野田佳彦によるどじょうバブルで、庶民生活は逼迫しているのだ

先日、都内下町南千住の居酒屋「大坪屋」に立ち寄った際に、当店の売りの看板メニューである「どじょう鍋」が提供されなかったのだった。もとより「大坪屋」といえば、おいらが度々下町行脚のときには訪れるスポットである。

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「どじょう鍋」を注文したおいらに鸚鵡返しに「どじょうは仕入れがないんです」と返答した女将、そのときの大きな掛け声でその場は収まったのだが、しかしながら疑問は却って益々増大していた。どじょうが売りの居酒屋にどじょうが入荷しないという異常事態である。

庶民の行きつけの居酒屋で、庶民の味こと「どじょう鍋」が、かの野田佳彦のぼんくらおたく風演説で、バブルに突入してしまい、今時流通するのは駒形あたりかあるいは料亭等の特別な場所に限定されてしまったのだ。どじょうバブルを惹起させた野田の責任は甚大である。彼はこの落とし前をどう取るつもりなのか聞いてみたい。

もとより「どじょう」には責任はないのである。おいらもどじょうが大好きである。どじょうを持ち出し、中途半端に会田みつおさんの詩を引用したいんちき野田佳彦。

野田は相田さんの詩を盗用しながらも自らの恣意的な解釈によってオリジナルを歪めていたのであり、詩人に対する尊敬の念をもかけている。一流の詩が台無しである。つまり野田は会田さんの名詩をいい加減に引用しつつ馬鹿下駄政治的メッセージにりようし、馬鹿げた政治的メッセージとして利用していたのだから、その罪は軽くない。こういう野田には全ての責任が存在するのが明らかなのである。

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