トピックス: 2011年07月

パウル・クレーの「子供の領分」と谷川俊太郎の「選ばれた場所」 (2011年07月31日)

新潟・福島を襲った豪雨の影響で昨夜から激しい雨が続いていたので、本日は外出することも避けて、アクリル画の制作に没頭していたのだ。2〜3年前から続いている制作意欲を何かのかたちにしたいと考えているのだが、昨年初夏頃のチャンスを逃して以来、具体的な道筋は見えてこない。かといって受動的態度で時を過ごすことも出来ないので、日頃の制作活動の時間は、たとえ少々なりともとるようにしている。 [エラー: isbn:4938710137:l というアイテムは見つかりませんでした] 夕刻を過ぎて雨も上がり、街に出て駅前の古書店を覗いていると、パウル・クレーの「子供の領分」という画集が目に付き衝動的に購入した。1997年に「ニューオータニ美術館」というところで開催されたパウル・クレー展で頒布された展覧会の図録であるようだ。 本年開催されたクレーの「おわらないアトリエ」展の出品作品とはまた違った傾向の作品が収められており、つまりは幼児画的パウル・クレー作品とその創造の背景にスポットが当てられ纏められており、至極興趣をそそられているところだ。幼き時の制作スタイルを常に踏襲しながら、名声を博した後も常に幼児の目線を制作の根本に据えていたクレー師の偉大さは図録を一瞥するだけで漂ってきており、その創造の原点の逞しい息遣いを感じ取らざるを得ないのである。 この図録には谷川俊太郎さんの「選ばれた場所」というポエムが収められている。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 選ばれた場所 谷川俊太郎 そこへゆこうとして ことばはつまずき ことばをおいこそうとして たましいはあえぎ けれどそのたましいのさきに かすかなともしびのようなものがみえる そこへゆこうとして ゆめはばくはつし ゆめをつらぬこうとして くらやみはかがやき けれどそのくらやみのさきに まだおおきなあなのようなものがみえる ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 夢は爆発し、暗闇は輝き、暗闇の先に大きな穴の様なものが…とうたっている、その俊太郎さんの思いは、今のこの時代における最も今日的な課題に立ち向かっている詩人の魂の言葉であろう。

町田康氏の新著「ゴランノスポン」 (2011年07月28日)

[エラー: isbn:9784104215027:l というアイテムは見つかりませんでした] 一部ではカリスマ的な人気を誇るパンク小説家、町田康氏の新著「ゴランノスポン」を読了した。7つの小・中編による作品集で、表紙カバーにはこれまたカリスマ的アーティスト、奈良美智氏の新作「Atomkraft Baby」が採用されており、至極目を惹かれることとなっていた。この表紙によって購入を決めたと云っても良いくらいだ。 表題作「ゴランノスポン」は雑誌「群像」2006年10月号にて「ホワイトハッピー・ご覧のスポン」として発表されたものを改題してある。タイトルだけ見たら何を意味しているか見当もつかない様な可笑しなタイトルだが、かつての「群像」での作品名を知り、漸くその意味するところの合点がいったのだった。なった訳だが作者のほうは何故だか知らぬが、一般人には韜晦の至りかのごとくのチンプンカンプンな表題に変えて、敢えてその「意味の無さ、希薄さ」を表出させて愉しんでみたのではないかと睨んでみたところだ。こんな表題作に出来るのがパンク作家としての面目躍如といったところだろう。ご覧の様にスポンと落ちる。落ちます、落とします。スポンという擬態の音…。底を見せぬ闇の中へと連れ去って行ってしまいそうな、厳粛かつ滑稽な擬態の音だ。天使か悪魔かは知らぬが大きく両手を広げて手招いているかのようである。 少し前までは独特なボキャブラリと俗的世界の話題を操るパンク兄ちゃん、過剰な才能を持て余している一人よがりの空回り的存在、的な評価を抱いていた町田氏だったが、色々とこの世間とやらに対して挑発する様は勇ましくもあり、可能性をも伝えて来るものがある。 ある種の三文小説の落ちとも変わらないプロットやそうぞうしいばかりの展開やらには辟易していたが、つまりは、小説一つ一つの評価は、あまり点数を付けにくいのだが、読み終わってみればそれらを含めて現代作家たる才能を撒き散らしているということなのだろう。

谷川俊太郎「黄金の魚」の詩を松たか子が朗読 (2011年07月10日)

昨日あるきっかけできっか思い出した谷川俊太郎先生の「クレーの絵本」を押入れから探し出して見ているところだ。1995年10月初版発行(おいらの蔵書は99年発行の第12刷)、講談社刊、定価1456円という名著だ。 パウル・クレーの絵画作品に触発されたという俊太郎さんが、自由闊達な詩をつくって、時代を超えて両者がコラボレートを行ったという形態をとって発行されている。安易なコラボ企画本とは一線も二線も画した立派な企画本となっている。云うまでも無いが、おいらの愛読書の中でもトップクラスの一冊である。 表紙画にも採用されているのが「黄金の魚」。簡易な言葉から紡がれた詩の内容には感動の雨霰の心情を禁じ得ない。 ―――――以下引用――――――――――――――― 黄金の魚 おおきなさかなはおおきなくちで ちゅうくらいのさかなをたべ ちゅうくらいのさかなは ちいさなさかなをたべ ちいさなさかなは もっとちいさな さかなをたべ いのちはいのちをいけにえとして ひかりかがやく しあわせはふしあわせをやしないとして はなひらく どんなよろこびのふかいうみにも ひとつぶのなみだが とけていないということはない ―――――引用終了――――――――――――――― ところで3.11の東北大震災への応援サイトにて、この谷川俊太郎さんの「黄金の魚」の詩が、松たか子さんによる朗読によって公開されているということを知ったのだ。 http://youtu.be/DAv4tFuZl_4 松さんの朗読は凛として清々しく、名詩の存在を重層的に拡散させているかのようだ。丁度、Twitterにおけるリツイートの様だと云えば良いだろうか。とても素直な松たか子さんの声質、仕種が、名詩の魂をビデオメッセージとして拡散させることに強力なエネルギーを得たかのようなのだ。 そしてパウル・クレー、谷川俊太郎、松たか子といった、ジャンルも世代も違うアーティストが本来の意味での「コラボレーション」を実現している。じっくりと松たか子さんの言葉に聞き入っていると、東北震災地の復興にも希望が持てるのではないかと思う。