樹なんて本当どうでも
    いいんだけど
    昭和53年ヤクルト、ヒルトンが
    ヒットを打ったきっかけで作家デビューしたことを書いてる部分だけ唯一評価できる。
    ヤクルトはオーナーが巨人ファンで
    “巨人をアシストしてドラゴンズを叩く球団である”
    夕刊フジ(フジサンケイグループは読売以上に読売寄りである)
    神宮球場は丸の内のエリート巨人ファンサラリーマンが帰宅後、ビールをひっかけるたまり場でいいムードだった。
    私もヤクルトの応援歌のシングルなんか買ってしまったのである。
    すぎやまこういち作曲。
    私はドラゴンズファンじゃないんだけど、ヤクルトの巨人以上に巨人軍なチームカラーにけっこう酔っていたのである。はらたいらがヤクルト優勝を予言した年。阪急・山口高志の時代の終焉。そのほんの一瞬の時代をとらえたのがヒルトンだったが、阪神に行って例の岡田とぶつかるのである。

    ヤクルトと言えば黒ブチメガネの
    看板屋・岡田応援団長もいました。
    おじゃまんが山田くんのキャラにもなった。ヤクルト応援マン惨死、じゃなかった満座辞しじゃなくて、
    漫才師で青空なんとかさんもいました。

    この昭和53年と昭和54年じゃ
    空気が違う。

    昭和54年はフュージョンの時代です。プレ松田聖子。
    昭和55年以降は退化の改新。

    昭和53年までの東京は
    かろうじて大人の文化だった
    最後の時代です。

    ヤクルトがセリーグ優勝を決めた
    のが中日戦、中監督、最後のバッター谷沢。隣に住んでた伊藤智恵子が親の財布から抜き取った
    、お金で買った小型白黒テレビで
    優勝シーンを見届けた。BCL末期だった。フィクション

  2. 昭和ヒトケタの人々が近所にいっぱいるけど、廊下あるくとき電気つけると怒るし、いつも夜、廊下歩くときは懐中電灯。
    たまにめんどくさくておかしくなる。
    が、しかし投資信託の配当が
    月に300万円前後、銀行口座に
    入金されるので我慢してます。
    そのせいか労働意欲が失われ
    、うっかりするとなまるので
    、時計回りに行動するトレーニング
    を毎日しています。いっぺんに3つのことを行う、ながら族とか。

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