青豆と天吾が眺めた二つの月と、再会叶わなかった高円寺の児童公園

話題作、村上春樹の「1Q84」を紐解きながらページをめくっていると、改めて幾つかのキーワードに突き当たる。物語の終末期において、青豆と天吾がともに眺めて見えたとされる「二つの月」がこれだ。

河出書房新社による「村上春樹『1Q84』をどう読むか」においても、「二つの月」に関しての文芸評論家なる人々の突っ込みとやらが開陳されていて、それはそれで興味深く読んだのだった。SF小説の基本を踏襲していないだとか、その根拠はどうでもいいたぐいのあれ(!)だが、やはりこう書かれているのを見たりしたら、村上マニアとしては些か内心落ち着かないものがあったので、ちと考え考え、創作してみました。今流行の「フォトショップ」というソフトウェアを使って創作した「二つの月」の出来栄えはいかがでせうか?

少々ネタばらしになってしまうかもしれないがご容赦を。

村上春樹「1Q84」の終末場面での、主人公の二人(青豆と天吾)が、互いに求め合い再会を希求するにもかかわらず、ついに邂逅することの叶わなかったという、重要な舞台設定となった場所である。

杉並区高円寺の南口から歩いて数分、環八通りにも近い場所として設定されているのがここだ。児童公園を見下ろせる六階建てのマンションの一室に、使 命を終えた青豆は匿われている。危険を避けるために絶対に外出を禁じられていた青豆だが、同公園の滑り台に居た天吾の姿を見つけるや居ても立てもたまらず 飛び出してしまった。だが、非情にも再会はならず……。春樹さんも可哀想なことをしてくれたものである。

この滑り台に登って眺めた天吾の視線を想ってレンズを向けてみた。「1Q84」のキーワードともなり得る「二つの月」。二人が、クライマックスを迎 えてどの様に見たのだろうかという興味は、無残にも打ちひしがれた模様。おぼろげに霞んで見えたその月は確実に一つの輪郭を有していた。やはり春樹ワール ドを現実的に理解するのは至難である。