村上春樹「1Q84」の「猫の町」千倉を歩く

千葉県の千倉に向かった。村上春樹の「1Q84」の舞台となった土地に、千倉という小さな町がある。館山からさらに南下した房総半島の最南端の町である。天吾と長く離れて生活していた父親が、その地の療養所で闘病していて、父との関係を取り戻そうと決意した天吾は、ある日ぶらりと千倉を訪ねるという設定である。BOOK3では、病状がさらに悪化した父親を看病する為、長く逗留するという設定もある。(あまり詳しく書くとネタバレにも繋がるので千倉の説明はこのくらいにしておこう。)

さてここ千倉の町に、作家村上春樹は「猫の町」のイメージを被せ合わせている。「1Q84」の中で、ドイツの無名な作家の短編とされる物語を展開しているのだ。もしやして実在する文学作品なのかと調べてみた。ロシアのボドリスキイという作家が旧ソ連時代に発表した「猫の町」という作品がみつかったが、ストーリーはまるで違っていた。やはり春樹さんのオリジナルな物語のようだ。洒落た構成である。「空気さなぎ」の物語が綴られているがそれと同様のミニチュア版の物語と捉えればよいのだろう。

作中作品「猫の町」では、そのまちにふらりと立ち寄った旅人が登場する。その町が実は人間が猫によって支配されているという奇妙な土地であることに気づく。そしていつの間にか帰る電車に乗ることが出来なくなり、帰る手段を持たない主人公は、知らぬ間に自分が「失われた」ことを知り呆然とする――というストーリーである。「失われる」とは実世界から消失する、すなわち「死」を意味するともとれるが、あるいは死ではない別の特殊な概念を示しているのかもわからない。謎掛けが得意な春樹さんらしい暗喩である。

「猫の町」の猫とは、いったいいかなる風貌、生態などをしているのか? そんな命題を立てて千倉の町の猫を探し回っていたのです。だがなかなか目指す猫を探し出すことができないのでした。

作中作品「猫の町」では、猫は昼間はじっとしていて夜になると動き出すという習性を有していたようなので、昼間の猫に出逢えなかったからといって騒ぎ立てるものではない。かえって合理的なことではないのかと考えていた程である。

という訳であり、駅前の食堂に立ち寄ってビールを一杯傾けてみた。つまみは房総名物「くじらの刺身」である。意外に淡白。魚くさくなく、かといって肉類の味もしない。馬刺しに近い味わいだと云ったら良いか。

考えてみれば、そもそも良質な物語世界を俗的現実世界に当て嵌めてみることも相当無粋である。猫の生態については想像の世界の出来事として留めておくのがよいだろう。