第15回「八王子画廊散歩」が今年もスタート
第15回「八王子画廊散歩」が、3月8日スタートした。
http://www.atorie248.com/garousanpo/
おいらが作品展示している「ギャラリーヤスタケ」は、恐らく駅から最も遠い場所にあるが、それでも初日は訪問者がとぎれることがほとんど無いくらいに賑わっていた。
午後2時半からはおいらも画廊当番と云うことで、受付場所近辺での来廊者のお相手をしていたのだった。受付業務と云う職種にはこれまでほとんど縁の無かったおいらは多少は緊張しており、その時間を過ごすこととなっていた。来廊者のほとんどはと云えば、八王子市内の住民、イベント参加者ではあったが、遠く市外からも友人の渡辺さんが駆けつけてくれて、ほっと一息の愉しい時間を過ごさせてもらっていたのだった。
■ギャラリーヤスタケ
東京都八王子市八幡町12-11
042-626-8114
今回おいらが出展したのは「夜の町並み」「月の居る風景」の2点。昨年の「バタフライ」のシリーズからは相当にイメージを異にしてのぞんでいた。丁度去年の同イベントが終了した頃から描き続けてきた。墨とアクリル絵の具を基本素材にして描いた連作のシリーズの2点である。
イベント終了の時間の前から、参加者によるパーティーが行なわれ、おいらは画廊が終了してから遅れてパーティーに参加することとなった。食べ物も飲み物もほとんど尽くされていた後だった。だが丁度そのときに「BINGOゲーム」が開催されており、遅れてパーティーに入ったおいらにもビンゴの賞品が待ち受けていたのだった。それは不思議な200mm×200mmの額縁か? こんなサイズのキャンバスがあったっけ? と疑問が膨らんでしまった今宵なり候。
ちなみに昨年は、八王子市内の最古の歴史を持つ「芙蓉」という画廊で、ショーウインドウズという目立つ場所にて展示してもらっていたので、初対面の人からも色々と、好意的かつ刺激的な評価をいただいていたことを想い出す。「家に飾りたいです」などと云ってもらいながらも買ってもらうことは出来なかったのではあったのだったが…。
「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」が開催
米国現代絵画の巨匠と謳われるジャクソン・ポロックは今年、生誕100年を迎えた。それを記念して我国(米国ではなく日本)では「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」が開催されている。名古屋展に続き、東京展が東京国立近代美術館にて2/10~5/6の期間で開催中である。
■生誕100年ジャクソン・ポロック展
期間:2/10~5/6
場所:東京国立近代美術館
〒102-8322千代田区北の丸公園3-1
現代作家としてのポロックは尊敬すべきアーティストには違いないが、おいらにとっては同時代の米国で活躍したアーシル・ゴーキーや、アンフォルメル絵画の巨匠ことジャン・デュビッフェ達の方が圧等的なアイドルであって、ポロックに心酔することは無かった。或は作品制作においての影響も小さかったと云うべきである。然しながら今回の「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」は企画回顧展として相当規模の展覧会であり、これを見逃したら一生出逢うことの出来ない作品群を思えば、出かけない訳にはいかなかったのである。
まず会場に足を踏み入れて最初のブースで感じたのは、20代のときのポロック作品の充実さである。厚塗りでぐいぐいと表現して行くそのスタイルは、ピカソの初期作品やミロの作品を彷彿とさせ、ある作品は岡本太郎の作品世界を想起させてもいた。ポロックが岡本太郎に与えた影響について、一つの示唆を齎してくれていたのであった。
■インディアンレッドの地の壁画
分け隔てられたブースを辿って行くと、広いスペースにただの1点の作品が展示されている場所へと行き着いていた。作品名「インディアンレッドの地の壁画」。題名から読めるとおり、壁画としての利用を前提として依頼されて制作したという、ポロックの中での数少ないカテゴリー作品に含まれる。
塗料をキャンバス上に滴らせて描くポーリング、ドリッピングと云われる技法や、オールオーヴァー、アクションペインティング等々と称される志向性が頂点を迎えた1950年の作品であり、ポロックと云えば真っ先のこの作品が引用されることが当然となっている。評価額が200億円とも称される、現代美術の最高峰とされている作品である。
ゴッホやピカソを超えたとの評価が与えられているが、これには相当大きな疑問が付きまとっていることも確かである。ヨーロッパに遅れをとっていた米国美術界が金力にものを云わせて総出で手掛けたイベントの一つが、同作品への超高額評価であり、その役割を担う役者としてポロックに白羽の矢が立てられたと云うのが、客観的な見方ではあろう。アメリカンヒーローに祀り上げられたポロックは、センセーショナルな報道のターゲットとなり、映画作品のモデルともなったが、彼にとっての益に適ったかと問えば、決してその様なことは無かったと答えるべきであろう。
■カット・アウト

オールオーヴァーのスタイルを確立したポロックが、そのボード絵画を切り抜いて構成した実験的な作品である。今回の展覧会場でおいらが最も観たかった1点でもある。
人型にも見える切り抜いたその背後には、荒く絵の具を刷り込ませたキャンバス地が姿をのぞかせている。この手法の作品は6点あるとされているが、展示されていたのは我国の「大原美術館」が所蔵しているもので、同シリーズの中心的作品である。
解説文に依れば、このカット・アウト作品の見せ方に苦慮していたポロックは様々な実験と思索を繰り返していたが、突然の事故でついにその完成を示すことは無かったと云う。現在展示されている作品たちは、妻のリー・クラズナーの判断によって完成されたものとなっている。
司修さんの「本の魔法」から、本と作家と装幀家との濃密な関わりが匂ってくる
本の魔法
装幀家として名高い司修さんの近著。古井由吉「杳子・妻隠」、島尾敏雄「死の棘」、中上健次「岬」、等々の戦後日本の近代文学を代表する書物の装幀を手掛けた司修さんが、装幀の現場におけるエピソードを綴っている。取り上げられている15の書物のどれも彼もが、作家との厚い交流が基として成り立っており、おざなりの仕事から産まれた本は一冊も無い。
おいらが司修さんの装幀の仕事に対して最初に目を瞠ったのは、大江健三郎氏の書籍たちだった。エッチング等の版画の技法を駆使して描かれた司作品は、大江健三郎作品の挿絵としてではなく、イメージが何倍にも膨らみ弾けて描かれており、司氏の装幀作品の重層性を余すところ無く示してもいたのだった。
だが何故だかこの「本の魔法」という一冊から、大江健三郎作品が省かれているのが、余談になるが、とても不可思議なポイントでもある。
みどり企画ギャラリーを新規オープンしました
みどり企画が企画、公開するギャラリーをお楽しみください。
みどり企画の主宰者こと小林活夫の作品の他、主宰者がお奨めする作品なども、これからどんどん紹介していきたいと考えています。
第1弾として、先月に旅した「奥飛騨」「新穂高温泉」界隈で撮影した写真群をアップしました。
これからしばしばに公開作品内容を入れ替えていきますので、時々は当ページにも見に来てください。
http://midori-kikaku.com/gallery/
飛騨高山にて山下清画伯の「放浪の天才画家 山下清原画展」に遭遇
飛騨地方への帰りに立ち寄った高山で偶然、「放浪の天才画家 山下清・原画展」に遭遇した。どうしてこの小都市にてこんな珍しい企画展が開催された かも判らずに、兎も角も展覧会場に足を踏み入れてみたところ、おいらが初めて目にする山下画伯の原画が、会場を埋め尽くしていたのだった。
ところがここもまた「撮影禁止」の貼り紙がいたるところに貼られてあり些か興醒めではあっのだ。主催者側の勝手な都合で「撮影禁止」にするなどは もっての外の行為では有るが、旅の途中で野暮な抗議などしても仕方がないので撮影は諦めていたのであり、貴重な山下画伯の作品の息遣いを、視覚的にお伝え できないのがいと残念である。
よく知られている花火などの貼り絵のほかに、鯛、金魚、山女魚、鯖などの魚類や蝶々、ふくろう、蟻、かたつむりなどの動物や植物、その他様々な生命体がモチーフにされていて、それが切り絵と云う手法と相俟って、極めて高貴な創作品として展示されていたのである。
中には「タイに花火」という意外な取り合わせの作品も有り、これぞ我国におけるシュールリアリズム作品の極北ではないかとも思わせるものではあった。この傑作もまた「撮影禁止」などと云う馬鹿げた主催者側の意向で紹介できないのがいと残念なり。
非難ばかりでキーボードを置くのも詰まらないのでもう一言。
山下清画伯と高山市との関係性はほとんどないと云うことである。だが、当企画展のオーナーが熱心な収集家であるなどのことからこの展覧会が実現したと云うことであり、行きずりの旅行者としては行幸であったのかもしれないと思った。
地方都市でも益々に、このような熱心な収集家による展示会が開催されていくことを望む也。
■放浪の天才画家 山下清原画展
高山本町美術館
岐阜県高山市本町2-61
0577-36-3124
“魂の陰影を剥ぎ取る”建築写真集「瞬間の連続性」を刊行しました
みどり企画の出版事業部であるみどり企画出版では、このほど7人の写真家集団による建築写真集「瞬間の連続性」を刊行しました。「建築」という身近な素材をモチーフにしながら、日常的には余り接することのできない、特別な一瞬間の表情等が巧みに捉えられた作品集です。
現代美術作家の上野憲男さんが、巻末に同写真集への手書きのコメントを寄せてくれているのでここにご紹介しておきます。(誌面では手書きのそのままで掲載していますがここでは活字に置き換えてご紹介します)
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魂の陰影を剥ぎ取る
日本初の高層ビルディング「霞ヶ関ビル」の写真をシャッター音も心優しく包むようにして撮影した川澄明男の作品はその設計者の名と共に今にして輝きを放ち続けている。
その川澄明男を師と仰ぐ小林研二をリーダーとする建築写真家集団。無機的な建造物に“やるせない”位の生命を映し出すPhotographer達。
硬い石の中にも鋭い鉄鋼、硝子の中にも、そして木や紙、植物にも、あらゆる材質の骨格の中に、風のようなしなやかさで吹き抜け、魂の陰影を剥ぎ取り、現代美術作品と見まごうような見事な映像を造形化した。
本写真集がスタートと言うこの「瞬間の連続性」は今後、益々鋭敏に豊かに展開してゆくことは間違いないだろう。
上野憲男
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■瞬間の連続性 the continuum of moments
ISBN978-4-905387-01-5
定価:本体1000円(+税)
発行:みどり企画出版
企画・編集:川澄・小林研二写真事務所
版形:250×250mm 並製本
ページ数:60p
▼ご注文はこちらからどうぞ。
http://midorishop.cart.fc2.com/ca0/2/p-r-s/
ギャラリー八重洲にて「世界一小ちゃい?!ミニ絵画展」開催
東京駅八重洲口近くの「ギャラリー八重洲」にて、「世界一小ちゃい?!ミニ絵画展」が開催された。
■世界一小ちゃい?!ミニ絵画展
2011年12/12(月)~23(金)
ギャラリー八重洲
〒104-0028 東京都中央区八重洲2丁目1番
八重洲地下街中1号(外堀地下3番通り)
TEL 03-3278-0623
ちょうど葉書き大くらいの大きさのF1号キャンバス、サムホールサイズとも呼ばれる画布や用紙に描かれた作品が、1000点あまりが並んでいる。かといって全てサムホールなのではなく、「これ以上小さな作品を描けない」という理由からその数倍程度サイズの作品も散見されていた。
漫画家、イラストレーター、画家、作家など、およそ100名程度の出品者がそれぞれに10点程度の作品を持ち寄って展示された、ユニークな展覧会なのだ。戸川昌子、西村春海、種村国夫、などの見覚えのある名前の作家による作品も目にすることが出来た。
よくサムホール程度の作品は、大作のための下書き、習作として描かれることがある。おいらも、新しいビジョンの作品を描くにあたって、サムホール程度の習作を手掛けることはままに有るのだ。
だが当展覧会に展示されている作品群の大部分は、そういった習作的印象は薄いと感じたのだ。小さな画布や用紙の世界には、そんな小さな世界には、じっと覗き込んでみる興味津々の物語を受け取ることが出来る。例えば年賀状においても作品づくりが可能であろう。
月刊文藝春秋に「尾崎豊の『遺書』全文」が掲載
先日発行された「月刊文藝春秋」に「尾崎豊の『遺書』全文」と題されたレポートが掲載されている。副題には「没後二十年目 衝撃の全文公開」とある。筆者は加賀孝英。
出版直後からセンセーショナルな話題となっているが、内容は、尾崎豊の「死」の真相を婉曲的に「自殺」と断じた内容となっている。その根拠とされているのが、尾崎豊が死の前に書き綴ったという2通の「遺書」の存在である。
遺書とされるその2通の内容について、今回初めて「公開」されたという形でのレポートなのである。ただしその物理的な証拠となるべき「画像」等については一切公開されてはいないのが、非常に残念であり不可解でもある。
ーーーーー
先立つ不幸をお許し下さい。
先日からずっと死にたいと思っていました。
死ぬ前に誰かに何故死を選んだか話そうと思ったのですが、
そんなことが出来るくらいなら死を選んだりしません。
(略)
あなたの歌が聞こえてきます。
まだ若かった頃のあなたの声が、
あなたのぬくもりが甦ります。
さようなら 私は夢見ます。
ーーーーー
引用した文章を「遺書」と見るか否かについては見解が異なるところだ。アーティストであり生来の詩人であった尾崎豊が、気まぐれに、あるいは思い付きで記した言葉だととることも可能である。レポートの筆者はこの文書をもって繁美夫人への「遺書」だと断じるのだが、いささか無理筋の論理展開ではないのかと思う。
以前からおいらは、繁美夫人が尾崎豊の死に影響を与えた等々という「推理」には与しないし、死の当日のあれこれを聞き及んでいる人間としては、彼の死が不遇なアクシデントの積み重ねによる極めて不幸な死であると感じているものなのである。それだからこそ、ここに来ての尾崎豊の「自殺」論の主張には大いに首を傾げざるを得ない。自殺する人をおいらは決して否定しないが、尾崎さんについては、彼はまだまだ生に対する執着が強かったであろうし、おいそれと「自殺」という幕引きを演じることなどは決して無かったであろうと確信している。
いつか改めて、加賀氏のレポートの論理矛盾について記していきたいと考えているところだ。
尾崎豊の実父も彼の「遺書」に疑問を呈している
尾崎豊の死因が「自殺」だったという月刊文藝春秋の記事に疑問符を呈したばかりだが、其れを裏付けるように、彼の実父による「自殺ではない」というコメントが紹介されていた。http://www.news-postseven.com/archives/20111118_71059.html
「豊は気分が落ち込んでいるときに、突発的に遺書のようなものを書くことがあった。亡くなる3年前に自殺を考えたことがあるらしいが、そのときに書いた可能性もある」
このようなコメントは、身内でなければ発し得ないものだ。実父の発した疑問であれば、それなりの重みがあるはずである。
「いまとなっては、他殺だとは思ってないけど、あれは自殺じゃない。豊じゃないからわからないけど、なんで死んだんだって…いまでも思ってます」
他殺説を実父は封印した。そしてなおかつ、尾崎豊さんの死に関する疑問符は付きまとってしまう。稀な存在感を持ったアーティストであったが故の宿命であったのかもしれないと考えている。この「宿命」という語彙にはもちろん、豊さんへの多大なリスペクトが含まれているのだが…。
写真・言葉・書で時代を飾る、藤原新也さんの「書行無常展」が開催
11月の5日より27日まで、藤原新也さんの「藤原新也の現在 書行無常展」が開催されている。
■藤原新也の現在 書行無常展
2011年11月5日(土)~27日(日)
東京都千代田区外神田6-11-14
3331 Arts Chiyoda
http://3331.jp
かねてよりおいらも注目しているアートのスポット「3331 Arts Chiyoda」が会場となっている。
たしか昨年の頃より、雑誌「プレイボーイ」誌にて連載されていた新也さんの「書」にまつわるアート活動がテーマとなっていて、これまでのどんな展覧会にも似ていないつくりになっているという印象をもった。
テーマは「諸行無常」ならぬ「書行無常」である。新たに「書」というテーマを引っさげて行なった展覧会なのか? 或は関係者が企画して新也さんに提案して実現したものなのかは定かではない。
はっきりしていることの一つは、以前の新也さんのどの写真展とも異なっているのは、写真家から行動家へと少しばかり、依って立つ立ち位置を動かしたということだろう。写真家・新也さんとしての顔以上に行動家、活動家としての顔が前面に出て来ているのであり、新しい出会いであったという印象を強く抱いている。
千代田区「3331 Arts Chiyoda」にて「写真家60人の『瞬間と永遠』」展開催
千代田区「3331 Arts Chiyoda」にて「写真家60人の『瞬間と永遠』」展が開催されている。
実はこの、タムロンの「18-270mm」レンズはおいらも愛用しているレンズだ。超高倍率のズームレンズでありながら軽量コンパクトであり、一眼レフカメラに装着すればこの1本でほとんどすべての撮影が可能になるという、一時代前ならば夢物語でも語られたような秀逸なレンズである。
ズームレンズは単体レンズの良さに取って代わることはできないながらも、理想的なズームレンズの姿を体現していると云えよう。
殊にぶらりと手軽に出かける小旅行にはとても重宝すること請け合い。実際においらもまた、ニコンの一眼デジカメにこのレンズを装着して撮影に臨むことが非常に多くなってきているのだ。ほぼ9割はこのレンズによる撮影だ。ちなみにそれ以外のレンズを使用するのは50mmのクラシックレンズと、11 ~ 16mmの超広角レンズくらい。この3本でほぼ全ての撮影が可能になっている。
写真展に参加している作家作品の多くは、現役作家として活動を続けており、木村伊兵衛賞受賞者などの高名な作家も含まれている。そして彼らの作品の多くが旅行のスナップで占められている。紋切り型の観光写真もあるが、肩肘張らないで素直に撮影した、ハッとさせるくらいに新鮮な作品も混じっていた。
何時でも何処でも撮影が可能だというこのズームレンズの使い勝手は、想像以上のものがありそうなのである。万能オールマイティレンズの使用感を実感させるのだ。





















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