「第16回八王子画廊散歩」がスタート。今年おいらは「フロイデン」に出展

第16回目となる「八王子画廊散歩」がスタートした。3回目となるおいらの作品は、ギャラリーフロイデンに出展した。定期的に出展しているイベント であり、近年は毎年この時期になると、出展作品制作に気合が入る。男のおいらは経験したこともないが、ちょうど卵を産んだ母鳥が卵から孵った雛を見届けて ほっとするような気分になるのが、イベントの初日でもある。

■ギャラリーフロイデン
八王子市横山町25-16 B1階
TEL 042-646-0900

■八王子画廊散歩
http://www.facebook.com/garousanpo
http://www.atorie248.com/garousanpo/

フロイデンはここ数年の間は画廊散歩イベントに参加していなかったこと等から、おい らは初めて此処に足を運んでいた。絵画・陶芸教室が同じビル内 で開催されており、設立32年になる老舗ギャラリーのひとつだ。八王子駅北口から徒歩3分程度という好ロケーションでもあり、八王子を代表するギャラリー のひとつとも云えよう。

午前中に作品搬入を済ませてから、例年のように参加ギャラリーを散歩してまわった。出展者は毎年、出展のギャラリーを変えるのが基本だというのであ り、知人たちの作品を見つけるという楽しみもまた存在するのだ。過去作品とはまた違ったスタイルの作品展示されているケースもすくなくないのであり、其れ が所謂ひとつの成長なのかとも感じさせている。少なくとも怠惰な画風に囚われた知人たちの作品をみるよりずっと新鮮な感動を与えてやまないのである。

5時半からは「アートスペース KEIHO」にてパーティーに参加。昨年よりも参加者はすくなめであったが、地元八王子のイベントやら画廊に関する情報やらにて花を咲かせたのだった。

第15回「八王子画廊散歩」が今年もスタート

第15回「八王子画廊散歩」が、3月8日スタートした。

http://www.atorie248.com/garousanpo/

おいらが作品展示している「ギャラリーヤスタケ」は、恐らく駅から最も遠い場所にあるが、それでも初日は訪問者がとぎれることがほとんど無いくらいに賑わっていた。

午後2時半からはおいらも画廊当番と云うことで、受付場所近辺での来廊者のお相手をしていたのだった。受付業務と云う職種にはこれまでほとんど縁の無かったおいらは多少は緊張しており、その時間を過ごすこととなっていた。来廊者のほとんどはと云えば、八王子市内の住民、イベント参加者ではあったが、遠く市外からも友人の渡辺さんが駆けつけてくれて、ほっと一息の愉しい時間を過ごさせてもらっていたのだった。

■ギャラリーヤスタケ
東京都八王子市八幡町12-11
042-626-8114

今回おいらが出展したのは「夜の町並み」「月の居る風景」の2点。昨年の「バタフライ」のシリーズからは相当にイメージを異にしてのぞんでいた。丁度去年の同イベントが終了した頃から描き続けてきた。墨とアクリル絵の具を基本素材にして描いた連作のシリーズの2点である。

イベント終了の時間の前から、参加者によるパーティーが行なわれ、おいらは画廊が終了してから遅れてパーティーに参加することとなった。食べ物も飲み物もほとんど尽くされていた後だった。だが丁度そのときに「BINGOゲーム」が開催されており、遅れてパーティーに入ったおいらにもビンゴの賞品が待ち受けていたのだった。それは不思議な200mm×200mmの額縁か? こんなサイズのキャンバスがあったっけ? と疑問が膨らんでしまった今宵なり候。

ちなみに昨年は、八王子市内の最古の歴史を持つ「芙蓉」という画廊で、ショーウインドウズという目立つ場所にて展示してもらっていたので、初対面の人からも色々と、好意的かつ刺激的な評価をいただいていたことを想い出す。「家に飾りたいです」などと云ってもらいながらも買ってもらうことは出来なかったのではあったのだったが…。

千代田区「3331 Arts Chiyoda」にて「写真家60人の『瞬間と永遠』」展開催

千代田区「3331 Arts Chiyoda」にて「写真家60人の『瞬間と永遠』」展が開催されている。

http://www.tamron60.com/

主催しているのはカメラのレンズメーカーとして有名な「タムロン」。60名の写真家が今年の2011年に、同社の「18-270mm」レンズを使って撮影した写真が一堂に展示されている。云わば使用する道具が限定されているという、ある種とても珍しいコンセプトの写真展であると云えよう。 

実はこの、タムロンの「18-270mm」レンズはおいらも愛用しているレンズだ。超高倍率のズームレンズでありながら軽量コンパクトであり、一眼レフカメラに装着すればこの1本でほとんどすべての撮影が可能になるという、一時代前ならば夢物語でも語られたような秀逸なレンズである。

ズームレンズは単体レンズの良さに取って代わることはできないながらも、理想的なズームレンズの姿を体現していると云えよう。

殊にぶらりと手軽に出かける小旅行にはとても重宝すること請け合い。実際においらもまた、ニコンの一眼デジカメにこのレンズを装着して撮影に臨むことが非常に多くなってきているのだ。ほぼ9割はこのレンズによる撮影だ。ちなみにそれ以外のレンズを使用するのは50mmのクラシックレンズと、11 ~ 16mmの超広角レンズくらい。この3本でほぼ全ての撮影が可能になっている。

写真展に参加している作家作品の多くは、現役作家として活動を続けており、木村伊兵衛賞受賞者などの高名な作家も含まれている。そして彼らの作品の多くが旅行のスナップで占められている。紋切り型の観光写真もあるが、肩肘張らないで素直に撮影した、ハッとさせるくらいに新鮮な作品も混じっていた。

何時でも何処でも撮影が可能だというこのズームレンズの使い勝手は、想像以上のものがありそうなのである。万能オールマイティレンズの使用感を実感させるのだ。

「土門拳の古寺巡礼」展が八王子市夢美術館にて開催

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ぼくは人生の過半を
カメラを背負って
古寺を巡ってきた
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こう語って古寺を撮影し続けた土門拳氏の「古寺巡礼」展が「八王子市夢美術館」にて開催されている。

http://www.yumebi.com/

これまでに土門拳氏の作品集等にて「古寺巡礼」の作品群については目にしてきたが、今回の企画展にて一同に集った作品群に接し、改めて土門拳の古寺巡礼、即ち此れだけに年月や熱情を傾けて創造され続けてきた「古寺巡礼」の、云わば魂に接することが出来たと感じ取っていた。

巨大なサイズにプリントされた作品群の中にはひっそりと、オリジナル・プリント群が佇んでいたのである。額装された作品には「Domon Ken」という自筆のサインが添えられていた。其れを目にしておいらは作家の思い入れ、強烈なる自己主張の息吹を感じ取らざるにはいかなかったと云うべきであろう。

古寺は日本の文化文明を担ってきた文化財であったと共に、否それ以上に強く、土門拳の捉えた仏像、仏閣の美しき姿形を印画紙に定着させていたのであった。

所謂作家とモデルという関係性でありながらも、作家はモデルに従属することなく「土門拳」を主張していた。写真が芸術として我国にて認められた背景に、この土門拳氏の「古寺巡礼」が果たした功績、光跡は計り知れないものがある。それを何よりも感じさせる写真展である。

「2k540 AKI-OKA ARTIZAN」が9/29グランドオープン

昨年12月にオープンした穴場のスポット「2k540 AKI-OKA ARTIZAN」が、新たに17の店舗が加わってグランドオープンとなった。新規店舗には若葉マークよろしくの「NEW SHOP」マークが設けられているので、新しいスポットを探して散策するのも楽ちんだ。
http://www.jrtk.jp/2k540/

会場のトータルデザインは以前のままだが、御徒町よりにスペースが広がって、店舗数も増えたことから、職人工芸の街並といった印象をより強く植え付けることとなっている。

会場では江戸切子グラスの制作実演が行われたり、その他様々なイベントが企画されている。伝統芸能の制作現場と直に接することができる、都内でも稀なスペースとなった。

八王子河原敷でのイベント「みんなちがってみんないい」

八王子市内を流れる浅川の河原敷で「みんなちがってみんないい」というイベントが開催された。

http://homepage3.nifty.com/minnatigau/

生憎ちょうど昨日は、自転車がパンクして修理に出していたりした為、距離にして3~4kmほどの道のりを歩いて、その会場に向かうこととなった。秋に入ったとはいえ直射日光は直に川沿いを歩くおいらを襲い、会場に到達する頃には汗がだくだくと流れて止まることが無かった。

これまでも都内への通勤や自転車による駅と自宅との行き来やらではの行動で、一定の身体活動は行なってきているのであるが、改めて長距離の散歩を行なうと云う事態に直面して、健康生活への自覚を深めたものとなっていたようである。

会場に到着した時刻は既に昼時を過ぎていたこともあり、タイ屋台料理の春雨炒めにぱくついたりしていた。その料理は想像以上に刺激的においらの口腔内と喉とエスニックな辛味で満たしていたのだ。

会場には国際色豊かな食べ物を提供する店舗のほか、2箇所に設けられたステージ上での音楽演奏、パフォーマンス、さらには東北大震災を撮影した2人の写真家による展示会など、様々なイベントが息づいていた。

青い空と白い雲の下に広がる河原を舞台にした祭り会場には、家族連れ参加者が多くみられ、綺麗な水の流れる浅川に入って水遊びをする光景が、自然と目に入ってくる。都内にもまだまだこんな場所があるのだ。

改めて書くのもなんだが、このイベントのタイトル「みんなちがってみんないい」は、童謡詩人として活躍した金子みすゞさんの「わたしと小鳥とすずと」の詩から引用されたものである。時代が移り変わっても決して褪せることのない、生命の尊さが瑞々しく表現されており、おいらも大好きな一編である。素朴でいてわかりやすいこの詩をここに掲載させていただきたい。

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わたしと小鳥とすずと

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

「アーツ千代田3331」にて「千代田芸術祭2011」が開催

千代田区の旧練成中学校を改修して昨年オープンした「アーツ千代田3331(3331 Arts Chiyoda)」にて「千代田芸術祭2011」が開催されている。(9/3〜9/19火曜休場)

http://fes.3331.jp/

昨年の「アンデパンダン展」がスケールアップして企画された展示会ということで、1階メインギャラリーでの作品展示に、コミュニティスペースと屋上にて「ステージ」や「マーケット」の催しが加わった。

展示部門のジャンルは設けられておらず、油画、アクリル画、立体作品、写真、ビデオ、その他、多岐にわたっている。広く市民アーティスト達の表現の場として生まれた同会場においてジャンル等々の出展の規制を設けることなどナンセンスであり、会場にはジャンルを超えた表現の息吹が渦巻いていたのであり、企画者達の基本的な目的は達成されていると見える。「アンデパンダン展」を称した展示会であるからしてあからさまな職業批評家達のコメントやらは避けられており、当たり前のことながら風通しの良い展示会と云う印象を与えている。

先述したようにこの会場は元は区立中学校だった場所だ。校庭はそのまま公園として再利用されている。通常こういう場所のことを「廃校」と呼ぶのかもしれないが、こと旧練成中学校に関してはこの言葉は当てはまらない。現役の校舎としてそのまま使えるくらいに、旧校舎と場に関係する人々、あるいは行き交う人々との関係性が密にあるということを感じさせるに充分である。庭の花壇には昼顔が花を咲かせ、ツルが天然の緑のカーテンを形作っていた。

2階、3階は貸しギャラリーとして機能しており、様々な個人やグループによる展示が行われている。階段や廊下を歩いているだけで、中学生の時代にタイムスリップして気分にもなれて、それだけでもわくわくしてくる。おすすめのスポットである。

■アーツ千代田3331
〒101-0021
東京都千代田区外神田6丁目11-14

阿佐ヶ谷から古き良き「ゴールド街」が消えていく

中央沿線沿いの「阿佐ヶ谷」から「ゴールド街」が無くなってしまうというニュースを目にして、慌ててその「ゴールド街」へと向かってみたら、もうそのあたり一帯はもぬけの殻状態に近い様であったので喫驚仰天の心持ちなのである。

阿佐ヶ谷「ゴールド街」と云えば、おいらが10年と少し前に中央線沿いに移り住み着いて以来、幾度となく訪れていた好みの地域である。阿佐ヶ谷駅を降りて東側の信号を渡るとすぐに、その界隈一帯のビルにぶつかっている。そんな足の良さもあってか、あれやこれやの時間帯をその界隈の散策に勤しんだりしていたものである。

ちょっとばかり変てこりんな「葉山房」という居酒屋が在った。店舗内には大きな水槽が設けられており、熱帯魚や金魚みたいな風体をした魚達が泳ぎまくっていた。そんな光景を眺めながらちびりちびりと酒をたしなんでいたものである。だがそんな居酒屋「葉山房」もいつの間にか姿を消していた。つまみを何を食べたとかそんなことはほとんど記憶の埒外に追いやられているが、阿佐ヶ谷を訪れて帰りに立ち寄る場所としては、おいらが最も親しんだスペースであった。そんなスペースが今は無い。

駅から徒歩にして1分未満の場所に位置する2階建てビルであり、耐震構造に問題在るとも思えない。だがJR東日本はここを取り壊して新しいビルに立て直すのだと云う。訪れたビルの2階の店舗街は既に封鎖されていた。風情あるこれまでの「阿佐ヶ谷ゴールド街」は、どこにでもあるようなJR駅中のビルへと様変わりしてしまうのだ。残念至極なり。

古い歴史的建造物は人々の歴史を感じさせるが、新しい駅ビルはただ貪欲な功利主義の欲にまみれふざけ切った出店企業の営利活動の排出物を受け取るばかりであり、それ以上の風情のかけらも無い。

 おいらも旨い酒など求めて一献傾けるつもりで阿佐ヶ谷に立ち寄ったのだが、望みも叶わぬまま再びの中央線ホームから乗車し帰路についていた。全くもって徒労の時間だったのである。

横浜「黄金町」ガード下のアートスポットに注目

「ヨコハマトリエンナーレ2011」のあとで、黄金町から日の出町駅ガード下のスポットを訪れた。伊勢崎町の市街地からも近いこの一帯はかつて売春窟として有名であり、犯罪の温床ともみなされていた場所である。2000年代に入ったそう遠くない頃に、古くからの地元住民や警察関係による浄化の運動が展開されてきた。かつての売春宿や違法店舗が消えて空き家になった場所に、アーティスト達が活動や発表の場所として利用している。街ぐるみでアートのスポットとして再生させようと、様々な試みが行われているのだ。

http://www.koganecho.net/

2008年からの「黄金町バザール」は、今年は「ヨコハマトリエンナーレ2011」と合わせてスタートし4回目を迎えた。町興しに日本国内外のアーティストが参加し、今流行の「絆」を深め合おうと云う活動が展開されている。ガード下には新しいスタジオや制作の拠点が生まれており、町の再生という目標を後押ししているとも云えるのだ。

「黄金町バザール」の事務所を兼ねる「竜宮美術旅館」では、古めかしい旅館の建物の場を利用して、松澤有子さんの作品「ひかりを仰ぐ」等の作品を展示している。木賃宿風情の一角には風呂場が設置されているが、その場がアートとして再生されており、希望者が申し込めば1日1組に限り入浴も可能だと云うことだ。場とアートとイベントとが一体化したユニークな試みとして注目される。機会があればおいらも一風呂浴びたいものだ。

その他、ガード下を歩けばアートグッズを扱うショップや、若手アーティストの制作現場に遭遇することとなる。9月からは作品発表の場として様々なイベントが企画されているようなので注目しているところである。

横浜の「ヨコハマトリエンナーレ2011」は温故知新の美術企画展なのか?

現代アートの国際展として3年毎に開催される「横浜トリエンナーレ」。09年に続き今年は第4回目となる今年の展示が8月6日から開催されている。期間は11月6日までと、3カ月間の長い日程をとって開催される、我国における美術の一大ムーブメントだ。いつかは訪れねばという思いを漸く本日は解消することが出来た。とはいっても4カ所でイベント展示されているうちの2カ所を訪れたのであり、まだあと半分の後半戦を控えているのではある。

http://118.151.165.140/archives/index.html

サブタイトルには「OUR MAGIC HOUR 世界はどこまで知ることができるか?」とある。何やら意味深な響きやらが冠されているが、経験から見ていけばこういうものにはほとんどスルーするか無視するか、あるいは邪険にするか、兎に角は真に受けないでおくのが肝心である。聞き流しておくに限る。

そもそもこんなサブタイトルだとかの代物は、キューレーターだかプロデューサーだか、ディレクターだかなんだか知らない人種たちがお遊びで付け足してみたものと相場が決まっている。アートのいろいろを理解しているとさえ云い難い。今回の企画展の総合ディレクターだと云う逢坂恵理子という人のコメントをある雑誌で目にしたが、全くもって要領を得ない。「体験」とか「想像力」とか定番の語彙を絡ませ小中学生に美術の授業を行うくらいのものでしかなかった。まるで自分でも何を解説しているのか判らないだろうポイントがずれていたものであったので、唖然としたものではある。それでも「総合ディレクター」とやらが務まっているのだから日本の美術界はそうとうに没落悪化の一途なのではないかと危惧しているくらいだ。

実際に小中学生は観覧料が無料ということで、多くの小中学生が夏休みの課題をこなすためなのか、ペンや筆記帳等を携えて美術鑑賞を行なっていたのだ。だいたいにおいて現代美術の鑑賞を小中学生に課すということ自体に、現代美術への無理解が根底に在ると思えるのである。

おいらの今回の目当ての一つは、横尾忠則氏の近作を鑑賞することだった。ネットや一部媒体にて作品のコピーには接していたが、実作品に接することが真の鑑賞の第一歩となるが故にその行程が急がれたのだった。ところが生憎、横尾氏の作品は撮影不可という扱いになっていたため撮影取材が不可能となりがっかり至極であったので、感動も半減させられたと云うしか無いのだった。黒いトーンを基調にして、闇の中から浮かび上がるようにして描かれていた街中の風景たちは、想像していた以上に大仰に黒のトーンをまき散らしておりそれなりの迫力満天の作品であった。迫力といつたついでに加えれば、100号かそれ以上の大作も数多く展示されており、此処へ来てこの時代での横尾氏の制作力には目をみはるしかなかった。作品の大きさと作家のパワーとが凄く同次元で感受できたのであり、これはこの時期にとても意義ある美術鑑賞体験だったのだと考えているのだ。

さてそれ以外の作品について。まずは今は亡き過去の「現代美術家」たちの作品への邂逅に対する感動が大きかった。マックス・エルンスト、ルネ・マグリット、マン・レイ、等々、美術の教科書にも載っている巨匠達の作品を直に目にすることの、衝撃度は大きかったと云うしかない。先述した欧州の作家以外にも、古今東西、砂澤 ビッキ、歌川(一勇斎)国芳、たちの作品への憧憬は凄いものがあった。砂澤 ビッキ、歌川(一勇斎)国芳らについては少々研究の上、改めてコメントしたいと考えている。ただし現在生存中で活躍中という真の現代作家達の作品には、特に何も受け取るべきものを得なかった。国内外を問わずそれは歴としていた。

もしかしたらこの国際美術の展示会は結果的に、「温故知新」ということの再認識をもたらすためのものだったということになるのではないだろうか…。